突然の訪問者(第一部最終話)
少しだけ風の強い夜のことだった。
僕はノワルド先生に出された課題に取り組んでいた。
週末には魔法薬のテストがあり、それに向けて勉強中なのだ。
シャルは一足先にベッドに入り静かな寝息を立てている。
「父上、アップルパイであります……、ムニャムニャ……」
シャルが蹴飛ばした毛布を掛け直してから、僕は机に戻った。
今夜はもう少しだけ勉強を頑張る予定だ。
眠気覚ましの紅茶を一口すすり、『魔法薬の素材』という本に目を落とす。
ガンダルシア島でとれる薬草の種類は豊富だ。
それらの姿かたち、効能を暗記していく。
菜園のレベルが上がれば薬草園も作れるようになる。
いずれはそんなものを作ってもおもしろいかもしれない。
「ふぁああ……」
あくびをかみ殺しながら本を読み続けていたら、扉がノックされた。
こんな時間に誰だろう?
僕は用心しながらドアのところにきた。
「誰?」
「俺だ、ポールだ」
ポール兄さん!
おかしいな、兄さんがレストランを予約しているのは三日後だぞ。
しかもこんな時間に来るなんてただ事ではない。
ドアを開けると、外にはフードを被った四人の人が立っていた。
一人はポール兄さん。
そのすぐ後ろにいる初老の夫人は……。
「セディー坊ちゃま……」
「メアリー!」
懐かしい顔に涙が溢れそうになる。
そこにいたのは僕の乳母、優しいメアリーだった。
しかもメアリーの息子たちまで一緒である。
息子たちといっても年齢はポール兄さんと同じくらいで、僕よりはずっと年上なんだけどね。
四人の顔色は暗く、なにかよくないことがあったのだろうと簡単に想像できるほどだった。
「ドウシルとカウシルも来たの? いったいどうして? とにかく中に入ってよ。外は寒いから」
コテージに入ると、メアリーはさっと部屋の隅々に目を配った。
「これがセディー坊ちゃまのおすまいですか……」
メアリーは切なそうなため息を漏らした。
きっと僕の境遇を憐れんでいるのだろう。
コテージは一軒家だけど、僕が屋敷で使っていた部屋よりは床面積は狭く、内装は比べ物にならないくらい質素なのだ。
それくらいダンテス家の屋敷は大きかったってことだね。
メアリーにしてみれば、僕が落ちぶれてしまったように思ったのかもしれない。
「これでも住み心地はいいんだよ。さあみんな、座って座って。今、紅茶でも淹れるから」
飲み物を用意しようとする僕をポール兄さんが止めた。
「まずは話を聞いてくれ。セディーも座るんだ」
ポール兄さんに促されて、僕も椅子に腰かけた。
「こんな夜中に訪ねてきてすまない。実は少々厄介なことが起きた。メアリーが屋敷を追い払われてしまったのだ」
「どうして⁉」
メアリーは声と体を震わせながら、その時のことを説明してくれた。
「旦那様と家令のセバスチャンの会話を立ち聞きしてしまったのです……」
その日、メアリーは書斎の掃除をしていたそうだ。
本棚の埃を拭いているところにアレクセイ兄さんとセバスチャンが入室してきた。
二人は部屋に誰もいないと思ったのだろう。
低い声で会話をしながら入ってきたそうだ。
そのとき、こんな言葉をメアリーは聞き留めてしまった。
「あれはセディーのものになるはずだったが、私の手元に置いておいて正解だったな」
「今月の純利益は100万クラウンを超えております」
それだけの会話だったのだが、メアリーと目が合ったアレクセイ兄さんは非常に気まずそうな顔をしていたらしい。
そして、怒ったようにメアリーに退出を命じたそうだ。
「わたくしがお暇を出されたのはその翌日でした。理由は特にございませんでした。ドウシルとカウシルも同様でございます」
二人の息子もダンテスの屋敷で働いていたのだけど、やっぱり突然首になってしまったそうだ。
「ひどいよ、三人ともずっとよくやってくれていたのに」
ポール兄さんは苦しそうに打ち明け話をした。
「遺言状の改ざんがあったのだ。本来セディーが受け取る遺産を、アレクセイ兄さんが着服してしまったのだ」
「やっぱりそういうことだったんだね……」
父上は僕にあまり関心を示さなかったけど、無人島一つしか遺してくれないほど意地悪な人間ではなかった。
おかしいと思ったんだよ……。
「すまない、セディー。俺はその事実を知りながらも、アレクセイ兄さんを止められなかった」
「もういいよ、兄さん。相手は伯爵の身分を受け継いでいるんだもん。僕が知っていたってどうにもできなかったと思う。ただ、メアリーたちを追い出したことは許せないけどね」
「アレクセイ兄さんも後ろめたかったのだろう。とにかく、行き場を失ったメアリーたちは俺のところを頼ってきたんだ」
きっと藁にも縋る思いだったのだろう。
「俺としてもメアリーには世話になっているし、牧場の働き手も欲しい。喜んで世話をしてやりたいところだが一つ問題がある」
「それは?」
「お前も知っているだろう、俺のところは兄さんの出入りがある」
そうだった!
