ねぇ、かみさま
そしてわたしは、なんの予告も忠告も躊躇いもなく、いとも容易く軽々しくあっけなく、投げ落とされた。
「ぅわぁっ!」
約1mの落下の衝撃は、ふっかふかの、純白の絨毯に吸収される。その心地良さといったら極上。なんという癒し素材。これは人工じゃないのかな?だとしたら何かな?
「……もしかして、シロクマ?」
瞳を潤ませて助けを乞うシロクマの子ども。愛くるしいその姿を想像して呻いていると、からかうような声が頭上から降ってきた。
「殺して剥いだりなどせぬ。たくさんのシロクマから少しずつ分けてもらったのだ。毛は生え代わるしの」
そう言って微笑むのは、わたしを絨毯に投げ捨てた“人”──ではなく“神さま”。
金色とも銀色ともつかない、陽の光に似た色の髪。きらきらとなびく長いそれを、さらりと手で梳き、神さまはカウチの中央に座す。その所作は優雅の一言に尽き、何故だか不思議と『あ、神さまなんだ』と納得してしまった。
「ねぇ、神さま。神さまはシロクマの、まっしろのふかふかが好きなの?」
「うむ。気持ち良いだろう?」
「お昼寝に最高だね」
ぐるりと見渡せば、壁も天井も扉も調度品も、すべてがまっしろな部屋。ひとまとめに白と言っても病的な均一性はなく、見る角度によってクリーム色にも薄桃色にも見えるし、青みがかっても見える。不思議な深みのある白。その建築素材は木や石材、金属、思いつく限りのどれとも違うような気がする。異国情緒を覚えるデザインも、どこの国の、とも思いつかない。
うん、不思議空間だ。
シロクマのふかふかもあってか、ついつい居心地よくて、ごろごろと遊んでしまう。……おっと、いけないいけない。寛ぐ前に、ちゃんとご用件を伺わないと、ね?
「ねえ、神さま。神さまが神さまなのはいいとして、ここが神さまのお部屋なのもいいとしよう」
「うむ」
「突然拉致られたことも、百歩譲っていいとしよう」
「うむ」
「でもね?どうして神さまのお部屋にいるのが、わたし、なのかな?」
「実はの、ぬしに頼みがあるのだ」
「はい、聞きましょう」
「世界の救世主にならんかの?」
さらり、と日常会話的に発せられた爆弾発言。あれあれ、反応に困るぞ?
「…え?救世主ってあの救世主?メシアな感じの救世主?」
「物分かりが良いの。ぬしの好きな【あーるぴぃじぃ】とやらで言えば、勇者という職業だの」
「やけに俗っぽく例えたね…」
「わかりやすかろう?【ぱらめぇたぁ】も【ちぃと】というやつにしてやろう」
「やけに詳しいし!確かにわかりやすいけどさ」
神さまなのに、そんな俗っぽいこと言うのは違和感ありありなんだってば。
「ふふ、ぬしの為に学んだのだ。偉かろう?」
「その言い方はずるいなあ」
自慢げに笑ってみせるなんて、かわいい神さまだなあ、もう。うっかり親近感わいちゃったよ。
「ねえ、神さま。そういえばさ、神さまは何の神さまなの?」
神さまと言えば神社かな…神社と言えば…学問?交通安全?恋愛成就とか安産祈願だったり?
「ぬしの考えてる神とは違うぞ。そもそも我は、ぬしの世界の神ではない」
「…と、言いますと?」
「我はぬしの住む世界とは違う、別世界の神での。ちなみに創世神なのだ」
えええっ創世神って…世界を創っちゃったってこと?七日間で世界創っちゃう派? 同じ神さまでも、ゼウスもオーディンもキリストもブッダもびっくりな格違いじゃん!…あ。後半は聖人だったか。
「おーけーおーけー、整理しよう」
目の前に神さまがいるんだから、この際異世界とかあっても驚かないよ、うん。だけどもわたしは異議ありなのです!
「ねえ、神さま。その異世界の神さまが、どうして異世界のわたしを、救世主に抜擢したのかな?」
「ぬしが気に入ったのだ」
いやいや気づいて?理 由 に な っ て な い 。
「むう…納得いかぬか」
「ぜんっぜん!神さまが創った世界の中から救世主を選べばいいじゃん」
「それでは【いんぱくと】とやらが足りぬではないか」
「そこ重要…!?」
ちなみにさっきから薄々思ってたけど、神さま…横文字苦手なんだね?
