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二日目 十体目

 二回目の試合が終わったとき、時計は五時五十分をさしていた。よほど運が悪いのか、一度もゴールできないままに終わった。


「あっ、食事会の用意忘れてた」


「だいじょうぶなの?」わたしは、シャンデリア嬢の金切り声を思い出す。


「うーん、まずいかも」ティーポットは長く唸る。そして開き直る。


「まぁ、いいや。着替えてこよう」


「その前に掃除を頼めるかしら?」理容鋏の言葉で、わたしは部屋を見渡した。あちこちに、切り落とされた『わたし』の欠片が散らばっている。


「自分でしてください」


「久しぶりに実力を出したから、疲れちゃったのよ」


「もう、しょうがないですね」ティーポットはプロの手つきで『根と葉』を集める。部屋はあっという間に綺麗になった。


「じゃあ、失礼します。急ぎますんで」そして彼女はPS5を胸に抱くと、華麗なお辞儀を決めて部屋を去る。


「もういい時間ですし、わたし達も食向かいましょう」


「頭痛が酷くて歩けないわ。ユリちゃん、おぶって行ってくれない?」


「ムリです。潰れます」


「そんなことないわよ。失礼しちゃうわね」怠そうにする理容鋏に肩を貸しつつ、わたし達は食堂に向かう。扉を開けると、食堂は灰色の闇に包まれていた。廊下から差しこむ細い光が、あたふたと皿を配膳するティーポットの影を映す。扉を開けっぱなして、わたしは自分の席に座る。そして、部屋が暗い理由を探す。シャンデリアがいないからだと、すぐに気づく。


 わたしの席に皿が配られるのとほぼ同時に、娯楽室の扉が開いた。館の住人達が雁首そろえてやって来た。部屋は明るくならず、空席も二つ残っている。


「まさか、ロイヤルストレートフラッシュが立て続けに五回も出るなんて君達はどんな豪運の持ち主なんだい?」


「残念だったな」鳩時計が囀る。


「まぁ、そういうこともあるやろ」スペードの3は、帽子の肩を叩く。


「それにしても、ここは相変わらず陰気だなぁ。ブラウン管テレビ、画面をつけてよ」帽子が言うと、テレビは自身の頭についたボタンを押す。黒い画面に光が灯り、部屋が少し明るくなる。なんだ、地デジ対応してるじゃん。


「誰も、萌えアニメなんかに興味ないよ。チャンネルを変えておくれ」


「ヤダ」


「勝手に変えちゃうもんね」つまみを回すと、チャンネルが切り替わる。


「うーん。いいのやってないな」


「野球にせい、野球に」スペードの3がしゃがれた声で言う。


「競馬にするんだ、競馬に!」馬マスクがむさ苦しい熱量を込めて、声を張る。


「意外ですね」わたしが呟くと、馬マスクは不思議そうに目を丸くする。


「なにがだ?」


「馬マスクさんが、競馬に興味あるなんて。賭け事とか、嫌いだと思ってました」


「なぜ、競馬をそんな風にしか見られない!」


「はい?」わたしは首をかしげた。『そんな風』に見る以外に、どう見ろというのだろう。


「いいか、この馬たちは馬生をこの一瞬に賭して、戦っている。このレースに血と汗と涙が詰まっているんだ!つまり、これが青春だ!」馬は拳を握りしめ、熱弁を振るう。なんだか、うざったるくなってきた。早く終わらないかな、この話題。


「野球も一緒やろがい」スペードの3の言葉に、『分かってないな』と首を振る。ふさふさの茶色い鬣がひるがえる。


「プロ野球に青春なんてない。戦績や年俸にとらわれて、あの頃の初心を忘れてしまっているんだ」馬マスクは遠い目をした。


私は、『お前、何を知ってるんだよ』と思った。


「競馬の緊張感は私も嫌いじゃないわよ」理容鋏が言った。


「分かってくれるか」馬マスクと理容鋏は固い握手を交わす。意外な組み合わせだ。


「負けた馬って、馬刺しになるのでしょう?自分が生き残るために、他者を蹴落として生き残ろうとする姿。素敵よね。私もこうありたいわ」馬マスクは眼球がこぼれ落ちそうなほど目を見開き、愕然と口をあける。反り返る出っ歯が、さらに突き出る。


「競馬は健全で純粋なスポーツなんだ。そんな目で見るんじゃない!」馬マスクは鼻息を荒くする。


「うーん。どっちも、やってなみたいだね」


 チャンネルが一周して、アニメに戻ってきた。画面の中で、不自然なほど胸の張った少女達が、魔法のステッキで怪物の脳天をかち割っていく。美少女アニメ特有の甘ったるい声は、どうも苦手だ。


「ゴールデンにそんな番組やってるわけないだろ」ブラウン管テレビは、チャンネルつまみを弄る帽子の手を払う。そして、恨みがましく言った。


「見ないのなら消す。テレビカード、残り100ポイントしかないってのに、無駄に使うな」


「忘れたのかい?君は照明器具の代わりなんだよ。お嬢がくるまで、点けっぱなしでいてもらうからね」帽子が言うと、アニメの音声が不満げに割れる。


「なら、放送を流す必要ないだろ」映像が乱れると、画面が虹色の縦縞に切り替わる。『ピーーー』と轟く電子音は、それほど大きな音ではないが、単調な音の波は本能的な恐怖を刺激する。


