鍵があっても開けるとは限らない
上端和泉は異世界転生者だ。前世の名前をアリスリンデ・カークライトと言う。伯爵令嬢だった。
妄想たくましい性質で、人の機微がよく解り、そのため気は利くものの引っ込み思案で内気でもあった。そんなアリスリンデは乙女小説、特に異世界物を好んで読んだ。爵位のわりには魔力が少ないアリスリンデは魔力がない世界の物語に逃避的慰めを得ていた。魔力がないから実力重視、魔獣もいないから人間同士の争いが激しい異世界。自分に実力があると言うわけではないがそれでも。
「こんな世界に生まれてたらな……」
異常発生した魔獣の領都侵攻で命を落とした際の願いを神が聞き届けたのか、アリスリンデは現代日本で上端和泉になった。アリスリンデが夢見ていた、物怖じしない性格を携えて。
いや、でも別に前世の記憶は無くても良かったんですよ神様。
「そう思っていた時期もありましたね……」
公立高に良くある屋外プール。そのプールサイドにつもり積もった落ち葉を竹箒で掃きながら和泉はぼやいた。
鮮明に覚えている前世だが人に話せる訳もなく、記憶と共に魔力を引き継いでいるものの基本活用する場面がない、それが現代日本。だが25mプールの掃除を一人で行う分には大活躍だ。風を操りプールサイドの落ち葉をさりげなく一つ所に集める。外周をトタンの塀や生垣で囲われ外からは見えないものの、魔術で直接ゴミ袋に入れるような事はしない。いつ誰に見られても良いように、念のため竹箒と塵取りを使ってゴミ袋に移す。またプールの水を操り、水面に浮かぶゴミを角に集めてゴミ取り網ですくい上げる。オフシーズンのプールには既に藻が生え始めており、魔術を使えば泳げるレベルまで浄化する事も可能だが、そこまではしない。現代日本において不自然だからだ。何より秋口、キレイになったところで寒くて泳ぐどころではない。
「和泉!そっちゴミ袋ある?」
「あるよー」
更衣室を掃除していた小野寺が塵取りを持ってきた。ゴミをまとめてゴミ捨て場に運べば今日の部活は終了だ。一抱えもあるゴミ袋を手押し一輪車にのせて、和泉と小野寺の二人で校舎裏へ向かう。
「そうだ金鍵持ってきたよ」
帰りに渡すから忘れてたら声かけて、と小野寺が言う。
「ああ……前言ってた同人ゲーム?」
「そうそうコンプしたし推し三周したから貸すよ」
『金の鍵』略(す必要があるかはともかくと)してキンカギは同人乙女ゲームだ。ノベル型で、選択肢によってそれぞれ異なる結末を迎えるマルチエンディング形式。その中の一つとは言え、好きなルートを三周とは。
「そこまではまってるなら別に借りなくても良いんだけど……」
和泉が自分から貸してほしいと頼んだ訳でもない。やり込むほど気に入っているなら小野寺が遊べば良い。
「いや、語る相手が欲しいからやって」
萌え語りをしたいだけで誰でも良いなら別の人にしてくれと思ったが、そこで自分を選んでくれた事が嬉しくて結局和泉はゲームを借りた。
ーーーその国は、土地争いに嫌気が差して深い森を居住地とした人間を祖に持つ。今でこそ森そのものではなく森外周を国としているが、快適を求めて魔獣の多い土地に住むだけあり、生活改善に余念がない。辺鄙な少規模国ながら、文明や技術の発達した先進国、その名前をゴルトヴァルトと言った。ーーー
知ってる、超知ってる。何なら住んでた。
