偽りの友、虚偽の鏡
王都の貴族社会は、絢爛たる宮殿の輝きと、冷ややかな微笑の裏に隠れた駆け引きが交差する世界だった。そこに生きる者たちは、気品ある立ち居振る舞いと流行を追い求め、そのすべてで他者よりも一歩先に立つことを競い合っていた。
そんな世界で、カートレット侯爵家の令嬢、リヴィア・カートレットは輝く星のような存在だった。カートレット家は代々学問と芸術に力を入れ、王宮にも多くの芸術品を献上するほどの名門である。
リヴィアは誰もが一目置く美貌を備えていた。柔らかい金色の髪は、まるで太陽の光を纏ったかのように輝き、真珠のような白い肌は気高い清廉さを感じさせる。蒼い瞳の奥には確固たる意志が宿り、その眼差しは人々に自然と敬意を抱かせた。
彼女の教養もまた群を抜いていた。王立学院で学んだリヴィアは、詩や絵画、楽器演奏に優れ、社交界に出るたびに新たな才能を披露してきた。ある夜の舞踏会では、彼女が身につけていた藤の花をあしらったドレスが話題をさらい、瞬く間に王都中で流行となった。翌日には同じ意匠のドレスが仕立て屋に注文され、すべての貴婦人たちがこぞって真似をしたほどだった。
舞踏会で彼女が踊るたび、見物人たちは足を止め、その優雅なステップに息を飲んだ。リヴィアは無理に目立とうとせずとも、その自然な気品と才能で、人々の注目を集めることができた。彼女の発する言葉には教養とセンスがあり、褒め言葉は慎み深く、批判には柔らかな機知が含まれていた。彼女の存在そのものが流行を生み出し、周囲から憧れと賞賛の的となっていた。行動のすべてが流行の先端となった。
だが、そんなリヴィアを陰で蝕む存在がいた。バルフォード子爵家の令嬢、クラリッサ・バルフォード。
「あなたの親友ですもの。私、ずっとあなたのそばにいたいわ」
クラリッサは甘い笑みを浮かべ、リヴィアにまとわりついていた。彼女は「親友」と自称し、どこへ行くにもリヴィアに寄り添っては、彼女の行動を観察していた。だが、その目的は友情ではなかった。クラリッサはリヴィアのすべてを模倣し、自らのものとして巧妙に振る舞うことで、周囲の賞賛を横取りしていたのだ。
クラリッサの模倣は、単なる真似ごとではなかった。それは周到に計算された戦略であり、リヴィアから称賛と名誉を奪う巧妙な手段だった。クラリッサは、リヴィアの一歩後ろを追いながら、いつの間にかその手柄を自分のものとして広めていった。彼女の行為は、リヴィアの存在を徐々に霞ませ、逆に自分を輝かせるための悪意ある演出だった。
ある晩の舞踏会で、リヴィアはカートレット侯爵家に伝わる香料を用いた特製の香水を纏っていた。夜露を含んだ薔薇と柑橘の爽やかな香りが混ざり合ったその香水は、会場にいる貴族たちを魅了し、瞬く間に噂となった。
「リヴィア様の香り、なんて素敵なの!」
「さすがカートレット家ね。彼女にしか似合わない香りだわ」
しかし、翌週の茶会で、クラリッサが全く同じ香りを纏って現れた。彼女は人目を惹くように軽く手を振り、その袖から漂う香りが他の令嬢たちを驚かせた。
「まあ、クラリッサ様。素晴らしい香りね!」
「その香水、どこで手に入れたの?」
クラリッサは涼しげな微笑を浮かべた。
「これは私のお気に入りの香水なの。もう何年も愛用しているのよ。リヴィアも最近同じものを使い始めたみたいだけど……」
その一言で、リヴィアが彼女を真似しているという噂が広まった。誰もクラリッサの言葉を疑わず、リヴィアは自分の家伝の香水を模倣したと誤解されてしまう。
