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四日目 泡沫

 シャンデリアの部屋の前。わたし達はせっかく築き上げたバリケードを崩して、扉を封じる木板の釘も抜いた。理容鋏は乱暴にドアノブを回すが、鍵が掛かっているのか扉は開かない。頑固に抵抗をつづける扉は、まるで主人を守っているようだった。帽子は馬マスクのがたいのいい肩を叩く。


「君の出番だ!」


「だが……」馬マスクは躊躇う。


「話を聞くだけだからさ、シャンデリア嬢を壊そうなんて考えていないからさ、お願いだよ。扉を壊してよ」


「信じていいのか」


「もちろんだよ。探偵の僕が、嘘を吐くわけないでしょ」帽子は右手に握った金槌を、スッと体の後ろに隠す。理容鋏も燭台を隠す。どこからどう見ても、壊す気満々だ。いくら馬マスクが脳筋とはいえ、それには無理が……。


「そうか。なら、いいか」思った以上の馬鹿だった。それとも、わざと騙された振りをしているのだろうか。いずれにしても、馬はたっぷりと助走をつけて強烈なドロップキックを放った。扉は雷鳴のような断末魔を響かせ、真っ二つに割れた。


「御用だ、御用だ、御用だよ。さぁ、観念したまえ」金槌をやたらめったらに振り回しながら、帽子が部屋に押し入る。わたしは、うっかり金槌をぶつけられないように、彼の数歩あとを大和撫子みたいについていく。


 シャンデリア嬢の部屋は白かった。薔薇が刻まれたチェストも、アカンサスの彫られたキャビネットも、ペガサスの翼みたいなグランドピアノも、少女の理想を体現したように真っ白だった。


 そんな白い調度品は、より深い白色をした泡沫に溺れていた。わたしの腰ほどの高さまで積もった泡が、豪雪地帯の雪みたいに、あらゆる物を飲み込んでいた。泡をちぎって、手のひらに載せてみる。ベタついた、嫌な感触だった。  


「これ……、なんなんでしょう?」


「君は、泡を知らないのかい?どんな人生を歩んできたのさ?」帽子は、わざとらしく驚く。


「泡は知ってます。そういうことを言ってるわけじゃないことくらい、分かりますよね」


「まぁ、なんでもいいよ。さぁ、馬マスク。部屋の奥まで道を作るんだ」


「わかった!」馬は除雪車のように泡を散らす。できあがった道を帽子が悠々と進む。


 除雪馬は反対側の壁に辿りつく。ウエディングドレスのように精緻な刺繍を施されたカーテンが窓を隠している。


「僕の推理が正しければ、この窓のガラスは割れているはず……って、あれっ?」帽子は、ハンカチでコインを消しさろうとするマジシャンのようにカーテンを開けるが、手品は失敗らしい。そこには、傷一つない窓ガラスが嵌まっていた。


「これは、まずいね」帽子は窓枠に腰掛けると、まるで探偵のように注意深く部屋を見渡す。


「どうかしました?」訊いてみる。


「君は鈍いなぁ。扉はしっかり施錠されていた。そして、この館の窓は開かない。なのに、窓ガラスは割れていない。ということは、シャンデリア嬢はこの部屋の中に潜んでいるってことだよ」


 寒気がした。わたし達が部屋に入ってきたことに、彼女が気づかないわけはない。シャンデリア嬢は気配を殺しながら、わたし達を壊す機会を伺っているのだろうか。それとも、扉を破壊して侵入してきたわたし達に怯えて、隠れているだけなのだろうか。


 どちらであろうと、関係ない。わたし達はすでに一度、彼女を壊そうとした。彼女にとって、わたし達は、命を脅かす敵なのだ。泡のなかに隠れたシャンデリア嬢がわたしを狙っているような気がして、わたしは後退る。部屋を出ようとすると、バスローブの裾を理容鋏に掴まれて逃亡を阻まれる。


「どこに行くつもり?部屋は広いのよ。貴女も手伝いなさい」当の理容鋏は、一歩も部屋に入っていない。


「もしかして、私に『シャンデリアちゃんの捜索を手伝え』とでも言いたいのかしら?」首を横に振ったつもりだったが本心が漏れて、振る方向が斜めになった。


「私は濡れると錆びてしまうもの。仕方がないでしょう」それもそうか、と納得しかける。でも、こき使われてる感はある。


「それじゃあ頑張ってね」理容鋏は追い払うように手を振った。



 腰まで泡に埋まりながらシャンデリア嬢を探す。どこから彼女が飛び出してくるか分からない。まるで、地雷原を歩いている気分だ。ドロリとした泡が太腿に纏わりつき、湿ったバスローブは肌に張りつく。靴の中にも泡が入り、中敷きがぐしょ濡れになった。