和泉は一旦プレイ画面から目を離し『金の鍵』パッケージを手に取った。同人ゲームのため商業作品と比べると洗練されておらず、シンプルなデザインをしている。セピア色をした架空の世界地図を背景に、大きくアンティークな鍵が真ん中に描かれている。もちろん金色だ。この鍵に見覚えはないが地図には見覚えがあった。アリスリンデが学んだ世界地図だ。書き込まれている文字も前世で使っていた表音文字そのもの。ゴルトヴァルトを中心に周辺諸国の地形や河川、国名や地名も記憶にある通りに書かれている。
「ほほぅ……」
地図だけでは何がどうと言う訳でもない。だがゲーム内容に少し興味が湧いた和泉は、ココアを入れ直すため空のマグを手に立ち上がった。
ーーーやはり王城は違うわ。今までお招きいただいた中で一番豪華なレーヴェヒッツェ公の夜会よりも華やかで重厚で……
「殿下ったらカラスも招待されていたのね」
声の方を見れば目の前に薔薇の女神もかくやという美女が艶然と微笑んでいる。いつから話しかけられていたのか、気づかなかった。カラスというのは私の黒い髪と、虹色に輝くシャンデリアに気をとられていた所から例えた揶揄らしい。あまりに軽やかに明るく言われたけれど目が笑っていない。完全なる悪意だ。
言われっぱなしでは嫌味に気づかぬ暗愚と取られかねず、やり返さなければ付け入る隙があると思われ足元を見られる。そんなのはカークライト家の沽券に関わるし、私の性分ではない。
「五代リヒト王を導いた聖鳥ですもの。殿下の治世もより明るいものになりますわね」
私がカラス?なら私がいることでこの国も安泰ね、なんて少し大きく出過ぎかしら。まあ構わない。私の婚約者シュトルムはこの黒髪に合わせて黒い夜会服を着ている。彼女は、王太子殿下の右腕と呼ばれる彼をも馬鹿にしたと気づいているだろうか。多分わざとだ。
「ええ、本当に……ありがたいこと」
なんて言いながら目を細めて笑っている。しかし目は笑っていないし口元は扇子で隠れているため本当に笑っているかは不明。同じ王太子殿下の派閥とは言え、所属が異なる私達は目障りなんだろう。自分が王太子妃になった時、ぶつかるのが目に見えている。不意に彼女の目線が私の後ろに逸れた。その事に気を取られ、近づいてくる人影に気づいた瞬間。
パシャン
白いドレスに赤ワインの染みが広がる。空のグラスを手にしたご令嬢は真っ青な顔色で立ち尽くしていた。今にもグラスを落として割りそうなほど震えている。私にワインをかけてしまった事ではない、おそらく私にワインをかけるよう言外の圧力をかけてきた相手に怯えているのだろう。
こんなつまらない事を、それも同派閥内で指示する女が王太子妃になるなんて、彼の妻になるなんて有り得ない!
「カークライト嬢、貴女の黒髪に赤はよく映える」
怒りに目が眩んだまさにその時、肩を叩かれ思わず振り返ると、そこには王太子殿下その人がいた。
「だが風邪をひいてはいけない、今日のところは下がると良い」
「ーーーお心遣い、恐れ入ります」
殿下の声の暖かさに、緊張の糸が弛む。まだ駄目だ、ここで隙を見せるわけにはいかない。でも、泣きそうなほど安堵していた。
「私が送りたい所だが……ああ、貴方の騎士の到着だ」
殿下の視線の先を追えば、シュトルムがこちらに向かってくるところだった。私を心配してではない。赤い目が面白がっている。白い髪も楽しげに揺れていた。憎たらしい。
「ドレスを赤く染めるだなんてそんなに僕の事が恋しかったのか?アリス、僕の恋しい人」
外連味たっぷりに私の手を取るシュトルム。外でさえなければ足のひとつも踏んでやるのに!
