7:私達の仕事は人殺し。
太陽系外縁の入植惑星ノヴォ・アスターテを覆う天蓋膜のグレイグー化は、徐々に進行したのではなく、発生から24時間で天蓋膜の全域に至り、宇宙世界から隔絶された。
この時、惑星軌道上の全衛星や航宙船も、天蓋膜の出入孔付近を航行していた航宙船も、グレイグー化した天蓋膜に飲み込まれ、乗員もろとも原子単位で分解されている。
この24時間から、惑星全土を混沌と破壊が襲うカタストロフィが始まった。
天蓋膜のグレイグー化に伴う有害性降下物と無数の気象災害。あらゆる規模の事故。壊滅的な経済恐慌。全産業の混乱。なにより、社会を根底から叩きのめす惑星規模の錯乱。
規律と秩序を失い、衣食住を無くし、暑さに焼かれ、寒さに凍え、渇き飢えた人々は人類の遺伝子に組み込まれた暴力性と残忍性を、大いに発揮した。
惑星規模の災害と暴力。ノヴォ・アスターテ星の統一連合政府は、この黙示録的事態に半年持ち堪え――破綻した。
宇宙世界と隔絶される以前の世界を知らぬ世代が社会の主役になるほど時が過ぎ、今、ノヴォ・アスターテは西暦時代の地球のような諸勢力に分裂している。
カタストロフィ以前の高度技術産業文明の維持に成功した文明存続圏の列強勢力。
列強は、惑星を再統一して天蓋膜のグレイグー化問題を解決し得るほど、抜きんでた勢力がなく。地球史帝国主義時代のようにグレートゲームを繰り返していた。
ノヴォ・アスターテを襲った大惨劇から復興と再建を続ける文明復興圏(あるいは停滞圏や後退圏とも呼ばれる)の中小勢力。
彼らは列強勢力に翻弄されるか、自身の勢力拡大か自儘な孤立を楽しんでいる。
そして、世界各地に散在する無法無秩序な文明喪失圏。
この何もかも失われた世界について、語る意味はない……。
太陽系共通暦0289年。
豊穣の女神の名を持つ惑星、ノヴォ・アスターテが宇宙文明世界に復帰する目途は、まったく立っていない。
○
蠢く碧色の空を覆う分厚い鉛色の雲から、マギ・セル混じりの遊色の雨が降り注ぐ。
七色に揺らめく雨水に濡れるシン・スワトー支局の第二訓練場を、装甲車に引率される強化外骨格の縦隊がガションガションと駆けていく。
同じ第二訓練場の射撃場では、チューンドやサイボーグのオペレーター達が突撃銃や拳銃をぶっ放し、身体や反応支援機構の調整や電脳に焼いたFCSのセッティング出しを行っている。
大きな格納庫や整備場がいくつも並ぶ区画では、人間とアンドロイドとロボの整備係が飛翔艇や戦車や装甲車、各種無人機やウォーロイドを弄り倒している。
そして、広大な軍港敷地の中央にそびえる大型ビルがシン・スワトー支局の中枢施設だ。いわゆる背広組があれやこれやの書類と格闘している。
つまるところ、正規軍の基地と大差ない。違いは手綱を握っている相手が御上か出資者かということくらいか。
遊色の雨を浴びるシン・スワトー支局の中枢施設。その一角にある小会議室の一つに、選抜強行偵察チーム『シンハ』の面々と担当管理官マック・デッカーが会議を始めていた。
マック・デッカーは木星系ローカライズを受けた黒亜混血の子孫で、白髪交じりの胡麻塩頭、ドワーフっぽい筋肉モリモリの短躯にカーキのビジネススーツにまとっている。
「君達が先の任務でラ・シャンテ市から持ち帰ったデータを精査したところ、“当たり”だと判明した。よって、惑星再生機構は件のデータセンターから全サーバーの回収を決定した」
「惑星再生機構があの廃墟都市や周辺地域まで進出するってことスか?」
社の濃青色ジャンパースーツを着た、赤毛のドワーフ娘っぽい容貌のシドニー・オブライエンが小首を傾げる。
「否だ。それはビュブロス条約に違反し、皇国に口実を与えることになる。よって、あくまで廃墟都市ラ・シャンテ市からサーバーを回収するだけだ」
