33…囚われたお姫様
「――ハリー?…どうしたの?」
先ほどまでの甘い空気はどこに行ってしまったのか。気づけば殺伐とした空気の中、ハリアスの見たこともない冷酷な瞳がセシリアを貫いていた。
「…もういいかい?夢は終わりだ。こんな茶番は終わりにしようじゃないか。」
熱の籠らない声音で告げるハリアスの言葉は、まるで恋人ごっこは終わりとでも宣言しているかのように聞こえる。
(――どういうこと?…ハリーはどうしてしまったの?!)
状況が飲み込めず唖然としているセシリアを、無常にもハリアスは引き離し立ち上がる。
「私は元々君とはこの世界の為だけに一緒に居たんだ。勘違いしないでもらえるかい?この世界を救うためでなければわざわざこんな手の込んだ苦労などするものか!」
吐き捨てるように告げるハリアスは、立ち上がると向かいのソファに座りなおしため息をつくように話を続ける。
「君の望んだ誕生日は迎えられた?これで満足だろう?
私はこの世界の為に今まで君のわがままに付き合い続けてきたんだ。婚約して7年。私もよく頑張ってきたと自分を誉めたい気分だ。
私がこれだけ歩み寄ってもなかなか気づかず、女神の言葉でやっと愛を信じるような女…どれだけ私が苦労してきたかわかるかい?
6年努力して認められたのが、私の成果ではなく女神のおかげだなんて、腹立たしいにもほどがある。ねぇ?セシリア。」
「そんな…私は…ハリーを信じているわ…女神様が言ったからだけじゃ――――」
「本当にそうなのかい?
実は自分が死にたくないからって私に恋愛感情をあえて持たないようにしていたんだろう?
こっちは真剣に君に向き合っていたというのに、君はアイ嬢とばかり仲良くして私の事も放っておこうとしていたのだろう?
私がデートに誘わなければ、きっと女神様も目覚めることすらできなかったのだろうね。」
「―――それは…」
ハリアスの言っていることは確かに間違っていない。
聖女が降臨したら、ハリアスと結ばれると思っていたから、あえて邪魔をしないように彼への恋心にも気づかないようにしていた。
――けれど、それは世界の為を想えばこそであった。
決してハリアスの事を傷つけたいがためではない‥と言いたいのに…言葉が出てこない。
「――私はもう疲れてしまったんだ。この世界がどうなっても構わないかなって…。
だってそうだろう?
セシリアは女神の言葉を信じて私と一緒に居るのであって、私だから一緒に居るわけじゃない!
もう無理してこの世界の為に私は自分の心を犠牲にしたくない!
君が本当に私を愛してくれていたなら一晩共に過ごしたかった…でももう帰ってくれるかい?君の顔を見ていると自分がみじめに思えて仕方ないのさ!!
…心配しなくても公爵を呼んであるからすぐ部屋にやってくるよ。
――さぁ、いきたまえ。これでさようならだ!」
「そんな!!…それでは魔神はどうするのですか?!」
「――何を今さら…私はもう疲れたんだよ!!こんな状況で自分の命を懸けて戦いたくなどない!
私は選抜隊から抜けさせてもらう。あとは3人で好きにするといいよ。」
「――ハリーはそれで良いんですか?!王太子としてがんばるのではなかったのですか?!」
「――役目を果たせと?…悪いが王太子をやめることになったとしても私は構わない。君のような婚約者と一生添い遂げなければならないなんて虫唾が走る!愛称でも呼んでくれるな!出て行ってくれ!」
「…ハリ…アス様…」
呆然と立ち尽くすセシリアは、ハリアスの言っていることが受け止めきれずただただ見つめることしかできない。
あんなに優しく頼りがいのあった王太子殿下は、こんなにも自分のせいで苦しんでいたのかと…彼の言葉は痛いほどにグサグサとセシリアの心に突き刺さるものばかりだった。
(――今まで苦しい気持ちを隠しながらも、私に向き合おうとしてくれていたの?…私が彼を追い詰めてしまったの?)
心は沼に引きずり込まれるかのようにずぶずぶと沈んでゆくのに、なんと言葉を紡いでよいのかわからない。
―――コン…コン…
「――殿下、バトネ公爵様がいらっしゃいました。」
「ちょうどよい、公爵が迎えに来てくれたようだ。とっとと帰るがよい。」
声音はどこまでも冷淡で熱など微塵も感じさせない。むしろ部屋の気温がどんどん下がっているかのようにさえ感じてしまう。
「――今夜は…素敵な晩餐をありがとうございました…失礼いたします…」
深々とお辞儀をするセシリアを一瞥もせず、ハリアスはソファに座ったまま紅茶を啜っていた。
逃げるように身支度を整え廊下に出ると、そこには父の姿があった。
「――お父様…」
涙ぐみながら父を呼ぶセシリアを、公爵はじっと冷たい眼差しで見返している。
「…なんと愚かな…」
公爵から発せられた言葉は想像もしなかった侮蔑の言葉であった。
(――え???)