「恥ずかしいわシュトルム様……殿下、御前を失礼致します。それでは皆様、ごきげんよう」
ワインは事故。婚約者の甘い言葉に恥じらう楚々とした令嬢……そんな風に見えるようそっと俯いて退場する。だから私は、殿下が名残惜しそうに私の肩から手を離すのも、シュトルムを真顔で見つめていたのも気づかなかった。ーーー
「いやいやいや」
誰だよ。
ゲームを始めて幾度突っ込んだだろうか。このイベントは実際に夜会でおきた出来事だ。アリスリンデは魔力の低さから自己肯定感が低く自信喪失しており、絡まれた時もいかに回避するかしか頭になない。
だが、このゲームでは台詞こそ同じもののその内面は好戦的だ。アリスリンデの人物像とはあまりに違う。どちらかと言えば現世の和泉に近い。
「ってか誰が勝手に騙ってんの」
アリスリンデが和泉である以上、あの現場にいた他の誰かがこのゲームを作ったと言う事になる。それはつまり他にも転生者がいると言う事に他ならない。
和泉はまたパッケージを手に取り裏面を見る。制作元は小さな字で”異世界研究会”と書かれていた。
「どうだった?」
放課後、プールに向かう道すがら合流した小野寺の開口一番はゲームの感想要求だった。
「どうって言われても、いまワイン掛けられたとこ」
「序盤じゃん」
はまっている訳でもないゲームに平日どれだけ時間を使えと言うのか。
「あ、でももう二人とも出会ったでしょどっち派?」
知り合い、しかも片方は婚約者だ。だが別にシュトルムに恋愛感情を抱いていたわけでもなく、非常に答えにくい。話を反らすことにした。
「まだ始めたばっかでどっちって訳でもないけど。ルート全部でいくつあるの」
「ジークのグッドとバッド、シュトルムのグッドとバッド、あとはトゥルーの五つかな。トゥルーは他のエンド全部クリアしないと見られない奴」
ジークとは、王太子ジークフリートの事だろう。作中いくら側近の婚約者、その肩とは言え未婚の娘に触れるのは如何なものかと思っていた。そうか、攻略対象だからボディタッチ多目なのか。それはともかくとして。
「トゥルーって何、隠しキャラでも出る?」
婚約者ルートがトゥルーではないのか。
「これから世界規模の事件が起きるんだけど、その真相が明かされるだけで特に恋愛絡まないからあんま意味無いよ」
小野寺に他意のあるはずもないが、和泉は空笑いするしかなかった。あんま意味無い世界規模の事件の真相、つまりはアリスリンデが死ぬ原因になった、魔獣の領都侵攻に関係しているだろうか。
「今日の部活筋トレだけだよね?ちょっと生理痛きついから帰るわ」
プールへの分岐路から逸れて正門へ向かう。こんなメンタルで筋トレなどしたら無駄に考え込むに決まっている。
「解った、言っとく。明日どこまで進んだか教えてね~」
ゲームやりたさに仮病と思われているようだが構わない。実際帰って進めることに違いないからだ。ただ小野寺の『解ってますよ』と言わんばかりのにやけ顔に腹が立つので手はふり返さなかった。
ーーーああ、昨日の事は本当に夢じゃないのかしら。研究第一のシュトルムが、私のために研究を切り上げてくれた。夜会が大嫌いなくせにエスコートをしてくれた。その上ネックレスを贈ってくれて、着けるときうなじにキスを
「だ、ダメ!!」
あまりにも恥ずかしくて、途中で考えることを止めた。だって今まで手の甲とか頬はあったけど、あんなのは初めてで……思い出すだけで顔が熱くなる。贈ってくれるアクセサリーも、いつもは流行りをおさえて上品なのに、昨日のネックレスは色とりどりの魔石で飾り立てた不粋な物。少し重い。もしかしたら、実はシュトルムはセンスが悪くて、これまでは店員が勧める物を選んでたけど、今回は初めて自分で選んだ、とか?……無いわね。何年婚約者してるのよ、シュトルムはセンスが良い。だから可能性としてはこのネックレスこそ他の人が選んだか、実用重視で……何だか嫌な予感がした。
