愛の決着(真)ですわ!
気がつけば勝手に足が動いていた。薄く積もり始めた雪をかき集め彼めがけて投げる。小さな雪玉は空中で飛散し、その背には届かない。
――が。
「何で追ってくるんだ!?」
走る足音に気がついたらしく、ロスが驚愕の表情で振り返る。ぎょろりとした目を更に見開いた。
「さっきの別れで綺麗に終わった。それでいいだろう!」
雪が、はらはらと降り続ける。何も終わってないし、何一つよくなかった。何なら始まってすらいないのだ。
ヴェロニカは怒りをぶつける。
「たとえあなたがどこに姿を消そうとも、世界の果てだって地獄だって追いかけてやるんだから!
二人はあるべき所に戻って、別々の場所で、互いを思いながら過ごしていく!? そんなエンディング、大っ嫌い!」
雪を掴んでまた投げる。やはり届かない。
「こんないい女逃していいの? 言っとくけど、あなたが本当に去ったら、わたしは極上の男と出会って、あなたなんか、少しも思い出さずにさっさと結婚するわよ! わたしを愛する男は多いんだから!
だけど、あなたはそうはいかないでしょ! あなたのこと、こんなに大好きになる女の子、断言するけど二度と現れないわよ!」
ロスの瞳が、みるみる困惑に満ちていく。目の前の女がなぜここまで食らいついてくるのか分からないのだ。
彼は持たない主義だった。
家族も恋人も、くだらないしがらみも。
だけど一人を望んでも限度があるというものだ。
生きていく限り、捨てても捨てても荷物は増えていく一方だ。どうせ両手いっぱい荷を抱え込んでしまうなら、その一番初めがヴェロニカだったとしても、何一つ問題はないはずだ。
ヴェロニカは、つかつかと歩み寄っていく。
「あなたって、とんでもない大馬鹿よ。本当に、何も知らないのね!」
ロスはヴェロニカを凝視したまま固まっている。やはり先にアルテミスがもがき、彼の腕から抜け出すと、ヴェロニカの足下にまとわりついた。
「誰かのことが大好きで、いっそのこと壊してしまいたいって思うけど、でも結局は自分の幸せよりも、その人の幸せを切に願う、その気持ちを――」
言いながら遂に目の前までくると、その胸に思い切りパンチをして、叫んだ。
「それを愛って言うのよ! それが、人を愛するってことなのよ!」
彼が向けるもの全て。それを愛すると言わずになんと形容するのか、ヴェロニカは知らない。
ロスだって、そろそろその事実に気づかなくては。愛することは、苦痛ではなくて、喜びに満ちているということに。
半狂乱になりながら、何度も彼の胸を叩く。
「どうして一人になろうとするの!? これから先も、ずっと一人で生きていくつもりなの!? 愛を否定して、孤独に生きるのが幸せなの!? そんなの、寂しいじゃない!!」
「ヴェロニカ……お前は」
「話を遮らないで!」
何かを言いかけた彼の胸ぐらを掴んで今度は激しく前後に揺さぶった。
「愛を語れないですって!? 冗談言わないで! あなたはずっと、わたしに伝えてくれていたじゃない! 獣から守った時だって、兵士から庇って傷ついた時だって、病院の前に置いていった時だって、ジョーにわたしを差しだした時だって! わたしのことが、大好きでたまらなくて、愛してやまないってことを!!」
ヴェロニカは、仕舞いには子供のように泣き出した。この男の前ではいつもこうだ。容易く取り乱し自分を見失ってしまう。でも、かまうものか。泣いて喚いて彼を揺さぶる。伝わって、と祈りながら。
いい加減、それを止めるようにロスの両手がヴェロニカの肩を掴んで引き離す。視線がかっちりと合う。
思いもよらないことに――彼の目には拒絶や疑いは浮かんでいない。