王立音楽学院で磨いた技量を持つリヴィアは、ヴァイオリンの演奏で名を馳せていた。彼女が奏でる曲は、流れるような指使いで聴衆を魅了し、その優美な旋律は王都の貴族たちの間で長く語り継がれるほどだった。ある晩、リヴィアが舞踏会で新しい自作曲を披露すると、会場は大喝采に包まれた。
しかし、数日後に開かれたクラリッサの茶会で、彼女が同じ曲を演奏し始めた。クラリッサの技量はリヴィアには及ばないものの、招待客たちはそれに気づくことなく、彼女の演奏に拍手を送った。
「この曲、素晴らしいわ! 誰が作ったの?」
クラリッサは微笑を浮かべ、弦を優雅に撫でながら答えた。
「この曲? ずっと前から私が演奏していたものよ。最近、リヴィアが気に入ってくれたみたいで、真似してくれたみたいね」
その言葉に、茶会の客たちは納得するように頷いた。
「リヴィア様も影響を受けたのね。クラリッサ様、本当に才能があるわ」
こうして、リヴィアの名誉はまた一つ失われた。リヴィアが模倣者であるかのような噂が流れ始め、彼女の名声は次第に曇っていった。
リヴィアが刺繍の技術に優れていることも、社交界では広く知られていた。彼女はある日、王妃の誕生日祝いとして、自らの手で刺繍を施した白いハンカチを贈った。その繊細な花模様と優美な縫い目は王妃から絶賛され、王宮に集まった貴婦人たちは口々にリヴィアの技量を褒め称えた。
「これほど見事な刺繍を見たことがないわ」
「まさに王妃にふさわしい贈り物ね」
だが、クラリッサはその成功を見逃さなかった。彼女はリヴィアのハンカチをじっと観察し、数日後にそっくりな花模様を施したハンカチを茶会で披露した。
「まあ、クラリッサ様! なんて美しい刺繍なの!」
客たちが歓声を上げる中、クラリッサはにっこり微笑んだ。
「偶然、私も同じデザインを思いついたのよ。私たちって趣味が本当に似ているのね」
その一言で、貴婦人たちはリヴィアが彼女の趣味を真似たと信じ込んでしまった。
「リヴィア様はクラリッサ様に憧れているのね」
「クラリッサ様の方がセンスが良いのかもしれないわね」
こうして、リヴィアが積み重ねてきた努力と功績は、次々とクラリッサに横取りされ、社交界での立場は揺らいでいった。
模倣者の汚名を着せられたリヴィアは、周囲からの視線が冷たくなるのを感じていた。舞踏会で会話を交わそうとすると、相手は薄い笑みを浮かべながら、どこか距離を取った態度を見せるようになった。
「最近のリヴィア様は、ちょっと必死すぎるわよね」
「まあ、クラリッサ様を見習うのは悪いことではないけれど……」
「カートレット家の令嬢も、バルフォード嬢を真似するのが精一杯なのね」
「以前の彼女はもっと独創的だったはずよ」
そんな囁きが、彼女の耳に届くたびに、リヴィアの心は冷たく締め付けられた。クラリッサの巧妙な模倣は、彼女の名誉を奪うだけでなく、リヴィアの心にも深い傷を刻んでいった。
「私は何も間違っていない……なのに、どうして……」
リヴィアは心の奥底で煮え立つ怒りを感じていたが、表には出さなかった。追及すればするほど、自分が「嫉妬している」と誤解されるだけだと分かっていたからだ。
リヴィアは胸に秘めた怒りと悲しみを押し殺しながら、自分の尊厳を守るために戦う決意を固めた。しかし、クラリッサとの戦いは容易ではなく、その道のりにはさらなる困難が待ち受けていた。
リヴィアはクラリッサを避けようとするたびに、彼女からの反撃に遭った。
「リヴィアが冷たくなったの……。私、何か悪いことをしたかしら?」
クラリッサは涙ながらに語り、あたかもリヴィアが一方的に彼女を突き放したかのように人々に吹聴した。
