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五日目 主

「ワタシがこの館に来たのは……、何年前だったかな?ここにはカレンダーなんてないし、『正』の字を刻んでるわけじゃないから、分かんないや。とにかく、何年か何十年か前にこの館に来たの。最初の客としてね」


 ティーポットの発言に茎をかしげる。彼女はこの館の使用人じゃなかったのか。


「うん。メイドとして働き出すのは、しばらく先だよ」見透かすように言う。


「それから、モノが一体ずつ増えていって、空いてた客室も順番に埋まっていって、館の住人は十体になった。それで、しばらくは他の住人達と一緒に暮らしてた。色んなモノがいたよ。頭が傘のモノとか、金槌のモノとか、扇風機のモノとか、黒電話のモノとか、ハエ叩きのモノとか……、色々ね。みんなと遊ぶのは、それなりに楽しかったな」ティーポットは思い出に浸るように、注ぎ口を遠くに向ける。


「でも、しばらく経って黒電話が壊れたの。経年劣化だった。それからワタシ、塞ぎ込んだっちゃんだ。ほら、ワタシって頭が割れると即死でしょ。それで、何をするのも恐くなっちゃってさ……。食事を取りに行く以外は部屋から出なくなった。誰とも話さず、誰とも会わず、部屋に閉じ籠もった。そんな荒んだ生活をずっと、何ヶ月も何年も続けた。最初は他の住人達も心配してくれていたけど、面倒くさくなったのか、見放したのか、ワタシのことなんて忘れたのか、ノックの頻度が減っていって、一体を除いてワタシの部屋を訪れるモノはいなくなった。その一体っていうのが、シャンデリアなんだ。彼女だけは毎日、ワタシの部屋の扉を叩いてくれた。ワタシのことを気に掛けてくれた。心配の言葉をたくさん掛けてくれた。言い方は、ちょっと乱暴だったけどね。どちらにせよ、彼女はワタシの心を溶かしてくれた。それがきっかけで、ワタシは彼女に惹かれたの。シャンデリアのことが好きになったんだ」


 初めて恋を知った乙女のように甘い声で、彼女は言った。そして、恥じらうように、両手のひらで顔を包んだ。


「メイドになることを勧められたのも、このときなんだ。『館主たるとも使用人の一人は持たないと……』とか言ってたけど、絶対にワタシのためだよ。本当は優しいモノだけど、そう思われるのが恥ずかしかったんだろうな」思い出したように、クスッと笑う。

  

「その日から世界が違って見えた。色褪せた世界で、シャンデリアの光だけがキラキラと輝いてるんだ。ちょっと我儘なところもあるけど、その殻の内側に『優しさ』と『照れくささ』が隠れてるのが丸わかりで、可愛かった。でも、それと同時に他のモノが無価値に思えてきたの。一緒に暮らしてきたはずの住人達が、館のシミにしか見えなくなった」彼女は、床に転がる馬マスクの生首を、ゴミを見るように眺める。


 シャンデリアが他のモノと仲良くするのがイヤだった。

 シャンデリアが他のモノと会話をするのがイヤだった。

 シャンデリアの視界にワタシ以外のモノが入るのがイヤだった。

 シャンデリアと過ごすはずだった時間を奪われるのがイヤだった。

 イヤで、イヤで、イヤで、イヤで、イヤで、イヤで、イヤで溜まらなくなったの。


 ティーポットは体中を這いまわる多足類を振り払うように、肩を震わせる。


「それでも狭い館だから、頑張って我慢はしたよ。シャンデリアに迷惑も、心配も掛けたくないからね。無為な話に相槌を打って、何十回と聞いた自慢話に手を打って、盛り上がらないボードゲームにも付き合った。でもその裏で、ずっと焦燥感の炎が胸を焦がしていたの。ワタシがいるべき場所は、娯楽室でも、食堂でも、浴室でもない。シャンデリアの部屋だ。オセロ盤なんてひっくり返して、一秒でも早く、彼女の胸のなかに戻りたかった。一秒でも長く、彼女に抱かれていたかった」


 彼女は胸の前で華奢な腕を交差させると、自分の肩を抱きかかえて、身をくねらせる。彼女の頭は沸いていた。グツグツ煮えた青色のハーブティーが、カブトガニの血液のように吹きこぼれた。

 

「そんな不満を抱きながらも、ワタシは館での日々を平穏に過ごした。でも、ずっと変わらないモノなんてない。栄華を極めた王国もいつかは滅びるし、傘は開かなくなるし、扇風機の首は回らなくなるし、ハエ叩きは割れる。シャンデリアも例外じゃない。金箔が剥がれて、腕木がむき出しになった。体が朽ちていくことに怯えて、美貌が失われていくことに震えて、彼女の心も壊れていった。だから、今度はワタシが助けなきゃって思ったんだ。それで、提案したの。額縁の金箔を剥がして、肌に張ってみたらどうかってね」


