11:夜の始まり。
お待たせしました。
雲状光帯の星明りが照らす盆地の夜景は、どこか虚ろで儚い。
水田と水路が星光を浴びておぼろげに煌めき、密林山稜から時折注ぐ涼風に稲が揺れてざわめく。虫や蛙や小動物達の夜噺が賑々しい。
盆地に点在する集落は暗い。ほとんどの家は働き通しの身体を少しでも休めようと灯りを落としており、集会場や村長の屋敷くらいしか灯りが点っていなかった。
逆に、民兵組織の拠点は煌々と光を点している。
居城の如きスーパーコンクリート製の建物からは騒々しい音楽が垂れ流され、酒食に興じる兵士達の喧騒が山稜まで届いてくる。惑星社会主義連邦機でやってきた“客人”をもてなすべく、宴が催されているらしい。
隷下の村々から召し上げられた娘達と、他所の土着コミュニティから攫われた女達や捕らえられた他勢力の女達が、性奴隷として物陰やあるいは兵士達の前で“お勤め”に励んでいる。
一方で、拠点の物見台や詰所はきっちり機能していた。サーチライトは規則正しく周辺を巡り、不可視赤外線センサーが拠点外敷地を常に捜索し、犬を連れた兵士達が巡回哨戒を行っている。
民兵はどれだけ高性能な装備を与えてもズボラというのが通り相場だが、こいつらは随分と“マメ”だ。非常に鬱陶しい。
OPの穴の中から、ユーヒチは夜間暗視で注意深く拠点の周囲を窺っていた。
現状、ユーヒチが最も警戒している相手は民兵拠点の強化外骨格部隊でも、ユニオン機で現れた謎の金星系男性でもなく、自分と同じく拠点周辺のどこかに潜んでいる皇国軍特殊部隊だった。
皇国軍特殊部隊の影を掴もうと、持ち込んだ索敵系と自身の感覚野を用いて、何度も何度も周囲を舐めるように観測を繰り返す。
が、皇国軍特殊部隊の影は見つからない。
見つかるはずもない。
列強の正規軍の正面部隊は、大概が魔法染みたハイテクの索敵系や捜索追尾系を装備しており、当然ながら対抗手段たる隠密系と隠蔽系、妨害系技術と電情戦技術もまた魔法同然の高性能化に至っている。
そして、特殊部隊はそうした魔法チックなハイテク装備の最先端を備えている。
惑星再生機構の最大手民間軍事会社でも、装備の質で正規軍特殊部隊の最精鋭に勝つことは無理だ。
いや、装備の質“でも”というべきか。装備だけでなく、兵士個人の素質、練度、経験、技量……そうした面でも、民間軍事会社のハイチューンドとウォーロイドより、正規軍特殊部隊の精鋭隊員の方が上だ。ま、当たり前の話だが。
かなり分が悪い。ユーヒチは冷徹に思う。皇国軍特殊部隊は平均して8名、フォーマンセル・ツーユニットで相互援護しながら動く。実力で劣り、数でも劣り。これではよほど上手く不意打ちしない限り、勝ち目がない。それに、皇国軍特殊部隊は色んな意味で“アレ”だ……
そんな状況に加え、この仕事に修正が入った。
予想通りといえば、予想通り。
報告から小一時間ほど経った後、作戦本部は連絡を寄こした。
『主目標の確認殺害と情報奪取に加え、新たな目標――仮称“金星人X”を拘束、拉致せよ』
簡単に言ってくれる。
ユーヒチは小さく息を吐く。
強化外骨格部隊を有する民兵組織の本部拠点に忍び込んで頭目をぶっ殺し、機密情報を盗んで、しかもよく分からない奴を攫う。1人の傭兵と4機の人形で。
無茶振りどころの話じゃない。自殺的任務だ。
とはいえ、失敗の体裁を整えてそそくさと逃げる訳にもいかない。民間軍事会社は迂闊に考課表を下げると怖いことになる。『使えない奴』と見做した瞬間から一束幾らの扱いだ。
勤め人は辛い。
そして、時間だ。
ユーヒチはウォーロイド達へ命令を与える。
「ミッションは予定通り、2、3、4が俺と共に目標拠点へ浸透潜入。5は狙撃ポジションで援護。拠点潜入後、4は退路を確保して待機。主目標の殺害は俺と2、3のスリーマンセルで行う」