ネックレスを摘まみ、目に魔力を凝らして魔石を見つめる。魔力量こそ少なめだけど、その分操作は得意なんだからね!物理防御の魔方陣が見える。隣の石には精神攻撃防御、その隣は対毒防御、続く石も大体似たような防御系ばかり。どれもちゃんと組んであってきちんと作動するのは間違い無さそうだけど、どれも奥にごく僅かな濁りが見える。多分こっちが本命。防御系とは別の術を入れるために、こんなに魔石を盛りこんだんだ。デザインを犠牲にして。手前に見えている魔方陣から奥の濁りにピントをずらす。目を凝らして見つめるとじわじわと陣が見えてくる。後少し。
「お嬢様」
ノックと同時に入室許可を求める声がした。ネックレスをケースに戻して許可を出せば専属侍女が足早に寄ってくる。その顔はやや強張っていた。
「旦那様より火急の知らせがございました。魔獣が群れをなし北上しているとの事。現在セガルト村に接近中、万が一に備えるようにと。まずはお召し替えを」
「解りました。着替えの後は魔道具の準備をお願い。攻撃系以外でも構わない遊んでる物があればかき集めて」
「畏まりました」
今はネックレスの検証をしている場合じゃない。箱を机にしまい鍵を掛けた。隠されている魔方陣については全部終わってからシュトルムを問い詰めれば良いんだからーーー
全部終わった。結局最後はアリスリンデのいた領都まで魔獣が到達し、領民を守るべく戦い志半ばで死んだ。恐らくこれがシュトルムルートのバッドエンドだろう。実際は前線に出ることなくバフ要員として後方から魔術を掛けていたのだが些末な差異だ。それより気にかかるのはネックレス。確かにあれは死ぬ前の時期に婚約者から贈られていた。そして防御効果があったため死ぬまで身に付けている。ネックレスで防ぎきれないダメージを受けて結局死んでしまった訳だが。ならばグッドエンドはネックレスを身に付けて生存のハッピーエンドだろうか。正直興味はないがトゥルーを見るためには攻略しなければならない。和泉は諦めて最後の分岐からやり直す事にした。その前に明日提出の宿題だけやっておこう。お供のお菓子とココアを準備するため椅子から立ち上がって背伸びをした。この時間なら今日中にシュトルムルートだけは終わらせられるだろう。
ーーー痛い痛い痛い魔力が枯渇して全身がひび割れるように痛い!私の魔力ではネックレスの防御効果を増幅するしか出来なかったけど最大効果が得られた。市街地は荒野もかくやという更地になったものの領民は皆無事。でもまだまだ魔獣は絶えず増え続けている。焼け石に水、私が守った領民もまたすぐ襲われてきっと死ぬ。何てバカなことをしたのかしら。私だけでも逃げれば良かったのに。でも無理ね、そんな所見られたら社会的に死ぬし……きっと私の矜持も死んでいた。ああ痛すぎて目を覚ましたのに、段々痛くなくなってきたわ。今なら魔獣に食われても痛くないんじゃないかしら……。
ドォン!
目の前で閃光が弾けた。一瞬遅れて息も苦しい爆風に晒される。痛くなくても苦しくはあるのね。何だかおかしくて笑っちゃった。
「アリス!」
聞きなれた声が、聞いたことのない切迫感で私を呼ぶ。返事をしてあげたいけど、声もでないから許して。半開きの瞼越しに誰か駆けてくる。顔も良く見えないけど、あの声と黒っぽい色味は。
(シュトルム……)
何、もしかして私の事でそんなに焦ってるの?今まで私に軽口ばかり叩いてた癖に、こんな時に実は大切に思ってたとか言う?バカじゃないの、そんなの地味にときめいてしまうんだけど。
「アリス、大丈……もう大丈夫だからな」
私を優しく抱き起こしながらシュトルムが不自然に言葉をつなげた。多分大丈夫かって聞こうとしたんでしょうね。絶対大丈夫じゃないから言い換えたんでしょうけど。バカね。それより魔獣は?領民は皆無事?
「バカなことをしたなアリス……でも君がその少ない魔力で頑張ったから民は皆無事に避難できたし魔獣も……まあ変わらず流れ込んできているが進路を反らす事ができた。感謝する、アリスリンデ・カークライト」
何急にかしこまって。でも皆無事なら良かったわ。
「君は……このネックレスを魔力で効果倍増にして、広範囲に強固な防御陣を敷いたんだね」
そうよ。貴方にはすぐ解ってしまうわね、流石に。ネックレスも今の私みたいにヒビだらけ。ごめんなさいね折角くれたのに。センスは悪いけど。
「アリス、君はじきに死ぬだろう。回復魔術もこれほど魂に傷が入っては間に合わない」
やっぱり?そんな気はしてたわ。でもそこまでハッキリ言うことは無くない?
