二日目 遊戯
シャワーホースを伸ばして、花に水をやる。手を浴槽に突っ込んで、ぐるぐる搔きまわす。指に蓄えた水滴を、茂る草に垂らす。植物は好きだ。わたしも植物だから。ティーポットと別れて一時間くらいは『綺麗な花だなぁ……。わたしの方が綺麗か』と植物達を愛でていた。でも、いくらなんでも飽きてくる。手持ち無沙汰に朝顔のツタを指に巻きつけていると、扉を叩く音がした。
「お待たせ!」扉の向こうにいたのは、もちろんティーポット。さっき会ったときより、スカート丈が短くなっていて、それ以外の肌の露出も多くて、まるで秋葉のメイドみたい。彼女は、はち切れんばかりに膨らんだ段ボール箱をひっくり返す。こんな狭い空間にどのようにして詰まっていたのか、色んなモノが溢れ出た。
「さぁ、なにして遊ぶ?」サッカーボール、野球グローブ、ローラースケート、Wii-Fitリング、……。様々なスポーツ用具が床に散らばる。トランプとか、人生ゲームとか、のんびりボードゲームをするものだと思っていたが、思いのほかアクティブだった。
「とりあえず球技とローラースケートは、やめといたほうがいいと思う……」外は雨。それも強酸性の雨だから、室内で遊ぶ他ないが、館は高そうな骨董品まみれ。ガラスとか花瓶とか、絶対割れる。
「じゃあ、バドミントンにしよ!これなら窓に当たっても割れないだろうから。天井高いし、ホールでやる?」手作り感満載のシャトルと、二枚のハエ叩きを拾い上げる。
「だね」少し心配だったが彼女の勢いに負け、わたしは頷いた。
わたしは玄関扉の前、彼女は階段の前に陣取ってラケット(ハエ叩き)を構える。つい昨日、物心がついたばかりで、バドミントンなんてやったことないが、わたしの胸は『打てる』という根拠のない自身で満ちあふれていた。
「いくよー、それっ!」ティーポットの指から離れた青いシャトルが、スポン、と小気味のいい音を響かせ、勢いよく打ち上がる。それは大きな弧を描きつつ、わたしのラケットに……、落ちてこなかった。丸い天井画の中心から垂れ下がる鎖の隙間に挟まって、落ちてこなかった。
「あっ!」
「あっ……」鎖に捕まったシャトルは、蜘蛛の巣にかかった蝶のように憐れだった。せめて蜘蛛に食べられるなら救いがあるが、ただ永久に囚われるだけ。シャトルを抱いた鎖は、『ゆりかご』のようにいつまでも揺れる。
「大丈夫。もう一個あるから」彼女は前掛けのポケットからシャトルを取り出し、再び宙に放る。そして、ラケットを振るう。今度こそ、シャトルはさっきより少し低めの軌道を描いて、わたしめがけて落ちてくる。わたしは思いっきりラケット振った。空気を切る音がした。空気しか切らなかった。
「あちゃー……」ティーポットが頭を抱える。そこまで、驚かなくてもいいのに……。盛大な空振りが恥ずかしくなる。わたしはシャトルを探そうと膝を曲げるが、床に転がっているはずの『それ』は見つからない。完全に消失していた。バウンドして壺にでも入ったのだろうか。ふと、顔を上げるとシャトルがあった。玄関扉の穴の向こうで、酸に打たれて溶けかけていた。ティーポットは扉の側まで『たたたた』と駆けよると、あろうことか穴に手を突っ込もうとする。
「危ない!」わたしは彼女の手を掴み、力一杯、引っ張った。その勢いのまま、わたし達は尻餅をつく。
「なに、なに、なにっ!どうした、どうした?」
「わたし達、雨に触れたら溶けるんでしょ!」
「そうだった」ティーポットはぶりっ子のように、ガラスの頭を小突く。かわいらしい音が鳴った。
「長いこと、この館にいるんでしょうに……」わたしは呆れた声を返す。
「だからこそ、たまに忘れちゃうんだよね。あぶない、あぶない」本当に危ない。
「この雨、止まないの?」
「止まないよ」彼女はあっけらかんと答えた。
「そうなんだ」わたしは穴から外を除く。外には荒野が広がるだけで何もない。
『この世界自体がこの館のために作られたのかもしれない』と思えるほどの虚無だった。スタバとか、カラオケとかあればよかったのに。
「長い棒とかある……?いや、これじゃ使い物にならないか」シャトルはすでにドロドロに溶け、ゲル状になっている。どうにか回収したとして、これを打ってもラケットに張り付くだけだろう。