「美しさを取り戻したおかげで、彼女の震えはおさまった。でも、一時しのぎにしかならなかった。額縁の金箔なんて、薄っぺらいからね。あっという間に剥がれちゃって、彼女はまた震え始めた。そんなとき、11体目の来客があったんだ。金貨の頭をした男。ケーチョウ小判って、いったかな。どんな漢字だっけ?」彼女は人差し指で、空に字を書く。何回かくり返して、頭をひねる。


「やっぱり、分かんないや。それはともかく、彼が来てから館が少し変わったの。まず気づいたのは、廊下に飾られていた絵。昨日まで、黒電話の絵だったのに、小判の絵になってた。部屋の中も様変わりしていた。前の住人の持ち物は跡形もなく消えて、金ピカの家具に置き換わっていた。同じなのは部屋の大きさくらい。あらゆる家具が金色で、壁も床も天井も悪趣味なくらいキンキラキン。それでワタシは頼んでみたの。『金箔を分けて欲しい』って。彼は気前よく分けてくれた。その代わり、ものすごく威張り散らされたけどね」辟易とした口調で言った。


「それなりの量があったから、何年かは保った。でも、やっぱり剥がれる。シャンデリアはまた、不安に苛まれるようになった。だからワタシは囁いたんだ。『アイツを壊そう。潰して金箔に変えちゃおう』ってね」ティーポットは取り出した金槌でテーブルを叩く。


「最初は渋ってはいたけど、最終的には提案を受け入れてくれた。そして、ワタシは小判を壊した。説明書にたくさん叩けば壊れるって書いてたから、金槌で何度も叩いて、壊した」ワタシは血まみれの金槌に視線をやる。これが、そのとき使った金槌なのだろうか。


「その後も大変だったな。叩いても、叩いても、なかなか薄くならなくて……。使えるくらいの薄さになるまで、三日三晩は叩き続けたよ」ティーポットは筋肉をほぐすように、大きく肩を回す。


「でも、本当に大変なのはここからだった。シャンデリアに疑いの目が向いちゃったんだ。消えた小判と、かつての美貌を取り戻した彼女。真相は露骨なくらい明らかだよね。みんな彼女を壊そうと躍起になった。だから、シャンデリアには安全のために部屋に籠もってもらって、その間にワタシが他のモノを壊すことにした。そして、ワタシはやり遂げた。館の住人を皆壊しにしたの」


 すごいでしょう、とティーポットは誇らしげに語る。けれど彼女の細っこい腕で、住人を皆壊しにするなんて、本当にできるのだろうか。


「説明書があったからね。楽な仕事じゃなかったけど、なんとかなったよ」ティーポットは袖をまくって、腕を曲げる。力こぶは出てこない。


「八つの命を人柱に捧げて作り上げたワタシ達の城は、余計なモノが片付いて、いっそう美しくみえた。そして始まったシャンデリアとの幸せな日々。起きて、遊んで、話して、食べて、抱いて、ヤって、眠る、とろけるような甘い生活。永遠に『いま』が続けばいいのになって、思ってた。でも、そうはいかなかった。呼んでもない客が、やってきたんだ。次々にね」溜息みたいに湯気を吐く。湯気は不満そうな形を作る。


「ワタシ達の館に、余計なモノはいらない。宝石箱にありきたりな小石を入れるスペースなんて存在しない。ワタシはワタシ達の完璧な世界を守るために、住人達を壊し続けた。壊して、壊して、壊して、壊しテ、壊シテ、壊シテ、壊シた……。ほんと蟲みたいに湧いてくるから鬱陶しくてたまらなかったけど、そのうち館の仕組みが分かってくると、悪いことばかりじゃないって気づいた。


 住人を壊せば、代わりに新しい住人がやってくる。このままモノを壊し続ければ、金箔作りに必要なモノがまた来るかもしれない。そう考えると、モノ壊しに精が出た」ソーシャルゲームのリセマラみたいだなと思う。