それを聞いた周囲の人々は、クラリッサに同情を寄せ、リヴィアを冷酷な人物と見なした。
「彼女は本当に変わってしまったわね。あんなに仲の良い親友を冷たくするなんて」
逃れようとしても逃れられない――リヴィアはまるで蜘蛛の糸に絡め取られたような気分だった。どれほど努力しても、クラリッサからの悪意ある束縛は彼女を離さなかった。
リヴィアは心の中で静かに誓った。
「このまま終わらせはしない……。私は、必ず真実を証明してみせる」
彼女の胸に、更なる決意が燃え上がる。しかし、この決意が花開くためには、まだ試練が待ち受けていたのだった。
リヴィアはローウェル侯爵家の嫡男、エドワード・ローウェルと婚約している。二人の婚約は、家同士の利害だけでなく、彼ら自身の理解と信頼に基づいたものだった。リヴィアはエドワードの冷静で誠実な性格に惹かれ、エドワードもまたリヴィアの聡明さと優雅さを高く評価していた。しかし、その信頼の絆は、クラリッサという名の「毒」が入り込んだことで、徐々に崩れ始める。
「エドワード様、リヴィアが最近少し無理をしているようですわ。自分を追い込みすぎているのではないかと心配で……」
クラリッサはエドワードに柔らかな声で語りかけ、親切そうに振る舞う。しかし、その言葉の裏には巧妙な悪意が潜んでいた。彼女はリヴィアが周囲から孤立し、名誉を失っていく様を利用し、まるで心から彼女を案じているかのように見せかけながら、少しずつエドワードの心に疑念を植えつけていった。
エドワードは冷静な性格ゆえに感情に流されることが少ない男だったが、クラリッサの言葉は徐々に彼の心を蝕んでいった。周囲の貴族たちからも同じような声が耳に入る。
「リヴィア嬢は、最近どこか変わったと思いませんか?」
「以前の彼女とは違うわね。余裕がなくなったというか……焦っているみたい」
人々の囁きは少しずつエドワードの心を曇らせ、かつて絶対の信頼を置いていた婚約者の言葉さえ、どこか疑わしく感じられるようになっていく。
「リヴィア、本当に大丈夫なのか? 何か隠しているのではないか?」
エドワードの問いかけには、以前のような温かさはなかった。彼の眉間にはかすかな皺が寄り、瞳の奥には不信感が浮かんでいた。
リヴィアは淡々と答えた。「私は何も隠していないわ。ただ、少し疲れているだけよ」
エドワードはその言葉を受け止めることができなかった。彼の中で芽生えた疑念は、クラリッサの巧みな嘘によってさらに肥大していた。
「君が本当に疲れているだけなら、なぜ皆が『変わった』と言うんだ?」
リヴィアは唇をきつく噛み、冷たい声で返した。「皆がそう言うのは、クラリッサの策略に乗せられているからよ」
だが、エドワードはその言葉を信じなかった。むしろ、彼の心には「また言い訳か」という思いが浮かんでいた。
「君はもう、以前のようなリヴィアじゃない……」
その言葉に、リヴィアの心は冷え切った。
かつて二人の間にあったのは、信頼と理解だった。リヴィアはエドワードの堅実さを頼りにし、エドワードもまたリヴィアの才能と気高さを誇りに思っていた。しかし、今ではお互いに相手の言葉が届かず、すれ違いばかりが続いていた。
「信じてくれないのね……?」
リヴィアの声にはかすかな悲しみが滲んでいたが、エドワードはその声に耳を貸そうとしなかった。
「君の態度を見ていればわかる。何かを隠しているようにしか思えない」
その冷たい言葉が、二人の関係にとどめを刺した。
リヴィアは心の中で何かが音を立てて崩れるのを感じた。もう、彼を信じることも、彼に自分を理解してもらおうとする努力も無意味だと悟ったのだ。彼女の瞳にあった微かな温もりは完全に消え、ただ冷たい無表情だけが残った。
