8:人を殺しに行くための支度。
ユーヒチ・ムナカタは民間軍事会社ブルーグリフォンのシン・スワトー支局の医療施設で、出撃に向けて様々な施術を受ける。
なんたって、頭蓋内に寄生型反応支援機構を積んでいるし、心身のあらゆるものがモディファイとカスタムとチューニングを施されているから、レースマシンのように細かなセッティングが欠かせない。
怪しげな分子機械入り薬剤を何本も注射したり。
得体のしれないマギ・テク系医療機器につなげられたり。
医者やら技師やらカウンセラーやら幾人も面談や問診を受けたり。
拡張現実技術を用いた超高精度リアリティの訓練を繰り返したり。
それでも、完全機械化されたサイボーグ連中よりはよほど扱いが人間らしい。彼らが送られる先は医療施設という看板を下げた整備場だ。
亜熱帯の粘りつく暑気と煮えた湿気、過酷な理外の地に順応できるように。高ストレスな環境で過酷な状況に適応できるように。残酷で無慈悲な戦いに対応できるように。
煮えたぎった密林の底を泥塗れになりながら這い回り、藪の底に寝転がりながら冷たい“燃料”を食って糞をひり出し、気色悪い虫けらや小動物にたかられながら身じろぎもせず銃を構えられるように。
なんなら、被弾して手足をもがれ、ハラワタをまき散らしても、呼吸器系と循環器系が停止する最期の瞬間まで、脳ミソが最期の電気信号を発する瞬間まで、任務を遂行し続けられるように。
地獄の底で戦い続けられるように、血も肉も骨も細胞までも、身体を構成する全てを調整し、調節し、調律する。
不安や恐怖や怯懦を覚えて心が折れないよう補強し、怒りや興奮や動揺や狼狽を抱いて心が乱れないよう補整し、幾重幾層にも精神をマスキングする。
人間性を根本的に失ってしまった野蛮人共を撃つ戦意を脳にインストールする。
そんな野蛮人共に戦わせられている子供達を撃つ殺意を心にインストールする。
倫理や道徳、良心、善性といった人間が持つ高貴な美質を、深層意識の金庫にしまい込む。
肉体も心も細かく丁寧にチューニングを繰り返し、ユーヒチはイカレた蛮地にぴったりの首狩人へ変わっていく。
ユーヒチは完全戦闘装備をまとい、実弾を装填したブルパップ式突撃銃を構えながら、拡張現実のジャングル戦を行う。
拡張現実が生み出す数メートル先も見通せない緑の迷宮。草木の臭いを疑似知覚する仄暗い密林を移動しながら、ユーヒチは人間を撃ち、サイボーグを撃ち、チューンドを撃ち、獣を撃ち、ミュータントを撃つ。
チューニングされた肉体と経験を溜め込んだ反応支援機構のおかげで、ユーヒチはブラックアウトを起こす寸前の速度で反応し、標的の頭蓋と体幹へ精密に弾丸をぶち込む。場合によっては撃ち倒した後に、確認殺害の弾を叩き込む。
『狙いが“精確すぎる”。もう少し散らせ』
訓練教官がインカムで告げてきた。
『近年のサイボーグやチューンドは頭蓋と体幹に抗弾処理している例が少なくない。その場合、お前が使っている軟頭弾では抜けん。着弾を散らして主動脈と中枢系神経を破壊。確実に動きを止めてからトドメをさせ』
「了解」
ユーヒチは首肯を返し、突撃銃の弾倉を交換。空の弾倉をダンプポーチに詰める。
『もう一度だ。状況開始』
訓練教官の号令に従い、ユーヒチは再び拡張現実が生み出す密林内を移動しながら、目標を狩っていく。
不意に、大樹の陰から子供が飛び出す。手にはガチャガチャのポンコツ銃。御丁寧に薬物漬けに興奮状態まで再現した児童歩兵へ、ユーヒチは即座に弾をぶち込む。
6・5ミリ高速軟頭弾が小さな頭を水風船みたく弾けさせた。ヨーグルトみたいな脳ミソを散らしながらへたり込む未就学児の標的。裂け広がった頭皮が萎れた花弁のように垂れ下がり、小さな体が崩れ落ちる。御丁寧に小さな骸は死後の筋痙攣まで起こした。
ここまでのリアリティが本当に必要なのか?
