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祈りが死を招く世界で、少女は救いを断つ刃を背負う  作者: 彩月鳴


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EP.10:奇跡の不在

村を囲む頼りない木柵の裏手。

獣すら避けて通るような鬱蒼とした茂みの中に、アスターは音もなく身を潜めていた。



視線の先。欠伸を噛み殺す見張りの男は、自分の死が数歩先にまで迫っていることすら気づかない。

アスターは呼吸を凪がせ、死角から滑るように踏み込む。


断絶は一瞬だった。

刃が肉を断つ不快な感触すら無視し、彼女は頸動脈を切り裂く。

叫びを封じられた男の身体を、彼女は介抱でもするかのように静かに支え、土の上へ横たわらせた。


(……次)


視線を巡らせるのと同時に、次の獲物を捕捉する。木の陰の二人目。

彼女は躊躇なく、血に濡れた短剣を逆手に持ち替えた。

最小限の腕の振り、最大効率の初速。

放たれた銀光は吸い込まれるように飛び、男の眉間に正確な「終わり」を刻みつけた。


(……次)




死に絶えた男たちに一瞥もくれず、彼女は村の中央へと歩を進める。

背後の男たちは、すでにただの物言わぬ肉塊だ。


彼女の感覚は、広場から漂う泥臭い欲望と、窒息しそうな村人たちの怯え――そして、いつ爆発してもおかしくない「祈り」の気配を捉え始めていた。





広場は、ただの屠殺場と化していた。

泥にまみれ、傷だらけの村人たちが、一箇所に集められ地に伏せている。

その中心で、巨大な戦斧を肩に担いだ賊の頭目が、愉快そうに腹を揺らしていた。


「おいおい、どうした?さっきまでの威勢はどこへ行った?」


彼の足元には、一人の老人が血を流して倒れていた。

村を守ろうと、無謀にも声を上げたのだろう。


「『こんなことをして、いつか必ず天罰が下るぞ』……だっけか?」


頭目は老人の髪を乱暴に掴み上げ、嘲るように周囲の村人たちを見回した。



「じゃあ、これぐらいすれば、天罰ってのが下るのか?」


衝撃音と共に、老人の腕が飛ぶ。


「あああああっ!!!」



「……おいおい。いつになったら俺は罰を受けるんだ?」


誰も、答えない。

神が助けてくれないことなど、この惨状に身を置く彼らが誰よりもよく知っている。



「なんだ、神様ってのは随分冷たいんだな。……じゃあ、これならどうだ?」


頭目は笑みを消し、無造作に戦斧を振り下ろした。

鈍い音。老人の命が、あっけなく刈り取られる。


悲鳴すら上がらない。

村人たちの心は、その瞬間に完全に砕け散った。



「へっ、なんにも起きねぇな。まだ足りねぇみたいだ。次はどいつにする?」


血振るいをする頭目の姿に、圧倒的な理不尽を突きつけられた村人たちは、もはや抗う意志すら失っていた。





人々の絶望が器から溢れ出し、無意識の内に「縋る」という行為が伝染していく。

組まれた指、震える肩。

誰に教わったわけでもないその動作は、彼らにとって最後に残された唯一の生存本能にして、この世界における最大の自死志願。



(ああ、神様……どうか、お助けを……!)


