モブ高校生の僕ん家にも、ダンジョンが降ってきたんだが。
「ハルト。おなかすいた」
作業している僕の側に、とてとてと大きな耳を揺らしながらシロが近づいてくる。もう夕食の時間だったっけ。準備していた野菜を差し出す。
「わあ、やったあ。今日はオヤサイ、なんだね。シロ、これだいすき」
夢中になって野菜を食べる姿はとてもかわいい。初めて会ったときに、こんな風になるなんて想像もつかなかった。なんせ最初の言葉なんてひどいもんだった。
「――我の贄となれ。ニンゲン」
だったもんなあ。
あれから一週間。長かったような、あっという間のような。
じいちゃん家の庭に文字通り降って湧いた通称『ダンジョン』。その主、『ダンジョンコア』って言うらしいんだけれど。
それが、まさに目の前で野菜を美味しそうに食べてるウサギのような耳を持った女の子、シロだったりするんだから、世の中どう転がるかわかったもんじゃない。
これは平凡な日常が突如として変わってしまった、そんな僕の非日常な日常の物語。
――高校二年生の僕の日常を一言で表すなら、とにかく平凡。
地方の自称進学校という一番面倒な立ち位置の中で勉強は中の上、運動もそこそこ、見た目もそこそこな平均的モブの僕。都会住みの両親から「自分の人生だから好きに生きなさい」と早々に見切りを付けられた結果、大喧嘩の末じいちゃんの住む田舎に一人越してきた。
そう。逃げるように。
そんな『ザ・日常』に変化が訪れる出来事が起きたのは、ほんの二週間ほど前。
地球に一万年ぶりに接近したという彗星が地球の重力によって砕け、無数の流星となって降り注いだ。多くは燃え尽きたけれど、中には地表にまで到達した隕石が世界で無数に観測されたという。
その隕石が驚くべき活動を始めたのは落下してきてからすぐのことだ。
その隕石は地中になんと『根』を下ろし、どんどん成長を始めた。対策を考える間もなく、その数時間後には洞窟を形成した。そんな報告が世界中で上がった。
奥がどれほどの規模かわからない。怖いもの知らずの若者が中を覗くと、異形の生物ともつかない何かが蠢いていたということから、騒ぎは更に大きなものとなる。
――それが後に『ダンジョン』と呼ばれるものの発生だった。
三日もすると『ダンジョン』についてある程度のことが見えてきた。まず『ダンジョン』には多様性があるらしい。銃も効かない強力な異形の生き物、通称『モンスター』が巣くう
『ガチダンジョン』。逆にただの洞穴だけの『はずれダンジョン』、敵意は見せないよくわからない生き物が暮らす『日常系ダンジョン』などなど。
突如現れた『ダンジョン』は、世界中の若者を中心に虜にしていった。みんな近場のそれに次々と挑んでは日々SNS上に戦果を競うようにポストしていく。
でも普通考えたらおかしくないか? そんな正体がわからないモノ。ただの素人が扱うにはリスクが大きすぎる。なぜ大人たちは静観しているんだろう。
これに関しては一応、一つの仮説が立っている。ネットニュースでも指摘されていたけれど、『ダンジョン』には人間の意識を惑わす『何か』があるらしい。
だから普通考えれば危ないだろうそんな場所にも、遊園地のアトラクション並の気軽さで潜る。潜れてしまう。
――『ダンジョン』自らは外界に出ることができないため、養分を得るために誘引機能が発達した結果なのではないか? などという流言もまことしやかにささやかれる。
様々議論がネット上を駆け巡る、話題性十分な『ダンジョン』。本来この手の話題はスルーするんだけれど、そうはいかない事情があった。
……生えちゃったんだよな。ウチの庭にも。
興味が尽きない。入ってみたい……! けれど危ないんじゃないか? 少しくらいなら、大丈夫なんじゃないか? などと迷うこと一週間。世の中には先ほどのような情報が出そろった段階だった。
丁度その頃、うっかりネットショップで押してしまった『初心者ダンジョンアタックセット』なる怪しいグッズが家に届いたことをきっかけに潜ることに決めた。
ヘッドライト、効果のほどが怪しい防刃ベスト、おもちゃのようなサバイバルナイフなどを身につけ、恐る恐るダンジョンに潜る。
入り口は階段状になっていた。二十五段あったから、一段二十センチだとして五メートルは降りた感じだろうか。そこから更になだらかに下りになっている。明かりの類は一切ない。
ヘッドライト、買っておいて良かった。
そのまましばらく進んでも脇道は見当たらない。天井は家より少し高いから三メートルくらい? 横幅は両手を伸ばして少し余るくらいだから、多分二メートルくらいじゃないかなと思う。壁の材質は土……ではない。金属? でもない。なんだろ……?