 しばらく捜索を続けると、靴のつま先に何かが引っ掛かる。足がもつれて尻餅をつく。『ボキッ』と木が折れるような音がした。


「大丈夫か!」馬マスクが抱き起こしてくれる。汗臭いが、我慢する。


「スゴい音だったよ。ホントに平気?」ティーポットが心配してくれる。


「うん、だいじょうぶ。たぶん……」


「今さらドジっ子アピールかい?今さら遅いし、安直だよ」帽子は意地悪そうに嗤う。


「違います。普通に転んだだけです!」


 いったい何に躓いたのだろう、と視線を落とす。泡の雪原から、くびれた洋蝋燭が、ふきのとうみたいに生えていた。その根元を隠す泡を払うと、けばけばしい金色をした火受皿があった。さらに泡を掃くと、火受皿は腕木に繋がっていた。優婉に湾曲した腕木には見覚えがあった。


「お嬢様っ!」悲痛な叫びとともに、ティーポットが突進してきて、わたしは弾き飛ばされる。彼女は床に膝をつき、雪崩に飲まれた子供を探すように、泡を掘る。


 次々に掘りだされるのは蝋燭、火受皿、クリスタルガラス、赤色のドレス、起伏のない胸。ここまで来ると、この金色の物体の正体が、わたしにも分かってしまった。 

 

「お嬢様っ、お嬢様ぁぁっ!」


 見間違えようもない。泡の海に溺れていたのは、この館の主、シャンデリア嬢だった。爛々と輝いていた炎は消えて、クリスタルも光を失っている。腕木の金箔も剥げて、腐りかけた木材が顕になっていた。


「お嬢様、返事をしてください。お嬢様、お嬢様っ!」ティーポットは横たわるシャンデリア嬢を抱きしめる。しかし、炎が再び灯る気配はなく、彼女の背骨がミシミシと軋むだけだった。


 わたしは嗚咽を漏らす彼女の肩に手を乗せようとして、やめた。『損壊』という現実の前では、どんな言葉も無力だ。掛けるべき言葉が見つからず、ただ立ち尽くす。


「自信満々に『これ以上、モノが壊れることはない』って言っていたのは誰だったかしら」理容鋏は部屋の外から、帽子に向かって言葉を投げる。


「これは、きっと自壊だよ。罪の意識に耐えられなくなったシャンデリアが、自ら壊れることを選んだんだ」帽子が言うと、ティーポットは飛び跳ねるように立ち上がる。その勢いのまま、彼女は帽子の顔をぶった。青い羽飾りが散り、鍔が折れ曲がり、側面は掌の形に凹んだ。


「いい加減にして!」叫びには、透明な憎しみが籠もっていた。その凍るような冷たい声に、わたしの身は竦む。おどけてばかりの帽子も、普段の明るい振る舞いとはかけ離れた彼女の凄みに、たじろいでいるようだった。彼女の頭のコーヒーは荒々しく煮えたぎり、沸き上がる気泡が怒りのように破裂した。


「お嬢様は壊された……。お嬢様は壊物鬼じゃなかった……。そういうことでしょ!もう、お嬢様のを壊物鬼扱いするのはやめて!お願いだから……」ティーポットは抱いたシャンデリア嬢の体をそっと床に降ろす。顔についた泡を取り払って、乱れた服も整えて、カーテンの布をかける。そして、その上から主人を撫でる。


 彼女の蓋の隙間から、涙みたいにコーヒーの滴が溢れた。とめどなく流れる涙は、丸みを帯びたガラスを伝って、シャンデリアに被さる白布に降り注ぐ。黒い染みが広がる。


「すまなかったよ」帽子が頭を下げて謝る。彼にしては真面目な声だ。


「とりあえず、ホールに戻りましょう」ティーポットはとめどなく泣き続ける。芳ばしいコーヒーを流し続ける。


 取扱説明書によると、ティーポットは頭が空っぽになると壊れてしまうらしい。そうなって欲しくないので、シャンデリア嬢の残骸にしがみつく彼女を引き剥がし、部屋の外まで引き摺る。扉を閉める直前、わたしは部屋に漂う『におい』に気づいた。どこかで吸ったことがある、甘い芳香だった。


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