「それに、絵が掛け替わるから額縁の金箔も手に入る。ぜんぜん、足しにはならないけどね……」ログインボーナスみたいだな、と思う。すぐに強制ログアウトが入るけど。


「ユリちゃんもギャラリーにある大量の絵画を見たでしょ。あれ、ぜんぶワタシが壊したモノの絵なんだ。彼女のために壊したモノの姿を眺めるのが、彼女のために奪った命を数えるのが、彼女への愛を確かめるみたいで楽しかったんだ。シャンデリアにも見せたんだけど、『趣味が悪いからやめなさい』って言われちゃった。けっきょく、やめられなかったな」恍惚と語るティーポットが、犯行の度に記念品を持ち帰る殺人鬼か、狩った首でアクセサリーを作る蛮族に見える。


「モノを壊すのは簡単だったよ。玄関ホールの扉を開けておけば、何も知らない住人は放っておいても館の外に出る。そのときを見計らって玄関の閂を下ろすと、閉め出されたモノは酸の雨に打たれて溶ける。この方法で、大体のモノが壊れた。


 たまに、酸に強いモノもいた。『香水瓶』とか、『ビールジョッキ』とかね。そういうときは部屋をあさって、取扱説明書を探した。その後、何食わぬ顔で玄関扉を開けて、『どうして扉が開かなくなったのだろう』と頭をひねる彼らを迎えいれた。


 一緒に遊んだり、食事をしたりして、警戒をといて、寝ている隙に説明書に書いてある壊し方を実践した」彼女はオセロの石をコイントスのように弾く。勢いよく飛んでいった石は、柱時計に当たって落ちる。


「その日も、ワタシはいつものように獲物が外に出るのを待った。そして、いつものように閂を掛けた。でも、いつも通りにはいかなかった。あろうことか、コイツは玄関扉を蹴り破って館に戻ってきたんだ」ティーポットは、隣に腰掛ける馬マスクの分厚い胸板を何度も叩く。『ボスッ』と軽い音が響くたび、頸動脈から血が噴き出てジャージが濡れた。


「マズい、と思ったよ。『酸に強いモノ』をふたたび館に入れるときは、なるべく不自然にならないよう工夫してた。扉を開けるまで程よく間をあけたり、慌てたような足音を立てたりしてた。でも、今回は違う。閂をさしたばかりで、ワタシはまだ扉のすぐ横にいたの。どこからどう見ても、扉を閉めたのはワタシで、『扉を叩く音』と『馬マスクが呼びかける声』を無視してたことも丸わかりだった。


 慌てて、扉が閉まったのを老朽化のせいに、声が聞こえなかったを扉の分厚さのせいにしたけど、そんな間に合わせの嘘でよく騙せたなって、今でも思う。こいつに頭がなくて、ほんとうに助かったよ」ティーポットは馬マスクの肩を強めに叩く。今の彼には、本当に頭がない。


「そのときは、馬マスクのことを脅威には感じてなかった。『あとで、説明書を探して壊せばいいか』としか思ってなかった。それより、壊れた扉の方が問題だった。無茶な力が掛かったせいで、動かなくなっちゃったんだ。これじゃあ、いままでみたいにモノを壊すことができなくなってしまう。幸い、金槌を壊したときに手に入れた工具箱があったけど、上手に直せる自信はなかった。でも、ワタシが本当に気にするべきなのは馬マスクのほうだったんだ。まさか、『取扱説明書を食べていた』なんて予想できないよ」ティーポットは呆れたように湯気を吐く。 


「こっそり、彼を壊す機会を覗ってはいたけれど、分かったのは食事に洗剤とか、香水とかを混ぜると『肌がかぶれたり、痒みが出たりする』ってことだけ。酸も混ぜてみたけれど、『マズい!』って吐き出された。農薬が洗い流せていなかったってことにして、誤魔化しといたけどね。なかなか仕留めきれないでいると、二体目の呼ばれざる客、ブラウン管テレビがあらわれた。そのまま、館の住人が増えていって、迂闊な行動をとることが難しくなってきた。ユリちゃんが館に来たのはそんなとき」


「最悪なタイミングに来ちゃったみたいだね」わたしは投げるように言った。


「何で?それより前に来てたら、問答無用で壊されてたんだよ」ティーポットは人差し指を伸ばして、その爪でわたしの茎を『ツー-』となぞった。組織液が凍るような寒気がした。


「なら、どうしてシャンデリア嬢が壊れてるの。あなたの言うことが本当なら、彼女は共犯物のはずなのにね」冷たい声を作って虚勢を張った。


「『あなた』なんて、よそよそしい言い方はやめて。今まで通りティーポットちゃんって呼んで。いい?」


「……、はい」ティーポットの静かで迫力に満ちた声が、わたしの心を折った。なにがしたかったんだ、わたしは……。


「まぁ、時間はいくらでもあることだし、ゆっくり聞いてよ。まず、最初の損壊事件を思い出してみて」


「最初って……、ヌイグルミが溶けた事件のこと?」ドロドロに融解したヌイグルミの姿を、頭に浮べる。


「違う、違う、あれはただの事故。ユリちゃんも見てたでしょ。ワタシが言ってるのは、ブラウン管テレビの事件だよ」わたしは思い出す。風呂に沈んだ頭、溶けたプラスチックのにおい、割れたモニタ、飛び出たコード。