必要なのだ。
なにせ、これは現実に起こることで、これはユーヒチが実際に行うことだから。
『脳マップにヤワなノイズが走ったぞ。ガキ相手で日和ったか? 真っ当な道徳や倫理なんざクソ食らえだ。首狩人に良心は要らん。躊躇するな』
訓練教官が罵声を浴びせてきた。息をするようにトラッシュトークを続ける。
『状況変更。喜べ、ムナカタ。ひ弱なお前の根性に喝を入れてやる。相手はクソガキの一個中隊だ。皆殺しにしろ。これでダメならカウンセラーの星占いを受けさせる。分かったな?』
「了解」
ユーヒチは無情動に応じ、それから拡張現実で児童歩兵一個中隊を殺していく。
その日の夜、散々ぱら撃ち殺した子供達を夢に見て、うなされたりすることは、まったく無かった。
○
駆動式円形懸架台に吊るされたウォーロイド達は、次の任務に備えて整備が進められている。
『シンハ』チーム用の4体のウォーロイドは人体標本モデルみたく皮膚と筋肉が外されており、内部構造の検査が行われていた。
「前は無人戦車とやり合ったんだって?」
「ッス。高出力レーザーの至近爆発を何度か食らってふっ飛ばされたッス」
ウォーロイド担当の整備課員に応じながら、班付メカニックのシドニーは整備室のディスプレイに表示された検査情報を確認していく。
「骨格や伝達系、内部構造に損傷はないっスね。傷んだスキンと筋肉の交換だけで済むっス。このまま進めちゃってください」
「了解。まぁ、最近のスキンと装備は耐熱対破片性能が高いからな。余程の至近か直撃受けなきゃ、そこまで被害を食わねェよ」
整備課員はコンソールに入力しながら、シドニーに問う。
「素体のガワはいつも通り女性型か?」
「トリさんのオーダーはそうっス」
シドニーは微苦笑と共に頷いた。
惑星再生機構のウォーロイドは地球系人種体型の没個性的な無貌の中性型素体を基本にしており、運用目的や任務に合わせて外装を変更できる。
たとえば、地球系東アジア人種が多い地域に潜入する場合、平均的なアジア系の体型と顔貌に調整し、黄色人種系の人工皮膚を貼りつけ、現地に溶け込ませる――といったことが可能だった。
トリシャが実質的に率いている選抜強行偵察チーム『シンハ』のウォーロイドは、基本的に女性体形を採用していた。とはいえ、体格は身長180センチのユーヒチより大きいし、装具を着けたら分かり難かったけれども。
なぜ女性型にこだわるのか? とシドニーがトリシャと問うたなら、トリシャは妖しく微笑み、告げた。
『ライオンの群れはオス一頭と多くのメスからなる』と。
トリさん、マジでコワイッス。
まぁ、ともあれ。
「おっぱいのサイズはお前と同じくらい?」と整備課員がニヤニヤしながら言えば。
「セクハラで人事に報告するっスよ?」シドニーはナメクジを見るような目でお気持ち表明。
素体のウォーロイドは作業ロボットによって薬液が塗られてから人工筋が貼られ、高耐久性スキンで覆われていく。
「そういや、お前ら個体に名前つけないよな」
整備課員の指摘にシドニーは可憐な顔立ちを横に振る。
「ユーヒチさんはいざって時に使い捨てる“備品”に名前は付けないって言ってるし、トリさんはコールサインで十分らしいっス。で、アタシもダフネ姐さんもトリさんに倣ってるっス」
「味気ねェなあ」整備課員は口をへの字に曲げ「機械も名前を付けて愛情を注げば応えてくれるんだぜ」
「それは分かってるっス」
シドニーも口元をへの字に曲げた。19歳で班付に抜擢されるほどに優秀なのだ。バカにしないでほしい。
可愛い顔をムスッとさせたまま、シドニーは仕事を続ける。
「ガワが終わったら調整に回してください」
○
民間軍事会社ブルーグリフォン:シン・スワトー支局の第3区4番ハンガー。