今回、ウォーロイド5番機には13ミリのブルパップ式半自動狙撃銃を持たせてある。4番機は8ミリの汎用機関銃だ。
最悪、4番機と5番機は戦場投棄を考慮している。いざという時は敵を引き付け、足止めし、最後は自爆させる。
有り体に行ってしまえば、ユーヒチさえ帰還できれば『シンハ』チームの現場班は何度でも再建できる。ウォーロイドはバックアップデータを注入すれば、いくらでも復活させられるのだから。
無論、それはソフトウェア面の話で、ハードウェア――ウォーロイドの機体自体に蓄積された情報や経験(自動車などで言うところの個体別に生じる“癖”のようなもの)はロストしてしまうけれど、リスク上の必要費だし、本部もこのタスク・コストを理解した上での無茶振りだ。
「未明時までエントリーポイントで待機。連中のどんちゃん騒ぎが終わった頃を見計らって作戦を開始する。タスクの達成後は速やかにRV1へ撤収する。偵察機材はこの場で破棄だ」
付近に潜伏しているだろう皇国軍特殊部隊の所在と動きを捕捉できない中、先んじて動くリスクは極めて高いが、これも仕方ない。
「いくぞ」
ユーヒチは女体型の戦争機械達を連れ、音もなく穴倉を這い出ていく。
四眼式多機能フルフェイスヘルメット内のヘッドアップディスプレイに村落の地図を投影しつつ、木々の間を縫うようにして斜面を降りていく。
生い茂る藪を揺らす音も、落ち葉や枯れ枝を踏む音も、装備が揺れる音も、頭から被った偽装布が擦れる音もしない。
まるで密林の幽鬼みたいに森から村落内へ進入する。
民兵組織SOBの拠点は知性と知能を磨り減らすような安っぽいヒップホップを爆音で垂れ流し、酒とドラッグとセックスのバカ騒ぎが行われているけれど、退化した村は静かなものだ。
怯える子供が布団の中で息を潜めているような静けさ、だが。
点在するバラック同然の家屋に灯りが点っているものは少ない。日中の重労働に疲れ切って早々に寝入ってしまうのか、あるいは燈明の燃料を惜しんでさっさと寝てしまうのか。
まぁ、ユーヒチにはどちらでもいいし、どうでも良いことだ。戦争機械達を連れて夜闇の中に浮かぶ影を伝い、密やかに動く。
村の周辺のどこかに潜む皇国軍特殊部隊には、既に見つかっている可能性が高い。最大限の注意を払って機動しているけれど、魔法染みた索敵系の目を誤魔化せるかは分の悪い賭けだ。
もっとも、皇国軍特殊部隊がこちらを発見すれば、必ず作戦本部へお伺いを立てるはず。こちらにとって連中がイレギュラーなら、連中にとってもこちらはイレギュラー。
軍人はイレギュラーを嫌う。特に少数で隠密作戦中の特殊部隊は。素性定かならぬ手合いの登場を報告し、本部の判断を“必ず”仰ぐ。
そして、我らが電子の魔女トリシャはその通信を決して見逃さない。通信内容の傍受や特殊部隊の位置を捕捉できずとも、向こうがこちらを発見したその動きを伝えてくれる。
……はず。
その連絡がない以上、皇国軍特殊部隊はこちらをまだ見つけていないのか、それとも――
これ以上は考えても無駄だ。
ユーヒチは村の中を密やかに進み、騒々しい民兵の本部拠点へ近づいた。拠点の哨戒網に引っ掛からないギリギリ距離で暗闇に身を沈める。
どうアプローチするか。
西暦時代のアクション映画よろしく正面から突っ込んでファッキン・ウォー。
裏手から蛇のように潜入し、音もなく獲物をしとめるスニーキングアクション。
あるいは日系アニメみたく防護壁を飛び越えて一気に敵の頭目を強襲。
なんであれ、頭数で圧倒的に劣るこちらとしては、民兵共と派手な銃撃戦をやるより、一方的な殺すだけの方がいい。のろまな七面鳥を狩るように、後ろ手で縛られた囚人の後頭部を撃つように、一方的に殺す展開こそ望ましい。
