語り継ぐ者
「先生、シーダー先生」
「……どうした?」
十にも満たない幼い子供たちが無邪気に遊び駆け回っている。その様子を見ていたのだろうエルフの男は、柔らかい春を思わせる桃色の目を一度伏せると、ゆったりと目線を下に向けながら後ろを振り向いた。
彼を呼び止めたのは両手いっぱいに本を抱えた硝子玉のように大きな丸い目をした人間の少女ポピーだった。
シーダーはポピーの持っている本を見ると溜息をついてから口を開いた。
「ポピー、いつも言っているようにものを運ぶ時には私たち大人を呼びなさい。お前はまだ小さいから重いものを運ぶのは限界があるだろう」
「先生ったらまた私の事子ども扱いして、もう私十二歳よ。これくらい難なく運べるの!」
これくらいの歳の子は特に女の子なら大人ぶりたい年頃だ。子ども扱いされたのが癪に障ったのだろう、ポピーはそっぽを向きながらもやはり重かったのか早々に持っていた分厚い本五冊をシーダーに差し出した。
「お姉ちゃんたちの授業で使う新しい本だって、ダリア先生が」
「そうか、ありがとう」
「……なんの本?」
「これは”災禍の記憶と口頭伝承”、”大厄災研究録”。千六百年前の革命戦争時代の歴史書だ」
専門書の題名を読み上げたところでまだ子供のポピーにわかるはずもなく、首を傾げ「だいやくさい……革命戦争?」と言葉を復唱していただけだった。
「いつかわかるよ、お前が大人になった時にはな」
「シーダー先生!私もう大人だもん!」
「はははっ、そうだな。ほらみんなと遊んでこい」
そう言ってポピーを送り出したシーダーは片手に本を抱え直し、自身の研究室へ歩みを進める。
世界樹学環——この世界で最も古く、最も大きな学びの集合体──。「知は根を張り、芽吹き、やがて花開く」と信じられてきた、ある一種の宗教が信仰されている学術都市であり学び舎。
シーダーはこの理念をその通りだと思ったことも、素晴らしい言葉だと諸手を挙げて賞賛したことも無い。永いときを生きているシーダーからすれば、なんてくだらなく馬鹿馬鹿しい言葉だとさえ思っているものの、この学校の教員も研究者も皆これは正しいのだと大声で宣うのだ。
なんと愚かなことか、彼はその様を見る度に落胆し此処を去ってしまおうかと思わずにはいられない。
しかし、それでも彼はここにいる。ここに残ることを選び続けている。
研究室の扉を開くと、乾いた紙と古いインクの匂いが鼻を刺激した。背の高いシーダーよりも高い書架が幾重にも並び、天井近くまで積み上げられた本の数々は、まるで大きな庭園の迷路に迷い込んだかのような錯覚を得る。シーダーは机の上に本を置き、指先で表紙をなぞる。
《災禍の記憶と口頭伝承》
《大厄災研究録》
千六百年前。革命戦争。
世界が、確かに壊れた時。人々が暗闇を彷徨った時代。
「……研究も記録もいつも都合のいい部分だけを切り取る」
独り言のようにつぶやいて、彼は椅子に腰掛けた。
知が根を張り、芽吹き、花開く——?
