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名犬アルテミスの奇跡の半生① わたしの女の子たち編

本編完結してそろそろ一ヶ月だな、と思って書きました。本編に入れられなかったエピソードを入れました。時点としては76部分と77部分の間です。


3話分の番外編、アルテミスが主人公です。

 どうせ一時の熱だろうと思われていた二人の関係は、周囲の想定を大きく裏切り、あれから一ヶ月続いていた。


 ロスは未だ謹慎中で無収入、おまけにしばらく留守にしていた間に、ずっと住んでいた借家になんと他人が住んでいたため、住む場所さえも失った。


 ヴェロニカが「じゃあ我が家に住めばいいじゃない」と言ってからは早かった。ロスが返事をする前にカルロに話をつけ、あれよあれよという間にわたしたちはこの群れに加わることになったのだ。


 ここはロスと二人の群れで住んでいた家よりも居心地がよく、使用人たちもみんなわたしに親切で、大きな事件も起きることなく(小さな事件は頻繁に起きていた。ほとんどヴェロニカとロスのささいな言い合いや、カルロがチェチーリアの隠していたお菓子を食べてしまって一日中口をきいてもらえなくなったとか、そのくらいだ)、日々は平和に過ぎていった。


 ――その時までは。




 週末ごとに群れに加わるチェチーリアと、三人とわたしが晩ご飯を囲んでいた時だ。

 チェチーリアがロスに尋ねる。


「ロスさん、お仕事の方はどうですの?」

「未だ音沙汰なし、だ。俺の無罪放免にまだ納得できない奴等がいるらしく、軍に戻るのはもう少し先になるだろうな」

「軍になんて戻らないくていいわよ」


 厳しい声で言ったのはヴェロニカだ。


「兵士なんていつ死ぬか分からない危険な職業だわ。これを機に転職しなさいよ。未亡人になんてなりたくないもの」

「まだ結婚してないだろう」


 ロスが言う。

 テーブルの下で自分の食事をしながら、わたしは皆の言葉を聞いている。

 

「うん。私も戻らなくてもいいんじゃないかと思うよ」


 のんびりとした声はカルロだ。


「我が家には蓄えもあるし、娘婿一人働かなくとも暮らしていけるし」

「まだ結婚してないし、婿にも入ってもない」

「そうよ、そんなに急いで仕事をしなくたって。結婚してもわたしのお金で養えるわ」

「それはヒモですわね!」


 チェチーリアがぷぷぷと笑うのを、ヴェロニカがまた笑った。


 この姉妹を見ていると、わたしはもしかして、と思わずにはいられない。

 

 もしかして、この姉妹は、あのかわいい“わたしの女の子たち”じゃないかしら?

 


 *



 その大きい白いふわふわがお母さんであることは知っていたし、わたしのまわりでうごめく小さなふわふわがきょうだいたちであることも知っていた。

 いつもミルクを求めていたし、ヒマがあれば取っ組み合いをして遊んだ。


 それがわたしの、一番初めのころの記憶だ。


 今思えばそこは森の中で、どうしてそこにわたしたちがいるのか分からなかったけれど、多分、その頃は春で、いろんな匂いがしていたし、楽しくて居心地はよかった。


 でもお母さんは怪我をしていた。

 お母さんは小動物の死骸を食べて飢えを凌いでいた。時折狩りをすることがあったが折れた足ではうまくいかないらしく失敗することも多かった。


 お母さんは、日に日に弱っていった。そしてある日ついにミルクが出なくなった。

 体は固く冷たくなっていって、一生懸命体を寄せても温まらなかった。きょうだいみんな、不安できゅうきゅう鳴いたけど、いつまで経ってもお母さんの優しい舌がわたしたちを慰めてくれることはなかった。


 わたしは怖くなった。

 寂しくもあった。


 だから大声で一日中叫んだ。きょうだいたちが諦めて眠ってからも、ずっと。

 きっと助けてくれる誰かに届くように、精一杯大きな声で。 


「――こっちよ! 本当なんだから! 確かに聞いたもの!」


 ふいに、そんな声が聞こえた。


 お母さんとも、きょうだいたちとも違う、森では聞いたこともない知らない動物の、だけどはっきりとした甲高い声。


 わたしは不安に思うと同時に、なんだかわくわくしていた。心がこの声の主を求めている! そう感じた。


「こんな森に犬がいるとは思えないんだけど」

「アルベルト! そんな正論を言っては、またヴェロニカが怒るぞ!」

「わんちゃん、楽しみですわー!」


 別の声も聞こえてきて、わたしはまた叫んだ。きょうだいたちもそれに気がついて、銘々に叫んだ。


「ほらね!」


 勝ち誇ったかのような声が聞こえたあと、ずらっと見たこともない姿の動物が現れた。


 四匹。


 肌がつるんとしていて、後ろ足で器用に歩く。弱そうな生き物だと思ったけど、不思議と心が弾んで、わたしは一番初めに見えたその生き物の一匹に向かって飛び出した。

 