「君はきっと生まれ変わる。そうしたら、またきちんと礼と謝罪をさせてくれ。言えていない事が山ほどあるんだ」
何?良く聞こえない。もっとハッキリしゃべりなさいよ。こんなに静かなんだから口ごもるとみっともないわ。
「アリス、アリスリンデ。また会おう、絶対だ。次は絶対に優しくする、からかったりなんかしない。今になってやっと解ったんだ。約束だ」
ああ、違うわね。私の耳が遠くなってるんだわ。何も聞こえない。そう言えば目も良く見えない。シュトルム、あなたがいてくれて良かった。それでも怖い、死ぬのは怖い。せめて一人じゃなくて良かっ……ーーー
「嘘だろ死んだ」
和泉は呆然とスタッフロールを見つめる。ルートは全部で五種類、うち二種類がシュトルムルートと言うことは、ネックレス有りと無しのどちらかがバッドでもう一つがグッドらしい。
「いや、どっちもバッドでしょ」
先に看取られエンドを攻略して、グッドのつもりで単独死エンドを見たら軽く絶望する鬼畜仕様になっている。単独死エンドを先に見た和泉も看取られエンドには正直モヤる。この嫌らしい構成には覚えがあった。
「ゲーム制作者、絶対シュトルム」
彼も恐らく転生しているのだろう。そして何故だかは知らないが前世をベースにゲームを作った。案外前世を夢か何かだと思っている可能性もある。制作者には関わらないようにしよう。そのためには相手がどこで活動しているのか知らなければ。和泉はゲーム画面を最小にし、ネットブラウザに新しいタブを開いて検索。制作元の『異世界研究会』は小さな同人ゲームサークルと言うことだった。作り込まれた世界観にコアなファンがついているようだが活動自体は大きくない。サークル参加しているイベントにさえ近づかなければ会うこともないだろう。参加予定欄をチェックし、ため息をついた。
ゲーム制作者の推測が立った時点でゲーム自体に本当に興味はなくなったが、トゥルーは気になる。それに途中で返せば小野寺もうるさい。王子ルートに入るにはまた頭からやるべきなのだろう。
明日からにしよう、今日は十分頑張った私偉い。ノートパソコンを閉じた和泉は、風呂に入ろうと立ち上がって伸びをした。
それからは部活も休まず、帰宅後時間がある時だけパソコンを立ち上げるといった、のんびりスタイルで王子ルートを攻略した。
「悔しい面白い……」
和泉は項垂れた。その手はギリギリとマウスを握りしめている。主人公は設定だけ見れば前世の自分だが、性格諸々余りにも違うため別物として見る事ができた。そもそも前世で王子と接点ほぼ無かったし。その上、細々したところが実にきちんとしているのも和泉好みだった。お互いに婚約者がいるため節度を持った距離感。思いが募ってからは、八方に手を回し円満婚約解消をする王子。アリスの婚約についても、しっかりシュトルムの意向を確認してから婚約解消の手はずを整える王子。それからお互い想いを告げ合うとか笑ってしまった。それまでキスはおろか手も触れない。王子の婚約者も、サポートまではしてくれないにしても結構好意的に対応してくれるしで王子のグッドエンドは充足感で一杯だった。終わりも王妃になるとかではなく婚約者候補で終わったのも良かった。尚バッドエンドはシュトルムのバッドとほぼ同じ。と言うのも攻略対象の名前を差し替えただけだった。領都で死んだ。あまりにも雑で笑った。シュトルムらしい。
「あとはトゥルーか」
明日は休みだから、今も結構遅い時間だがや ってしまおう。和泉は最初からプレイすることにした。
ーーー聖者が生まれなくなって久しく、世界の瘴気はどうしようもなく増え続けていた。世界の容量には限界があり、破裂寸前の風船の如く。もう一世代分の猶予もなかった。その事に気付いていた賢者達は何とか聖者を産み出そうと試行錯誤するが叶わず、諦めと絶望を抱いて惰性のまま続ける研究に進展があるはずもない。自死を選ぶ者が相次いでようやく王公貴族も現状いかに逼迫しているかを知ることとなった。それからは総出で打開策を模索する。
この世界に聖者がおらず、生まれる事も出来ないのなら、他の世界から連れて来れば良いのではないか。