その言葉の裏で、どれほど多くの根が踏み折られ、芽が摘み取られたのかを、この学舎の一体誰が知っているというのだろう。
気まぐれに手を伸ばしページをめくると、整頓された文章と、慎重に選ばれたであろう言葉が並んでいる。英雄、犠牲、必然、勝利。
そこに「子ども」という単語はなく、「泣き叫ぶ声」も、「四肢が欠損した死体」も、どこにも記されてはいない。こんなものの何処が歴史だと言うのだろう、都合よく改変した断片だけを繋ぎ合わせた継ぎ接ぎのこれが。ページを一枚二枚と読み進めていくにつれて、思考の海に溺れていく。
コンコン、突然部屋に響いたノック音に意識が浮上する。いつの間にか朝の光が名残惜しそうに窓辺に留まっていた時間はすでに過ぎ、今は昼の太陽が高く昇っていた。外から聞こえる子供たちの声も、朝の穏やかさを失い、活気に満ちた昼のものへと変わっている。
「どうぞ」
「失礼します。シーダー先生、そろそろ子供たちに昼語りの時間ですよ」
「ダリア先生、もうそんなに時間が経ったか」
「ええ、みんな首を長くしてシーダー先生のことを待ってますよ。昼語りの時間はみんなが揃ってないとダメですから」
「……分かった、今行こう」
椅子から立ち上がると、身体がわずかに軋む。
ずっと本を読んでいた所為だろう、少しばかり身体が重い気がした。扉を開けると、廊下には大きな窓が並んでいるからか眩しいほどに明るく、思わず目を細めてしまう。ダリアは柔らかく微笑み、先に広場に向かって歩き出した。
「今日は街の広場で、よくうたっている吟遊詩人がいらっしゃってくださったそうですよ」
「街の?」
「ええ。子供たちも楽しみにしていて。ほら」
角を曲がった先で、ぱたぱたと足音が響いた。
「シーダー先生!ダリア先生!」
両手を振りながら駆け寄ってきたのはポピーだった。
昼の光を受けて、硝子玉のような瞳がきらきらと輝いている。
「今日はね、街でお話してる人が来てるって」
「ふふ、楽しみね」
「うん、ちょっと怖い話らしいけど、昔のお話聞くの楽しいから」
――昔の話。
「あ、始まるみたい。先生たち早く座って!」
人が集まったのを確認したのだろう、緑のいかにも吟遊詩人らしい服装をした男は手にリュートを持ち、繊細で柔らかな音色を奏で始めた。朝に庭で鈴のような笑い声を上げながら駆け回っていた時とは打って変わって、子供たちは口を閉じ、好奇心旺盛にも体を前のめりにして耳を澄ましている。
「♪ 千六百年前、空が泣き、地が沈黙した日
人は初めて、“厄災”という言葉を作った」
「砂漠は燃え、海は干からび、世界樹が葉を散らした
全て一人の女の仕業さ 恐ろしく 邪悪な女」
「人々は恐怖した、しかし暗黒の時代も永遠ではない
正義の前に打ち倒された 勇者は女神に祝福された」
「見てご覧、この平和な世を、花は歌い、鳥は踊り
光が私たちを照らしている 人々は祝杯をあげた」
「厄災は消え去った、誰にも愛されず消え去った
勇者様に感謝を、女神様に祈りを」
詩の全てを歌い上げたのだろう、優しい手つきでリュートを奏でていた手を止めた吟遊詩人は気障ったらしくも片手を広げながら一礼し、その身に大勢からの拍手を浴びていた。
ダリアとシーダーの間に座っていたポピーも満面の笑みでパチパチと手を叩き、軽い音を響かせていた。ポピーは面白かったと、感想を隣のシーダーに言おうとして横を振り向いた。
きっとシーダーも笑顔だろうと思っていたのだ、なぜなら彼女にとってこのお話は今まで聞いたものよりもずっと面白くて新しいものだったから。しかし振り向いた先にいたシーダーはポピーの予想していた笑顔ではなく、怒ったような悲しいような複雑な表情をしていた。
「……シーダー先生?」
小さな声がすぐそばで揺れた。その呼びかけにハッとシーダーは我に返った。気づけば、拍手の音はすでに途切れ、人々は満足そうに吟遊詩人へと声を掛け合っていた。祝福と称賛の言葉が飛び交う中で、彼だけが取り残されたように、広場の喧騒を遠くに感じている。
「……ああ、すまない」
そう言って口元に微かな笑みを作るが、それはどうしても薄く、ぎこちなかった。ポピーは一瞬だけ首を傾げたものの、それ以上は何も言わなかった。
「面白い物語だったな」
「……うん」
「さあ、そろそろ授業の時間だろう。午後も励むように」
それだけ言ってポピーの頭を撫でてからいつものゆったりとした足取りで、シーダーは広場から去っていった。思わずポピーは手を伸ばしてシーダーの手をつかもうとしたが、それは出来なかった。「ポピー!!」と声を張り上げて自分のことを呼ぶクラスメイトの声に気を取られたのだ。ポピーがそれに気を取られている間に、もうシーダーは広場から姿を消していた。
「ダリア先生、いってくるねバイバイ」
「ええ、授業頑張ってね」