「きゃ」と言って、その生き物は尻餅をつく。わたしを前足にキャッチして。

 毛が金色の一匹が声を発する。


「大丈夫かい、ヴェロニカ」

「この子、わたしのことが好きなんだわ!」


 温かな手がわたしの体に触れたことが、なんだかとても嬉しかった。


「うらやましいですわ! わたくしにも触らせて!」

「しょうがないわね。いいわよチェチーリア」


 小さな手が、わたしの頭をおそるおそるなでる。


「おい、見ろよ、アルベルト」

「なんだいレオン」


 別の金色の一匹が声を出して、前足の指を器用に曲げてお母さんを指し示した。

 

「妊娠したから、不要になったのか。多分、戻ってこないように銃で足を撃ったんだ。……むごいことを」


 レオン、と呼ばれた金色が、悲しそうにそう言った。


「……ああ、死んでるんだね」


 アルベルト、と呼ばれた金色はお母さんの体を食い入るように見つめていた。


 四匹はお母さんの体を土の下に埋めて、そしてわたしたちきょうだいを抱きかかえた。彼らの縄張りに連れて帰るようだ。


「ねえチェチーリア。この子をわたしたちの犬にしない?」

「わあ、お姉様。それはとても素敵です!」


 道すがら、その二匹はくすくすと楽しそうに笑い合った。




「だめだ」


 厳しい声が、その小さな二匹に飛んできた。

 たったその言葉だけで、二匹は悲しい顔をして黙ってしまった。


 言ったのは二匹よりも体が大きくて怖い顔をした生き物だった。どうやらこの群れのボスらしい。


「明日にでも、猟犬を探している人に譲る。家で飼うなど、馬鹿げたことを言うな」




「こうして寝るのも久しぶりね」


 ベッド、という場所で、二匹はわたしを間に入れて寝転がっていた。この二匹は、きょうだいたちの中でとりわけわたしのことがお気に入りらしい。


「この子だけはお父様から隠して飼いましょう! ばれっこないわ。どうせわたしたちには無関心なんだから」

「そうですわね。うふふ、なんだか楽しいですわ」

「女の子同士、きっと仲良くなれるわ! この子はわたしたちの犬よ!」


 二匹は笑い合って、わたしを交互になでた。この二匹はどうやら女の子という生物らしい。そしてわたしは犬らしい。


 なぜなら二匹はわたしのことを「わたしたちの犬」と呼んだからだ。

 だったらこの二匹は「わたしの女の子たち」だ。「わたしの女の子たち」!――なんて素晴らしい響きなんだろう。その心地のよい手になでられながらうっとりと思った。


 少し大きい方の女の子が寝てしまった後で、小さい方の女の子がわたしにそっと囁いた。


「お姉様とこうしてたくさんお話できたのは本当に久しぶりでしたわ。とても嬉しかったです。あなたのおかげですわ、ありがとう、かわいいわんちゃん」


 その女の子はとっても寂しそうだったので、お母さんがそうしてくれたように顔を舐めてやると、にこりと笑ってくれた。

 わたしはお母さんを思い出して、少し胸がきゅうとなった。


 それにしても、この生き物たちはなんて素敵なんだろう?

 ずっと一緒にいたいわ。とりわけ、わたしの女の子たちは好きだ。

 やわらかくていい匂いがするし、かわいいし、なでてくれるし、ボスに内緒でおやつをくれた。だから大好き。もしかして、この女の子たちに出会うためにわたしは森にいたのかしら?


 でも、一緒にいるという夢は叶わなかった。

 きょうだいたちがこの縄張りから別のところに移されてからしばらくして、わたしの存在が見付かってしまったからだ。


「お父様! お願い、わたし、いい子にするから!」

「わたくしも! その子を連れて行かないで!」

「だめだ」


 そのひと言で女の子たちは黙ってしまい、悲しげな顔でわたしを見つめることしかできなくなった。「だめだ」という言葉には、どんな効力があるのかしら。


 ゆれる馬車の中で、わたしは「だめだ」さんの膝の上にいた。


「猟犬をしつけて、売る商売をしている人がいるんだ。お前はそこにいくんだよ」


 「だめだ」さんは優しくわたしの頭をなでる。わたしの女の子たちは「だめだ」さんを怖がっていたけど、思ったよりずっと優しくて安心した。


「娘達にあんな顔をさせてしまった。ひどい父親だと思っただろうか」


 声が寂しそうだったから、わたしは手を舐めて慰めてあげた。


「よしよし、かわいい子だね」


 「だめだ」さんはやっと少しだけ笑った。


「妻が亡くなった時、チェチーリアは死んでしまいそうなくらい大泣きして、ヴェロニカはその悲しみを閉じ込めるように必死で耐えていたんだ。あまりにも健気でいたたまれなかったよ。

 分かるだろう? 犬は、人間よりもはるかに寿命が短い。もう二度と、あの子たちにあんなに悲しいお別れをさせたくないんだ。

 それにね、家にいたら、お前もそのうちネズミたちのように殺されてしまうかもしれないよ。あの子に、もうどんな生き物も無意味に殺させたくないんだ」

 

 わたしはあんまり理解していなかったけれど、少しだけ分かったことがあった。

 

 この生き物たちは、「人間」という名前だということ。

 わたしは人間が好きだということ。

 「だめだ」さんは「わたしの女の子たち」をとっても大好きだということ。

 厳しく接したことを後悔しているということ。


 それから、人間は、犬には本当の気持ちを話すことができるということ。

次は夕方ごろ更新します。

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