賢者達がその倫理観から禁忌として慮外していた方法を、誰が唱えたか。孫の世代まで持たないと言われている世界の住人達はこれを是とした。かくして崩壊を目前としたこの世界に、異世界から聖者が召喚された。ーーー
「おい世界観」
これまで一切存在しなかった設定がもりもり出てきた。前世でもお伽噺として聖者や聖女の物語を聞きはしたが異世界召喚なんて聞いたこともない。
(でもシュトルムがわざわざ作ったゲームで無意味なことをするとも思えない)
とは言え趣味で作っているものだからして、無意味なことをしている可能性も、いやしかし。何にせよ眠い頭で勢いのまま読むべきではなさそうだ。和泉はセーブするとノートパソコンを閉じた。歯磨きして寝よう。その前にチョコ食べようかな。
ーーー召喚された聖者は自身を勇者と名乗った。自分は決して聖なる者ではない、瘴気で狂った獣達を相手にするのはとんでもなく恐ろしい。それと対峙する勇気がある者、勇者であると。
発生した瘴気は獣が吸い魔獣となった。魔獣を倒すことで、獣の死への恐れと瘴気が相克し浄化される。人が瘴気に侵され本能のみによって動く魔人もまた。だが倒した際、瘴気が相克しきれず溢れかえり、倒した者が侵されて新たな魔人になる事もあった。魔人達を統率する魔王も、相克しきれない膨大で濃厚な瘴気を、倒れると同時に垂れ流した。だが勇者は真に聖者であった。本人がその名を否定しようと、彼とその仲間達は溢れた瘴気に侵される事無く正常を保っていた。吸収されなかった瘴気は新たに魔獣を生み出す。その数は千を下らず、急激に増加した魔獣はやがて互いを食いあう事を避けるために走り始めた。それはやがて大きな流れとなってうねる。その行く先にはゴルトヴァルト、カークライト領ーーー
晴れ渡った土曜の爽やかな朝。和泉はこの上なく苦み走った顔をしていた。仕切り直して終日プレイするつもりであったトゥルーエンドが一周分どころかプロローグ程度のボリュームしか無い。それはまだしも、魔獣侵攻の切欠が人間だった事にも、和紙に墨滴を垂らすように胸に黒いものが広がる。アリスリンデが死んだのは少なくとも和泉が生まれる前、つまり15年以上前の訳で、死んだお陰で泉として生まれた事を思えば、ありがとうとまでは行かないにせよ言う事はない。
(まあわざとうちを狙わせた訳じゃないし)
もしそうならゲーム制作者を探しだして胸ぐらを掴むくらいはするだろう。
トゥルーエンドだからかこれまでより長いスタッフロールがようやく終わった。真っ黒な画面に作中世界の文字が白で描かれ、ルビのように日本語で“真実は銀の扉の向こうへ続く”と添えられている。表音文字を和泉はこう読めた。
『この文が読める者、異世界研究会まで連絡乞う』
乞われた所で連絡の必要性を感じなかった和泉は、勿論連絡を取らなかった。何せ現役の女子高生だからして、恐らく成人男性と思われる見知らぬ人間に連絡するなど恐ろしくて出来ない。和泉はネットリテラシーの高い方の女子高生だった。先方も女子高生から連絡が来たらもて余すだろう。そうでなければ、それはそれでまずい。
ゲームもさっさと小野寺に返却した。これで和泉と制作者を繋ぐものは何もない。小野寺とは王子派として熱く語り合った。それも二ヶ月程の事で、やがて小野寺は別のゲームにはまり『金の鍵』が話題に上ることは無くなった。進路や受験にやがてゲームの存在すら忘れ、大学が別れて小野寺とも疎遠になったある日。部屋で資料片手にパソコンでレポートを書いていると、スマートフォンが震えた。画面を見れば着信らしい。
『あ、和泉?久しぶり、今大丈夫?』
「大丈夫だけど本当に久しぶりだね、どうした?」
長く連絡を取らなかった小野寺からの電話に、懐かしい気持ちで応じる。途中の課題にはCtrl+Sを叩いた。
『今度の日曜のイベント行く?』
「行くけど。何、おつかい?」
『そう!前に貸した金の鍵の続編がやっと出るんだよー!』
「え、あれどうやって続くの」
王子ルートの婚約者候補エンドから正妃にでもなるのだろうか。
