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第11章 蒼を蝕む金と銀

 カナは夢を見ていた。

 それは、カナが元いた町を発つ前の記憶であった。

 旧ホッカイドウの最も北部に位置するその町は、やはり年中雪で覆われてはいたものの、地殻変動が起こったとされる大昔からあまり地理的な変化の少ない穏やかな地域であった。

 むしろ、それは辛うじて生き残ったヒトにとってはまさに不幸中の幸いとでも表現すべきであろう。地理的な変化がないというのは自然が残存しており、生き物の生態系の一部が生き延びているということである。これは日本全土の中でも特に稀なケースであり、他の地で認知されていることはまずないであろう。

 そんなオアシスのように貴重な町をわざわざ抜け出し、過酷な旅路に小さな一歩を踏み出そうとしたカナには、彼女なりの覚悟と希望があったのだ。


「―あのね祖父ちゃん!また夢に兄ちゃんが出てきたの!今度は一緒に山登りをしたよ!」

「ほほほっ。それは楽しそうな夢じゃのう。」

「うん!すっごい大きな山なんだけど、その麓にある森も広かったなぁ。森の中は薄暗くて、倒れた木とかいっぱいあるんだけど、兄ちゃんが持っていた斧で道を作ってくれたんだぁ!そしたらね、山を登る階段が出てきたの!そのまま兄ちゃんと一緒に駆け上がっていったら、すっごく綺麗な景色が見えたんだぁ!」


 夢の中のカナは、実際に会ったことのない兄と本当に山登りをしたかのように、目の前の白髪の老人に話をしていた。

 始めは笑顔でしわを作りながら話を訊いていた老人であったが、カナの話の途中で時折考え込むような仕草を見せる。


「森の中に階段、斧…ふむ。」

「どうしたの?祖父ちゃん。」


 そして老人は何かを決意したかのように手を打ち、その懐から何かを取り出した。


「カナよ。これを持っていきなさい。」

「わ!こ、これはなぁに?」


 老人がカナに差し出したのは、今までどのように懐へしまっていたのかと思うほど巨大な古本であった。


「お前にはこのようなモノを与えたことがなかったのう。これは本というモノじゃ。」

「ホン?」

「うむ。昔はどこにでもあるモノじゃったが、お前が生まれる前に起きた大災害以降はほとんど作られなくなった。これは、ワシと一緒に生き残ったモノの1つじゃよ。」

「へぇ~!」


 カナは老人から古本を受け取るとぱぁっと両眼を輝かせる。


「ありがとう祖父ちゃん!…でも、どうしてあたしにこれをくれるの?」

「きっとお前が夢で見た山は、その本にも載っている“フジヤマ”とその樹海じゃろう。」


 そう言いながら、老人はカナの手の上で古本をめくり始める。老人が最後に指し示したのは、旧日本の全土が描かれている頁であった。


「“フジヤマ”??」

「そこに、お前の探す兄―天舞クロスもいるかもしれん。」

「…ほ、本当!?祖父ちゃん?」

「うむ、あやつは元々その周辺の出身だと聞いておる。じゃが…。」


 老人は言葉を濁しながら、今度は筒状に丸めた1枚のボロ紙をカナに手渡す。


「今のフジヤマは、コウシュウと呼ばれる誰も近寄ることのできぬ場所になっておる。その地図に記されたように。」

「…な、なんなの?これ…。」


 そのボロボロの地図には、今カナが立っている大地の全貌が記されていた。古本の挿絵にある地形の赴きは若干残ってはいるものの、「これは違う場所の地図だ。」と言われても誰も疑わないであろう。


「…ここは、この国では昔何が起こったの?」


 それはカナの、最も単純にして最も不可解な疑問であった。

 それをきっかけにカナはさらなる疑問と、記憶の底に眠っていた矛盾を呼び起こしていく。


「兄ちゃんは、どうして消えたの?」

「祖父ちゃんは、なんで兄ちゃんのことを知っているの?こんなモノを持っているの?」


「祖父ちゃんは、…あなたは、一体誰なの?」



「お?起こしてしまったみたいだな。しかしよく寝るなぁお前。」

「―ふぇ?」


 カナは目の前で自分の身体を抱き上げようとするジュンの姿を見ると、間抜けな返事をしてしまった。


「ジュンお兄ちゃん…。もしかして、カナのことを襲―。」

「ちょっ!バカかお前!?なんでそうなる!?」

「だってその手…。」


 ジュンは、カナに言われて今の自分の姿を見てハッとなる。前傾姿勢で両手でしっかりとカナを背負うテヰコの左後ろから、カナの上に覆いかぶさるような恰好になっていたのだ。