マック・デッカーは極太の腕を組みながらシドニーへ答え、
「回収は我々で、ということですね」
「然様。民間企業が文明喪失圏から遺棄資源物を回収/拾得することは、ビュブロス条約に違反しないからな」
鍛えられた長身痩躯を濃青ジャンパースーツで包んだ、ユーヒチ・ムナカタの指摘に大きく頷いて話を続けた。
「無論。彼の廃墟都市は競合地域であり、我々が現地へ相応の戦力投入をすれば、皇国も必ず反応するであろう。正規軍を派遣するとは思わないが、隷下の民兵集団を動員することは大いにあり得る」
「そこで回収作戦に先んじて、釘を打ち込むと」
社のジャンパースーツではなく私物の紅いサリーをまとうトリシャが、双眸を覆う大きな眼帯越しにマック・デッカーを窺った。
「然様。皇国が支援している民兵集団は一枚岩ではない。所詮は無法無秩序な地域で好き勝手に生きることを選んだ賊徒集団だ。内実は定まっておらん」
胡麻塩頭の黒人ドワーフ男は手元のタブレット型端末を操作し、壁に貼られた大型薄膜ディスプレイに複数の顔写真を並べた。
「このボンクラ共は我々が把握している皇国系民兵集団の頭目と主要幹部、及びに皇国が現地へ派遣した軍事顧問と特務機関員の主要人物。それと、国外協力隊の現地幹部だ」
「首狩で現地に混乱を起こして、こっちの作業に首を突っ込めないようにするってことか。向こうから報復されそうですね」
濃青のジャンパースーツで優美な身を包む火星系アングロサクソン入植者の子孫――金髪碧眼の白肌エルフ美女なダフネが溜息をこぼした。
「然様。よって、この一覧内の皇国関係者は殺さぬよう留意して貰いたい。あくまで首を獲る相手は現地勢力の高価値目標(HVT)だ」
大きな右手で豊かな顎髭をしごきつつ、マック・デッカーは左手でタブレット型端末を操作した。
「この斬首作戦において、君達『シンハ』チームに任せたい目標がこの2人だ」
大型ディスプレイに2人の男女が拡大表示される。
まず地球系欧亜混血の初老男性。
「皇国系民兵集団の頭目トシオ・ホランド・イジューイン。54歳。皇国属領出身。第三次ララーリング半島戦争に従軍。戦後は帰国せず半島の文明喪失圏に根を張った」
「? 脱走兵や逃亡兵じゃないのに、ヴォイド・エリアから帰国しなかったんスか?」
シドニーが不思議そうに問う。
「皇国は強烈な身分階級社会で、属領出身者は二等市民扱いだ。トシオのような属領出身者。特に次男坊以下の男性兵士は帰国しても未来が暗い。そのため、戦争終結時に帰国せず現地に留まった下士官兵が相当数に及び、皇国も半島の文明喪失圏に自国人勢力が生まれて実効支配が進めば、と半ば黙認した。もっとも、期待した成果は上がらなかったらしいがな。このトシオの民兵組織にしても皇国の支援を受け取ってはいるものの、実体としては独立勢力と大差ないようだ」
「つまり野心家で欲深で油断ならない人間か。ま、民兵組織の頭目なんて大抵がそうだけど」
上司の説明を聞き、首狩人を務めることになるユーヒチが腕を組んでぼやき、問う。
「勢力の規模と特徴は?」
猛禽のように鋭い双眸の、猛獣のような縦長の瞳に見据えられた黒人ドワーフ男は大型ディスプレイに偵察写真を表示させていく。
「トシオが率いる民兵組織“サムライ・オブ・ブラックアーマー”……SOBは皇国からそれなりの支援を受けており、その実態戦力は機械化歩兵大隊といったところだ」
皇国製の装甲車に武装化トラック。小型UAVは歩兵用偵察機と安価な市販品の改造モノ。まぁ、ここまではよくある装備。むしろ飛翔艇や航空機がない辺りがパッとしない。
問題は第三次ララーリング半島戦争時に用いられた皇国製強化外骨格だ。
