二日目 電鉄
その日、世界は地獄と化した。海も、空も、大地も、世界の全てが血のように不吉な赤に染まった。あらゆる建物は焼き払われ、大量の悪魔が空を埋め尽くす。わたしの列車に取り憑いた悪魔達は、その鋭い牙で何十年と掛けて築き上げてきた財産を、容赦なく啜る。
神は虚空から黒いサイコロを6つ出現させ、『振れ』と命じた。出目の合計は38。白塗りの神が、太鼓のように肥えた腹を叩いて、下品に笑う。
『キ~~~~~ングボンビ~!38だな!76億円を捨ててやるぞ!▼』貧乏神が列車を爆発させると私の所持金がマイナス四十二億円からマイナス六十五億円になる。膨らみすぎた借金は、もう気にならない。
そして迎える二十回目の春、結果発表。『青』『赤』『黄』『緑』、四色の列車が駅を出発する。列車は焦らすように競り合うが、順位は分かりきっていた。悲しいほど予想通りに、わたしの列車はいの一番に脱線した。公家に扇子で仰がれて、空高く吹き飛んでいった。最後まで生き残ったのは黄色い機関車、ティーポットの車両。花吹雪が舞う。
「やったぁー」彼女は、勝利の味をかみしめるように全身で喜びを表現する。わたしは「おめでとう、楽しかったね」と大人になった振りをするが、やっぱり悔しい。せめて、コンピューターには勝ちたかった。
「はぁ……。思いのほか長かったわね。疲れたわ」理容鋏から軋んだ音が鳴る。
「頭が、チカチカします」わたしは床に這いつくばった。
「ほら、麻雀の方がよかったでしょう。こんなに萎びちゃって。かわいそうにね」理容鋏がわたしの体をさする。
「ワタシから、ユリちゃんを奪わないでください。麻雀のメンツは足りてますよね」
「これだけ長いことやってると、指し方も展開も読めてきて、飽きてくるのよ」
「ああ……、なんで二十年に設定しちゃったんだろう」いま考えると、頭がおかしい。
「長ければ長いほど面白いと思ってたんだ、そのときは……」ティーポットにしては珍しく、言い訳めいた口調だ。
紙吹雪と花火が止むと、テレビ画面に総資産の推移を示す折れ線グラフが出てくる。わたしの総資産は躁鬱病のようにアップダウンを繰り返し、最後は『0円』の基準線を貫通。奈落の底とへ落ちていく。今回は罰ゲームのないただの遊びだから、まだましか。
「休憩にしよっか。紅茶でも飲む?」ティーポットが訊く。
「私は遠慮しておくわ。錆びてしまうから」理容鋏は答える。
「飲んでみたいかも」言った瞬間、ティーポットの底に溜まった茶葉が、嬉しそうに舞い上がる。別に彼女を気遣ったわけじゃない。純粋に、ずっと甘い香りを漂わせている液体を味わってみたかった。
「動物も植物もカフェインを摂ると、発育が悪くなるそうよ?」理容鋏は悪戯っぽく言う。
「え……、やめとこうかな」
「もう、せっかく本領を発揮できそうなのに、邪魔しないでください!」ポットの注ぎ口から煙があがり、茶葉も暴れ出す。
「ごめんなさいね。冗談よ、冗談。怒ったかしら?」
「一ミリも、あやまる気ないですよね」
「ばれてた?」ティーポットは、すっとぼける理容鋏に深い溜息を浴びせると、「食器取ってくるから、ちょっと待っててね」と部屋を去った。
途端に部屋が静かになる。聞こえるのは、壁掛け時計が時を刻む音と、PS4のファンが回る音だけ。わたしはゲーム機の電源を切って、理容鋏の個室を見渡す。
彼女の部屋はヘアサロンだった。フローリングの床に、モダンな椅子とモダンな洗面台が並び、天井からぶら下がるペンダントライトのセンスもいい。床屋や理髪店と一線を画した『おしゃれ』な雰囲気は『SALON』の五文字がよく似合う。おそらく、ブラウン管テレビから分捕ってきたのだろう大画面テレビが、その雰囲気をぶち壊しているけれど。
やることもなく、ぼんやり部屋を眺めていると、理容鋏の冷たい指が『わたし』の葉先に触れた。
「二人っきりね、ユリちゃん」
「そうですね」
「その伸びっぱなしの葉っぱ。しっかり手入れすれば、もっと可愛くなるのに」探るような指が、葉脈をなぞる。