強行偵察チームに割り当てられた整備格納庫で、大きなかまぼこ型の整備格納庫の中には、オルキナスⅣ級強行偵察用飛翔艇が3隻並んでいて、それぞれが整備を受けていた。
重力制御機関で空に潜り、推進機関で空を泳ぐキラー・ホエール達は、濃藍色のステルス塗膜に覆われている。
ちなみに整備をしている面々の半数は人間で、残り半分は作業用ロボットかアンドロイドだ。
金髪碧眼の白肌エルフ美女、な容貌のダフネ・ミリガンは豊かな金髪を結いまとめ、三十路ちょい過ぎた艶美な身体を実戦部隊用の濃青色ジャンパースーツに包んでいる。
オルカ・ドライバーのダフネは愛艇の足元で、整備ログに目を通しながら艇付整備班長とセッティングの打ち合わせを行っていた。
「索敵系機材の更新はまだなの? スケジュールではとっくに済んでるはずだろ?」
「俺も管理部に何度も問い合わせたサ。対応中としか言わねェ」
ダフネが突くように問えば、艇付整備班長は周囲を密やかに見回してから声を潜め、続けた。
「でな。伝手を頼って個人的にどうなってんのか確認したのヨ」
「そしたら?」ダフネが相槌を打って先を促す。
「どうも余所で大きな動きがありそうなんだと。最新機材はそっち優先になってるらしい」
我らが惑星再生機構に限らず、戦国時代さながらの現ノヴォ・アスターテの列強勢力は惑星統一を志して複数の戦線を抱えている有様だった。
そんな血の気の多い列強勢力も、戦力や資源や資金に余力があるわけではない。地球の第二次大戦期のアメリカよろしく欧州と太平洋で総力戦を繰り広げながら、ソ連に莫大な援助を与え、南米に睨みを利かせる、なんて真似は出来なかった。
どこかで本格的に戦うなら、どこかで戦いを控えなくてはならない。物資の配給を後回しにしなくてはならない。
そして、この場合の『どこか』はここララーリング半島だ。
ダフネは渋面を浮かべる。
強行偵察飛翔艇にとって索敵系と隠密系の更新は命綱。しかし、ドンパチに召集されるよりはマシだ。
なんたって、ダフネには幼い娘が居るのだから。
一人娘はクソ亭主がダフネに与えた唯一無二の良きもので、ダフネは単独親権を勝ち取るため、当時の全財産をはたいて有能な弁護士を雇ったものだ。
両親に預けている娘のために、故郷から遠く離れた蛮地で傭兵稼業に勤しんでいる。地元ショッピングモールで警備員をやるより遥かに稼ぎ――娘の傍に居られないという巨大なデメリットを差し引いて余りある額――が良い。
数年。あと数年ほどこの稼業を続ければ、娘を何不自由なく育て、本人が望む大学へ進学させても困らないだけの蓄えが出来る。そうしたら、給与が多少安くとも、娘の傍に居られるよう郷里の仕事に変える予定だ。
ダフネにとって大事なことはそれだけで、惑星再生機構の“崇高な”目的や列強同士の事情などどうでも良いことだ。
「分かった。私の方からも管理部の尻を蹴っ飛ばしておくよ」
「そうしてくれると助かる。お前さん達は選抜強行偵察隊のトップチームだからナ。会社も無視できないはずだ」
整備班長の言葉に、ダフネは小さく肩を竦めた。
○
ハンガー内の一角にあるチーム専用オフィス内で(パーティションで区切られているだけだが)、ユーヒチとトリシャは作戦予定地域の航空写真とホログラムの立体地図を入念にチェックし、殺害目標が潜む拠点の構造と周辺地域の地勢を調べる。
トシオの拠点は泥沼湿地帯のエイト・ブラザーズから西に2~30キロほど行った辺りに連なる密林山稜の盆地にあった。
拠点の周囲には幾つか掘っ立て小屋同然の集落があり、土着民が開墾したらしい田畑が確認できる。
天蓋膜のグレイグー化に伴う有害性降下物と、第一次ララーリング半島戦争時の融合反応弾爆発の放射性降下物、二重に汚染されたままの土地を引っ掻いて暮らす農民達。
苦労しいしいで収穫した食べ物は安全なのか分からず、しかも民兵集団に搾取される。