「どうして、ワタシが最初に彼を壊したと思う?当ててみて」ティーポットは頬杖をつく。


「……」胸の端っこに雀の涙ほど残った反骨心が、わたしに沈黙を命じる。それを彼女は、熟考と解釈したらしく、ドキドキと、そわそわと、わたしの答えを待つ。時計の針が百回くらい時を刻む。


「うーん、じゃあヒントをあげる」とっておきの秘密を打ち明けるように、彼女は囁く。


「知ってる、ユリちゃん?家電の基盤には、金が使われてるんだ。ほんのちょっぴりだけどね」息を呑んだ。そして、馬鹿げてると思った。


「わかった?」


「そんな物のために、ブラウン管テレビを壊したの……?」彼の頭に入ってる金なんて、微々たる量だろう。そのためにモノを壊すなんて、正気の沙汰ではない。


「まぁ、だから真っ先にブラウン管テレビを狙ったってだけで、どっちにせよ結果は同じだよ。彼を壊さないと次の住人が入ってこれないからさ」彼女は嘯く。


「でも、どうやってブラウン管テレビを運んだの?ブラウン管テレビを担いで、階段を上るのは女子には無理だって話になったのに」


 わたしは廊下のレッドカーペットが消失していたことを思い出す。帽子は壊物現場の偽装が目的だって言っていた。『シャンデリアと協力して運んだのだろうか』とも思ったが、彼女達の腕の細さからして、それでも無理な気がする。 

 

「あんな重いモノ、担げるわけないじゃん」


「えっ、でもブラウン管テレビを壊した場所は廊下なんでしょ」


「まず、その前提が間違ってるの。壊物現場はワタシの部屋。帽子の言うことなんか、真に受けたらだめだよ」ティーポットはオセロに石を握ると、柱時計の前に倒れた帽子に投げつける。


「ブラウン管テレビからは、シャンデリアと遊ぶためにゲームを借りてたからね。それを返すって口実でワタシの部屋に呼び出したんだ。それで、ゲーム機を渡して、部屋から帰ろうとしたところで、後ろから紅茶を掛けた。あっけなく、水没したよ。ゲームばっかりやってたから、体力なかったのかな」関係ないか、と冷たく笑う。


「それでも結構な重量だからさ。ワゴンに載せて浴場に運んだ。それから、酸で満ちた浴槽の中に沈めたの」


「わざわざ酸の中に沈めた目的は何?やっぱり、事件の痕跡を消すため?あなた……、ティーポットちゃんがブラウン管テレビを壊した動機は『金』が欲しいからでしょ。そのために、彼を溶かしてしまったら本末転倒だよね」わたしが訊くと、ティーポットは教師みたいな口調で答える。


「知ってる、ユリちゃん?『金』は酸に溶けないんだよ。ちまちま分解して、金を集めるんじゃ切りがないからね。プラスチックとか、導線とか、いらないパーツを溶かして、沈んだ金をあとから回収することにしたんだ」


「なら、殴ったみたいな凹みはなんだったの?やっぱり、捜査を攪乱するため?」ティーポットは静かに頭を振る。


「バラバラにしたら、早いこと溶けるかなって思って金槌で叩いたの。全然ダメだった」


「そんなことしないで、ふつうに分解すればよかったのに」


「ここで、ドライバーがダメになったら、理容鋏が壊せなくなっちゃうからね。無駄なリスクを冒したくんかったんだ」ティーポットは両手にチョキを作る。


「でも、酸はどうやって用意したの?」わたしは降りしきる酸の雨を見つめる。降り注ぐ雨は滝のようだが、風は強くない。雨の滴は地面に向かって、ほとんど垂直に落ちる。浴室のガラスが割れていたとしても、そんな角度の浅い雨が一晩で浴槽を満たせるとは思えない。


「用意って?外から汲んできただけだよ」


「だけど、玄関扉は壊れて開かないはずだし、窓も開閉できる構造じゃなよね」


 そう。酸の雨なんてなくても、この館は閉ざされている。唯一の出入口はガラスが割れている浴室は二階。ロープかなにかを垂らして、昇降するのは不可能ではないだろうが、ティーポットそんな体力があるようには思えない。一応、窓を割れば外に出ることも可能だが、痕跡が残ってしまう。