「いつまで、その気色悪い音を俺様に聞かせる気だ。せめて、音量を下げろ」鳩時計が囀る。


「もしかして、怖いのかい?」帽子が意地悪そうに訊く。


「なにを馬鹿な。そんなわけないだろう。俺様はただ、この音が不愉快なだけだ」嘴ではそう言いつつも、声と羽は震えている。


「ふーん?まぁ、今日はそういうことにしてあげよう。僕は優しいからね」帽子がつまみを回すと、テレビから音が消え、静寂が訪れた。鳩時計は暖炉の前の空席を睨む。  


「今日はシャンデリアが最後か。他人の遅刻には文句を垂らすくせに、自分には甘いようだな。勝手なやつだ」


「そんなことないですよ!」声をあげたのは、厨房から出てきたティーポット。


「お嬢様はたしかに我が儘なところもあります。でも、そういうところが、可愛いんじゃないですか!愛おしいんじゃないですか!愛くるしいんじゃなおですか!」声には馬マスクとは違う種類の熱が籠もっていた。


「キモいね」帽子は大げさに体を震わせる。


「理解できんな」鳩時計が頭を振ると、吊りさがる振り子のリズムが乱れた。


「なんで、わかんないかなぁ?」ティーポットは不思議そうに頭をかしげる。そして最後の丸皿を、わたしの隣、昨日は空席だった場所に配膳した。


「あれっ?この館に住んでるモノって9体だけだよね?」わたしは指を折って数える。シャンデリア嬢、ティーポット、馬マスク、ブラウン管テレビ、理容鋏、鳩時計、帽子、スペードの3、そして『わたし』。やはり合計9体。一方、食卓に並ぶ皿は10枚。まだ、挨拶していないモノがいたのだろうか。


「たぶん、今日から10体になるんだ」


「たぶん?」


「冷蔵庫に十体目の食事があったの。だから、新しい住人が来たんだと思う」


「そうなんだ」どういうロジックなのか理解できなかったが、自信満々頷くので、きっとそうなのだろう。配膳が終わると、ティーポットは扉の横に立ち、腹の前で手を組んだ。背筋を伸ばし、踵も揃え、ついさっきまで大慌てだったのが嘘みたいに『きりり』としている。


 しばらく待つと、観音扉が軋んだ。食卓に並ぶ燭台の影が伸び、眩しい光が部屋の隅々まで照らす。遅刻なんてなかったみたいに悠然と登場するシャンデリア嬢は、初めて見る顔を連れていた。


「ここが食堂。趣味がいいでしょう」シャンデリア嬢が自慢げに言うと、「……そうですね……」と三点リーダーを散りばめたようにか細い声が返ってきた。肯定されて嬉しくなったのか、シャンデリア嬢の蝋燭の炎が、柔らかな黄色になる。


「そうでしょう。そうでしょう。貴方の席はここよ」上機嫌なシャンデリア嬢は扉に最も近い椅子を指差す。十人目の住人は言われた通りそこに腰掛け、シャンデリア嬢も暖炉の前の『お誕生日席』に座る。


 わたしは、隣に座る新顔をまじまじ眺めた。


 館の新しい住人はウサギの縫いぐるみだった。ふわりとしたフェルトは雪見大福のように白く、まっすぐ伸びた耳は桜餅みたいな淡いピンク色をしている。目はオッドアイで左目は赤いボタン、右目が黄色いボタン。左右で微妙に大きさが違う。ファスナー製の口は、小さめの顔に対して異様に長く、口裂け女みたい。そして、体のいたるところにガーゼや包帯が巻きついている。


「改めて、自己紹介といきましょう。ワタクシはこの館の主、シャンデリアですわ。ようこそ異形館へ。歓迎するわ、ヌイグルミちゃん」


「……。よろしくお願いします……」彼女の声はあまりにも弱々しくて、ほとんど雨音に洗い流された。隣に座る『わたし』ですら聞き取れないのだ。席の離れたシャンデリア嬢は、彼女がなにか呟いたことにすら気づかないだろう。 


「なんとか、言ったらいかがかしら」


「……」彼女は言葉を発しない。だが、彼女の息づかいは聞こえる。


「ねぇ、聞こえてますの?」


 荒い呼吸。それは次第に速度と音量を増していき、狂い、壊れ、決壊した、


 ヌイグルミは苦しそうにテーブルの上に倒れ伏す。不健康な青白い指を、肩に掛けたポーチに這わせて、ピンク色のカッターナイフを取り出す。カチッと音が鳴り、刃が剥き出しになる。そして、カッターの刃先を手首にめり込ませた。ぶわっと、純白の真綿が飛び出すと、呼吸は落ち着いた。