自分のことを待っているみんなの元に駆け足で行き、一緒に教室まで向かった。それからポピーは思わず頬っ辺が落ちるほど美味しいご飯を食べても、授業で先生が黒板に板書をしていてもどこか上の空で落ち着かなかった。
ポピーは好奇心旺盛で年相応の子供らしい性格だ。気になってしまえばわかるまで我慢できないタチでもある。だから授業が終わってポピーに声をかけるクラスメイトよりもシーダーの方が気になるのも自然なのだろう。ポピーは一目散にシーダーの研究室に向かって廊下を走り出した。
シーダーの研究室にはすぐに辿り着いた。ノックをしてから扉を開け、部屋の中をのぞき込むとシーダーは窓のそばに置いてあった座り心地の良さそうな皮の椅子に座り本を読んでいた。
「どうしたポピー、もう授業は終わったはずだが。友達と遊びに行かないのか?」
「うん、今日はいいの」
「そうか、なら私に何か聞きたいことがあるんだろう?言ってみなさい」
「!どうしてわかったの」
心底不思議そうなその様子にシーダーは思わず笑ってしまった。
「お前のその様子を見ればなにか気になることがあるのはわかるさ」
そう言って彼はもう一度先を促した。
「あのね、そのシーダー先生今日様子が変だったから、何かあったのかなって」
「!心配をかけてしまったな、もう大丈夫だ」
「そっか、でもあのね私先生に何があったのか知りたいの」
「……お前が気にすることではないよ、さあ外が明るいうちに家に帰りなさい」
知られたくないのだろう、明らさまにポピーのまん丸の目から視線を逸らして言うその様子に、ポピーは少しばかりの怒りを抱いた。いつだって先生はポピーの知りたいことに答えをくれたのに、他の大人が匙を投げるようなポピーの好奇心に付き合ってくれたのに、どうして今回はダメなのか分からなかったのだ。その心情を感じ取ったのだろう、シーダーは溜息をつきながら仕方がないというように笑みを浮かべた。
「知を求めることは賞賛されるべきことであり、教育者であるなら質問に答えるのは当然の義務だ」
「じゃあ、」
「ああ、そうだな。実は吟遊詩人の歌が気に入らなかったんだ」
「素敵な歌だったのに?」
「あの歌は確かに素晴らしいものだった。厄災は消え去ったことも事実、厄災によって多くの者たちの命が失われたことも真実、だがエルフとして私個人として気に入らなかった」
エルフは長命で、人間にとって大昔で忘れ去られたことでも記憶し伝えるのがエルフの一種の仕事だ。
「確かにあの人は忌み嫌われ、罪に問われることをした。けれど……」
「あの人?先生歌に出てきた厄災を知ってるの?…その人の話、聞かせて」
「ポピー」
「怖くてもいい。難しくてもいい。先生が知ってるお話を聞きたい」
真っ直ぐな視線だった。知りたい、という純粋な願いだけがそこにある。
長い沈黙のあと、シーダーは静かに目を閉じた。
「……そうだな」
ゆっくりと、椅子から起き上がる。
机の上に置かれていた一冊の本に書かれた題名を見る。。
《災禍の記憶と口頭伝承》
彼はそれを手に取らず、そっと脇へと避けた。
「では、書かれていない話をしよう」
「……!」
「語りましょう、紡ぎましょう。これより語るは千六百年前の話」
一体誰が許せるだろうか。
それは世紀の大厄災、未曾有の災禍、忌むべき厄禍。
怒り狂う民衆の心にあるのは帰らぬ人となった家族のこと。目を閉じれば思い出すのは脳裏に焼き付いた、冷たく血濡れた妹の姿。何年経とうと忘れられないのはもう見ることの出来ない妻の花が綻ぶような笑顔、最後に見た恐怖に染まった彼女の表情。
この世の慈悲深き女神様であろうと手を差し出し厄災に贖罪の機会を与えることはなく、悲痛に目を伏せるだけだろう。
それほどのことをしたのだ。口に出すのも憚られる惨憺たるあの有様を、街は燃え、人の気配はなく、あるのは積み上げられた死体の山と衝撃で崩れたのだろう建物の残骸だけ。
人の情を持ち合わせぬ化物、魔族よりも残忍で退屈しのぎにやったのだと淡々と告げる女を、私たちは忘れてはならない。しかしこの世に生きるのが人であるから、いずれ忘れられていってしまうのだろう。故に語り継ぎ、書き記そう、少しでも長く少しでも大勢に知られるように。時の流れに任せてしまえばいずれ御伽噺となってしまう。
これは我々エルフの役目だ。
語りましょう、紡ぎましょう。これより語るは千六百年前に幕を開けた「ローズマリーの大厄災」、厄災と言われた女の話。
作者からのお願いです。
おもしろい、続きがみたいと思われた方はブックマーク、評価をおねがいします。
おもしろくないと思われた方も、面倒でしょうが評価での意思表示をしてくれたら嬉しいです。
おもしろくないけど読めたから☆ひとつ。
まあ頑張ってるから☆ふたつ。どんな付け方でも構いません。今後の執筆の糧にしていきます。
作者としては反応があると嬉しくなります




