三日目 人形
楽しみだった有機肥料も、味がしない。それでも、体は養分を欲しているようで、あっという間に平らげる。肥料の袋を皿に載せ、銀色の蓋を被せる。そして、ふと、顔を上げる。キャビネットに座る猿のオモチャと視線がぶつかる。
「そういえば……」言いかけると、皆の視線がわたしに刺さる。
「どうしたんだい?」
「やっぱいいです」それが痛くて、顔を逸らす。
「こんな状況ですもの。どんな情報でも、共有すべきですわ」シャンデリア嬢が言う。
「そうだよ。それとも、やましいことでもあるのかい?」帽子が言う。
「馬鹿にしません?」わたしは訊いた。
「場合によるよ」
変な疑いを持たれては困るので、昨日の夜、猿の人形が動いていたことを素直に話す。帽子は猿の首根っこを摘まみ上げ、テーブルに置く。そして、スイッチを入れる。
「壊れてるのかな。動かないよ」不思議だな、というように帽子の顔が傾く。
「でも、昨日は元気にシンバルを叩いてましたよ」
「きっと、ブラウン管テレビの霊が動かしていたのね」理容鋏の言葉で、全身の胞毛が逆立つ。
「お前が壊物鬼なのかい」帽子は人形の額を指で弾く。猿はゆっくり後ろ向けに倒れて、そのままテーブルから転げ落ちた。首が、腕が、足が、バラバラになって、歯車やコードや電池のケースが床に散らばる。充血したように赤い眼球が床を転がり、わたしの靴に当たって止まる。反射的に蹴飛ばしてしまった。
「なにやってんのよ、壊れちゃったじゃない!」シャンデリア嬢が叫ぶ。
「そうカリカリしないでよ。ただの事故だよ」
「証拠隠滅のためにわざと壊したんじゃないですわよね!」
「そんなわけないじゃないか。僕は探偵だよ」帽子は蝶ネクタイを見せつける。
壊れた人形の姿が、無残に破壊されたブラウン管テレビに重なり、胸が苦しくなる。脚の震える振動に合せて、椅子が軋む。壁に衝突した眼球は、粉々に割れていた。
「ユリちゃん、どうしたの?顔色が悪いわよ」理容鋏に手鏡を渡される。鏡の中のわたしは、葉が萎え、花弁の色もくすんでいた。
「昨日も今日も、色んなことが起きたからなぁ。もう休んだらどうや?」
「ですけど……」
「寝ている間に、だれかに壊されないか不安なのかい。安心しなよ。僕が守ってあげる」帽子は拳で胸を打つ。そして咳き込む。
「まだ、話は途中ですわ!」。
「わあ、怖い!」わざとらしい悲鳴を上げる彼は実に頼りないが、言ってることは正しかった。わたしは館の住人をあまり信用していない。
「でしたら、鍵を掛けられては如何ですか」ティーポットは提案した。
「調べてみたけど、ここの扉はピッキング対策されてるから、安心だよ」意外に、探偵っぽいことをやっていて驚く。
「こちらです」ティーポットは厨房に続く扉を開ける。わたし達は彼女に続いて、厨房に入る。キーボックスは冷蔵庫と製氷機に挟まれて、窮屈そうにしていた。彼女は鉄製の蓋を開けた。
箱の中には10本の鍵があり、それに対応したシールが14枚貼られていた。個室だけでなく、浴室やギャラリーの鍵もある。
「あれ?4本鍵が足らないね」帽子は鍔に指を当てて訝しむ。
「お嬢様、ワタシ、ブラウン管テレビ様、そして鳩時計様は既に鍵を持っていますので」彼女はポケットから鍵を取り出す。
「はたして、それは本当かな」帽子は『ピン』と伸ばした人差し指を、ティーポットに向ける。
「と仰ると?」
「それは嘘で、君は鳩時計の部屋の鍵を持っている。そして、虎視眈々と彼を壊す機会を狙っているんじゃないのかい」
「さっき説明書を貰いに行ったとき、鍵は掛かっとったやろ」スペードの3が酒臭い溜息を吐く。
「いや、内側から掛けたかもしれないよ」声から自信が抜けていく。
「それは不可能です。内側からであっても、施錠するには鍵が必要ですので」
「そっか」帽子は拗ねて、そっぽを向く。割と丁寧に結ばれたリボンが揺れる。
「確認しておくけど、マスターキーはないわよね」理容鋏が疑り深い声で訊く。
