三日目 灰
「いいことを思いついたわ」理容鋏がプラスチックの剣を拾う。
「どうしたんだい?」帽子が訊ねる。
「自分以外のモノをすべて壊せば、私は安心して館での生活を満喫できることに気づいてしまったの」理容鋏は刃を開く。
「ひぇぇぇぇ!」帽子が震える。
「なんてことを!」馬マスクは叫ぶ。
「なんて、冗談よ。この狭い館に囚われて、代わり映えしない日々を繰り返すのは苦行ですもの。それより、慌てふためく貴方達を眺めているほうが愉しいわ」彼女は手にした青色の剣を、樽に挿しこむ。海賊が飛び出した。
もう二試合終えたところで、疑問が湧いた。事件とは関係ない、ささやかな疑問。
「わたし達の中身って、どうなってるんでしょう」
ヌイグルミの中に綿が、ブラウン管テレビの中にはコードや電子基板が詰まっていた。わたしの体の中には何が詰まっているのだろう。もし、空っぽだったら悲しい。
「さぁ?私には見当もつかないわね」
「試してみなよ」わたしは帽子に乗せられて、理容鋏の刃に、腕の裏側を当てた。そして、思いっきり滑らせる。思ったより深くまで刃が沈んだ。パックリ裂けた皮膚の隙間から、ジワリと透明な汁が滲みでた。
「私でリストカットするのは、やめてもらえるかしら?」怒られた。当然だった。でも、汁と一緒に焦燥感とか、不安とか、やり場のない怒りとかも体から流れ出てスッキリした。
「すみません」謝ると、理容鋏は不機嫌そうに刃を鳴らして、組織液を拭い始める。
「君、メンヘラだったんだね」帽子の皺が、にやついているように見えて、少しムカつく。
「違います」
「メンヘラはみんな、そう言うんだよ」
「違うものは、違います!」
ティーポットはバーカウンターの後ろに回り込むと、なにやらゴソゴソし始める。しばらく経つと、救急箱を持って来た。
「ごめんね、これしかないんだ」ティーポットはセロテープを伸ばすと、わたしの傷口に巻いてくれた。
「ありがと」
「自分の身は大事にしてね。あと、心も」
「本当に、そういうのじゃないから」
「これでよし!」彼女は、わたしの腕をかるく叩く。出液は止まった。
「そういや、もう体調は大丈夫なのかい?」そうだった。すっかり忘れていた。言われた途端に、頭が重くなる。黙っておいてくれれば、よかったのに。
「具合悪いのに、つきあわせてごめんね」ティーポットは両手を合わす。
「いいよ、楽しかったし」これは嘘。ぜんぜん楽しくなかった。気まずかった。
「念のために部屋まで送るぞ。壊物鬼がどこに潜んでいるか分からないしな」馬マスクが立ち上がる。
「ワタシも一緒に行くね。お客様の安全を守ることもメイドの使命だから」ティーポットは立て掛けてある箒を、槍みたいに構える。騎士みたいでかっこいい。
「私も寝るわ。誰一人、欠けることなく明日を迎えられることを、祈ってるわね」理容鋏は、冷たく笑うと食堂から出て行く。
「ぜったい、逆のことを祈ってますよね」わたしは扉の外に聞こえないよう、小声で呟く。
「違いないね」帽子は大きく頷いた。
護衛を二体も引き連れて歩くのは、RPGゲームの勇者になったみたいで気持ちがいい。だが、旅は一瞬で終わる。30歩も経たずに終わる。
「じゃあ、お休み」箒を構える騎士が言う。
「お休み!」脳筋武道家が言う。
「お休み、また明日ね」
お供に見送られて部屋に戻ると、まず鍵を掛ける。そして、生ぬるい水が張られた浴槽に浸かる。眠気はすぐにやって来た。でも、なかなか寝つけない。もう一押しで眠れそうなのに、見えない糸がわたしを引っ張る。その糸を引いているのは、きっと壊れたモノ達だ。
『次こそ眠るぞ』と決意を新たにしたとき、その音は唐突に鳴り始めた。暴力的なベルの音が、眠気を粉砕した。
『何の音だろう』考えてみる。皆で鳩時計の部屋に説明書を取り立てに行ったとき、彼の部屋に幾つもの時計が飾られていたのを思い出す。その中には、目覚まし時計もあった。きっと、それが鳴り響いているのだろう。鳩時計に文句を言おうと廊下に出ると、ベルの音を聞きつけた住人達が集まっていた。
「本当に、喧しいですわね。気が狂ってしまいますわ」シャンデリアは音を振り払うように、扇をあおぐ。
「なんの音だろうね?」帽子がきょろきょろと頭を回す。
「鳩時計さんの、目覚まし時計だと思います」わたしは自信たっぷりに言った。
「でも、音の出どころは鳩時計の部屋じゃないみたいだよ?」帽子が扉に頭を押し当てると、鍔がグニャリと歪む。
「なら、一体どこから……」わたしの呟きに答えるように、スペードの3の部屋の扉が倒れた。部屋の入口から、焦げたにおい、焼けるような熱気、機関車のような煙、雨のような火の粉が溢れでる。そして、扉は燃えていた。赤々とした炎に包まれていた。