「もういいわ、エドワード」
リヴィアは静かに言い放った。その声には未練も怒りもなく、冷ややかな諦めが漂っていた。
「リヴィア……?」
エドワードは驚いたように顔をしかめたが、彼女はそれ以上彼を見ようとはしなかった。かつて心から信頼し合っていた二人の間には、もう温かな感情など残っていなかった。リヴィアの心は既に彼から離れ、そこにあるのは静かな虚無だけだった。
彼女の脳裏に浮かんだのは、グレイ公爵家の長老であり、賢者とも評されるアルフォンス・グレイ卿の姿だった。年老いてなお凛然とした気品を漂わせる彼は、芸術を愛し、若い頃からカートレット家と親交が深く、リヴィアの才能を高く評価していた。彼はリヴィアの相談相手となり、リヴィアにとって最も頼りになる存在であった。
リヴィアの両親が社交界の政争に忙しく、彼女の心に寄り添ってくれる者がいなかった中、アルフォンス卿だけは孫娘のように彼女を見守り導いてくれた。孤立したリヴィアの心も支え続けてくれた。彼女が婚約者や社交界の喧騒に悩まされるたび、アルフォンス卿はいつも静かに助言を与えた。
「エドワードのような男に固執するな、リヴィア」
彼の深い声は、まるで人生の全てを見透かしているかのようだった。
「君は真心を尽くした。それでも理解されないのなら、彼が愚かなのだ。無理をして己を押し殺す必要はない。君には、もっとふさわしい道がある」
リヴィアはその言葉に何度も心を救われた。アルフォンス卿は、社交界の激しい競争を生き抜いてきた経験から、何が本当に価値あるものなのかを見極めていた。リヴィアがエドワードに期待する気持ちが薄れるたび、彼の助言が彼女の心を冷静にさせたのだ。
「リヴィア、もう少し君も柔軟に考えてみたらどうだ?」
エドワードが優しいがどこか突き放すような口調で言った。
「……柔軟に?」
リヴィアは冷やかな目で彼を見つめた。その目には、何度も裏切られてきた者だけが持つ悲しみが宿っていた。
「クラリッサ嬢は君のことを心配してるんだ。僕も、君が変わってしまったんじゃないかと……」
エドワードの言葉に、リヴィアの胸に冷たい怒りが広がった。
「そう、あなたもそう思うのね」
彼女は皮肉を込めて笑みを浮かべたが、その笑顔は鋭い刃のように冷たかった。
リヴィアはアルフォンス卿の元へ足を運んだ。彼の書斎は、豊かな本の香りと、ゆったりとした雰囲気に包まれていた。大きな窓から差し込む陽光が、彼の白髪の頭を柔らかく照らし出す。その姿は、まるで時を超えた賢者のように見えた。
「アルフォンス卿……私はもう疲れてしまいました」
リヴィアの声には、ついに限界を迎えた疲れがにじんでいた。心の中の葛藤と、周囲からの冷ややかな視線に、彼女は耐えきれずにいた。
「心配するな、リヴィア。君の真実は私が証明しよう」
アルフォンス卿は、優しい笑みを浮かべながら彼女の肩を軽く叩いた。その温もりに、リヴィアの心は少しだけ落ち着きを取り戻した。彼はただの相談相手ではなく、彼女の人生の重要な支えでもあった。
アルフォンス卿は、リヴィアの苦悩を解消するために、素早く行動に移った。彼は社交界の名士であり、誰もがその意見を重視する人物だった。まずは、クラリッサの行動を徹底的に調査することにした。
「この件に関して、私が調べることができる全ての情報を集める。君が受けた不当な扱いを証明するために、必要な証拠を掴むのだ」
アルフォンス卿は、口調を引き締めた。その言葉には、リヴィアを守るという強い決意が宿っていた。