『トゥルーの勇者の話らしいよ』
「スピンオフじゃん」
それは続編と言うのだろうか。
『まあそうだけど』
高校生当時は制作者に関わるまいと気をはっていたが、時が経つにつれ警戒を緩めていた。意図してではないが、強い意思でもなければそう長く緊張状態を続けられるものでもない。和泉にとってはゲームも前世も全て終わった事だからして、意識して関わらなければ関わりようがないと言うのもある。
「スペースどこ?」
『西2の平仮名のか32b、サークル名は異世界研究会』
イベント当日、目的の買い物を全て終えた和泉は最後に異世界研究会のスペースに向かっていた。同人ゲームはあまり触らないので、新鮮な気持ちで島を回る。目当てのスペースには成人男性が二人座っていた。卓上にはポータブルDVDプレイヤーがデモムービーを流している。恐らく例の新作だろう。キラキラしいキャラクターが敵らしきキャラと対峙したり、ヒロイン風の少女と見つめあったりしている。今回も乙女ゲームらしい。
『どうぞお手にとってご覧下さい』
「どうぞご覧下さい」
爽やかな笑顔で雰囲気イケメンと陰気なイケメンが勧めてくる。ただの売り子かシュトルムか、解らないので無難に軽く頭を下げておいた。新作のパッケージを手に取る。銀色の扉が中心に描かれ、背景は前作と同じく前世の世界地図。タイトルもそのまま『銀の扉』だ。
『そちら続編となっておりますが』
『あ、大丈夫ですこっち買いに来たんで。一部下さい』
小野寺に借りる事にして、自分の分は買わない。お金を支払いソフトを鞄にしまった所で突然雰囲気イケメンに腕を捕まれた。
「あの…?」
『この後お時間いただけますか?』
『いや、用事があるので』
小野寺にソフトを引き渡さないといけない。後日の通販で良ければわざわざ和泉がお使いする意味がなかった。
『お話聞かせて下さい』
『ですから、用事があるので』
スタッフを呼ぶべきか。鬱陶しくなってきた和泉が周囲に視線を走らせると雰囲気イケメンが重ねて言った。
『気付いてませんか?ウェルト語話してますよ私も貴方も』
和泉は観念した。観念はしたが、現時点でバレているのは前世の言葉が話せると言うことだけで、アリスリンデであるとは知られていない。ちょっと前世の記憶があるだけのモブで通そう。連絡先を交換したくはなかったので、本当に用事があり閉会までは居られないと言えば異世界研究会の二人は卓上に布を被せ、離席の旨のメモを貼った。一人が売り子として残れば問題ないと思ったが、二人とも来るらしい。軽い恐怖を感じた和泉は、会場併設のレストランに場所を指定した。ここならば人が多い、滅多なことはないだろう。
「では改めまして。異世界研究会の嵐です。こちらは」
「井戸田です」
飲み物が届いた所で雰囲気イケメンが自己紹介を始めた。嵐と言うらしい。陰気イケメンが井戸田か。和泉もハンドルネームを名乗った。
「俺はゴルトヴァルト出身なんですが、ハルさんは?」
「……私も、ゴルトヴァルトです。王都に住んでいました」
嘘ではない。社交シーズンには王都にも住んでいた。ほとんどはカークライト領だったが。出来るだけ嘘を言わず、アリスリンデとかけ離れた表現を心がける。そこでしばらく前世の身の上話をした。シュトルムは魔獣侵攻の後、結婚して子供ももうけ、ひ孫の顔を見ての大往生だったと言う。そうなるとやはり和泉も最後の話は避けられず出来るだけサラッと申告する。
「従軍してたので、最後は魔獣侵攻で……」
「日替わりランチ三つお待たせしゃしたーデザートはお声かけいただいたらお持ちしぁす」
一瞬お通夜のような雰囲気になったが、出来立てハンバーグを前に全てのネガティブは払拭された。肉は全てを解決する。三人とも無言で料理を平らげ、デザートを頼んだところで仕切り直しとなった。
「ハルさんは金の鍵プレイされました?」
「あ、はい」
「トゥルーは?」
「一応」
嵐と和泉の二人で話すばかりだったが、ここへ来て黙りこんでいた陰気イケメンの井戸田が突然頭を下げた。
「あの?」
「ごめん、申し訳なかった」
