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一日目 目覚め

 横たわる『わたし』の体と天井の間に、鉄製の鳥籠が浮いている。檻の中に閉じ込められたキャンドルが、放射状の模様を白い天井に投影する。その不安定な煌めきに魅せられて、わたしは首を持ちあげた。教室の半分ほどの広さの部屋は異様で、美しかった。


 天井から何本ものスズランが雨垂れみたいに吊り下がっている。生い茂る蔦と、編み込まれたリースと、淡い色のドライフラワーが灰色の壁を隠す。サイドテーブルの滑らかな天板には、花瓶と植木鉢が所狭しと並んでいて、華奢な猫足が折れてしまわないか心配になる。床に敷き詰められたタイルの隙間から、露をたずさえたクローバーが可愛げな葉っぱを覗かせていた。

 

 部屋は色んな花々の、甘さと、すっぱさと、爽やかさと、スパイシーさが混ぜこぜになった、自然の香りに充ちている。まるで花に埋まっている気分だ。ふと、自分の体に視線を落として、本当にその通りなのだと知る。

   

 わたしの体は、少女の肌みたいに白い浴槽の中で、無数の花に溺れていた。薄く張られた水に、バラ、ガーベラ、マリーゴールド、マーガレット、……。色とりどりの花々が漂っている。手桶をつくり、碧いネモフィラを掬い上げるが、水を吸って柔らかくなった花弁はたやすく砕け、水とともに指の隙間からこぼれ落ちてしまう。


 不意に、水滴の冷たい感触がうなじを打った。振り向くと、黄緑色の若い苔に覆われた壁から、シャワーホースが生えていた。ヘッドから垂れる水滴が、風船のように膨らみ、再びわたしの肌に落ち、爆ぜる。その暴力的な冷たさは、わたしから心地よいまどろみを奪いとる。ボンヤリした視界の焦点が合ってくると、今さらながら困惑が押し寄せてきた。


『ここはどこ?』


 現実離れした花畑のような部屋を見渡すと、蔦に浸食されて同化しかけた古き良き板チョコみたいな扉を見つける。わたしは浴槽から脚を抜く。きらめく滴が肌をつたって水面に落ちる。乱反射する波に揉まれて、漂う花々が儚く沈む。足の裏に広がるタイルの感触は無愛想だが、馴れると冷ややかで気持ちがいい。床に整列するプランターを蹴っ飛ばさないように注意しつつ、朽ちかけた扉に辿り着く。ドアノブを回し、軽く押してみると、ドアチェーンのように振る舞っていた蔦がプチプチと千切れて、なんの抵抗もなく扉は開く。  


 当たり前だが、扉の向こうには廊下があった。しかし、普通の廊下ではない。お城か洋館のような、ただならぬ雰囲気がある廊下。翡翠色の壁紙には王冠に薔薇の蔦が絡まったような模様が押されていて、向かいの壁には立派な絵画が飾られている。額縁の中に、清らかなテッポウユリが、黒く塗りつぶされたキャンバスの闇を照らすように咲く。絵の題名は『107』。白い花弁は凜々しく、やくの黄色は鮮やかで、膨らみかけの子房が色っぽい。ただ、額縁の金箔が剥げかけていることが残念だ。こんなに素敵な絵なのだから、もっと豪華な額に入れるべきだろうに。


 しばらくの間、彼女の美貌に釘づけになっていたが、自分が不可思議な状況の中にいることを思い出し、わたしは首を一回転させた。空間がもったいないくらい幅の広い廊下に、扉と絵画が5枚ずつ対を成して、一定間隔で並ぶ。絵画のモチーフは右から、『鳩時計』、『帽子』、『トランプ』、そして『百合』だ。左端の額縁には絵が入っておらず、空っぽのキャンバスが寂しそうに飾られている。その奥、廊下の突き当たりで、彫りの深い重厚な扉が『わたし』に開かれるのを待っていた。


 隙間なく敷かれたカーペットに、つま先を乗せてみる。絨毯は柔らかで、高級な足触りがした。濡れた足跡を残してしまうことを申し訳なく思いながら、ふかふかの毛足を踏みつけ歩く。そして、立派な扉に手を掛ける。扉は重く、少し押しただけではびくともしない。思いっきり力を込めて押すと、うめくように軋ながら、扉が開いた。