「ヒギャアアァァァアアア!」皆を代表して、馬マスクが悲鳴をあげる。当のヌイグルミは、はみ出た綿を恍惚と眺めている。


「なんてグロテスクなもの、見せるんだい。早く、それ仕舞ってよ。ビックリするじゃないか!」帽子が言う。


「すみません……」ヌイグルミは布の裂け目に、綿をねじ込む。手首を切ったことで落ち着いたのか、彼女の声はなんとか聞き取れる大きさになっていた。


「人がいっぱいいる場所に、馴れてなくて……」


「僕たちは人じゃなくて、モノなんだけどね」


「お前は黙っていなさい!」シャンデリア嬢の怒鳴り声に反応したのは、帽子ではなくヌイグルミの方だった。両手で顔を覆って、ガタガタ震えている。

  

「ごめんなさい、ごめんなさい、許してください……」


「あーあ、かわいそうに」帽子が茶化すと、シャンデリア嬢の炎が、ばつの悪そうな紫に変わる。


「なにもしないから、カッターナイフを戻して顔を上げなさい」指の隙間から、ヌイグルミの黄色い目が覗く。隙間はすぐに閉じた。


「はぁ……。まあいいわ、異形館の新たな住人に拍手」シャンデリア嬢の号令で、わたし達は手を叩く。歓迎の拍手の音は、わたしが来たときより、少し大きかった。


「初めまして。ユリ目ユリ科ユリ属のテッポウユリです。よろしくお願いします」


「……、よろしくお願いします……」


 一通り自己紹介が終わると、シャンデリア嬢が銀色の蓋を開け、食事会が始まる。今晩のメニューは、ミネラルウォーターのボトルが一本と、肥料の顆粒が一袋。昨日とメニューが違うのは、栄養バランスが考慮されているからだろうか。


『ヌイグルミって、何を食べるのだろう』


 ふと気になって、彼女の皿を覗く。そして、好奇心に身を委ねたことを後悔する。皿の上には、夏の入道雲みたいに、ふかふかの綿。そこにポッピングシャワーのようにトッピングされたカラフルな物体は、どこからどうみても『クスリ』だった。おそらく、合法的なやつではある。大麻とかLSDとかではない。


「……あっ、あたし、なにか気に障るようなことしましたか……」ヌイグルミは一瞬だけ『わたし』を見ると、怯えたように目を伏せる。


「そういうわけじゃなくて……。これ、なんの薬」視線がわずかに上向く。


「青い錠剤が睡眠薬、オレンジ色が抗不安薬、赤いカプセル剤が抗うつ剤で、黄色の粉末が胃薬……、です……」


 相変わらず声は小さいが、薬の説明をするヌイグルミは、自慢の友人を紹介するように誇らしげだった。彼女は『友人達』を小さな手の平に乗せると、ファスナー製の口を少しだけ開けて、薬を放り込む。


「ああ……、落ち着く」ヌイグルミのボタンの目が、ボロンと落ちる。糸で繋がった目は、宙づりになり、ブラブラ揺れる。そして……。


「アハハッハッハハハハハハッ!!」ファスナーの口を全開にして、彼女は笑った。快活というより、狂気的な笑い方だ。


「どないした?」


「一体、何事だい?」周囲の困惑をよそに、彼女はブラウン管テレビに歩み寄る、


「虹だ。虹色だ。七色の虹だッ!ヒャッハハハッハ」ヌイグルミはテレビの箱をさすり、揺らし、叩きまくる。壊れた奇声を上げながら。


「完全にイっちゃってるね」帽子が面白そうに手を打つ。


「おーい、戻ってこんかーい」スペードの3が呼びかける。


「ああ、明るい。世界が眩しい。光り輝いてる」戻って来る気配は皆無だった。ブラウン管テレビが打撃に耐えかねて逃げ出すと、ヌイグルミは彼を追いかけた。オーバードーズのせいだろう。彼女の足取りは、雲の上を歩くように揺らめいている。


 案の定、彼女はテーブルの脚に躓いて、顔面から転んだ。見た目こそ派手な転び方だったが、効果音は『ポスッ』という、枕を床に落としたような、可愛らしい音だった。わたし達は彼女が起き上がるの待つが、動く気配はない。


「だいじょうぶか!」馬マスクが彼女に駆け寄り、薄い肩を揺さぶる。すると、伸びた糸がするする巻かれて、宙を彷徨う目が元に戻った。馬マスクに介抱されながら立ち上がると、全開だったファスナーを閉じた。


「……、すみません、薬、飲みすぎると、こうなっちゃうんです。ウザかったですよね……、すみません……」ヌイグルミはフェルトの繊維を毟りだす。抜毛症というやつだろうか。 


「ウザいなんて、そんなことはない。そうだろう、みんな!」わたし達は馬マスクの純粋な瞳から目を逸らした。ヌイグルミはすっと、カッターナイフを取り出す。


「……ごめんなさい、償います……」


 わたしは、とっさに彼女の手首を掴んだ。


「誰も迷惑だなんておもってない」


「そうやで」


「ホントウよ。だから落ち着きなさい」


 懸命なフォローの甲斐あって、カッターナイフは無事、ポーチに納まってくれた。彼女が薬の摂取を再開するのを見届けて、他のモノ達も食事に戻る。わたしはペットボトルの蓋を開けた。


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