『金の鍵』トゥルーエンドの勇者は井戸田だと言う。つまりあの世界に召喚され魔王を倒し、瘴気を溢れかえらせ魔獣を大量に産んだ切欠を作った本人だと。勇者は魔獣達を追いその掃討に尽力するも、被害が出てしまった事実は変わらない。失意のまま平成の世に戻されたのだと。
「はぁ、左様で……」
他に感想がない。井戸田が痛いほど後悔し今を生きられず、心を向こうに置いてきてしまっている事は解る。だが和泉はもう和泉であって、アリスリンデではない。むしろアリスリンデが死んだからこそ自分が居ることを思えばありがとうと言うべきか。しかし井戸田が欲しているのはそういった感謝ではなく、責める言葉だ。責められて贖罪してやっと気が休まるのだろう。そこまでしてやる義理も必要も無いが、言葉をかける位はしても良いかも知れない。大の男が頭を下げたまま謝罪しつくした後は無言でただ待っている。和泉の言葉を。他の客の視線が痛い。
「まず顔をあげてください。話しにくいです」
井戸田がのっそりと頭をあげる。死にそうな顔をしていた。
「死ぬとき何故魔獣が暴走したか知らなかったので、今知ったところで特に何とも思いません。怨み辛みもありません。」
「本当に?」
嵐がまぜっ返す。やはりこの性格、彼がシュトルムではなかろうか。思わず嫌な顔をした和泉だが、意識して表情を取り繕う。
「本当です。例えば交通事故で入院した病院で知り合った看護師さんと恋人同士になるとか、そんな感じですね。当時は痛かったし許せないと言えばそうなんですけど、そのお陰で恋人と知り合えた訳ですし」
「しかし……」
井戸田が言い募ろうとしたところで和泉の面倒くさいゲージが振りきれた。
「正直に言えば、こうして時間を取られている事がとても煩わしいです。前の事は本当にどうでも良いので。どうしてもと言うのであれば言いますが、自分のせいで人が死んだとか自分を責めてるのかも知れませんけど、直接手を下したのでも無ければ、ただの思い上がりだと思います。私を殺したのは魔獣です。それまで自分のせいだと言うなら私の事バカにしてます」
方向性は違うがこれで一応井戸田を責めたので彼の気も楽になるだろう、良い事をした。半ば自棄だがスッキリした和泉は、帰り支度を始める。お会計いくらだっけ。遮るように井戸田が言った。
「あの、ごめん。何でバカにしてるって話になるのかは解らないけど……ちゃんと考えてみる。時間をくれて、ありがとう。ここの支払いは俺がするよ、時間をくれたお礼に」
煩わしいと言ったのが効きすぎたのだろうか。少し申し訳なくなったが井戸田の言葉に甘える事にした。二人は握手をした。
「頑張って下さい」
「そうする。本当にありがとう」
嵐も手を出し握手待ちをしていたので、ついでに握手する。
「何か良い感じにまとまってるけど、俺の話がまだなんだけど?」
嵐は握った手を放さない。小野寺との待ち合わせ時間が迫っているし、知り合ったばかりの男性に握られていることが気持ち悪い。和泉は嵐の手を力の限り握りしめた。嵐はニヤついたままだ。口許がひくついているので、もしかしたらにやけているのではなく、痛いのかも知れない。これ以上握れなくなった所で、魔力で筋肉を強化して更に握りこむ。
「痛い痛い痛いギブ!放して!」
希望通り手を放す。
「じゃあ私はこれで。井戸田さん、ご馳走さまです」
「あ?ああ、今日はありがとう」
「待って!せめて連絡先教えて!」
絶対に教えたくない。しかし教えないと面倒臭そうだと判断した和泉はペーパーナフキンにSNSのアカウントを書いて渡した。
「ありがとう、連絡する!」
素直に謝辞を口に出来る人間になったんだな、と驚いて少し笑ってしまった。それを好意と受け取ったのか、嵐は和泉に頭を下げる。悪くない気分で和泉は店を出た。早く小野寺にソフトを渡そう。本日の戦果を読めば課題もきっと進む。
その日の晩、宣言通り嵐から連絡があった。しかし和泉は気づかない。教えたのは使わなくなって久しい鍵アカウントだからだ。ログインパスも忘れたし、何なら登録したメールアドレスも今はもう死んでいる。
鍵があっても開けるとは限らない。