第1話 小さな来訪者
春の空気は、少しだけ甘い匂いがする。
新しい生活の匂い、みたいなものだ。
ボクはアパートの窓を開けて、まだ少しだけ物が少ない部屋を見回した。
六畳の部屋。
小さなキッチン。
そしてダンボールがまだ三つ。
今日からここが、ボクの城だ。
「ふふ……一人暮らし……」
思わずニヤけてしまう。
アニメも漫画も見放題。
夜更かししても怒られない。
好きなものに囲まれた、完璧なオタクライフ。
つまり――
最高の楽園である。
「これはもう……理想の生活では……ほえぇ……」
そんな幸せな妄想に浸っていた、そのときだった。
ピンポーン。
玄関のチャイムが鳴った。
「ん?」
ボクは首をかしげながらドアへ向かう。
まだ引っ越してきたばかりだ。
知り合いなんて、ここにはいないはずだけど。
ドアを開けると――
「おー、ちゃんと住めそうだな」
そこには兄が立っていた。
そして。
兄の足元から、ひょこっと顔を出した小さな影。
くりくりした大きな目。
さらさらの髪。
春の陽射しみたいな笑顔。
ボクがその姿を認識するより早く、小さな女の子はぱっと駆け出した。
「お兄ちゃーーん!!」
……え。
次の瞬間。
ぎゅっ。
小さな体が、ボクに抱きついてきた。
「会いたかったー!」
ふわっと甘いシャンプーの匂い。
柔らかい髪。
小さな腕がボクにしがみつく。
ボクの脳が、処理を放棄した。
「……はわゎ……?」
兄が苦笑する。
「おいおい、入った瞬間それかよ」
ボクの胸に顔をうずめたまま、その子は嬉しそうに言った。
「ねーねー、お兄ちゃん」
そして顔を上げて、にっこり笑う。
「遊びにきた!」
その瞬間。
ボクの心臓は、ものすごい勢いで跳ねた。
兄の娘。
つまり――
ボクの姪っ子。
名前は。
「あーちゃん……?」
「うん!」
元気いっぱいの返事。
そして次の瞬間。
「あーちゃんね、お兄ちゃんのおうちだいすきー!」
ぎゅうぅぅ。
もう一度、強く抱きつかれる。
……ちょっと待ってほしい。
これは。
これは――
可愛すぎるのでは?
「ほ、ほえぇ……」
ボクの口から、情けない声が漏れた。
兄が肩をすくめる。
「ほらな。言っただろ」
「最近こいつ、お前のこと大好きなんだよ」
ボクの胸にくっついたまま、あーちゃんが言う。
「お兄ちゃん」
「な、なに……?」
「抱っこして?」
――終わった。
ボクの理性は、
この瞬間、完全に崩壊した。
第2話 ダンボールの中の魔法少女と、ボクの膝の上の小さな天使 に続く