「ありません」
「ほんとうかなぁ。怪しいなぁ」
「お調べになられますか」ティーポットはバッと腕を広げる。メイド服のフリルが揺れた。
「そうさせてもらうよ」帽子が彼女に触れようとすると、すかさず理容鋏が彼の鍔を切る。短い悲鳴が上がる。
「下心なんてないよ。ただの捜査活動だよ!」
「嘘をつくなら、罰が重くなるわ」
「わかったよ!認めるよ!だからこれ以上、切らないでおくれ」
「冤罪って、こうやって起こるんだね」とぼやく帽子を放置して、わたし達は1本ずつ鍵を受け取った。クローバーをかたどった古風な鍵だった。制服の胸ポケットに鍵を入れようとしたが、あまりにも長いので、スカートのポケットに仕舞う。足を動かすたびに、鍵が太股に当たって鬱陶しい。
「私はヌイグルミの部屋を使うわね」理容鋏は109号室の鍵を取る。
「どうしてだい?」
「馬マスクが私の扉を破壊してしまったでしょう。流石の私も、寝込みを襲われれば壊物鬼に勝てるか分からないもの」彼女は鍵を弄ぶ。
「ワタクシも部屋に戻りますわ。疲れましたの」
「私も抜けるわ。ちょっと眠たいのよね」
「儂も帰る。呑み過ぎて、頭が痛うなってきよった」
「ダメだ!」馬マスクは、立ち去ろうとする『わたし達』の前に割り込むと、両手を広げて出入り口を塞ぐ。
「こんなときこそ、集団行動だ。みんな一緒の方が、安全なはずだ!」馬マスクは力説するが、誰の心にも届いていないようだった。
「『寝るときも、起きるときも、四六時中いっしょにいろ』と仰るのですか?冗談じゃないですわ」シャンデリアの言葉に、理容鋏が頷く。
「同感ね。私も自分を慰めるところを、モノに見られるのは嫌よ」シャンデリアの炎が、眩しい赤色になる。
「だが……」馬マスクの反論を、理容鋏が押し込める。
「貴方だって、いつ自分が壊されるか不安なのでしょう?本当はこの中に壊物鬼がいることを知っていて、知らない振りをしているだけでしょう?」
「そんなことはない。俺はみんなを信じている!」馬マスクは、理容鋏の言葉を振り払うように激しく首を振った。鬣が広がる。
「ならどうして、鍵を握りしめているの?」
「それは……」馬マスクの瞳が彷徨う。
「罪悪感を抱く必要ないわ。こんな状況ですもの。猜疑心を持つのは当然よ」理容鋏に抗うように、彼は震える指で鍵をキーボックスに戻す。
「それでも、俺はみんなを信じる」
「そう」好きにしろというような、無関心な声だった。
「一つ、言い忘れていたことがありますわ」シャンデリア嬢は扇を取り出す。
「もし、この中に犯人がいるのなら、お聞きなさい。ワタクシの館で好き勝手するなんて許さない。これ以上罪を重ねるのであれば、ワタクシが燃やして差し上げますわ」扇の先は、わたし達の一体一体に向けられる。
「頼もしいねぇ」帽子は冷やかすように言う。
「それでは、ワタクシは失礼しますわね」シャンデリア嬢はドアノブに指を掛ける。
「ご一緒しましょうか」申し出るティーポットに、彼女は頭を振る。
「結構よ。いまは一人になりたいの」
「承知いたしました。お休みなさいませ、お嬢様」ティーポットはスカートの裾を摘まみ上げ、深く頭を下げる。彼女は厨房を出て行った。
「儂も、戻るわ……、とわっ!」スペードの3がふらつく。すかさず、馬マスクが受け止める。
「おおきに」
「だいじょうぶですか?」ティーポットが訊いた。
「おうよ」気丈に答えるスペードの3の足取りは覚束ない。
「介抱しますよ?ほら、一応、使用人ですし」
「心配あらへんて。ガキやないんや。一人で戻れるわい」
「そうですか。お大事に」スペードの3は調理台に腰をぶつけたり、扉に頭をぶつけたりしながら、厨房を出て行く。扉が閉まると、ティーポットはポケットを弄りだす。そして……、
「さぁ、食事も終わったことだし、延長戦、いきましょう」ポケットから小さな樽を取り出し、テーブルに乗せた。