彼は書斎の机に向かい、すぐにペンを取り、信頼のおける家臣たちに手紙を書き始めた。彼の周囲には、長年の経験から得た知識と人脈があった。それを駆使して、クラリッサの模倣行為を暴くための準備を整えていった。
数日後、アルフォンス卿は周囲の者たちから集めた情報を整理した。クラリッサの模倣は明らかだった。彼女がリヴィアの香水を真似て、自らのものとして周囲に紹介したこと、ヴァイオリンの演奏や刺繍のデザインまで、彼女がいかにリヴィアの功績を横取りしていたかが、次第に明らかになっていった。
「この香水、リヴィア嬢が最初に使用していたものです。クラリッサ嬢がこれを持ち出したのは、その後です」
家臣はアルフォンス卿に、その証拠を示しながら言った。証言を重ねていくうちに、クラリッサの行為がただの模倣ではなく、計画的な盗作であることが浮かび上がった。
最近になり、王都の華やかな社交界が、ある一つの噂で大きくざわめいていた。
――「リヴィア・カートレットは盗作をした」
それは、リヴィアが自らの詩として発表した作品が、実はクラリッサのものであったという衝撃的な内容だった。人々の間で、リヴィアの評判は見る間に地に落ちた。
「まさかリヴィア嬢が……」
「彼女もただの見せかけだったのか」
優雅なドレスに身を包んだ貴族たちが、絢爛な大広間でひそひそと話し合い、好奇の視線をリヴィアに向けた。彼女はその視線を一身に浴びながらも、毅然とした態度を崩さなかった。しかし、その内心は深い絶望に支配されていた。自分が築き上げてきたすべてが、たった一つの嘘によって崩れ去ろうとしているのだ。
そのとき、広間に低く響き渡る声があった。
「この詩の原作者は、間違いなくリヴィア・カートレットだ」
人々の囁き声がぴたりと止まり、彼らの視線は重厚な姿で現れた人物に集まった。そこに立っていたのは、グレイ公爵家の長老、アルフォンス・グレイ卿だった。彼はゆっくりと歩み出ると、集まった貴族たちの前で書簡と古びた草稿を広げた。
「この草稿の日付をよくご覧いただきたい。クラリッサ嬢が公にした詩よりも、はるかに古いものであることがわかるはずだ」
アルフォンス卿はさらに手紙を取り出し、リヴィアとのやりとりを証拠として見せた。
「これがリヴィアと私が交わした手紙だ。彼女がこの詩を構想し、完成させるまでの経緯が詳細に記されている。そして、クラリッサ嬢が繰り返し模倣を行っていたことも、私は証拠を持っている」
重々しい彼の声が、広間に緊張感をもたらした。クラリッサは青ざめ、口を開いて反論しようとしたが、言葉がうまく出てこなかった。
アルフォンス卿はクラリッサの模倣行為の証拠を次々と披露した。彼女がどのようにリヴィアの功績を盗んでいたのか、具体的なエピソードとともに明らかにしていった。
「これが、クラリッサ・バルフォードの模倣と盗作の証拠です」
アルフォンス卿の言葉は、集まった人々の耳に重く響いた。人々の間にざわめきが起こる。リヴィアの無実が証明されただけでなく、クラリッサの模倣癖もすべて明らかになったのだ。クラリッサの表情は最早真っ青である。
「リヴィア・カートレットは、数々の優れた才能を持つ若き令嬢です。その才能が、クラリッサ・バルフォードの悪意に今まで利用され続けていたことを、私はこの場で証明いたします」
アルフォンス卿はそう締めくくり、鋭い視線で射殺すようにクラリッサを睨みつけた。
「模倣……?それなら、リヴィア嬢が噂されていたのも無理はない……」
「つまり、クラリッサ嬢の言動は、すべてリヴィア嬢の真似だったのか?」