さて。どうしたものか。
○
ユーヒチが拠点傍の夜闇に潜み、機を窺っている頃。
一艇の空飛びシャチが雲状光帯の煌めく夜空を静粛に泳いでいる。鯨の体内では、トリシャが電情戦用コンソールに両眼窩と両手を接続し、電子世界で魔法を駆使していた。
想いを寄せる首狩人がこれから鉄火場で綱渡りするとあって、トリシャは真剣そのもの。
ただでさえ、強化外骨格部隊が控える民兵集団の本拠へ乗り込み、頭目とその情婦(かもしれない荒事師)の首を取りつつ、諸々の情報を奪取する、という高難易度任務。
そんなリスキーな任務に加え、付近をアシュタロス皇国軍の精鋭特殊部隊が何やら暗躍しており、かち合う可能性が非常に高い。
トドメに何の予備情報もなく、惑星社会主義連邦の航空機がやってきて素性不明の金星系男性――『金星人X』が現れた。
想定外が二つも重なれば、普通は中止か様子見で切り上げる。だが、そこが正規軍ではなく民間軍事会社の悲しいところ。正規軍なら退くところでも突っ張る。殺し殺されることで飯を食う企業は人命の扱いが軽い。
トリシャはいくつものタスクを並行処理していた。
オルキナスⅣ型強行偵察飛翔艇の強烈な索敵系で地上や周辺地域をリアルタイムで空中監視し、民兵一人一人の動向を捕捉し。
通信系防諜システムで現地に潜み隠れている皇国軍特殊部隊の通信や電子・マギ的反応の有無を注意深く警戒し。
さらに電子戦系システムで拠点内のシステムへ侵入、拠点の哨戒監視系と拠点インフラ系のシステムを掌握し、拠点内を盗撮・盗聴して情報収集。
そうして盗撮・盗聴で獲得した“金星人X”の情報を、本社経由で惑星再生機構の軍部と保安部と情報部のデータベースと相互参照し、正体を探り。
さらにさらに休息中のダフネに代わり、空飛びシャチの飛行管制を執っている。
並みの人間なら情報量と負荷で脳がパンクしかねないタスク量だが、魔女たるトリシャにとっては鼻唄交じりに出来ることに過ぎない。
目下、トリシャの主意識は皇国軍特殊部隊の位置捜索と金星人Xの素性把握に向けられている。
――トシオ・ホランド・イジューインが電脳や反応融合電池の回収を始めたのは、金星人Xと取引のため、と。
民兵組織サムライ・オブ・ブラックアーマー(SOB)の拠点にある全端末から集めた電子情報によれば、どうやらトシオの民兵組織の根幹戦力――皇国製強化外骨格の経年劣化が進んでいるらしい。それに第三次ララーリング半島戦争の頃から付き従うサイボーグ達の義体も耐用限界が見えてきていたようだ。
SOBは皇国の紐付き組織であるから、常識的には皇国から強化外骨格の整備部品なり新型機なり、新たな義体なりが提供されてしかるべきだが――
上司のマック・デッカーがブリーフィングで説明した通り、皇国の被差別階級たる属領出身者のトシオとその部下達に、皇国は充分な援助や支援を与える気がなかった。これは端末に残る通信記録がトシオと皇国のやりとりが証明している。
そこに謎の金星人Xが接触し、電脳と反応融合電池を代価にトシオが求める物資を提供する取引が成立した、ということのようだ。
――察するに……皇国が特殊部隊を送り込んだ理由は、勝手な真似をした民兵組織の粛清と金星人Xの確保、といったところかしら。
となれば、金星人Xの首は相当の価値がある、という話になるわけだが……どういう訳か、トシオの許に金星人Xのデータが皆無に等しい。連絡先はおろか名前すら分からない。
――データが改竄されてる? もしくは独立端末かしら。
それに、盗撮と盗聴で獲得した顔、容貌、声紋などに当たりがない。
――軍にも保安部にも情報部にもヒットなし? 未確定情報にもないなんて……惑星再生機構がまったく把握していない人物ということ?
