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若き善き、レオンの悩み

 午後の暑い日差しを避けるように、木陰に設置されたベンチでA国王子、レオンは本を読んでいた。

 もっとも、避けていたのは日差しだけではなかったが。

 

 国を離れ、留学という形でこの国に来た。だが待っていたのは平穏とは言いがたい学園での生活だった。

 人の――とりわけ少女たちからの好奇の視線は常に向けられ、心が休まる時間はない。


「レオン様! ここにいらっしゃいましたか。いつもどこに消えてしまうのかと不思議に思ってたんですよ! へえ、こんな静かな場所があったんですね」


 なんたることか。避けていたものの一つに見つかってしまった。

 この憩いの場ももう来れまい。気付かれぬようにため息をつく。


 レオンとて、この男が憎い訳ではない。友情さえも感じている。

 だがこの男は休まらぬ気の元凶と言ってもいい存在を常に引き連れているのだ。

 レオンは本から目を上げる。


「ヒュー、彼女たちを放っておいてよいのか」


 会話が聞こえないほどの距離に、学園の少女たちがこちらの様子を窺うように立っていた。何を隠そう、いつの間にやら学園一のモテ男となったヒュー・グランビューのご学友たちである。


 熱い視線を送り続ける少女たちを、ヒューは気にした様子もなく、無遠慮にレオンの隣に腰掛けた。

 

「あの子たちの大半はレオン様に興味があるんですよ。落とせば王妃になれますから。いいなぁ、よりどりみどりで。ほら、手でも振ってあげては?」


 ヒューがひらひらと軽薄に手を振ってみせると、少女たちはさらに高揚した。あらゆる人間に気を持たせていては、いつか刺されるのではないかとレオンは密かに思っていた。


「お前はこの国に来てから一層軽くなったのではないか。留学に着いてきたのも、家の監視の目から離れたかったからではあるまいな」

「ひどいな。オレはレオン様が傷心のまま一人でいらっしゃるのがいたたまれないから着いてきたってのに。誰か紹介しましょうか?」

「しばらく女はいい」

「悪い女に騙されて、最高の女性を逃しましたからね。正式に婚約したみたいですよ、あの二人は」

「お前は私の傷口に塩を塗るのが趣味なのか」

「ええ」


 睨んでみたものの、ヒューは愉快そうに笑っただけだった。


(よもや人の感情を慮る能力が欠如しているのではあるまいな)


 この男の底抜けの明るさに救われることも多々あるが、今は呆れ、怒る気力すら出ない。


「お前はいいのか。婚約者の一人くらいこの国で見つけてはどうなんだ」

「オレは独身主義なんで。家なら兄貴が継ぐし」

 

 あっさりと躱される。


「あのかったるい兄貴ときたら、親父は生きてるってのにもう当主面で、オレを見る度に生活態度を叱ってくるんですよ。かわいそうなボクは休暇の時だって気が休まらない実家に帰れないで、人の家に泊まってるんです」

「そういえば噂になっているぞ。お前が帰国の度にあまりにもヴェロニカの家に出入りしているものだから、浮気でもしているのではないかと」

「げえ、勘弁してくださいよ」

 

 ヒューは心底ぞっとしたように言う。


「確かにヴェロニカさんは美人だけど……。手を出したら殺される」

「誰に?」

「本人も含めて、あらゆる人に」


 レオンは、かつて義理の姉となりかけた人物を思った。あの婚約式以来、会っていない。

 騒動を思い返すと、今でも居心地は悪い。そんなレオンの心境など少しも気にしないヒューは愉快そうに続ける。

 

「それにオレはロスさんに会いに行ってるんです。すげえ面白いですよ、あの人」

「あの男か」


 ロス、と呼ばれる男と直接話したことはない。


 A国人とは違った毛並みの持ち主ではあるが、人間性はともかくとして、仕事に関してはレオンの父にさえも信頼を置かれていた。実際彼がどこまでA国の闇を蠢いていたか、レオンも全貌を把握できていない。


 だがヴェロニカと結婚後、彼の噂もほとんど途絶えた。


「あの男は軍人をやめたと聞いたが、ヴェロニカのヒモでもやっているのか」

「あれ、知らないんですかレオン様。ロスさんは王都で『タピオカ』屋を営んでいるんですよ」

「な、なんだその……タピ……というものは」

「甘い茶の中に蛙の卵みたいなのが入ってる、なんとも言えない味わいの飲み物です」

「美味いのかそんなもの」

「大流行ですよ。飽きられたら次はレモネード、その次はバナナジュースって、手を変え品を変えやるそうですよ」

「なんとあこぎな」

「チェチーリアちゃんが発案者ですけどね」

「チェ、チェリーリアが何かやってるのか?」


 声がひっくり返る。

 未練があるかと問われれば、あるに決まっていると即答できる。――プライドさえ無ければ。


 ヒューが意味ありげににやりと笑うものだから、レオンは平常心を装うために咳払いをしなくてはならなかった。


 ヒューは言う。


「あの商売はチェチーリアちゃんの提案ですよ。『前世』であった飲み物らしいです。ロスさんはあの子の前世をそこまで信じてはないみたいですが、商才は認めてますからね。

 そういや彼女の前世の話ですが、レオン様は詳しく聞いたことあります? 興味深いですよ。今度帰った時にもうちょっと詳しく聞いてみようかな。一緒にどうです。でも、オレが長いことチェチーリアちゃんと話してたらグレイが焼き餅焼いてくるからな。ほら、あいつは純情でしょう? だけどこの世界の住人皆、チェチーリアちゃんの言う前世の世界の人間かもって思ったらやばくないですか。オレだって頭を打って前世を思い出すかも。あ、でも前世が女だったらどうしよう。そしたら男を好きになっちゃうのかな」


