性被害者の目線で見たジャニーズ性加害問題
はじめまして。
初めて投稿させていただきます。
私は上司からレイプ被害を受けたことがあります。
飲み物に薬を入れられていたようで、意識が朦朧としている間に被害に遭い、そのまま上司の自宅の寝室で目を覚ました。
心のどこかで、これは夢ではないかと渇望していました。
「ねぇ、聞いてよ!今日、最悪な夢を見たんだけど!」って言って、誰かと笑い合いたかった。
現実は全然笑えませんでした。
そして同じく目を覚ました上司から、更に被害を受けました。
今度は意識があったけれど、怖くて、もうこれ以上何もされたくなくて、抵抗できませんでした。
目を瞑り、涙を必死に堪えました。
痛かったし、気持ち悪かった。
次第に痛みが和らぎ快楽を感じていき、自分に吐き気がするほど嫌悪しました。
当時はそれが体を守るための防衛本能なんだって知らなかったので、自分自身のことが本当に許せなかった。
その後、上司に連れられ出勤し、仕事中も監視下に置かれました。
私は何もなかったように徹して、ただ目の前の仕事にだけに集中するようにしていました。
私さえ我慢すれば、元の生活に戻れる。そう自分に言い聞かせていました。
なかったことにできると思っていました。
だけど上司が席を外した途端、緊張の糸が切れたように頬に涙が伝いました。
もう感情を抑えるのは限界だった。
私は誰にも何も告げずにそこから逃げました。
それから色々なことがありましたが、その話はまた後日。
私の話は置いて本題に参りましょう。
ジャニーズの性加害問題で、なぜ加害者が亡くなった今になって被害を訴える被害者が出てくるのか?と思われる人も多いと思います。
私は今でも加害者のことが怖いです。
あれから15年近く経った今でも、あの時の記憶が蘇り、嫌な気持ちになることがあります。
(そんな時は加害者の不幸をひたすら願っています)
一度ついた心の傷は、癒えることはありせん。
加害者には、もう二度と私の人生に関わってもらいたくありません。
もしも裁判になんてなったら、同じ空間で同じ空気を吸うのか思うとぞっとします。
当時私は成人していたけれど、子どもだった性加害の被害者達の心の傷はもっと深かったことでしょう。
男は強くなくてはいけない。
夢を与える仕事を志していた彼らは、決して弱音を見せることができません。
親を悲しませたくなくて、性被害にあったなんて言えない。知られたくない。
例え言えたとしても男だからと軽視されてきた。
そもそも30年前の裁判では、被害者が男だからという理由で裁かれることはありませんでした。
20年前の裁判でようやく勝訴を勝ち取ったにも関わらず、ほとんど報道されることなくきた。
勝訴しても変わらない状況に胸を痛めたことでしょう。
今まで言えずにいた人がいても何もおかしくありません。
性の多様性が問い質される今だからこそ、ようやく声を上げることが出来た。
やっと時代が彼等の味方してくれるようになったから、今なんです。
どうか頑張った彼等を温かく見守ってあげて下さい。
性犯罪はこれからもなくならないでしょう。
だけど性被害で苦しむ人を少しでも減らすためにも、加害者を増やさないためにも、子どもの性教育を低年齢から、もっと踏み込んだ内容で行ってもらいたいと願っています。