「全部立場が逆だったのか?なんと悪質な!!」
ざわめきが広間に響き渡る。
「リヴィアを疑ったことを悔い、これまでクラリッサ嬢の言葉を信じた者たちよ、今こそ真実を知るべきだ。」
アルフォンス卿の言葉が、会場の空気を一変させた。人々の視線が次第に冷たくなっていく。これまでクラリッサを褒めそやしていた貴族たちは、急に手のひらを返したように彼女を非難し始めた。
「まさか彼女がこんな真似をしていたなんて……」
「リヴィア嬢を貶めてまで、自分の名声を高めようとするなんて浅ましい」
「まさに盗人のような振る舞いね……もう彼女の言うことは信じられないわ」
周囲からの冷酷な視線に晒され、クラリッサは顔を引きつらせ、身を縮めた。今まで信頼していた友人たちも、彼女からそっと距離を取っていく。
「だまされたわ……クラリッサ様を信じていたのに」
「リヴィア様を疑ってしまった自分が恥ずかしい」
「リヴィア様が冷たくなったと言っていたけれど、こんな事していたのなら当たり前じゃない!」
「全くだ。厚顔無恥にも程がある」
「エドワード様にまで近づいていたわよね。品位の欠片もない。婚約者まで奪う気だったのかしら?」
「バルフォード家もどんな教育をしていたのだか。これでは信用を失うだろう」
一瞬で孤立したクラリッサは、泣きながら弁明しようとするが、誰も聞く耳を持たない。
「私はただ……! そんなつもりじゃ……!」
周囲の目は非情だった。
「言い訳は聞き飽きたわ。あなたの居場所はもうここにはないの」
周囲に響き渡る囁きに、リヴィアはようやく自身の名誉を取り戻すチャンスを得たのだと、胸が高鳴るのを感じた。
アルフォンス卿は、リヴィアの肩に手を置き、彼女に静かに囁いた。
「もう大丈夫だ。君の真実は、皆の前で証明された」
その優しい眼差しに励まされ、リヴィアは自分の未来に希望を抱くことができた。アルフォンス卿が自身のために戦ってくれたことを実感し、心の中で感謝の気持ちが湧き上がった。リヴィアは深く息をつき、胸に溜まっていた重苦しい感情が解き放たれるのを感じた。
周囲の視線は、今や温かな同情と謝罪に満ちていた。
「リヴィア嬢、本当に申し訳ありませんでした。私たちはあなたを誤解していました」
「あなたの才能は本物です。今後も応援させていただきます」
リヴィアは微笑みを浮かべ、軽く頭を下げた。その笑顔には、これまでの苦悩を乗り越えた者だけが持つ強さが宿っていた。
一方、クラリッサは社交界の中央で孤立していた。誰も彼女に手を差し伸べる者はおらず、その姿はまるで、かつてリヴィアから奪った名声が今、自分に牙を剥いたかのようだった。彼女の信用は一夜にして崩れ去り、周囲からの冷たい視線に晒され続けることになる。
話はこれで終わらない。
クラリッサの模倣癖が露見し、リヴィアの名誉が回復した後、アルフォンス卿は激しい怒りを露わにし、今度はエドワードを厳しく叱責し始める。
「エドワード、お前はリヴィアを信じきれなかった。お前のような男には、カートレット侯爵家の令嬢はもったいない。私が婚約を解消させてみせる。そしてリヴィアには、私の孫を紹介する。お前などいらん!消え失せろ!!!」
その声は厳しく響き渡り、大広間にいる人々は息を飲んだ。かなりのお怒りである。アルフォンス卿の言葉はただの叱責ではなく、エドワードとの縁を断ち切る宣言そのものであった。
エドワードが言葉を失い、顔色が青ざめる中、リヴィアも冷静なまま口を開いた。