「ちなみに、シャトルの予備の予備って……」
「ないんだよなぁ、それが……。また、鳩時計さんの羽を毟らなきゃ」どさくさに紛れて剣呑なことを呟くと、ティーポットは肩を落としてうなだれた。
シャトルを野球ボールで代用しようとするティーポットをなんとか止めて、わたし達は次なる暇つぶしを求めて娯楽室に向かった。
「ビリヤードはどう?ダーツもあるよ」という彼女の提案は『運動したから疲れた』と、ぼやくわたしに一蹴されて、次の遊びはトランプに決まった。『ラケット、一回しか振ってないじゃん』という声には聞こえないふりをする。なるべく動きたくないのは、植物だから仕方がない。
「二体じゃ大富豪できないし、ババ抜きにしよっか」彼女は麻雀卓に放ったらかしのトランプを手に取ると、馴れない手つきでシャッフルし、ぎこちない手つきでカードを配る。
「ティーポットって、他のモノと遊んだりしないの?」
「なんで?」
「カード混ぜるの下手くそだから」ティーポットの頭から、紅茶色の泡が笑いのように吹きこぼれた。
「うーん……、そうだね。あんまり遊ばないな」彼女のえげつない距離の詰め方からして、意外に思える。
「お嬢様、独占欲が強いから……。ワタシが他のモノと遊ぶの、気に入らないんだ」
「なんていうか……、面倒くさいね」
「でも、そういうところが可愛かったりして」
「どっちもどっちか」手札をひっくり返し、ペアを捨てていく。それが終わると、手元に残ったカードはジョーカーを含めて三枚。ティーポットのカードは二枚。せっせとカードを配っていた彼女の努力が涙ぐましい。
「ワタシから引くね」
「はーい」と伸びた返事をかえすと、わたしはジョーカーを少しだけ上に飛び出させる。
「その手には乗りません」彼女は迷いなくババを持って行く。その勢いに、清々しさを感じる。
「ヤバい。恥ずかしすぎる」ティーポットの注ぎ口からモクモクと湯気がのぼる。吐き出された白い湯気は、しばらくこの部屋に漂った後、溶けるように消えていった。同時に、彼女の羞恥も消えたようだった。
「ふぅ……。さぁ、どれでもどうぞ」自信満々で手札を向けてくる彼女だが、シャッフルするのを忘れているため、どれがババか分かってしまう。
「あがり!!!」無理に明るく振る舞った『わたし』の声は、二人しかいない空間に虚しく響く。
「いま、思ったんだけど、ババ抜きって二人でやる遊びじゃなかった気がする」
「わたしもそう思う」全く、盛り上がらなかった。
「次はなにする。スピード?神経衰弱?」とはしゃぐティーポットは遊び足りない子犬みたい。
「できたら、反射神経も記憶力も使いたくないなぁ」
「怠け者だね」
「植物だから」わたしは、葉先を弄びながら答えた。
「もう一回、ババ抜きする?」
「それは勘弁」わたしは、こんもりした山になったトランプを纏めて、無意味に混ぜ合わせる。『バババ』と気持ちがいい音がした。
「なら、なにしよう……」
「うーーん」次の遊びを決めあぐねていると、ドアノブが回る音がした。振り向くと、危ないほど服をはだけさせた理容鋏が立っていた。椅子に座った拍子に布が捲れあがり、メロンみたいに丸い乳房と、気が強そうに突き出た乳首があらわになる。『頭はモノでも、体は人間なのだな』と変な実感が湧く。
「おはよう。あら、二人とも朝から賭け事?関心しないわね。私も混ぜなさい」
「その前に、それを隠してください」ティーカップが呆れた声で言う
「あら?失礼したわね」
「それと、賭け事じゃなくてババ抜きです。あと、もう昼間ですよ」彼女の話し方は、さっきまでの快活な口調とも、食事会の無機質な口調とも違っていた。なんて言うか……、適度な距離感があった。
「そうだったかしら?」理容鋏は首をかしげて、とぼけてみせる。一挙一動がいちいち妖艶で、ゾクッとする。
「でも、珍しいですね。理容鋏さんが昼に起きてくるなんて」
「お手入れ用の布を食堂に忘れてしまったのよ。そしたら娯楽室から叫び声がするじゃない。何事かと思ったわ」
「わたしの声、そんなに響いてましたか?」