皇国軍は当時の強化外骨格を現代改修して未だ継続使用している。つまり、継続使用に耐える性能を有している。それが一個中隊分。
「強化外骨格はホーテンのタイプ5。稼働状態を維持しており、トシオの民兵組織の中核戦力だ」
「兵士もサイボーグ化やチューンド化してそうだな……」
ユーヒチの懸念に対し、マック・デッカーは首を横に振った。
「うむ。その点で述べておくことがある。先にも挙げたが、ララーリング半島の文明喪失圏に留まった皇国人は多くが属領出身者だ。そして、属領出身者はその出身成分上の危険性から、サイボーグ化やチューンド化が制限されている」
「出身成分上の危険性……てなんスか?」シドニーが小首を傾げる。
「叛乱や武装蜂起しかねないってこと」
トリシャはエキゾチックな美貌に意地悪な微笑を湛えた。
「皇国の本国と属領の関係は宗主国と植民地の在り方と大差ないの。当然、搾取される属領の人間は本国に良い感情は抱いてないわ。忠誠心は問うだけ無駄ね」
「然様。よって、トシオの民兵組織SOBに居るサイボーグやチューンドは皇国の正規処置を受けておらん。維持も苦労していることだろう」
サイボーグもチューンドも性能要求が高くなればなるほど、維持にコストと相応の設備が求められる。文明喪失圏では恐るべき苦労を要するだろう。
「トシオを狙う理由を説明する前に、次の標的について話しておく」
続けて、マック・デッカーは妙齢の女性の写真を拡大した。
「こちらの女はノーヴァンダー・インファタス。27歳。現地のスカベンジャーグループ……実態は回収から略奪までなんでもござれの武装グループのリーダーだ」
「ケモ女か」エルフ美女なダフネが鼻を鳴らす。
遺伝子改造技術で獣人チックな姿になることを、ケモ化(英語でもBeastizeではなく、Kemonize)と呼ぶ。この言葉はR18系サブカル用語がルーツだったりする。
そして、この手の動物的な肉体改造は、宇宙文明世界において厳格に禁じられていた。その理由は文化的や宗教的な価値観、生命倫理的や感情的な理由、医学的危険性等々様々。
ノヴォ・アスターテにおいてもカタストロフィ以前は惑星統一連合によって厳格に取り締まられていたし、現在の列強諸勢力も法的に認可しているところはない。
肉体を機械に置換したり、生物学的に改造や調整したりすることは良くても、外見的に動物と“混ざった”姿になることは、不道徳かつ反社会的というわけだ。
が――
文明喪失圏ではケモ化を禁じる法も取り締まる司直も存在しない。その無法を利用し、遺伝子改造技術と設備を有しているところで(あるいは意図的に持ち込んで)、ケモ化している。
で、だ。
ケモ化を行う人間は、大別して二通りだった。
A:自身を改造する奴。そういう願望持ちか、そういう志向か、性癖か。
B:愛玩物としてケモ化された人間を欲しがる奴。
このノーヴァンダー・インファタスという女荒事師が前者なのか、後者の――愛玩物として改造された人間が荒事師になったのかは分からないが……
「ユーヒチはああいうの、好き?」
トリシャが蠱惑的な声音で問えば、ここぞとばかりにシドニーとダフネも乗る。
「ネコミミ派っスか? イヌミミ派っスか?」
「ついでに首輪も付けちゃう派?」
ユーヒチはキュッと瞳孔を縦に細く絞り、教師にアピールするように手を上げ、上司に訴えた。
「管理官、これ、セクハラですよね? セクハラですよね?」大事なことだから二回言った。
「弊社のハラスメント対策/防止規定に違反する行為は許されない……訴えたいことがあるなら、文書にして人事部に提出したまえ」
マック・デッカーは真面目腐った顔で告げ、ユーヒチに銀紙を噛んだような顔を作らせ、女性陣を意図せず楽しませると、話を再開した。