「こ、これはテヰコの代わりにお前を…、テヰコとヒロトも何か言ってくれよ!?」


 ジュンは幼馴染2人に助け舟を求めるが、相手が悪かった。


「…私が動けないのをいいことに、ヒドい男だな君は…。」

「ぼ、ボクも見損なったよ。ジュン…。まさか君に幼女スキーの気があったなんて…。」


 カナを含めた3人は、一斉にジュンへ軽蔑の視線を浴びせる。

 幼女への性的虐待(?)の疑いをかけられたジュンは両手を握りしめて壕の天井へ向かって咆哮した。


「俺は!断じて!!ロリコンじゃねぇ!!!」


―ズズズ…。


 その瞬間、壕全体が揺れ始め、カナ以外の3人の両脚がふらつく。


「な、なんだ!?この揺れは?」

「ジュン!君がそんなことを言うから!」

「そんなわけねぇだろ!って危ねぇ!!」


 壕の揺れは治まらず、天井から崩れた石灰の塊が4人の頭上に降りかかろうとしていた。


「きゃあああ!!」


 カナはテヰコの背中に必死にしがみつき、祈るようにギュッと眼をつむる。しかしテヰコにはその場を凌ぐ術はなかった。


「こ、こんなところで…!!」


 もう助からないと誰もが思った、その瞬間。4人の身体を蒼白い光が包んだ。


―ガラガラガラ…。

 

「………あ、あれ?」


 カナが恐る恐る眼を開けると、いつか見た不思議な光景がそこにあった。

 巨体から伸びる18本の手と、それによって形成された絶対不可侵の蒼壁。

 その蒼壁は、崩れた天井の一部はおろか、それによって発生した石灰の粉塵の侵入さえも遮っていた。


「―“梵壁アミタバ”!!」

「ひ、ヒロトさん!?」


 他でもない、ヒロトが“蒼い遺伝子”を解放していたのだ。

 壕の揺れと天井の崩壊が治まると、それと同時にヒロトは元のヒトの姿に戻った。その瞬間、ヒロトはその巨体をガクッと傾け、右膝を壕の床につける。


「…くっ、今のでだいぶ体力を使ってしまったよ…。」

「ヒロト!大丈夫か!?」


 ジュンがヒロトを介抱しようと、その右手を自分の右肩に乗せる。


「あ、ありがとう。ジュン。」

「…バカ野郎。みんなを助けたのはお前じゃねぇか。なんでお前が礼を言うんだよ…。」


 テヰコもジュンの言うとおりだと頷く。カナはその両眼を真っ赤にして泣いていた。


「あ、ありがとう。ヒロトさ―。」


―ドサッ!!


 誰もその状況を理解できる者はいなかった。

 ジュンの持っていたキャンドルランタンの灯りが大きく揺れたかと思うと、今確かにヒロトの身体を支えていたジュンが、ヒロトの身体と共にその場で前のめりに倒れたのだ。その瞬間、紅い飛沫がカナとテヰコの身体に付着した。

 

「…え?2人とも…?」

「ジ、ジュン!!」


 真っ先に2人の異変に気づいたテヰコが見た光景は、その背中に刀で斬られたような痕を作り、鮮血を流すジュンの姿であった。


「ジュンお兄ちゃん!しっかりして!!」

 カナはテヰコの背中から降り、倒れた2人の傍へ駆け寄る。


「―“蒼い遺伝子”は一度解放すると持ち主の体力を著しく消耗させるのよぉ。それは、アナタ達が一番よく分かっていることじゃなくてぇ?」

「そ、その声は…!」


 聞き覚えのある声にカナが顔を上げると、崩れた石灰の塊の上で仁王立ちをしている者の姿が見えた。


「え…、ウルシ…ちゃん?」


 カナにそう呼ばれた金の二つ結いの少女は、その吊り目を細めながら驚愕の表情のカナを見る。素性のわからないテヰコは、なぜカナがこの少女のことを知っているのかを瞬時に理解した。


「なぜこんなところに他のヒトが…?もしや、壕に入る前の夜にカナちゃんと話をしていたのは…!」


 ご名答と言うようにウルシは鼻で笑ってみせるが、その問いには答えずに言葉を続ける。


「つまり邪魔な壁を先に解放させておけば、アナタ達はもう無防備になったも同然よねぇ?」

「…な、んだと…!?」


 声を絞るように出すヒロトであったが、事はウルシの思惑通りでそれ以上のことができる体力は既になくなっていた。


「…先程の揺れを意図的に起こしたのは君だというのか?…君は一体何者だ?」


 テヰコが額に付着したジュンの鮮血をぬぐいながらその右眼で鋭くウルシを睨み付けると、その背後にもう1つの影があることに気づく。

 それはテヰコが最もよく知り、最も忌むべき者であった。


「…あの太刀筋は、やはりお前だったのか!!」


 銀の長髪を携え、口元のみを化け物の口のような異形の面で覆い、全身には黒い袴のようなものを纏っている。両手にはその切っ先からジュンの鮮血を滴らせている長刀が握られていた。

 テヰコの声にカナもその存在に気づき、思わず息を飲んだ。 


(…お、オニ…!?)


 そしてその傍に立つウルシも、その右手に水晶玉を生じさせながらギロリとテヰコを睨み返す。


「アタクシ達は…、“2人で1人”!!」

続きます。

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