女の喉が震え、最も純粋で毒烈な「祈り」が音となって世界へ放たれようとした、その刹那。

弾けようとした言葉は、そっと肩に置かれた冷たさによって喉の奥へ押し戻された。


「……っ?」


震える女が顔を上げると、いつの間にかそこに「異物」が立っていた。

賊の蹂躙も、死の恐怖も、この場のいかなる絶望にも染まっていない小柄な少女。

アスターは、自らの唇に人差し指をそっと当てていた。


「――祈らなくていい。心の中でも、祈らないで」


それは、暴力を振るう賊たちへの怒りでも、被害者への哀れみでもなかった。

ただ、これ以上この場所に「救済」という名の化物を呼び寄せないための、冷徹で事務的な警告。

そのあまりに平坦な声は、狂気に満ちた広場の中で、唯一の「正しい現実」として女の鼓動を射抜いた。




直後、突如現れた「異物」に賊たちが気づき、一斉に殺気を放つ。


「なんだこのガキは!どこから入り込みやがった!」


頭目の怒声に呼応し、取り巻きの男たちが剣を抜き放ち、四方からアスターへと襲いかかる。

だが、包囲網の中心に立つアスターの瞳には、焦りも、恐怖も、敵意すらも存在しない。



彼女は、背負っていたローエングリンの柄を両手で掴み、前方へ引き抜く。

抜刀ではない。それは鞘に収まった状態ですら、圧倒的な死を内包した暴力の塊。

それを、彼女は自らの遠心力だけを乗せ、無造作に薙ぎ払った。



――直後、広場に爆発のような破壊音が轟いた。



それは刃が肉を裂く音ではない。

振りかざされた剣ごと、身につけた粗末な鎧ごと、そしてその内側にある骨と臓腑が、理不尽な質量によって一瞬で「粉砕」された音だ。


「……あ?」


吹き飛ばされた男たちが土壁に激突し、動かぬ肉塊と化して泥に落ちる。

一滴の返り血も浴びず、アスターはただ淡々と、予定された作業を終えたかのように巨大な鞘を下ろした。



「て、てめぇ……!」


己の支配領域を瞬時に蹂躙された頭目が、理解不能な恐怖を怒りに変えて咆哮する。


「この、バケモンがあぁぁぁ!!!」


神の救済を鼻で笑い、ただ暴力の絶対性のみを信奉してきた男の渾身の一撃。

空を裂く巨大な戦斧が、小柄な少女を肉片に変えるべく振り下ろされた。



だが、アスターは一歩も退かない。瞬きすらしない。

彼女はただ、地面に垂直に立てたローエングリンの鞘で、その暴力を真正面から迎え撃った。



広場を(つんざ)いたのは、甲高い鋼の悲鳴だった。

必殺の戦斧は、ただの「鞘」に傷一つ刻むことすら叶わずに砕け散る。

そして、行き場を失った破壊の反動が、頭目の両腕を根元から粉砕すべく逆流する。


「ぎ、あああああッ!?」


両腕の骨が砕ける生々しい音と共に、男は悲鳴を上げて地面を転げ回った。



広場を支配していた傲慢な暴力が、完全に否定された瞬間だった。

激痛と泥の中で地に伏せた男は、ただ見下ろしてくる少女の姿に、底知れぬ畏怖を刻みつけられる。

最強の武器を、抜き身ですらない鞘で砕いた存在。

それはもはや、彼の理解が及ぶ「人間」の範疇を遥かに超えていた。



「はぐぁ……が、わ、悪かった!な、何でもする!決して逆らわねぇ、何でも捧げる!」


粉砕された両腕をぶら下げたまま、男は泥水に額を擦りつけ、目の前に立つ「絶対的な存在」に泣き叫んだ。


「だから、どうかお助けを、お慈悲を――っ!」


それは単なる命乞いを超えた、人智を超えた存在への完全な服従と依存。

神などいないと(うそぶ)き、他者の祈りを嘲笑っていた男が、死の恐怖を前にして皮肉にも「最も純粋な祈り」を捧げてしまった瞬間だった。




――その直後。空気の色が一段、暗く沈んだ。


泥に這う男を中心にして、世界から色彩が剥離していくような不穏な気配が立ち込める。

大地が微かに、だが不快なリズムで脈打ち始め、遠くで世界の理が軋む音が聞こえた気がした。

招かれざる「何か」が、この濃厚な絶望の匂いを見つけようとしている。



アスターは、地にうずくまった男の脳天へ向けて、ローエングリンを垂直に突き立てた。

そして、冷たい瞳で見下ろしたまま――男の祈りを遮るように告げた。