「ノーヴァンダーのスカベンジャーグループは少数精鋭。8名ほどであるが、非常に優秀と評価査定されている。少なくとも、惑星再生機構が支援している現地勢力が相応の賞金を懸ける程度に脅威度を有する。正規の軍事教育を受けてはいないが、実戦経験で練られた実力は軽視できん」
「トシオとどういう関係なの? 愛人関係とか?」
エキゾチックなアングロ・インド系美女の質問に、木星系黒人男は首を小さく縦に振った。
「実態は不明だが、両者が性的関係を持っているという情報はある。ノーヴァンダーは手に入れた“獲物”をトシオに売却しており、トシオから皇国軍正規品の武器弾薬や物資を入手しているから、取引上の肉体関係かもしれない」
娼婦が人類最古の職業であるように、セックスは人類最古の“取引商材”。人類が太陽系の辺境に入植するようになっても、変わらない。
「彼らを空爆で始末せず、君達に狩ってもらう理由がこれだ」
大型ディスプレイに表示された地図は巨大なクレーターがいくつも並ぶ、剥げた泥沼湿地帯。
第一次ララーリング半島戦争で両陣営の融合反応弾がぶち込まれた古戦場だ。
戦線を突破するために戦術級反応弾が使われ、崩壊した戦線から雪崩れ込む相手へ反応弾が使われ……反応弾の応酬により両軍合わせて一個軍団相当の戦力が壊滅。反応弾によって耕された現地は、円形の沼が散在する泥濘の湿地帯に化けた。
元々の地名はもう誰も使っておらず、人々は落とされた反応弾の数から、この泥沼湿地帯をこう呼ぶ。
「エイト・ブラザーズ」
紅いヴェールからこぼれる艶やかな黒髪を弄りながら、トリシャが呟く。
宇宙文明時代の今、人類は放射能だけでなく様々な宇宙線に対し、治療法も汚染除去法も確立している。たとえば、グレイグー化した天蓋膜の解決は出来ずにいるが、天蓋膜からの有害降下物の除去や無害化は可能だった。
けれど逆説的に言えば、今もってなお、放射能が『宇宙文明技術による治療や汚染除去が必要なほど危険』という事実は動かない。
そして、列強勢力が緩衝地帯として余人の侵入を許さぬ土地に、放射能除去作業を行う者はいない。エイト・ブラザーズ周辺は今も放射能に汚染されており、地球のプリピャチのように自然豊富な無人の地となっていた。
マック・デッカーがエイト・ブラザーズの航空写真を拡大した。
「これは……人? キャンプが出来てるの?」
ダフネが啞然と碧眼を瞬かせた。有害性降下物と放射能で汚染されたままの土地に?
「然様」マック・デッカーは頷いて「トシオは数週間ほど前から、支配下の村々から徴収した人夫や、捕らえた周辺のレイダーや土着人を使い、エイト・ブラザーズに遺棄されている第一次ララーリング戦争時の兵器や無人機など残骸を回収し始めた」
「回収したところで今更使い物になるとは思えないけど」
困惑気味のダフネが尋ねれば、黒人ドワーフ男は首を横に振り、
「兵器としてはな。だが、資源としては別だ。汚染を除去し、解体し、再利用可能な資材を取り出せば、金になる。単に金を求めているならともかく――」
険しい顔で言った。
「搔き集めた反応融合電池と無人機の電脳を利用し、何かしらの悪さを企んでいる可能性。これが怖い」
ユーヒチとトリシャは頷き、シドニーがウームと唸り、ダフネが溜息をこぼす。
「始末するだけなら、空爆で事が済む。しかし、トシオがなぜこのような動きを採ったのか、その背景に何があるか把握しておくべき、と依頼主は判断した。トシオを始末しても第二、第三の輩が現れては面倒だからな」
マック・デッカーは選抜強行偵察チームの面々を見回し、告げた。
「現地へ潜入し、偵察して情報を集め、目標を抹殺せよ」