「アルフォンス卿、私もエドワードとの婚約を解消したいと思っておりました。信頼を失った今、関係を続けることに意味はありませんわ。両家に話を通しますので、是非ともご協力をよろしくお願いいたします。お孫様とは、まずは顔合わせからさせていただければと思います」
リヴィアの声には、ためらいも未練も感じられなかった。彼女の心はすでにエドワードから離れ、これ以上の関係は彼女にとって無意味なものだった。
エドワードは衝撃のあまり言葉を失い、必死にリヴィアに取りすがろうとした。
「リヴィア、待ってくれ! 僕は君を……信じられなかったことを後悔しているんだ。もう一度やり直せないか?」
しかし、リヴィアもアルフォンス卿もエドワードの言葉に耳を貸さなかった。
「もう終わったことですわ、エドワード様」
リヴィアはその言葉を最後に、彼に一切の関心を示さなかった。アルフォンス卿もまた背を向け、エドワードを見向きもしない。
社交界の誰もが、この場面を見てエドワードが完全に見放されたことを悟った。エドワードは茫然と立ち尽くし、リヴィアとアルフォンス卿が談笑しながら去っていく姿を、ただ見送るしかなかった。
その後、アルフォンス卿の協力の元に婚約解消は最速で進み、すぐに成された。
夕暮れの柔らかな光が、広大なグレイ公爵家の庭園に差し込んでいた。庭を彩る花々の甘い香りが風に乗り、静かな時間が流れている。その庭の一角で、リヴィアはアルフォンス卿の孫、アラン・グレイと向かい合って座っていた。
アランはアルフォンス卿と同じく知的で落ち着いた雰囲気を持つ青年だったが、どこか柔和な笑みを絶やさないその姿には、祖父とは異なる親しみやすさがあった。彼の淡い金髪が風に揺れ、リヴィアに穏やかな視線を向ける。
「リヴィア嬢、こうして話ができるのを光栄に思います。祖父があなたのことをいつも誇らしげに話していた理由が、ようやくわかりました」
リヴィアは軽く微笑んだ。かつての心の重荷はすっかり消え去り、彼女の表情には以前には見られなかった余裕と自信が宿っていた。
「ありがとうございます、アラン様。あなたのおじい様には、本当に感謝しています。彼のおかげで私は自分の道を取り戻すことができました」
アランは軽くうなずき、優しいまなざしでリヴィアを見つめ続けた。
「これからも、リヴィア嬢が自分の道を進む姿を見守ることができればと思っています」
その言葉に、リヴィアは心からの感謝を込めて微笑み返した。かつて彼女を苦しめた過去の重荷――クラリッサとの確執、エドワードとの婚約――それらはもう彼女の中で影を落としていなかった。今の彼女は、過去に囚われることなく、新しい未来を見据えていた。
「過去はもう振り返らない」と彼女は静かに心の中で誓った。過去の出来事は、確かに彼女を形成した一部であるが、それに支配されることはもうない。今のリヴィアには、自分の足で新たな道を歩む強さがある。
「これからの未来は、私が自ら選び取るわ」
彼女の言葉には、確固たる決意と自由を感じさせる響きがあった。
アランとの出会いは、リヴィアにとって新たな始まりを予感させるものだった。彼との交流は、かつてのような社交界での義務的なものではなく、互いに心からの尊重と信頼を持ったものだった。リヴィアはその新たな縁を、大切に育んでいくことを心に決めた。
庭園を見渡しながら、リヴィアはこれからの未来を思い描いた。そこには過去の痛みや悲しみではなく、自ら選んだ道に希望を見出す自分がいた。彼女の心は軽やかで、自由だった。風が静かに庭を撫で、リヴィアの髪をそっと揺らす。
「さあ、次はどんな未来が待っているのかしら?」
そう呟いた彼女の瞳は、未来に向かってまっすぐに輝いていた。