ゾッとしない話。
「エイト・ブラザーズ周辺は背の高い葦と低木の林。地面はほとんどが軟泥、と。作戦行動に不向きだな」
泥は怖い。
宇宙時代技術で製造された超高出力な無限軌道式の主力戦車や、高い踏破力を持つ大型多脚兵器でも、泥濘に捉われたら身動きが取れなくなる。もちろん人間だって同様だ。チューンドだろうとサイボーグだろうと強化外骨格だろうと、足首まで沈むようなら、とても走れない。膝まで沈めば、まともに歩けない。膝上まで沈んだら、もうろくに動けない。
泥濘とは斯くも恐るべき移動阻害地形なのだ。
「近場の木々を切り倒した木材や廃墟都市から瓦礫を持ち込んだりして、道や作業の足場を作っているみたいね」
トリシャはサイバネ義手とは思えぬ生々しい指先でホログラムを操作。写真や映像を拡大/精密化して分析し、結論を出す。
「エイト・ブラザーズの現地偵察は除外しましょう。重要なのは回収作業の実態把握ではないし、サブ・タスクを無理にこなす必要はないわ」
「苦労が減る分には文句無しだ。問題は拠点への侵入か」
ユーヒチが鍛えられた両腕を組んで唸る。
機甲大隊の拠点に潜入。これもゾッとしない話。
「拠点の防衛設備はひと通りあるだろうな。ハイテクに限らずアナクロな手も」
「あるでしょうね。セキュリティのハイ・ローミックスは珍しくないわ」
トリシャは眼帯で覆われた顔を向け、
「この手の任務は装備の優劣ではなく、知性と創造性と想像力、あとは注意力が成否を分かつ」
「それは人類が抱える永遠の問題だな」
ユーヒチのシニカルな物言いに艶気たっぷりの唇を緩めた。
「いざという時の空爆は?」
トリシャは頷いて「トシオの“秘密”を掴むことが最優先、という但し書きが付くけれどね」
「俺の仕事の出来次第か」
精悍な顔立ちに似合いの猛禽染みた双眸を鋭くし、ユーヒチは考え込む。
トリシャは眼帯のカメラ機能を無音で稼働させ、ユーヒチの真剣な横顔を撮影する。
今夜の“オカズ”を確保し、トリシャは紅いサリーで包んだしなやかな身体をユーヒチに寄り添わせ、蠱惑的に唇の端を和らげた。
「私達は強行偵察チームだけど、無理をするばかりが能ではないわ。まずは偵察。次に監視。そして、潜入して襲撃。セオリー通り行きましょう」
基本に優る術は無し。
ユーヒチは大きく頷いた。
○
出撃任務を間近に控えた民間軍事会社のオペレーターがすることは大抵決まっていた。
美味い飯と美味い酒をたらふく嗜んで、腰が抜けるまでヤリまくり、しっかり眠る。
とはいえ、三大欲求を満たすだけが全てじゃない。
出撃前夜。
金髪碧眼の白肌エルフ美女な火星系のダフネ・ミリガンは宿舎の映像通信端末で、時間が許す限り、郷里の家族――特に母へ預けた幼い娘と端末越しに過ごした。
赤髪のドワーフ娘な木星系アイリッシュのシドニー・オブライエンは友人達と支局外へ遊びに出かけ、散々飲み食いしながら騒ぎ、カラオケでレパートリーを熱唱した。
地球アングロ・インド系トリシャ・パティルは自室でメイド型バイオロイドから、身体の隅々まで美容のメンテナンスを受けている。
そして、地球系日系人――の外見とは大きく異なるハイチューンドのユーヒチ・ムナカタは夜の海を眺めながら、缶ビールを飲んでいた。
強化された肝臓にとって、アルコール度5パーセントのビールはソフトドリンクと変わらない。即座にアルコール分が分解されてしまい、まったく酔えない。
それに、既に調整と調律を終えて戦場用の人為的不感症を発症している今、酔ったところで楽しくも面白くも気持ちよくもない。
それでも、ユーヒチは缶ビールを飲みながら、夜空に広がる雲状光帯から注ぐ星光を浴び、きらきらと煌めく夜の波を眺める。
美しい夜の海を見ても、何も感じないのに。