あり得ない話でもない。
何事にも限界は存在する。この閉ざされた星の中で宇宙文明技術を有する列強とはいえ、惑星再生機構の耳目と手はこの星の全てにあまねく届くわけではない。ましてや天蓋膜のグレイグー以降、ノヴォ・アスターテの通信ネットワークは穴だらけであり、地球帝国主義時代さながらのグレートゲームの真っ最中だ。全てを把握することはできない。
トリシャは思案する。
――皇国とユニオンの情報筋に手を伸ばしてみる? いえ、無理ね。この状況で皇国の攻性防壁群の突破やユニオンの電子戦部隊の相手は厳しい。
端正な細面を微かに歪めた、その時。
通信系の哨戒に反応。
量子暗号通信。皇国軍特殊部隊が扱うグリーン3。
トリシャはグリーン3の追尾捜索を開始。通信によって皇国軍特殊部隊と後方の指揮本部の間に生じた皇国軍特殊部隊用電情ネットワークへ侵入し、指揮本部経由で高度に潜伏中の特殊部隊の位置を掴もうとする。
もちろん、皇国軍の電情ネットワークは外部からの侵入を歓迎したりしない。が、侵入されたくらいでネットワークを遮断したり閉鎖したりもしない。なんせ皇国軍は攻性防壁やアンチハッカー・プログラムでハッカーの脳ミソを沸騰させて喜ぶゲイのサディストだ(偏見)。トリシャの侵入に気づけば、電情戦要員が嬉々として迎撃するだろう。
ゆえに、トリシャは強引に押し入るのではなく、静かに潜り込む方法を取る。
用意していた偽装暗号キーを6つも投じて皇国自慢の攻性防壁を“騙し”、ネットワーク内に滑り込む。ネットワークの利用中の誰かさんに化け、IDとアクセス権限を乗っ取る。同時に常時自己診断プログラムの目をだまくらかす迷彩プログラムと追跡妨害プログラムを展開。
ここまで1秒と23ピコセカンド。
ネットワークに侵入後、件の特殊部隊CPの電情ユニットを特定・侵入すべく15匹の使い魔を放つ。欺瞞に5匹。探知に10匹。
使い魔達を駆使して幾度も立ち塞がる防壁をこそこそと掻い潜り、広々とした論理迷路を密やかに駆け抜け、音もなくダミーポートのトラバサミを飛び越え、監視プログラムの目を盗み、アンチハッカー・プログラムの目をかわす。
時間にして数秒。娑婆の平凡なシステムエンジニアなら半年は掛かりそうな、壁と歩哨と罠だらけの情報の原野を突破。
CPの電情ユニットを特定・侵入に成功。現場の特殊部隊と交わされる量子暗号通信に枝を取り付けた。
『――事前情報になかった人形遣いが居ます。装備と人形の形式からいって現地のスカベンジャーではありません。惑星再生機構の可能性が最有力です』
『……正規軍の特殊部隊か?』
『いえ、連中の特殊とは装備が異なります。情報部辺りの不正規戦オペレーターかと』
傍受した会話がトリシャの耳朶を打つ。潜伏中の特殊部隊を見つけ出すまで2秒も掛からない。
だが、状況が動く決定的場面での2秒は、致命的に遅かった。
『ならば排除して構わん。最優先はあくまで“名無しの権兵衛”だ。作戦に変更無し。“ヒヨドリ越え”繰り返す。“ヒヨドリ越え”だ』
『“ヒヨドリ越え”。コード承認。“逆落とし”を開始します』
瞬間、オルキナスの耳目が民兵組織SOBの拠点北側の森から、小さな鳥達が飛び立つ姿を捕捉。
皇国軍が運用する独立自律式小型UAV。
カミカゼ・ドローンの一種だ。
トリシャは即座にユーヒチへ伝えた。
「カミカゼ・ドローンが来るわ! 気を付けてっ!」
○
大きさにして全幅60センチ程度の鳥達は、無音モーターでプロペラを回す全翼機だった。
無音モーターと制御ユニットと電子励起爆薬を詰めた弾頭部以外は安価な強化剤添加のボール紙で出来ていて――これが何よりも重要だが――対ドローン用の電波探査系や熱赤外線捜索追尾系に映らない。こいつの飛来を捕捉するには、捜索AIを搭載した光学系以外無理だった。
宇宙時代までもその名が伝わっている旧日本軍の恥ずべき愚行――体当たり自爆行為を旨とするカミカゼ・ドローンはSOBの夜間哨戒網の隙間をするりと飛び抜け、バカ騒ぎ中の拠点内に侵入。
ドローン達は低価格の簡易電脳に書き込まれた任務を果たす。
駐機場に停まっているユニオン製貨物機。強化外骨格の格納庫。武器弾薬庫。発電機。次々と獲物に向かって飛翔し、体当たり。弾頭部の電子励起爆薬を炸裂させた。
どっかーん。
夜闇が一瞬、払拭された直後。軽薄なヒップホップを掻き消す大爆発。乱痴気騒ぎの終わりを告げる破壊の音色。民兵達の命を吹き飛ばす死の炎熱。
ユーヒチは身を潜めていた物陰から、煌々と夜空を焼く爆炎を見上げ、無情動に毒づく。
「無茶苦茶やりやがる」
長い夜は始まったばかりだ。
宣伝。
新作短編『モラン・ノラン。鬼才あるいは変態』もよろしければどうぞ。