「こんなに愚かな娘であったとは…殿下にあれだけ懇意にしてもらっておきながら、仇で返すとは自分の娘とは思いたくもない。」
「――お父…様?」
衝撃的な言葉がセシリアの耳に届く。
自分は今何を聞かされているのだろうか?どんな時でもセシリアを否定することなく見守ってくれていた父が、明らかに自分に冷淡な眼差しを向け呆れたように話しかけている。
しかもその言葉には憎しみさえも籠っているように感じるのだ。
セシリアは自分の耳を疑うことしかできない。
「――今日の為に、殿下は様々な準備を整えてくださっていたのに、お前はこれまでの殿下の想いを当たり前のように受け取っていたのだろう。
ずっと冷めたような目で私たちを見ていると昔から思っていたのだ。
…まさかわが身可愛さであったとは…お前はそれでもこの世界を救う気持ちがあったのか?自分さえ助かれば良いと思っていたのではないか?この恥知らずめ!!」
「…ち…ちがいますっ!!そんなこと―――」
「ならば何故殿下が苦しんでおられるのだ?おかしいだろう!我々はいずれ王となる殿下に忠誠を誓い、お守りするのが役目。それなのにお前は自分の事しか考えていなかったのではないのか!
…お前がこのような身勝手な娘なのであれば、殿下の婚約者にするのではなかった…
数か月前の神殿での魔獣との戦いですら…本当はお前が大神官に恨まれていなければ、あんな大騒動にすらならなかった!ちがうか?」
「…それは…」
確かに元大神官は聖女と女神様を妄信するあまり、目立っていたセシリアを排除して聖女を担ぎ上げようとしていたのは確かだった。
だからと言って、それがセシリアのせいだったと言えるものだったのだろうか??
確かにセシリアが婚約者でなければ、ハリアスが婚約者にしていたのはアイだったはずだ…ハリアスは王族の務めとして必死でセシリアを愛そうとしていたのであって、最初からアイが婚約者であればすべて丸く収まっていたのかもしれない…
考えれば考えるほど自分のせいで色々な歯車が狂ってしまったのだと思える。きっと私が婚約者でなければハリアスはここまで苦しまなかったのかもしれない…
(―――私は…周りの優しさに甘えて…自分の身を守っていたの??
私がアイが降臨した時に、さっさと婚約者をやめていれば大神官は闇に魅了されなかったの??)
まるで自分がいなければ物事の歯車は狂わなかったと思えてしまう。その場から動けなくなるセシリアをあざ笑うかのように、メイドたちも冷たい眼差しを向けている。
「――バトネ公爵令嬢は、王太子殿下の御心を振り回していたようですよ。」
「もう王太子殿下もさすがにバトネ公爵令嬢にはついていけないのでしょうね」
「やっぱり聖女様の方がバトネ公爵令嬢よりも王妃様に向いていますね!」
(――わかってる…わかってる…わかってる…
私よりアイの方が優れているってことくらい…でもしょうがないじゃない!!女神様に託されたのだから!!)
「――本当に?」
しんと静まり返った廊下に、いつの間にか父の姿もメイドたちの姿も消え、目の前にはアイが佇んでいる。
「――アイ?なぜここに…」
「――ねぇ。本当に女神様がそう思っているの?セシリアの解釈ちがいなのではないの?
解決方法がわからないから苦し紛れに言ったのかもしれないじゃない?
私だって強くなったわ。…もしかしたら私が世界を本当の意味で救えるのかもしれないわ。
セシリアは本当に自分じゃなくちゃだめだと思うの?」
「だって…わたしがいなきゃ魔法剣だって…」
「それは殿下でも、リュシードでも良いはずよ?…何故セシリアなの?
本当にセシリアでなくちゃならない理由があるの?」
「―――…それは…」
(自分でなければならない理由?…そんなに私は特別に思ってもらえるような人間なの?
魔神に憑依されなければ…よかっただけなんじゃ…)
考えれば考えるほど自分の存在意義がわからなくなる。
ただでさえもう魔神の復活も迫っているのに…まさか私が足を引っ張っているの??
――私がいなければ…私さえ転生しなければ…
後悔ばかりが頭の中を占めてゆく。鼓動はどくどくと嫌な音を立ててずっと早く動き続けている。
あれほど信じようと決意したはずなのに…まさかその信じたい者たちからこんなに否定されるなんて思いもしなかった…
(――やだ…やだ…やだ…みんなを困らせたくない…私さえいなければ…消えたい…消えてしまいたい!!)
セシリアはその場にしゃがみ込み皆の目を見ることもできず、ただただ俯き耳を閉ざし心の中で泣き叫ぶ。
――その声は誰にも届かない…




