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四日目 気つけ

 三人掛けのソファーの真ん中に、ティーポットが膝を抱えて座っている。いや、『座る』というより『乗っている』という方が正しい。彼女の座り方は、そのくらい力がなかった。指先で小突いただけで、ごろん、と倒れて二度と起き上らなくなりそうだ。注ぎ口から一滴のコーヒーが垂れた。


 わたしは彼女の蓋を二回ほど撫でて、滴をハンカチで拭き取る。そして、弱々しく震える肩に腕をまわした。慰めの言葉が見つからないのを誤魔化すように、腕に力を込める。


「気づけにビールでも飲むか?」馬マスクは、溢れそうなトレイを食堂から運んできた。そこには、ワインボトルやワイングラス、ビール瓶やビールジョッキ、お猪口に酒瓶、そして砕かれた氷が載っている。


「ありがとうございます……」ティーポットはビールが並々と注がれたジョッキを受け取る。そして、自分の頭の蓋を開け、黄金色の液体をその中に注いだ。ガラス製の頭の中で、コーヒーとビールが混ざり合って、彼女の顔色が複雑になる。 


「味、変にならない?」話のきっかけになればと、訊いてみた。


「なる。けど、液体を切らすとワタシ、壊れちゃうから」


「河童の皿みたい」わたしが言うと、彼女はぎこちない笑い声を立てる。懸命に明るく振る舞おうとしているのが分かってしまって、余計に虚しくなる。無理させるのはよくないので、会話を打ち切った。


 酒は飲まないと言っていた馬マスクも、今ばかりはビールをラッパ飲みする。無理もない。ようやく壊物鬼を捕まえて安心した矢先で、モノが壊れたのだ。彼は瞬く間に一瓶飲み干すと、つぎの瓶を開けて、ビールをジョッキに注ぎ入れる。膨らんだ泡がジョッキから溢れた。


「ユリちゃんもどうだ?顔色が悪いぞ」


「いただきます」受け取ったジョッキは氷のせいで、とても冷たい。さっそく、ビールに根を沈めてみる。苦い。でも、悪くない苦さだ。体が痺れて、内側から熱くなる。住人達のしゃべり声が頭の中に何度も反響し、シェードランプの電球が太陽のように輝いて見える。嫌な記憶も、壊れることへの不安も、壊物鬼への憎悪も、海に注がれた牛乳のように薄まっていく。


「なるほど、なるほど、実に興味深いことが起きているみたいだね」帽子はシャンパンの瓶を振り、栓を緩める。『ポンッ』と小気味のいい音を鳴らしてコルクが飛びだす。吹きでた泡が彼の手を濡らす。


「興味深い?潔く、想定外のことが起きたって認めなさい。自称探偵さん」理容鋏は、いまだに壊物鬼を突きとめられない帽子を嗤う。


「いいや。これぐらい、想定内だよ。なんなら、昨日の夜から鳩時計が壊されるって予言してたしね」そう言うわりに帽子の酒の進みは、やけ酒のように早い。


「もう、住人の半分が壊れてるのよ。当てずっぽでも当たるわ」


「運も実力のうちさ」


「認めたわね」こんな事態になってなお、理容鋏は他人事のように悠然と刃を磨いている。


「やっぱり、鳩時計を壊したのはシャンデリア嬢なんでしょうか」ティーポットが泣き疲れて眠ったのを見計らって、切り出してみた。


「そうだよ。さっきから、そう言ってるじゃないか!」帽子に同意されると、推理が正しくないんじゃないか、と思えてくるから不思議だ。


「ありえないわね。シャンデリアちゃんは部屋から出られない。鳩時計を壊すのは不可能よ」


「うーん?」帽子は何も理解してなさそうに、唸る。


「そうでなくても、あの状況は不自然よ。何をどうしたら、部屋が泡まみれになるのかしらね」わたしはシャンデリア嬢の部屋の惨状を頭に浮かべた。部屋を埋め尽くす大量の泡。漂う甘い香り。そこで、わたしは思い出す。あの匂いの正体を。


「たぶん、入浴剤だと思います」


「入浴剤?」帽子が訊く。


「昨日の夜、ティーポットちゃんと泡風呂に入ったんですけど、そのとき使ったバスボムの匂いが、シャンデリア嬢の部屋からもしてたんです」


「二体でお風呂に入ったの?」思いがけない質問に、わたしは茎をかしげる。


「はい。それがどうかしましたか?」


「尊いね。胸の洗いっことかしたの」


「は?するわけないでしょう」わたしは、帽子が言う意味が分からなかった。尊い?何が……。


「何でもないよ。つまり、シャンデリアの消火には浴室の水が使われた。そういうことだね。壊物鬼はきっと、ホースか何かを使って風呂場の水を汲み上げ、扉の隙間からシャンデリアに放水したんだ!」


「扉はバリケードと木板で封鎖されてたのよ。そんな隙間、開けられないわ。それに、私と貴方がホールにいたもの。そんなことをしようものなら、すぐに気づくでしょう」理容鋏が反論する。


「ふーむ。つまり、窓の外から放水したのかな……」帽子の声が細くなる。


「だから、その窓が開かないのよ」理容鋏が苛々しだす。


「そもそも、ホースなんてあるんですかね?」尋ねてみる。


 とうとう開き直った帽子は「ないね!」と軽快に答えた。


「それに、そんなものを外で使えば、酸の雨で穴があいて使い物にならなくなるわよ」


「パズルも、推理も解きやすいところから、解いていくもんさ。シャンデリアの件は置いといて、まずは鳩時計の事件について考えてみよう」帽子は『諦める』をポジティブに言い換えた。


「気になることがあるんだ。さぁ、彼の部屋に向かおう。探偵は現場に戻るというからね」気になることって、なんだろう。その場逃れの嘘かもしれないけど、議論に行き詰まりを感じていたのは事実だ。わたし達は、丸まって眠るティーポットをソファーに残して、鳩時計の部屋に向かった。

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