アレクセイ兄さんは名馬に目がないから、しょっちゅうポール兄さんのところに来ているのだ。
下手をすると目をつけかねられないという心配があるわけだ。
「というわけでここに来た。どうだろう、セディーのところへ置いてやれないか?」
メアリーは不安そうな顔で僕を見ている。
思えば僕はずっとこの人に守られて育ってきた。
今度は僕がメアリーを守る番だ。
「メアリーなら大歓迎だよ。ドウシルとカウシルもね。今夜はもう遅いから、とりあえずオーベルジュに泊まって。今後のことは明日話し合おう」
「ありがとうございます、セディー坊ちゃま。あんな小さかった坊ちゃまがこんなに立派になられて……」
メアリーは涙ぐんでいた。
島での仕事も増えてきたからメアリーたちの生活も何とかなるだろう。
僕は喜んでメアリー一家を迎えた。
みんなが助け合って幸せにくらしていける理想郷、それがガンダルシアの目標なのだから。
***
アレクセイは執務室の仕事机の前に座り家令のセバスチャンから報告を受けていた。
「メアリーたちは屋敷を出たのだな」
「はい。昨日出ていきました。おそらくはポール様を頼ったかと」
「それはもうどうでもいい。次に雇うのはもう少し若いメイドにしてくれ」
「承知しました」
アレクセイは会計書類に目を通していく。
「うん? 先日話にあったドライフルーツと塩漬け肉の販売はどうなった?」
「それが、あの話は立ち消えになりまして……」
「どういうことだ? 先方にはサンプルを送ったのだろう?」
「そうなのですが、もっと美味い保存食が見つかったので、こちらの商品はいらないとのお返事でした」
アレクセイは立ち上がり怒りのままに机をたたいた。
「バカな! 納入先はグランリッツ提督だぞ! 今回は小規模の取引だが、気に入ってもらえれば海軍が買ってくれる可能性もあるのだ。最高品質のものを納入しろと私は命じたはずだぞ!」
アレクセイの怒りにセバスチャンは身をすくめる。
「もちろん、見栄えも味もいちばんいいものを納めました。そのうえで提督からお断りの書状をいただいたのです」
「より美味い保存食か……。シンプソン領あたりの商人がうまいこと取り入ったのかもしれんな」
「それが……」
もじもじしているセバスチャンをアレクセイは睨んだ。
「どうしたというのだ?」
「あくまでも噂でございますが、グランリッツ提督が気に入ったのは、セディー様が作られた商品という話でして……」
「セディーだと? あそこは無人島ではなかったのか?」
「そうでしたが、最近になってレストランができたそうです。街道を行く旅人にも評判のようでして。おそらく、そこのシェフが保存食を考え出したのではと……」
「ふーむ……。よし、少し探りを入れてみろ」
「と、おっしゃいますと?」
「兄が弟の心配をするのは当然ではないか。奴がどんな暮らしをしているのか、人を遣って調べるのだ」
「承知いたしました」
アレクセイの表情は弟を心配するようには見えなかったが、セバスチャンは深々とお辞儀をした。
第一部 完
書籍化が決まり、4月に1巻が発売されることになりました。
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