一日目 娯楽室
まずい。やばい。ひもじい。富めるモノはより金持ちに。貧しいモノはより貧乏に……、資本主義の闇を煮詰めたような状況に、わたしは絶望した。『所詮はレクリエーション。トランプ遊びの罰ゲームなんてしれている』、と高をくくっていたが、理容鋏が優勝したとき、シルクハットは鍔を切られ、鳩時計は羽を切られ、クラブの3はカードの端を切られたと知って、この戦いは負けられないものになった。しかし、そのプレッシャーが凡ミスを誘発し、あれよあれよと富豪から大貧民まで落ちぶれた。そして汚名を返上できないまま三回も負け続けた。ちらっと、鳩時計の顔を見る。現在5時45分。これが最後のゲームになるだろう。
「ジロジロ見るな、気持ち悪い。俺様は貴様に時間を教えてやるほど、優しくはないぞ」青い鳥が威嚇するように、羽をばたつかせる。しかし全然怖くない。
「今回も私の勝ちのようね」理容鋏はもう勝った気でいる。巻き煙草の紙を広げると、乾いた葉の欠片を重ねて、切り刻む。それが、彼女なりの煙草の愉しみ方らしかった。サクサクと小気味のいい音が響く。
「ユリちゃん、心ばかしの贈り物だよ」帽子が『七渡し』で押しつけるのは、クラブの3。最低最弱、役立たずのカードだ。もう罰ゲームの回避は絶望的。切られるのは、やっぱり痛いのかな。ならせめて、茎じゃなくて葉っぱがいい。悶々と考え込んでいたせいで、気づくのに遅れた。元々持っているダイヤの3とハートの3、理容鋏から押しつけられたスペードの3、そしてさっき帽子から貰ったクラブの3。手元に四枚の社会的弱者が揃っていることに。
四枚のカードをテーブルに広げ、今までの鬱憤を晴らすように『革命』を宣言した。王政がひっくり返る。
「ちょっと待って、ユリちゃん。革命ができるからって、すぐに発動させるのは、はしたないし、悪手よ。レディーたるもの、つねに余裕を持っていなくちゃ、ね」刃をカチカチと鳴らす彼女に、余裕があるように思えない。
「ダメです」
「ダメだってさ。残念だったね」帽子は怒りの神経を撫でる逆ように言う。帽子の皺が、ニンマリ笑っているように見える。
「まだ負けたわけじゃないわ。勝負はこれからよ!」意気込む理容鋏の奮戦むなしく、ここからは『わたし』の独壇場だった。みるみるカードがはけていく。
「あがりです」わたしの手元から、トランプがなくなる。
「僕も!」帽子の手元から、トランプがなくなる。
「俺様もだ」鳩時計の手元から、トランプがなくなる。
ちょうど、そのタイミングで『カッコウ、カッコウ』と鳩時計が鳴いた。
「あぁぁぁーーーー○△×□(金切り音)」放り捨てられたトランプが宙を舞う。それらのほとんどが、さっきまで栄華を誇った絵札。この世は諸行無常だ。理容鋏が卓に突っ伏すと、スペードの3が残していったビールの空缶や一升瓶が倒れ、転がった。
「いままで私が一番だったじゃない!」
「そんなの関係ないよ。それで、罰ゲームは何にするんだい?」帽子が訊いてくる。わくわくウキウキした声で。
「『ナシ』なんて、くだらんこと言うんじゃないぞ」鳩時計の言葉に虚を突かれた。『後が怖いからナシにしよう』、と思っていたところだったからだ。
「あ……。えっと……」
「大丈夫よ。私が罰ゲームの一つや二つで怒るようなモノに見える?」見えます、と答えたいのを我慢する。そんなこと言ってしまえば、ザックリ切られて一輪挿しにされるのが落ちだ。
「前にあったのは、サンポールだったよ」
「サンポール?」
「鋏ってサンポールを浴びると、あっという間に錆びちゃうんだ。そのときは……」
「余計なこと、言わないでくれるかしら?」刃物のように冷たい声音。
「はい……」
わたしは考える。考えに考え抜く。できるだけ禍根を残さない罰ゲーム。尻文字、一発芸、シュールストレミング……。ろくなモノが思い浮かばない中、一つのアイデアが悩めるわたしに、天恵のごとく舞い降りた。
「じゃあ、キスで」
これぞ罰ゲームの定番中の定番。我ながらいい案を思いついたものだ。
「「誰と?」」帽子と鳩時計の声が揃う。二体は顔を見合わせると、視線をわたしに向ける。
「決まってないのなら、是非とも立候補させてもらうよ」帽子は政治家みたいに大きく手を振り、アピールしだす。
「身の程をわきまえろ。理容鋏さんに釣り合うのは、俺様しかいないだろ」鳩時計の小鳥が、求愛するように羽をバタつかせる。
「わたしと、ですけど?」
「「へっ?」」二人は間の抜けた声を出すと、嵐の前のように静まり、かえる揃って間の抜けた声を出すと、暴風雨のように吹き出した。なにか変なことでも言っただろうか。
「よく恥ずかしげもなく、そんなことが言えるね。尊敬するよ!」帽子にだけは言われたくない。
「ユリちゃんって、見かけによらず積極的ね」
理容鋏は卓に肘をついて、わたしの顔に腕を伸ばす。魅惑的な指が、花弁を抑える。その力は獲物に牙を立てる蛇のように強い。彼女の顔が迫る。煙草の甘いにおいに酔いしれそうになる。そして接吻。冷たい感触。櫛状の刃が、無数のおしべと絡み合う。しなやかな刃が花柱の深くに潜り、子房の最奥まで達する。刃はヒンヤリとしていて、気持ちがよかった。それはもう、言葉では言い表すことができないほどに。
「ヒュー--!!」クラブの3が口笛を鳴らす。
鳩時計はオーケストラの演奏が終わったみたいに、惜しみない拍手をする。
「羨ましいなんて、思ってないからな」鳩時計は羨ましそうにチラチラこちらを伺う。
「間に挟まっていいかい?ギャッ!」鈍い音がしたが、気にしない。気にならない。世界にはわたしと理容鋏の二体しか存在しない。彼女の硬く、滑らかな感触を永遠のような時間を掛けて、存分に堪能した。
「大丈夫、ユリちゃん?」
「大丈夫……、じゃないかもです」とろけるような幸福感。ふやけるほどの恍惚感。体も、花弁も、力が抜けて『ふにゃふにゃ』になった。
「ちょっと、刺激が強すぎたかしらね」
どのくらい、時間が過ぎたのだろう。とわざわざ詩的に語る必要はない。目の前に巨大な鳩時計があって、6時20分をさしているからだ。たった二十分しか経っていないことに驚く。世界一長いキスは58時間だという、どこかで聞きかじった無駄な知識思い出し、想像してみる。そんなことをすれきっと、気が狂って、枯れてしまう。
「鐘もなった。そろそろ食堂に行くぞ。この俺様が集合時刻を破る日が来るなんてな……。きっと、姫はご立腹だ」
「姫?」わたしは鳩時計に聞き返す。
「この館の主だよ。すっごく怖いんだ」帽子は大げさに肩を震わす。
「理容鋏さんより?」
「姐さんよりはましだよ」
「よかった」
「それってどういう意味かしら?」わたしの肩に悪霊より重いなにかが、のしかかる。帽子は転がるような勢いで、食堂に逃げ込む。鳩時計もそれに続く。わたしは理容鋏に憑かれたまま、食堂に入った。