ただ単調な道が続いていたから、少し気持ちに余裕が出てきた。ずんずん進んでいく。……これ、いわゆるはずれダンジョンなんじゃね? そう思い始めていたころ、通路は突然開け、広い場所に出た。しばらくまっすぐ歩いてみる。
「ずいぶん広いな、ヘッドライトの光が届かない。……って、なんだあれ?」
少し先に闇の中に光るものが見えた。二、三歩近づいてみる。すると光が揺らめき、そしてむくり、と起き上がった。……い、生き物、なのか!?
「……ほう。ようやく、きたか。では、我の贄となれ。ニンゲン」
「う、うわああああああ!!」
僕は一目散に出口に向かって走り出す。通路までたどり着きチラと背後を振り返るも追ってくる様子はない。……あれ?
耳を澄ませてみれば微かに何か聞こえる。
「に……にえ……ごは……ん……うぅ……」
恐る恐る戻ってみると、何やら床に突っ伏して倒れている。
「お、おなか……すいた……」
リュックに固形のバランス栄養食的な携帯食料が入っていることを思い出し、取り出す。
携帯食料を見つめて少し迷ったけれど、意を決して近づき、しゃがんで目の前に差し出す。
「ほら、こんなもんしかないけど、食べる……?」
「――君、ここに一人で居たの?」
携帯食料をむさぼるように食べるウサギ耳の生き物……いやむしろ耳以外はほぼ人間? に尋ねると、視線だけこちらに向けてコクコクと頷く。ということはこのウサ耳が『ダンジョンコア』ってこと?
なんというか、僕が思っていたダンジョン主のイメージとはずいぶん違う。……ま、とりあえずこの子が落ち着くまで待つとしよう。
少ししたらお腹も落ち着いたようなので話すことにした。
「僕のこと、もう食べるなんて言わない?」
「ん。言わない」
ぺろりと指を舐めてから、ふるふると頭を振る。耳? がそれに合わせてふるふる。何なの? この可愛い生き物。
「ありがと。僕は陽人。君の名前は?」
「なまえ? ……なまえ。……わからない」
今度は首を横にこてんと倒す。それに合わせて耳が以下略。僕の可愛いリミッターが破壊されそうなんだが? さては精神攻撃を仕掛けてくるタイプのモンスターなのか?
「えっ。そうなの? 名前がないのか。……困ったな」
「こまる……?」
そういって改めて彼女……でいいんだよな? を改めてまじまじと観察する。
まず目立つのは大きな白いウサギのような耳。白銀の髪がさらさらと肩をなだらかに流れ、だいたい腰まであるみたい。尻尾は……あるのかな? 暗くてわかんない。ちょっと眠そうだけれど大きな金色の瞳でこちらをじっと見上げる。
髪と耳のせいだろうか、全体的に白っぽい雰囲気なので、ほかに名前が思いつかない。
「名前がないならシロ、ってのはどうかな?」
「シロ? ……シロ。なまえ?」
「うん。気に入ったかな」
シロはこくりと頷いた。その後の彼女の表情にドキリとされた。
シロはその時、初めて笑ってくれた。その笑顔がとてもかわいくて。ドキドキはしばらく止まなくて、そのあとごまかすのに必死だった。
それから僕の日常にシロとの時間が加わった。
朝、登校前にご飯をあげに潜る。シロはどうやら野菜が好きなようだった。じいちゃんが作ったうち、売り物にならない野菜を持っていく。
そして夕方、帰ってきてからまた潜って夕ご飯をあげて、ダンジョンの様子を見る。
最初は真っ暗だった地下の通路も、暗くて動きにくいんだよねとこぼしたらシロが明かりをつけてくれた。すごく快適。
じわじわとダンジョンも広がっているみたいだ。やっぱりダンジョンコアのお腹が満たされてるからかな? 最初の広間の奥にさらに通路ができていたから驚いた。
「力、戻ってきたから広げてみた」だそうな。
ただ広がっただけじゃない。部屋に見慣れないかまどのようなものが増えてたから、何なのとシロに尋ねたら、なんと鍛冶道具だそうな。
「使い方? ……とってもかんたん。念じるだけ」
シロが手をかざして十数秒。ぽん、と言う軽い音とともに現れたのはキレイなナイフ。
「ハルト、使う……?」
くれるつもりで差し出してくれたのはありがたいんだけれど。その、刃先をこっちに向けるのは勘弁してほしい。
おっかなびっくり刃をつまんで受け取ると、シロは微かに笑った気がした。
「でも、シロ? こんなもの、使うことってあるの?」
すると彼女は首をかしげて不思議そうに答える。
「ハルトは持ってた方がいいよ? だって……」
「だって?」
「壊れやすそうだから」
「こわれ……。やだなぁ何言ってんだよシロ」
冗談きついなぁ、と笑ってみてもシロは要領を得ない感じだった。
そう。シロの冗談だと思ってたんだ。さっきまでは。
「あ。……つながった」
鍛冶道具であれこれ試しているときに、シロがぽつり呟いた。
「気を付けて。すぐに来るよ」
来る? 気を付ける? 何を?