「祈るな」


「……え?」


涙と鼻水に塗れた男が、間抜けな声を出して顔を上げる。


「祈るな、と言っている」



「わ、わかった!祈ったりしねぇ!神なんて……神なんてどこにもいねぇ!だから助けてくれ、あんたが……あんたこそが、俺の――」


アスターは、柄を握っていた指を、ふっと解いた。


「――だから、祈るなと言った」


支えを失った規格外の質量が、重力の命じるまま無慈悲に(かし)ぎ、倒れ伏す。

男の絶望も、アスターへの歪んだ信仰も、人としての形も。

すべてがひとつの鈍く湿った音にかき消され――完全に圧壊した。



世界を歪めかけていた不穏な気配は霧散し、静寂が戻った広場。

そこには、圧倒的な暴力の残骸と、それをも凌駕する『理不尽』を淡々と背負い直す少女の姿だけが残されていた。





賊の頭目だった肉塊から視線を外し、アスターは乱れた外套の襟を無造作に直した。


広場は、水を打ったように静まり返っている。

先ほどまでの絶望と暴力の喧騒が嘘のように、村人たちは息を潜め、ただ目の前の小柄な少女を畏怖の入り混じった瞳で見つめていた。



やがて、一人の年老いた男が、震える膝をつきながら進み出る。


「あ、あの……旅のお方。あなた様は、我々を救うために遣わされた……」


「違う」


アスターは、自らを神格化しようとするその言葉を冷たく断ち切った。

感情の乗っていない、あまりに平坦な声。


「通りがかっただけ。あなたたちを助けたわけじゃない」


彼女は畏縮する村人たちを一瞥し、次いで、先ほど「祈り」に縋ったまま圧し潰された残骸へと視線を落とした。


「今、あなたたちも見たはず。……どれだけ必死に神に祈っても、奇跡なんて起きないし、助かる見込みもない」


それは、この摩耗した世界の冷酷な真実。

しかしアスターが口にしたのは、祈りがもたらす本当の『厄災』を知らない彼らに向けた、彼女なりの最も安全な忠告だった。



「だから……これからも、神に祈らないで」


突き放すような忠告だけを言い残し、アスターは躊躇なく踵を返した。

もう、この村に用はない。

背中の剣が示す「澱み」は、さらに深く、この先の山中を指し示している。


「あの……待って!」


立ち去ろうとする背中に、細く掠れた声が飛んだ。

振り返らずとも分かる。村の入り口でアスターを引き留めようとした、あの少女だった。

泥と痣にまみれた姿のまま、少女は必死に言葉を紡ぐ。


「あなたと……同じことを言っていた人が、前にもいたの」


アスターの足が、ピタリと止まる。


(……難民が言っていた、祈るなと教えた旅人)



「その人も言ってた。『祈りは天に届くんじゃない。こちら側に寄ってくるんだ』って……。あなたみたいに、暗い顔をした人だった……」


少女の言葉に、アスターはゆっくりと振り返った。

自分以外に、この世界の歪んだ構造を理解し、あまつさえ人々に警告して回っている者がいる。

それが意味することは何か。

同類か。それとも――別の目的で「神の残骸」を利用しようと企む者か。



「……その人は、どこへ行ったの」


アスターの静かな問いに、少女は震える指をそっと持ち上げ、村の背後にそびえ立つ険しい山脈を指し示した。


「山へ……。誰も近づかない、あの深い森の奥へ向かっていったわ」


背中のローエングリンが引き寄せられている、最も深く重い澱みの震源地。

行き先は、寸分違わず重なっていた。


「……そう」


アスターは短く応えると、今度こそ振り返ることなく歩き出した。


少女が微かに「ありがとう」と呟いたのが聞こえた気がした。

だがアスターは、その響きを意識の底へと深く沈み込ませる。

感謝も、名誉も、今の彼女には重すぎる不純物だ。


村を支配する静寂を背に受けながら、彼女は濃い影を落とす山脈への道を踏みしめる。

自分と同じように「祈り」を否定する者の影を追い、アスターはただ一人、さらに深く、暗い理の底へと向かっていった。

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