「苦手なのではない、まだ得意でないのだ。ぬしの世界は言語が多すぎるきらいがあるからの」
「心読まないでっ!得意じゃないってつまり苦手じゃないの?」
「だから言っておろう、苦手なのではない!我は創世神なるぞ。そのうち【いんぐりっしゅ】も【ねいてぃぶ】並みに【ますたぁ】できよう」
単語の意味と使い方は合ってるのに、アクセントも何もない真っ平らな発音が残念すぎる。けれどもそれすら微笑ましいのが創世神クオリティ。
「まあ、救世主になるかはともかくとしてさ。神さまの世界ってどんなところなの?」
絨毯の上でごろりと一回転半。逆さまの世界で神さまを見つめる。
「我の創った世界はの、とても美しく……、とても残酷だ。醜いほどに優しくもあれば、憐れなほど容赦がなくもある」
頭の中で様々な情景を思い浮かべているのだろう。慈しむように、悲しむように、恋しがるように、悼むように、神さまは言葉を紡ぐ。
「何もかもを持つが故に、何もかもが滅びゆこうとしている。いとしく、そして、愚かしい世界だ」
「…………」
「人と人は争い、草木は血と炎と灰に蹂躙され、獣や精霊は地を追われ安らぎを奪われ、水も大気も汚れ濁りきって、世界はあまりにも傷ついた」
「…………」
「神の愛を失えば、やがて世界は終わるであろう。だから、ぬしに願うのだ。我が、我の世界を愛せなくなってしまう前に、我の愛を勝ち獲ってくれ。さすれば…、世界を救えるであろう。我に祝福され、誰もが幸福を謳い、生命の輝きが満ちあふれる……そんな世界に生まれ変わることさえできるであろう」
ぬしとは縁もゆかりも無い世界だが。そう言葉を続けて、神さまは私を見やる。
「ぬしは神の愛が欲しいか?」
純白の絨毯に臥せったわたしは、遥か頭上の神さまを見上げる。
「んー…、別に?」
「むう、つまらんな。我は神なのに」
「神さまはさ、うーん、その世界のみんなのパパでママでしょ?」
「そうなるのう」
「パパとママは子ども達を愛してるものなんだよ。だいたい、は。」
「ふむ」
「神さまが創った世界の人たちは、愛なんてね、神さまがくれる前から貰ってるんだよ」
「…………」
「愛せない、なんて哀しまないで。神さまは愛する前から愛してるよ。愛してるから悩むんだよ、自分の愛は十分なのか不足はないのかって。神さまは、ちゃんと愛してるよ、その世界を」
そう言って見上げると、男神とも女神ともつかない美貌で、神は朗らかに笑っていた。
「そういえば、神さまに性別はあるの?」
「いいや。我は子孫なぞ遺さなくてよいからの、性別はない」
「じゃあ増えるときはアメーバみたいに分裂するの?」
「ふふっそうきたか。だからの、その、増える必要がないのだ」
「じゃあ、神さまは1人だけ?」
「うむ。我は唯一神だ」
とても自然に、そしてどこか誇らしげに微笑む神さま。世界を創れるほどなのだから、神さまに足りないものなんて無いのかも。望むものが望むだけ手に入るどころか、望むものを望むだけ創りだせてしまう。それがわたしの目の前の神さま。完璧なのに完全なのに、わたしはひっそりと、思い至ってしまう。
「じゃあ…、神さまはひとりぼっちなんだね」
意味もなく、視線を壁から天井に這わせ、そして絨毯に落とす。少しの間そうしていると、不意に視界が陰り、均整のとれた五本指の爪先がふたつ並んだ。 神さまがそっとかがんで、暖かい手でわたしの頭を撫でる。柔らかなその髪がさらりと落ち、わたしの頬をくすぐる。安らぎを誘う香りがした。頭上を見上げれば、あの美貌があるのだろう。
優しい、優しい声が、降ってくる。
「なぜ、ぬしが哀しむ」
「だって一人は寂しいよ」
「うむ。そしてとても退屈だの」
「だから、人を創ったの?」
「いや。ただの気まぐれよ。……しかしの」
純白の絨毯に寝っ転がったままのわたしを、投げ落とした時と同じように、いとも容易く軽々しくあっけなく拾い上げる神さま。わたしをカウチに座らせて、その隣に腰かける。友人同士の雑談のような距離感で、愛の告白をするようにしとやかに、懺悔室の影のような冷たさを帯びて、神さまは語る。その横顔は、陽の光の色をした髪に遮られて、よく見えない。
「我に似せて人を創り、人々を見守るうちに気づいたのだ」
「我はひとりぼっちで、ひとりはとても寂しくて、とても退屈だったのだと」
「もう、嫌なのだ。我と同じ姿の者が憎みあい争いあって、傷つき、死んでいくのを見るのは」
何千何万できかない数の悲劇を絶望を死を、きっとその目で見てきたのだろう。
「しかし、嫌うことなどしたくはない。憎めなどしない。我と同じ姿に創った者たちを絶やしてしまえば、あの子らを創る前より、我はもっとひとりぼっちになってしまう気がするのだ」
その声は…静かな絶叫だ。
「それまで、我は確かに全能だった。しかし確かに、全知ではなかった。あの子らを創り、初めて、孤独や退屈、他者を慈しむ感情を知ったのだ」
ふわり、神さまと、目が合う。ふたりがいないと、ひとりだったことに気づけない。楽しいことがないと、退屈だったとわからない。語り合うことも目を合わせることも、こうやって誰かがいてくれないと、できないこと。
「ぬしは言ったな。我は『もう世界を愛している』と。争い、傷つき、死ぬだけではない、喜びを知り、笑いあって、幸せに生きる者もいる。我は願うのだ、あの世界に幸福が満ちることを。他者の幸福を願うこの感情を、そう、人々は愛と呼ぶ」
ほら、あなたはもう世界を愛してた、でしょう?