「可愛いだなんて……」理容鋏は、照れて上ずったわたしの声を無視して、「こっちに来なさい」と腕を引っ張る。そして、戸惑うわたしをバーバーチェアに押し込む。鏡に映る『わたし』は、やっぱり可愛いい。これ以上、可愛くなる余地なんてあるのだろうか。
「それじゃあ、切っていくわね」
「へ?」返事をする間もなく『ジョキンッ』と刃が閉じた。さっきまで『わたし』を構成していた瑞々しい葉が足下に転がる。
「ちょっと、待ってくださ……」
「大丈夫よ。悪いようにはしないわ」立ち上がろうとする『わたし』を椅子に押さえつけ、切る。切る。切り刻んでいく。
「大人しくしてちょうだい。手元が狂って、真っ二つになるのは嫌でしょう?」わたしは草食獣になす術なく食われる草のように、抵抗をやめた。でも、体は震える。ジョキジョキ音が鳴る度、床に『わたし』のパーツが積もっていく。
水分を含んだ側茎の断面は痛々しく、切断された根っこはグロテスクだ。体中の気孔から、汗か涙か分からない水分が溢れてくる。
「完成よ」理容鋏の声で視線をあげる。鏡の向こうには『百年に一度』の称号も、『東洋の真珠』の名誉も軽々しく思えるような美少女が佇んでいた。ふんわり纏められた葉は垢抜けているが、少女特有の瑞々しさも併せ持っている。
「えっ、可愛い!」よく、パッツンヘアからリカバリーできたものだ。
「でしょう」手鏡で後頭部も見せられるが、どこからどう見ても、やはり可愛い。これこそ究極の『美』だ。
わたしは鏡に向かって、ポーズを決めた。指でハートを作ったり、腕をむねの前で交差させたり、ピースで花弁を挟んでみたり……。理容鋏に失笑された。彼女は椅子を半回転させ、背もたれを倒すと、浮かれる『わたし』に冷たい水を浴びせた。
「シャンプーは使わないでくださいね。枯れちゃいますんで」
「わかったわ」手早く洗い終えると、ドライヤーで根と葉を乾かし、櫛で梳く。その心地いい感覚にうつらつらとしていると、ティーポット(人物)がティーカップ(食器)を持ってきた。
「お待たせ……、えっ、どうしたのそれ?」ティーポットはショックを受けたように、盆を落とす。二客のティーカップは綺麗な音をたて、割れた。
「わたしが剪定してあげたの。可愛いでしょう」素材がいいからね、と言いたいのを我慢する。
「かわいい!滅茶苦茶かわいいです!」ティーポットはわたしの整えられた根と葉をくしゃくしゃに乱す。
「でも、もっと短い方が好みかも」
「これが理想の長さよ。私の美的感覚を疑う気つもり?」刃が軋む音を聞いて、わたしはそっと扉の前に移動する。
「理容鋏さんは、理容鋏じゃないですか。剪定鋏じゃないでしょ!」ティーポットが言い放つと刃がギラリと瞬いた。わたしは体を言い争う二人に向けながら、後ろに回した手でドアノブを探る。
「残念だけど、私達はわかり合えないみたいね」
「ですね」ドアノブを掴んだところで、二人は頷く。そして、わたしの方を向く。
「「じゃあ、ユリちゃんに決めてもらいましょう?」」
突然の指名を受けて身が強ばる。ようやく見つけたノブを離して、さりげなく手を組む。
「なにヲどうすれバ、よろシいのでしょうカ」わたしに運命を変える力はない。会話は当然の結末へと転がっていく。
「葉が長いほうと、短いほう。どっちが好み?」どちらを選んでも地獄でしかない。
「ねぇ、聞こえてる?」理容鋏に小突かれる。
「あー……、えー……、どっちも素敵です」
「へーー?」ティーポットの注ぎ口が、まじまじと見つめてくる。
「ふーん?」理容鋏のマイナス型のネジ穴が、疑わしげにわたしを観察する。
「まぁ、いいわ。それで許してあげる」
「ありがとうございます。ごめんなさい」反射的に言ったが、何について謝っているのか、自分でも分からない。
「次に葉っぱが伸びたときは、貴方に譲ってあげるわね」理容鋏がそう言うと、ティーポットは「ありがとうございます」と返す。わたしの目の前で、わたしの意思と関係なく、わたしの体のパーツが取引されている光景は、闇の臓器売買みたいだった。