突然の警告に、何のことだろうと思っていたけれど、その答えは意外なほどすぐにやってきた。
遠くから何かが走ってくる音が聞こえる。なんだろう、と耳を傾けるまでもなくソイツは現れた。
「お前が、ここのコアか」
「お前じゃない。私はシロ。このダンジョンのコア」
外見はシロと同じように人間とさほど変わらない。特徴的なのはやはり耳のようなもの。シロのウサギのようなものではなく、イヌだろうか。小さい三角形の耳が頭についている。
「そうか。……『服従か、抗うか』」
「……シロは、抗う」
「いいだろう。『デュエル、スタート』」
イヌ耳が開始を伝えた途端、周りの景色が劇的に変わる。薄暗かったダンジョンの一室はガラスを叩き割ったような音と共に空間そのものがポリゴンのように砕け散る。
瞬く間にそこは平原に変わった。あったはずの壁や天井は消え去り、遠くには雲に包まれた浮島が、振り返ればやたらに大きな夕日が。足元からは長い影が。地面を流れゆく雲が。
そうか、ここは島だ。空に浮く巨大な浮島なんだ!
「行くぜ、白耳!」
イヌ耳がシロに駆け寄っていく。シロは動かない。
「……速い!」
本物のイヌよりまだ速いだろうか。二足歩行の、人が出せるスピードじゃない。常識外れな速度で駆け寄ったイヌ耳は、いきおいそのまま喧嘩パンチを繰り出す。
「おらっ!」
シロは凝視しつつ、一歩引く。風切り音がしたのでは、と思うほどの鋭いパンチをそれだけで躱す。あれを食らったら、僕なら一発でダウンしそうだ。そのままイヌ耳はラッシュを続ける。
一方的にイヌ耳が攻めているように見える。けれどシロはそれを冷静に見て、躱す。ただ一つ言えるのは、とても僕が手を出せる領域ではない、ということだ。
イヌ耳がパンチを繰り出すがシロに当たることはない。舞うように躱し、パリィし続ける。
しびれを切らしたのか、イヌ耳が動いた。
「なめてんじゃねーぞ!」
ジャブから続けて蹴り、回し蹴り、からのジャンプ蹴り。それをシロは手ではじき、上半身を引いて躱し、前にかがんで躱す。そして。
「がっ!」
手をついてイヌ耳の顎を蹴り上げた。ひるんだ隙に立ち上がり、ワンツー!
パパン! と小気味よい打撃音が響く。
イヌ耳の目線が怪しくなった。直後スパーン! と胸をすくような音を立て、回し蹴りがイヌ耳のこめかみ(人間と同じなんだろうか)にクリーンヒット。
「……きれいだ」
思わずつぶやいた。すらっとした鞭のようにしなるシロの長い足がきれいに伸び、イヌ耳の意識を根こそぎ刈り取った。
倒れこんだイヌ耳にまたがり、シロは喉をめがけて拳を振り下ろすべく振りかぶる。
「待って!」
僕の言葉に、シロの動きはビタッと止まった。なんで止めたかはわからない。けれどそれはシロにやらせちゃいけないって強く感じた。
「シロ、相手はもう、気絶してるから。……勝負はついてるよ」
「ん……わかった」
戦いが終わったと同時に、再び先ほどと同じような空間が割れるような現象が起き、元のダンジョンに戻った。どうなってるんだ、ここ……?
「――じゃあ、ダンジョンが繋がったら、コア同士で所有権をめぐって争うか、服従するかを選ばないといけないんだ? 厳しい世界だね」
ミミはこくり、と頷く。
「説明がおそくなった……ごめん」
ほかにもルールがありそうだけれど、今は目の前に転がっているこの子だ。
あれから二時間ほどが経とうとしているけれど、イヌ耳が目を覚ます気配はない。
「この子も女の子……っぽい?」
「ん……メスだね。私といっしょ」
見れば見るほどイヌっぽく見えてくるのが不思議だ。
すると身じろぎをしたかと思うと、イヌ耳が口を開いた。
「ん、あ、いてて……。ここ、は……? わっ!」
起き上がろうとして両手両足が縛られていることに気付かなかったようで、再度地面に転がる羽目になった。
「放せこんちくしょう!」
「あ、起きたようだね。ここはシロのダンジョン。君はデュエルに負けたんだ」
「そ! う……そう、か……」
「さて、もう一度。今度はこちらから尋ねるよ? さ、シロ」
「……『服従か、抗うか』」
途端に両手足を縛られた状態のイヌ耳は苦虫をかみつぶしたような表情を見せる。
「ちっ……服従だ! ……しかねーだろこの状況!」
ヤケクソ交じりでイヌ耳が叫ぶ。さすがに拘束された状態で喧嘩を選ぶ奴はいないよね。
すぐに拘束を解いてやる。すると床に胡坐をかいて座り、痛そうに手首をさする。
「じゃあ、これからよろしく! 僕はハルト。君の名前は?」
手を差し出すと、おずおずとイヌ耳は手を取ってくれた。
――日常が、非日常に塗りつぶされていく。