扉の炎がわたしの服に燃え移らないように注意しつつ、部屋の中を覗いてみる。部屋の中で、蛇のような炎の奔流が、ありとあらゆる可燃物を捕食していた。窓ガラスが割れると、炎はさらに噴きあがる。わたしは呆然と、それを眺める。
「火事だぁ」馬マスクが吼える。
「みず、水、ミズ!」帽子が叫ぶ。
彼らの声で、我に返る。わたしは急いで自分の部屋に戻り、シャワーを火災現場まで伸ばそうとした。しかし、ホースの長さがまったく足りない。無駄と知りつつ、浴槽の水を両手で掬い、スペードの3の部屋まで運んで、蠢く炎に放り投げる。水は一瞬で蒸発する。
馬マスクがバケツに汲んだ水を掛けたり、ティーポットが頭の紅茶を注いだりしたが、炎はわたし達のささやかな抵抗なんて気にも留めず、悠々と部屋を燃やし続ける。そして、部屋のすべてを喰らい尽くした炎は、燃え種を失って、満足そうに消えた。
「無事か、スペードの3!」馬マスクが部屋に突入し、ティーポットも続く。わたしも部屋に入ってみる。彼の部屋は、闇夜のような煤で塗りつぶされていた。燻った火種が、星のように散っていた。
「スペードの3様!」
「どこにいる、返事をしろ!」馬マスク達はこんもり積もった灰を掻く。しかし、掻いても掻いても出てくるのは灰、灰、灰。掻き出された灰の群れが、不吉な黒蝶のように舞い上がる。栗毛色をした馬マスクの鬣が、黒く染まる。
「見ればわかるだろう。無駄だよ。もう手遅れさ」帽子はドア枠に寄りかかって、言った。
「話をする暇があるなら、手伝ってくれ!」
「やだよ。火種が燃え移ったら、大変だからね」
「ワタクシもお断りしますわ。お召し物が汚れてしまいますもの」
わたしは自分の服に視線を落とす。淑やかな制服と、滑らかな『わたし』の肌が煤で汚れているのに気づいて、そっと部屋から引き返す。
捜索活動は、すぐに打ち切られた。絵画、写真、本、新聞、コピー用紙、ティッシュペーパー、……。すべてが等しく灰となったこの部屋に、スペードの3が埋もれていそうな場所はない。
「これは……、ひどいですね」そう呟くティーポットのエプロンは黒く汚れている。
「いったい、なにが起きましたの?誰がこんな酷たらしいことをしましたの?」シャンデリア嬢の質問に答えられるモノは壊物鬼の他にいないだろう。そう思っていると、帽子はわたし達を見渡して、改まった咳払いをした。
「僕はすべて、分かったよ。教えて欲しいかい?」
「結構ですわ」シャンデリア嬢が言う。
「興味ありません」ティーポットが言う。
「別にいいです」わたしが言う。
「そんな話、聞かせないでくれ」馬マスクが言う。
「そこまで言うなら、特別に教えてあげよう。時は元禄……」
「その話、長いですの?」辟易とした口調でシャンデリア嬢が訊く。
「もちろん!嫉妬と愛に満ちた超大作だからね」帽子は蝶ネクタイを自慢げに引っ張る。
「なら、議論は明日に持ち越しましょう」
「なぜだい?やましいことでもあるのかい?」
「どちらにせよ明日、理容鋏に説明し直しますわよね。なら、それでよいじゃありませんか?つまらない演劇を二度も見たくないですわ」
「超大作なのに……」帽子は凹む。物理的に。
「理容鋏さんを呼んでくればいいだけですよね。起こしてきましょうか」わたしは提案する。帽子の演説はどうでもいいが、事件が起こって何も話し合わないまま一夜を過ごすのは気が進まない。
「本当かい!助かるよ!」よほど、推理を披露できるのが嬉しいのだろう。帽子は手を叩いて、歓喜する。そして、切り口を上手にすぼめて、ご機嫌な口笛まで吹きだす。
「理容鋏は寝起きがすっごく悪いんだ。もし、途中で起こしたりなんてすると、癇癪を起こすんだ。茎を切られないように、注意してね」
「やっぱり、やめておきます」
「というのは嘘で、彼女の寝起きはとってもいいんだ」
「もう、遅いです」わたしが言うと、帽子は悲しそうに膝を抱えて座る。
「ティーポット、君は召使いでしょ。そこで、僕の頼みを一つきいてくれないかい?」
「主人として、召使いを危険な目に遭わせるわけにはいけませんわ」シャンデリア嬢は、ティーポットを背中の後ろに隠す。
「ぶう……」帽子はしわを寄せる。
「なら、ワタクシは今度こそ眠りますわ。鍵を掛けるのは、忘れないように」わたしは強く頷く。
「しょうがないなぁ。僕も寝るよ」
「お休みなさいませ。いい夢を」ティーポットはそう言ったが、残念ながら今晩みる夢はもう決まっている。悪夢だ。