 天井が高い。それがこの場所、玄関ホールの第一印象だった。床から天井まで、せいぜい7メートル、たった二階分の吹き抜けだが、天井に(えが)かれた青い空が妙な開放感を醸し出していて、その中心からはいったい何に使うのか、金属製の太い鎖が垂れていた。


 左右対象に張り出した二階の廊下は、踊り場を挟んで一階に接続されていて、そこから玄関扉まで薄紫色のカーペットが敷かれている。閉ざされた玄関扉は、材質も紋様もホールと廊下を隔てる扉と変わりないが、一つだけ大きな違いがあった。ど真ん中に、攻城槌で突かれたような大穴が空いているのだ。穴に近寄ると、雨の音と、雨のにおいと、湿った空気が、じわじわと侵入してくるのを感じた。


 玄関扉を押してみる。力一杯押しても、びくともしない。『なぜだろう』と扉を観察してみると、蝶番が歪んでいることに気がついた。仕方がないので、穴をくぐろうと腰を屈める。


「そんな格好で、どこに行くつもりだい?」唐突に声が聞こえた。変声期前の少年の声。振り返ると、さっきまで無人だったホールに、小さな人影があった。階段の手すりに身を預け、気取ったように立っている。


 影が動くと、シェードランプがそれを照らす。顕になった彼の姿に、息を呑む。彼の体は人間だった。だが、頭は帽子だった。それぐらい大きい帽子だとか、特徴的な帽子だとかいう比喩的なものではなく、正真正銘の帽子だ。頭が帽子なので首はなく、シルクハットが外套を羽織った肩の上に直接、乗っている。帽子の上等そうな黒い生地は、赤いリボンが巻かれ、青い鳥の羽で飾り立てられていた。探偵みたいなカーキ色の外套はサイズがあっておらず、チェック柄のズボンも短いので、子供が親の服を無理して着ているように見える。かしこまった赤い蝶ネクタイも、少年が必死に大人ぶっているような印象だ。


「外は危ないよ、お嬢ちゃん」明らかに彼の方が小さいのに、『お嬢ちゃん』なんて呼ばれたことに、『むっ』とする。しゃべる帽子を無視して、外に出ようと扉に開いた穴に、頭をねじ込む。 すると、乱暴に腰を掴まれて、わたしは後ろに引きずり倒される。突っ込んだ頭も、引っこ抜ける。帽子は床に転がる『わたし』に見向きもしないで、几帳面に結ばれた蝶ネクタイを解く

「見ていてごらん」初対面の相手をいきなり投げ飛ばすようなやつに従いたくはなかったが、なにをされるか分からないので、仕方なく帽子の言うとおりにする。上半身を起こすと、目の前には『ぽっかり』と開いた穴。灰色の雲が、細い雨をふらせる。帽子は穴から、ただの紐となったネクタイを放る。紐は数秒のあいだ、ひらひら宙を漂ったが、雨に打たれて、鈍く輝く水溜まりに落下する。そして、赤い染料を血のように広げながら、茶色く、黒く、変色していく。


「ほらね。雨に当たったら、こうなっちゃうんだ。君も、気をつけな」さっきまでリボンがあった場所には、炭化した黒い塊。針のような雨に、少しずつ抉り取られ、小さくていく。

もし、わたしがあのまま外に出ていたら、わたしも紐と同じ運命を辿っていたのだろうか。全身の力が抜け、床に頭をぶつけた。


「僕は、命の恩人だ」

「ありがとうございました」お礼の言葉を述べたのに、帽子はどこか不満げだ。リボンを弄ぶのをやめると、彼は聞えよがしに溜息を吐いた。


「言葉だけじゃ、感謝の気持ちは伝わらないよ。こういうときは、ナニかお礼をするべきじゃないかな?」

「ナニカとは」 

「それを僕に言わせるだなんて無粋だね。でも、『とっても気持ちいこと』とだけ言っておこうかな」帽子は右手の指で、わたしの顔を『クイッ』と持ち上げる。左手の指が、餌を求める芋虫のようにわさわさ蠢く。帽子の顔が迫る。


