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私の母親は統一協会の信者でした

作者: ココ
掲載日:2026/01/21

私の母親は、統一協会の信者だった。

しかも、わりと熱心な方だ。


母は家にいなかった。

仕事が忙しかったわけでも、病気だったわけでもない。

神と世界を救うのに忙しかったのだと思う。


私が子どもの頃、自宅はだいたいゴミ屋敷のように散らかっており、兄と2人きりの時間が多かった。


母親と一緒に夕飯を食べた記憶はほとんどないし、「今日どうだった?」と聞かれた覚えもない。

今の言葉で言えば、ネグレクトだ。

当時の私は、それを異常だとは思っていなかった。比較対象がなかったからだ。


たまに母が家にいると、空気は一気に重くなった。

宗教の教えでは「愛」「感謝」「許し」が大切らしいが、我が家に持ち込まれたのは、だいたい「イライラ」と「悪口」だった。


近所の人はだいたい性格が悪く、

親戚はだいたい頭が足りず、

テレビに出ている人はだいたい堕落していた。

どうやら世界は、神に救われる前に、まず母に嫌われる必要があるらしかった。


私はよく考えていた。

愛を説く宗教に、なぜこんなに機嫌の悪い人が集まるのだろう、と。


救われたいはずなのに、誰よりも不満そうだった。

清らかさを語る割に、言葉はずいぶん濁っていた。

この矛盾を、子どもの私は毎日眺めて育った。


もちろん、今になって思えば、母も大変だったのだろう。

生きるのがしんどくて、家庭の中に居場所がなくて、「正しい答え」を外に探しに行った人だったのかもしれない。

神のもとに行けば、人間関係のストレスも、子育てのしんどさも、まとめて解決できると思ったのだろう。


ただ一つ、はっきり言えることがある。

母が信仰に近づけば近づくほど、私は母から遠ざかった、ということだ。


神に捧げられた時間は、そのまま家庭から消えた。

信仰が深まるたびに、家は静かになり、私は勝手に大きくなった。


最近、宗教について考えることがある。

宗教そのものが、そんなに悪いものなのだろうか、と。


もし、

しつこく勧誘せず、

献金もほどほどで、

信者同士で張り合わず、

「しんどいですね」と言うだけで許される場所だったなら、

もう少し役に立つ存在だったのではないか。


少なくとも、家庭を犠牲にする必要はなかったのではないか。

子どもを置いてまで、神に会いに行く必要はあったのか。

神様も、そこまで忙しい母親を求めていなかったのではないか。


私は今でも、はっきりした答えを持っていない。

母の信仰を否定する資格もないし、肯定する気もない。


ただ私は、

「信じる人の子ども」として育ち、

信仰よりも先に、人間の矛盾を学んだ。


母親が統一協会の信者だった。

そのおかげで私は、神を信じる前に、人間をあまり信用しなくなった。

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