それどころか、助けを求めるように、哀れに戸惑い揺れていた。
ヴェロニカは今になって気づく。
彼がずっと言いかけていた言葉がなにであったかを。
「――お前は、俺で、いいのか?」
口にしたのは、普段の彼に似つかわしくない、あまりに弱々しい疑問だった。
あり得ないことを確認するかのような、目の前で起きた奇跡が信じられないような、そんな口調で。
求め、迷い、拒絶の恐怖に苦悩していたのは、ヴェロニカだけではなかった。
両肩の大きな手が、熱を持つ。
この後に及んでまだ不安を感じている彼に、ヴェロニカは泣きながら微笑みかけた。
「だから、ずっと言ってるじゃない。あなたが、いいのよ」
ロスでなければだめだった。
言葉を証明するように、彼の胸に置いたままだった手を体に回し、大きな背中を抱き締めた。また気づく。好きでたまらないのも、愛してやまないのも――ヴェロニカの方だった。
すると、彼にしては考えられないほど、大切な壊れ物を扱うような緩やかな力で、とても控えめにヴェロニカの体を抱き締め返してきた。
反して、ヴェロニカはロスの体をさらにきつく包み込む。この人を、二度と離すまい、と思った。
互いの確かな存在を感じ合うように、しばらくそうしていた。やがて、ゆっくりと体を離すと、ロスがぼそりと言う。
「ああして公衆の面前に顔をさらした以上、俺は今までの仕事には戻れない。無職になるかもしれん」
「別にいいわよ。わたしだって、働いているんだもの。養ってあげるわ」
「内情を知りすぎてる俺を殺そうと、誰かが暗殺をしかけてくるかも知れない。そういう暮らしになるかもしれん」
「怖いの? 大丈夫よ。わたしが守ってあげるから」
よどみなく答えると、苦笑が返ってきた。
それに嬉しくなる。
「一緒に生きて行きましょうよ? 結婚するのよ、わたしたち! 子供をたくさん産んで、いっぱい家族を作るの。
あなたはお父さんになって、わたしはお母さんになって、日だまりのような家庭を作るのよ! 歳を重ねて、よぼよぼになって、おじいちゃんとおばあちゃんになっても、ずっとずっと、幸せに暮らすの! ……もちろん、アルテミスも一緒にね!」
名前を呼ばれたアルテミスが嬉しそうに二人に飛びつきながら吠える。
遠回りをしたが、至極簡単な話だった。
互いを知らなかった男女が偶然出会い、そして恋に落ちた。言ってしまえば、たったそれだけの話だ。いつだってヴェロニカはただのヴェロニカで、ロスはただのロスだった。
ヴェロニカは再びロスの襟元を掴むと、自分の側に寄せ、そしてそっと口づけをした。
「――……これで五度目ね」
離れてから恥ずかしくなり、ごまかすようにそう言うと、ロスは首をかしげた。
「四度目だろ?」
しまった、と思う。彼が怪我をして意識がない間に、勝手にキスをしたことがあった。表情に出ていたのか、気づかれた。
「まさか、俺の知らない間に」
「ま、間違えただけよ!」
顔が熱くなり、とっさに叫ぶ。
と、ロスの手が、ヴェロニカの髪に触れた。無骨な手にそぐわず、慈しむようなその仕草にまた照れくさくなる。
彼の手が、ヴェロニカの頭に積もった雪を払う。それから、一瞬のあいだにキスをされた。
「これでおあいこだ」
ヴェロニカは彼の背にしがみつくように手を回す。彼の手もそれに呼応するようにヴェロニカを包む。頭上で優しい声がした。
「……負けたよ、ヴェロニカ。お前ほど、俺の心臓のど真ん中を掴んで離さない奴はいない」
「死んでも、神様になんてあげちゃ嫌よ。今からそれはわたしのものなんだから」
「もう、とうの昔にお前のものだ」