「ふふふ」
「なぜ、ぬしが嬉しそうにする」
「だって神さま、それで全知になれたんじゃない?スーパー神さまだ。次はハイパーだね」
「我はもとより【すーぱー】で【はいぱあ】である。【あるてぃめっと】も容易いことよ」
「それはなんかずるいなあ」
「ぬしも救世主になれば【すーぱー】で【はいぱあ】で【あるてぃめっと】にしてやるぞ」
「えっほんと?約束?」
「うむ」
思わず小指を差し出すと、長く美しい小指を絡めてくれる。こんなところまでわたしの世界を学んでくれたのか。指切りげんまん。
「しょうがないなあ、やってあげるよ救世主」
「その言葉を待っておったぞ」
「ただし難易度イージーでよろしくね」
「ううむ【いーじぃ】とやらはよくわからんの」
「全知全能のくせに、なんでそこはとぼけるの!」
まったく、かわいい神さまだなあ、もう。
しょうがないから、やってあげるね、救世主。
幻想────
その光景を前にして、私は瞬きも出来ず、ただ恍惚として立ち尽くすしかなかった。
先刻まで、月明かりを透かし大聖堂を彩っていたステンドグラスが、脳髄を貫くような破壊の音と共に砕けた。
司教としての祈りを終え、大聖堂を後にしようと扉に手をかけたときの、背後の轟音、振り返った私はその音の原因が何であったのか理解できないままに、ただ見惚れてしまう。
絵画的な光景だった。
我が国随一と称される女神の姿が、幾つものガラス片と化し、落ちる。私はそれを、平生の何十倍にも遅滞した時間で知覚していた。
月明かりの青が、ガラス片に反射し、砕けた慈母の微笑みも、その陽光のように煌めく髪も、我らを救いたもう御手も、我らを導き歩む御足も、全てが散る様を克明に突きつけられる。
そして、きらきらとガラスの雨の舞うなかに、私は漆黒の人影を見た。
その影を人だと認識した瞬間、酷く──それは苦痛なくらいに──緩やかだった時間の流れが戻る。忘れられていた重力がまた、世界に課せられる。
人影の落下点は、祭壇の最奥に設えられた【英雄の棺】、その上。
音はなかった。とても静かだった。奇妙なほど。まるで小鳥が枝にとまるように、そっと、人影は落ちた。
共に落下したはずのガラス片は、まるで幻だったかのように存在しなかった──否、七色の美しい流砂に姿を変えていた。
ガラスの砂がさらりと粉雪のように宙を舞い、かの人影は、眠るように【棺】の上に横たわる。
静謐な空気──きらきら、きらきら、降り注ぐ光の雨──私は今なにを目の当たりにしているのだろう。なんらかの事故なのか事件なのか、それともこの常軌を逸した事態は、神の行いなのか。
私は困惑した。何故ステンドグラスは割れたのか?あの人影は何者か?ガラスの砂にはどう説明をつける?頭では理解をしようと思考が巡る。
…………しゃり
気がつくと、私は祭壇までの道を半ばまで進んでいた。爪先が踏むガラスの砂。あの人影のもとへ、いつの間にか夢遊病のように歩き出していたのだ。
呼び寄せられたのか?…いや、違う。一瞬浮かんだ考えを私は直感的に否定していた。
求めているのだ。
私が、あの存在を求めている。
これは天啓だ。そう言えるほど私は確信していた。
その人は、この世界が、我々すべての人類が、求めていた存在なのだと。
まだほど遠い先に、臥す人影。何を畏れているのか、私は無意識のうちに慎重に歩を進めていた。
しゃり しゃり しゃり しゃり
距離が近づくにつれ、人影がとても小柄なことに気づく。それがまるで子猫のように身じろいだとき、仄明るい月影の中、私は子どもを見た。
「……かみ、さ…ま…」
幼い響きが、静寂の聖堂内に木霊する。
「ねえっ神さまってば、なんでこうなるかな!【いんぱくと】はいいから、もっと穏やかな登場とかないの!?」
「あ…失礼。お見苦しいところを」
「わたし、自分で言うのもどうかと思うんですが、救世主です」
世界宗教の総本山の大聖堂。至宝と名高いそのステンドグラスを破壊して、古の英雄を祀った【英雄の棺】の上に降り立った者がいる。そんな全世界にインパクトを与えて余りあるニュースは、やがて人々に『福音』として知られるようになる。
創世神話が描かれたステンドグラスの破壊、それはすなわち新たなる神話の始まりを意味し、【英雄の棺】の上に立つ者、それは、英雄以上の偉業を成す救世主であることの啓示だ、と。
かくして、チートパラメーター救世主が、神さまのため、難易度イージー世界救済を始めるのであった。
お読みいただきありがとうございます。
続きません!