「ええ、とっても。薬でもキメたみたいにハイテンションな声がね」花弁に息を吹き込むように囁く。彼女は鋏だから、空気を吸ったり吐いたりできないはずなのに、妖しい声がくすぐったい。
「すみません」小さな声で謝る。
「で、なにして遊ぶ?」この話題はおしまい、とティーポットは手を打ち合わせる。そこに「なんの相談?」と理容鋏が割り込んでくる。
「次の遊びの相談です。ユリちゃんったら、サッカーも野球もやったらだめだっていうんです」ティーポットは不服そうに腕を組む。声も不機嫌なものへと変わる。どれだけ遊びたかったのよ。
「羨ましいわ。そんな童戯で満足できるのは、子供だけよ」理容鋏は、からかうように言う。
「ひょっとして、馬鹿にしてます?」ティーポットは湯気を上げる。紅茶の香ばしい匂いが広がる。
「純粋に羨ましいのよ」
「大人の遊びってなんですか」聞いてみた。
「競馬でしょ、麻雀でしょ、あとセッ……」
「ちょっと、待って、待って、待って」わたしは慌てて、立ち上がる。弾みで椅子が倒れたが、気にならない。
「ユリちゃんも、ティーポットちゃんも初心ね。私達って、頭はモノだけどカラダは人なのよ」理容鋏の柔らかな指が、ティーポットの、そして『わたし』の下腹部を這う。くすぐったい感触に声が出た。動けないでいると、ティーカップが理容鋏の腕を引ったくる。彼女の頭は沸騰していた。煮えたぎった熱湯が注ぎ口から溢れ出して、床を濡らす。
「そんな汚いことはしません。ねぇ、ユリちゃん」
「えっと、……。あの……」
「もしかして、いまので興味、持っちゃったのかしら?このあと、部屋に来てもいいのよ」わたしの視線は、理容鋏の滑らかな刃と、ふっくらした胸に釘づけになる。
「なんて冗談よ。お子様には興味ないわ」ティーポットは安心したように、白い煙を吐いた。わたしは安堵と落胆とよく分からない感情が入り混じった、長い溜息を吐いた。そして、無心になろうと天井のシミを眺める。
「それにしても、遊びねぇ……。館中の骨董品を壊して回るのは楽しそうね」
「まったく、どこの不良ですか。ワタシが怒られるんで、やめてくださいね」ティーポットが『ぷんすか』怒るが、まったく怖くない。
「テキサスポーカーなんかが、お勧めよ。麻雀と違って、ルールも覚えやすいわ。イカサマの方法、『特別』に教えてあげてもいいのよ」ゾワゾワする声で言う。
「いいです。今日は、年相応の遊びをするんです」ティーポットは語気を強める。
「なるべく、頭と体力を使わないものがいいんですけど、なかなか思いつかなくて……」とわたしは追加する。
「せっかく帽子を鴨ろうと思ったのに、残念ね。そういや……」理容鋏は艶めかしく輝く刃を閉じると、記憶の糸を辿るように言った。
「たしか……、ブラウン管テレビはゲームを持っていたはずよね。借りてくればいいじゃない?」
『ゲーム』
その単語を聞いて、わたしの心は宙を舞った。群青色の大空を縦横無尽に飛び回った。集中力も、体力も使わない、それでもって面白い最高の遊び。
「でも、貸してくれないんですよね」パトリオットみたいなティーポットの言葉が、わたしを無慈悲に撃ち落とす。心はぐるんぐるん回転しながら地面に激突する。そして爆発炎上、サイレンを鳴らした消防車に水を浴びせられ、わたしの心は意気消沈。
「ケチなんだ」わたしの声に張りはなかった。きっと花弁も、元気なく萎れていることだろう。
「うん。ほんと、『Switch』の一つや二つ壊したくらいで怒るなっての」
「それはティーポットちゃんが悪い」反射的に言った。
「ふつうに、貴方が悪いわよ」理容鋏も追撃を掛ける。ティーポットは『信じられない』という風に、顔を両手で覆う。蓋の隙間から紅茶の滴が、あせあせと流れる。服の袖でそれを拭うと、理容鋏に縋るように手を合わさた。
「お願いします!取り立て、手伝ってください!」
「いやよぉ、面倒くさい」理容鋏は胸と服の隙間から布を取り出す。布に油を染み込ませると、刃を丹念に磨く。ドロリとした液体が胸の谷間に落ちて、妖しく輝く。
「今晩、麻雀でもポーカーでも付き合いますから」
「なら、仕方ないわね」
「やったー!」ティーポットは歓声を上げ、わたしに抱きつく。今から略奪を受けることになるブラウン管テレビを、すこしだけ不憫に思った。