ロスはヴェロニカの顔を引き寄せ、再びキスをした。
それから、何度も何度も、唇を重ねる。睫毛が触れるほどに近く、彼を感じた。
ようやく何度目かの後、未練たらしくもやっと顔を離した。
「……何度目か数えられなくなっちゃった」
彼の腕の中にいると、雪降る寒さなど気にならないくらい温かかった。
「きゃっほー! やりましたわね! お姉様!」
いやに明るい声が聞こえて、ヴェロニカとロスは愕然と声がした方を見る。
心から温かさは消え去り、突如として周囲の気温に気がついたかのように一瞬にして凍り付く。
先ほどまでいた玄関先に、目を輝かせたチェチーリアとカルロ、そしてグレイとヒュー……つまり、先ほどの全員がいた。
「い、一体いつからいたわけ!?」
「最初からですわ!」
「嘘だろ……」ロスが珍しく激しく動揺し、自分の口を両手で覆い、その場に力なくしゃがみ込んだ。アルテミスが慰めるように顔を舐める。
「どうぞ、ボクたちなど気にせず続けてください!」
ヒューが調子よく言う。グレイは赤面し、何も言えない様子だ。
「お姉様、ほんの少し、いえ、ちょっと、いえ、かなり、めちゃくちゃものっすごく寂しいですけど、それ以上にとっても嬉しいですわ!! おめでとうございますですわ!」
「なんて子なの!? 盗み聞きするなんて!」
顔を真っ赤にしながら大声を出す。
「待ちなさい! お仕置きよ!」
チェチーリアがケラケラと笑いながら逃げ回るのをヴェロニカが追いかける。
アルテミスが遊びと勘違いしたのか、高らかに吠えながらそれに加わる。
「よかったなあ、ヴェロニカ。ロス君、娘を頼むよ。いや、でも遂に嫁に行くのか。寂しいなあ」
カルロが次女をとっ捕まえたヴェロニカを見ながらロスに近づきそう言った。まだ持ち直れないようなロスであったが、なんとか立ち上がる。
「幸せになるんだよ……。いや、やっぱりだめだ! 娘はやらん! ああ! だが、花嫁衣装も似合うのだろうな。ロス君も悪い奴ではないし。それどころか、私ほどではないが、いい男だとは思う。しかし、こうしてまた家族の時間が戻ってきた矢先だ! ああ、神よ! どうしたらいいのです!?」
「お父様! 情緒不安定すぎますわ!」
ヴェロニカにがっちりと腕を掴まれたチェチーリアが、はしゃぐ気持ちを抑えきれないように、満面の笑みで父に言う。
それを見ていたグレイとヒューが、面白おかしい家族のやりとりに耐えきれず、少年達らしく大声で笑い出した。
そのまま二人は、玄関の扉を大きく開け放つ。
ヴェロニカがチェチーリアと腕を組み、共にくすくす笑いながら走るように家の中に入っていく。アルテミスが一足先に玄関で、棒立ちのままの親友を待っている。
扉の向こうの家の中は、温かで柔らかな光を放っている。ロスの黒い瞳がそれを映し、目の中に無数の星を作った。
「さあ。外は冷えるよ、中に戻ろう」
カルロが身震いしながらそう言って、ロスの背に手を添え、進ませるように一歩押した。
門は開かれた。――だから、ロスは頷き、歩き出す。その、輝く明かりの中へと。
雪上から、先ほどの一人分の足跡は消え、代わりに家へと帰る家族分のそれがまばらに上書きされていく。
宴は一晩中続く。話は延々と尽きない。
今までのこと、これからのこと、語るべき事は多い。時間はまだまだある。
なぜなら幸せは始まったばかりだからだ。困難は過ぎ去り、これから、あらゆる幸福がおしげなく彼らの上に降り注ぐ。
やがて外に人の気配がなくなると、扉はゆっくりと閉じられた。
玄関では、馬宿の中の赤ん坊と聖母の置物が、人々の安寧を祈るようにただ優しげな表情を浮かべていた。