「ヌイグルミが窓ガラスを割ったのを忘れたの?」


「あっ!」すっかり忘れていた。


「でもちょっと、待って。酸はどうやって運んだの?」酸を汲むのに使えそうな容器はガラス製のコップくらい。あんなちっぽけな容器では、何十往復どころか何百往復しても浴槽を一杯にするなんてできないはずだ。それより早く、朝が来てしまう。


「これを使ったんだ」そう言うとティーポットは自分の頭を、指で弾く。狂気的な中身とは対照的な、綺麗な音色が響く。


「酸の雨を、頭に汲んで運んだの。階段を何往復もするのは、きつかったな。最後の方はふらふらだったよ」


「でも、溶けるんじゃないの?」 


「ワタシの頭は陶器だよ。溶けるわけないじゃん。ただ、そうだと知られない方が都合がよかったから黙ってたの。でも、いま考えるとバレてもおかしくなかったな。玄関扉の穴から出たバトミントンの羽を拾おうとたときは手が出そうになったし、酸で濡れたブラウン管テレビの残骸を引き上げたのもワタシだからね。慌てて助けることで、壊物鬼じゃないことをアピールしたつもりだったけど、いま考えると悪手だった」彼女は『ぶりっ子』するように、自分の頭を軽く叩いた。


「硫酸風呂に入れたテレビはまだ溶けきってなかったけど、とりあえず湯船の底から金を回収できるだけ回収して、シャンデリアに渡したんだ。そしたら彼女、どうしたと思う?せっかくワタシが苦労して掻き集めた金を床に投げ捨てたんだよ!」怒りの爆発のように、ティーポットは『バンッ』とテーブルを叩いた。


「せっかくシャンデリアのために頑張ったのに。あんなにシャンデリアに尽くしてきたのに。『もうやめたい。こんなこと、終わりにしよう』って言ったんだよ。信じられる?いまさら、そんなことできるわけないのにね」ティーポットは横たわる帽子と、ソファに腰掛ける馬マスクに注ぎ口を向ける。


「ワタシのお嬢様は、ワタシしか見ないはずだった。ワタシしか愛さないはずだった。ワタシと二人っきりで永遠に暮らすことを望んでいるはずで、他のモノの命になんて興味ないはずだった。でも、そうじゃなかった。そのときから、シャンデリアはワタシのお嬢様じゃなくなったんだ。そうすると、愛って不思議だね。シャンデリアが醜悪なモノにしか見えなくなったの。曲がりくねった腕木がミミズみたいに気持ち悪くて、透きとおってたはずのクリスタルが濁って見えて、継ぎ接ぎだらけの金箔はフランケンシュタインみたいに醜悪に思えて、蠢く炎はグロテスクだった。あんなモノのどこに好きだったんだろう。謎だな」ティーポットは頭をかしげて唸った。


「こんなのワタシのお嬢様じゃない。だからワタシ、決めたんだ。シャンデリアを壊すって。それで、新しいご主人様に尽くすって」


「新しいご主人様?」いったい誰のことだろう。わたしは『ぐるり』と玄関ホールを見渡す。そして、生き残っているモノは、わたしとティーポットしかいないことを思い出す。


「そう。ユリちゃんのことだよ」彼女は初めて恋を知った中学生のように言った。二回目のくせに。電気マッサージ器まで使っているくせに。


「ユリちゃんが来て二日目のことを覚えてる?バドミントンしたり、桃鉄したりした日。ワタシがユリちゃんに近づいたのは目論見があってのことだっんたけど、一緒に遊んでいるうちにホントウにユリちゃんに惹かれてきたんだ。ずっと、『永遠の美』に囚われるシャンデリアを見てたからかな。散ることが運命づけられたユリちゃんの儚さが新鮮だったのかもね。でもね、けっきょく愛は理屈じゃ語れない。わたしはユリちゃんのことが好きになった。それだけが事実なの」ティーポットは胸を焦がすように言う。


「そのときはまだ、ユリちゃんのことも壊すつもりで、シャンデリアを壊すつもりはなかったんだけどさ。ワタシの心が揺れているときに、シャンデリアのあの仕打ちだもん。あんなモノ、裏切られて当然だよね」彼女は一人で納得して頷く。


「それで、ワタシ決めたの。ワタシとユリちゃんの二人だけの世界を作るって。この館から余計なモノを排除するって。そこでまず、ワタシの元主人様、シャンデリアを壊物鬼に仕立てることにしたんだ。ワタシを努力を無下にした恨みも晴らしたかったからね」

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