「いやっ!」わたしは帽子の手を撥ねのけた。彼が竦んだのは一瞬のことで、平然とした態度に戻る。

「何を怖がっているんだい?だいじょうぶ。心配することなんて、なんにもないよ」彼はジリジリ距離を詰める。逃げようと身を引いたところで、後頭部に硬いなにかが、ぶつかった。玄関扉だった。退路はない。帽子に手首を掴まれる。


「いやっ、離して!」叫ぶと同時に、『ジャキン』と、鋏が閉じるみたいな音がした。   

一拍置いて「痛っっったぁぁぁぁぁあ!」と悲痛な絶叫が、ホールに反響する。帽子は膝から崩れ落ち、床をのたうち回る。見れば、帽子のつばにザックリと切り込みが入っていた。転がる度に千切れかけの布が、『ひらひら』はためく。


「ごめんなさいねぇ。怖かったしょう」女性の声。ローションみたいに糸を引く、艶めかしい湿り声。溢れんばかりの色気と聖母のような包容力に満ちた、肉感のある柔らかな声。その声に安堵し、帽子の魔の手から救ってくれた人影に抱きつく。金属のように冷たい手が、わたしの頭を包み込む。なぜだか、泣きだきそうになってきた。しばらくの間、撫でられていると落ち着いてきて、我に返る。


「あの……、急に抱きついたりして、すみません」会っていきなり抱きつくなんて、どこの変質者だ。いい香りがする胸から顔を離して、頭一つ高いところにある救世主の顔を見上げる。


 彼女の顔は鋏だった。刃の片側がギザギザした理容用のすき鋏。ランプで琥珀色に照らされた刃が、蠱惑的に輝く。


「いいのよ。アナタは可愛いから」


 彼女はいかついゴシック系の服を着ていた。鋲の打たれたビスチェ、ダメージ加工の施されたショートパンツ、悪魔的な網タイツ、嗜虐的な厚底ブーツ。全身が真っ黒いので、白い肌がよく映える。そして、なにより目立つのは、ばっくり開いた胸元。良質な肥料を惜しげもなくつぎ込まれて育ったメロンのような胸が、布から溢れ落ちそうになっている。そして、頭と体の境目には棘だらけのチョーカーが巻かれていた。


「ちょっとした冗談じゃないか。いきなり、切りつけることはないだろう。うぅ……」思わず同情しそうになる悲しい声がして、視線を胸から帽子に移す。彼は鍔に入った切り込みを、針と糸でちくちくと縫合していた。生地も糸も両方黒いので気づかなかったが、よく見ると鍔には痛々しい傷跡が何本も走っていた。


「切りつけるくらい、冗談のうちよ。それとも、冗談を超えた暴力をお望み?」

「分かるよ。僕がこの子を好きにならないか心配なんだね。でも大丈夫。君が一番さ」帽子は『さあ、抱け』とばかりに両手を広げる。


「私としたことが、切り込みが浅かったみたいね」再び、鋏が閉まる音。魂を裁ち切るような金属音。それを向けられているのは『わたし』ではないのに、背筋が寒くなる。


「そうだ!今から鳩時計と、スペードの3と、ブラウン管テレビと一緒に麻雀をやるんだった。急がなきゃ、ギャンブルの時間に遅れちゃう」そう言って、帽子はわたしが出てきたのとは違う扉の中へと消えてった。迫り来る暴力から彼を庇うように、扉が閉まった。わたしと理容鋏は見つめ合う。柱時計の秒針が五回、時を刻んだ。


「あの……、助けていただいてありがとうございます」

「礼は結構よ。彼がこうなってしまった原因は私にもあるのだし」

「はぁ……」

「聞きたいことは色々あるでしょうけど、その前に服を着てきたらどうかしら?自由に動く体を手に入れたばかりで、自慢したい気持ちはわかるけど、ね」おそるおそる、視線を下げる。そこには一糸まとわぬ、わたしの身体があった。

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