四日目 黒白
玄関ホールに飛び込むと、わたしは後ろを振り返る。彼は無理強いをしないタイプの脳筋ようで、追って来なかった。彼は何も悪くないのに……。少し、後ろめたい気分になる。
「ユリちゃん、どうしたの?そんなに息を切らして……」革張りのソファーに、理容鋏、帽子、そしてティーポットが座っている。理容鋏と帽子がオセロの対局をしていて、ティーポットはそれを眺めている。わたしは理容鋏の隣に腰掛けた。
「ちょっとした、ランニングです」
「襲われたのかと思ったわ。驚かさないでよね」彼女の視線はオセロ盤に張りついたままで、まったく、驚いているように見えない。そして彼女は、黒色の石を打つ。
「ごめんなさい」でも一応、謝っておく。
「許してあげる」
「ありがとうございます。でも、今日は麻雀じゃないんですね」
「メンツが足りないのよ。スペードの3は燃えてしまったし、鳩時計は引き籠もってるし、馬マスクは脳が筋肉だからルールを覚えられないのよね」
自分で訊いたくせに、ナーバスになる。10体いた住人も、もう6体しか残っていない。帽子が白い石を置く。そして、黒い石を3枚、ひっくり返す。
「あっ!そこだけは、取らないでね」帽子がオセロ盤のマスを指さす。
「わかったわ」理容鋏はすかさず、そこに石を打つ。白い石が裏返る。
「言動と行動が一致していないじゃないか!」
「人間なんて、そんなものよ」
「君は、人じゃないでしょ」帽子が膨れる。
「で、どうするの?」
「パスだね」理容鋏が、黒い石を打つ。白い石が減る。
「パス」また、石を打つ。
「パス……」
「目先のことしか、考えないからよ。引いたところから、全貌を眺めなさい」
対局は終わった。全てのマスが埋まりきる前に、盤面は黒く染まった。
「鮮やかな負けっぷりですね」わたしは笑う。
「失礼な。そこまで言うなら、どっちが異形館最弱のオセラーか決めようじゃないか」帽子は敗北の歴史を改竄するように石を片付けると、真ん中に4枚、石を置く。
「君からでいいよ」頓珍漢な推理を繰り返す噛ませ探偵に負けるはずないと思ったが、悲しいことに、いい勝負だった。
「ユリちゃん、よく考えなさい。もっといいところがあるわよ」
「違う、違う、もうちょっと右。行き過ぎ、行き過ぎ、うん、そこ!」理容鋏とティーポットから援護射撃を受けて、辛くも勝利する。
「そんなのずるいよ!三対一じゃないか」
「政治力の勝利よ。大人しく負けを認めなさい」理容鋏は『残念だったわね』と帽子の肩を叩く。
「君達は騎士道精神を忘れてしまったのかい?こんなの、フェアじゃないよ」
「なら、フェアな戦いをしますか?いいですよ。どこからでも、掛かってきてください」勝って調子に乗ったわたしは、気取った風に2本の指でオセロの石を挟む。しかし、床に落としてしまう。
「カッコつけるからだよ」腕に違和感があった。服の上から腕を揉むと、じんわりと鈍い痛みが広がる。
「どうしたの」ティーポットが心配そうに訊く。
「なんだか、腕が痛くて」
「馬マスクなんかと付き合うからよ」理容鋏が言う。
「筋肉痛かい?馴れないことは、するべきじゃないね」帽子が言う。
「ちょっと、見せて?」ティーポットは、わたしの制服の袖を捲った。昨日、理容鋏で切ったところが膿んでいた。
「大変!手当しなきゃ」
彼女は娯楽室までわたしを引っ張ると、一脚だけ残った椅子に座らせた。バーカウンターの裏から救急箱を取り出して、中身をひっくり返す。そして、人間用の医療用品の山の中から『癒合剤』のチューブを手に取る。植物の治癒力を高める薬だ。
ティーポットは、包帯のように巻かれたセロハンテープを解くと、癒合剤を傷口に塗りたくった。
「痛っ!」刺すような痛みが走る。
「最初から、これを使っておけばよかったね。でも、これでだいじょうぶ。しばらく、安静にしておいて」
「大げさすぎない?」立ち上がろうとする『わたし』を、ティーポットは押し込める。
「ダメ。熱出しても知らないよ」
「わかった」
わたしがそう答えると、彼女は満足そうに頷いて、暗い扉の向こうに消えていった。わたしは家具の運搬やら筋トレやらで疲れていたので、麻雀卓に突っ伏してジャズの音色を聴きながら『うつらつら』とした。しばらく経つと、その音は消こえなくなった。