 まったくこの男は、話していないと呼吸ができないのかと勘ぐってしまうほどにひっきりなしにしゃべり続けている。

 

「お前は頭を打った方がもう少しまともになるかもしれんぞ」

「何言ってるんですか。この世にオレほどまともな人間はいませんよ」

 

 減らず口をどう黙らせたものか。考える間にも話が続く。


「あんまり邪険にしないでくださいよ。オレはいい友人でしょう? あなたが好きだし、権力欲もない。……さほどには」


 ヒューは乾いた笑い声を出す。


「王都じゃまだ、有象無象が闊歩していますからね。こないだ、王家と対立していたある組織が壊滅したって話はありますが、どうせまだいますよ、国を支配したい奴らは」

「なぜ皆、王になどなりたがるのだろう。実際不自由だ。国を動かしているのは、元老院の議員どもだということを、誰もが知っているはずなのに」

「野望を抱く人間は、身の程をわきまえて無いんでしょう。だけど彼らの行く末は破滅です」


 レオンは気付く。言うヒューの目は、少しも笑ってはいなかった。

 誰のことを言ったのか、すぐに分かった。

 彼が思い浮かべた人物たちを、レオンも恐らく考えていた。


 今に始まったことではない。あの最低の婚約式以来、常に彼らのことを考えていた。


 とりわけ頭を占めていたのは、つい先日まで従兄であると疑わなかった青年のことだ。

 時に兄のように、時に親友のように、一緒に育ち、心から信頼していた。

 にも関わらず彼の闇に気がつかなかった。それどころか、レオンの隙があの事態を招いたとも言える。弱さにつけ込まれ、良いように利用されたのだ。


 レオンにとって、アルベルトは信頼できる人間だった。だが、アルベルトにとってレオンは、御しやすく、利用価値のある駒でしかなかった。

 

(私が強い者であったなら、あんなことにはならなかったのだろうか)


 事件が終わった後に残ったのは、想像していたのとはあまりにも違う、非力な自分と、人を守るどころか守られただけの王だった。

 シドニア、ミーア、そしてアルベルト。王は彼らを救えなかったのだ。


 レオンにとって、「王」とは絶対的存在だった。

 王とは生まれながらにして王であり、望もうとも望まざるとも、自己にとっても他己にとっても揺るぎなく、王は王だ。

 だがそうは思わない人間がいたということに殴られたような衝撃を受けていた。

 

(彼らにとって、父上はどんな王に見えたのだろう)


 少なくとも、取って代わりたいほどの存在だった。


「なあ、ヒュー」


 このところ、繰り返し自問してきた疑問を、傍らの友人に投げかける。


「私はどんな王になればよいのだろう」


 冗談が返ってくるものと思っていた。

 そうであれば気が楽だ。この男が軽口を叩きさえすれば、レオンもまた、取るに足らないくだらない悩みだと一笑して終わることができる。


 だがヒューは、それを許さなかった。


「レオン様は、変わらずいてくれたらいいですよ」


 驚いてヒューを見る。真剣なまなざしに束の間、何も言えなかった。


「言ったでしょ。オレはあなたが好きだって。あなたがくだらないしがらみに足を取られないように、オレがいるんだから。難しいことを考えずに、自分が信じる人間になればいい。どこへだってお供します」


 自分でもらしくないことを言ったとでも思ったのだろうか。はっとした表情の後、ヒューにしては珍しく照れくさそうに笑った。


「……なんつって」


 誤魔化すように言った後、ヒューは立ち上がり少女たちの輪に加わっていく。

 少女たちを喜ばせるような台詞をさらりと吐く彼は、もういつも通りだ。


 ヒューの父親が、王家に近しくいるために息子を王子の側に送り込んでいることは知っていた。

 彼の家が、王の意思とはまた別に代々国の裏で暗躍し、時の潮流を創り出し家を繁栄させてきたことも知っていた。

 

 だがそれでも、ヒュー自身が、レオンを友人だと思っていると、信じていたかった。


「……私は甘いのだろうか」


 小さな呟きは、誰も聞いてはいない。


 と、少女たちと楽しげに会話をしていたヒューが、こちらに向けて手を上げた。


「レオン様! 今度の休みに彼女たちが街を案内してくれるみたいっすよ! ハーレム状態で行きましょう!」


 木陰の中にいるレオンからは、日差しの下の人々の輪が眩しく感じられた。


「お前がいてくれて良かったよ」

 

 ヒューが不思議そうな顔をする。


「え? 何て言いました?」

「お前は悩みがなさそうで羨ましいと言ったんだ」

 

 そうでしょう、とヒューは笑う。

 レオンが少女たちの輪に入っていくと、わ、と歓声が上がった。


 自問の日々は続く。

 他人は正解を持っていない。


 難問はいつか、自分で解くしかない。ヒューは安易に答えをくれはしなかった。悩み続けろと、そう言ったのだ。

 

 自分はどんな人間になればよい。

 ――答えはまだ、当分出そうにはない。

どうしよう、また番外編を書いてしまいました。

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