追究のお姉様ですわ!
二人がいた一室はアルベルトに与えられた部屋だった。彼らしく大量の本が置いてある。城内に私室があるなど、さすが公爵家、王族に近いだけあるなとヴェロニカは思った。
レオンとミーアの婚約式が終わるまでは王に会えないとアルベルトが言ったため、ここで待つことにしていた。
ヴェロニカは窓に寄り広場を見下ろす。まだ式は始まらない。使用人達がせわしなく行っていた準備はすでに終わり、見張りの兵士達が置物のように配置に着いていた。
アルベルトは椅子に腰掛け、ヴェロニカの様子を見守る。
「……元気が無いね」
ヴェロニカは婚約者を振り返る。
束の間、彼に本当に伝えるべきか迷った。でも、それも一瞬だけで、結局は言わなければならないと思った。
どう切り出そうか、と考えたところで思い出したのは昨晩聞いた逸話だ。
「誘拐犯と恋に落ちることがあるって、知ってる?」
「え?」
急な話の展開に彼は半笑いのような顔を作った。構わずに続ける。
「わたし小さいとき、誰にも理解されないと思ってた。わたしのことを分かってくれるのは、アルベルトだけだって。思えば、随分依存してたわ」
「依存なんて思ってないよ。頼ってくれて嬉しかった」
アルベルトはいつも通り優しい。だがこの場においてヴェロニカが求めるのは優しさではない。
「誘拐された人は、犯人にその命全てを握られているから、きっと依存してしまうのね」
「なんの話だい?」
「わたし、あなたに嘘を吐いていたわ」
彼は首をかしげる。
「どんな?」
「嘘、というか、気づいていなかったの。あなたに感じているものを勘違いしていた」
穏やかに微笑む彼に、そっと告げた。
「――わたし、あなたを愛していない」
あの男に対して抱いたあの燃え上がるような激しい感情の高ぶりを愛と呼ぶなら、それをこのアルベルトに抱いたことは過去、一度としてない。言ってしまえば友情で、決して愛ではなかった。
知らなければ、きっと気づかないまま、永遠に幸せでいられた。しかしそれを知った今、たとえ不幸になろうとも嘘を吐いたままでは生きられない。
ヴェロニカの告白は愛を囁きあった恋人にすれば最大の裏切りだ。しかし向かい合う彼の表情はピクリとも動かない。まるでそう言われることを予期していたようだ。
「関係ないよ。言っただろ。君の心の中に誰がいたって、君への愛に少しも変わりはない」
そう言って、やはり微笑んだまま、ヴェロニカにゆっくりと近づいてくる。
ヴェロニカはアルベルトを前にしてひどく緊張していた。
窓を背にしたまま動くこともできず、やがて目の前にきた彼に今度こそ口にキスをされてもやはり身じろぎ一つできなかった。
「君の全てを愛しているよ、ヴォニー」
耳元で甘く囁かれる愛の言葉。
かつてあれほど、アルベルトからの愛は嬉しく、喜びに満ちていたはずなのに。
言われた瞬間、思い出したのは森で兵士に襲われた後、ロスに銃を向け愛を伝えたときのことだ。
「……愛、ですって?」
呟いて、自分の口元が笑っているのに気がついた。おかしくてたまらない。
なんて滑稽、なんてチープ?
一方的に向けられる愛ほど、独りよがりで薄気味悪いものはない。
堪えきれずにふ、と笑いを漏らした。
「今なら、ロスの気持ちも少しは分かるわ」
ヴェロニカは、真っ直ぐにアルベルトを見る。
「愛なんて、言葉にすればするほど、陳腐になっていくのね」
その時、アルベルトの顔に貼り付いた笑顔が歪むことに、確かに気が付いた。
「人を深く愛するって、もっとどうしようもなくて、相手の全てが欲しくて、痛くて、辛くて、苦しくて、でも、とてつもなく幸せで、心の底から嬉しいのよ。……だけど、相手を喰らい尽くしたいほど欲しいのに、その人の幸せを一番に願って、自分から身を引くのが、それが愛するということよ!」
ヴェロニカの幸せを願い、アルベルトに差し出したロスのように。
だがアルベルトの言う愛は違う。一方的な押し付けで、支配的だ。
「どうしたんだい、ヴォニー? ねえまさか、あの男を、本気で愛しているって言うんじゃないだろうね」
優しい口調は崩さないまま、しかしヴェロニカを見つめる瞳に、いつもの優しさは無い。
「彼が君に、一度だって愛していると言ったことがあったのか? 僕とあの男、どちらの手を取るかなんて考えるまでもないことだ。君は最後、僕を選んだだろう」
アルベルトの顔に浮かぶもの。
それは、怒りだ。
出会って初めてヴェロニカに、明確な怒りをぶつける。
「ねえ、僕らは一心同体だ。アダムとイブのように、僕らには互いが必要だ。君は僕の半身なんだよ。理解し合えるのは、互いしかいない。昔、君が蝶を殺した時、僕はそう確信した」
その言葉にヴェロニカは蝶を思い出す。
あの、見事な模様の。
アルベルトと庭にいて見つけた。
飛び方がおかしかった。
その蝶は、かわいそうだった。
片方の羽が曲がっていた。
いずれ、捕食者に捕まり、無残な死を遂げる。
なら。
――殺してあげましょうか?
ほんの遊びの延長だった。
ヴェロニカは、飛び立てぬそれを掴むと、手の中で思い切り握りつぶした。ぐちゃりと蝶は死に、後ろ暗い満足に心は満ちた。
ヴェロニカは下唇を噛んだ。
苦い記憶。
心の中に、棘のように今もなお刺さっている。
その棘は永遠に抜けることはない。
あまりにも幼くて、命の意味など知らなかった。いや、それは卑怯な嘘だ。もちろん知っていて、弄んだ。家族の中で居場所を失った鬱屈した感情は、ゆがみ表出した。人間を翻弄する神のように、一方的な正義で命を奪った。でも人間は、神ではない。
ヴェロニカは、はっきりと認める。
「蝶を殺したのは、間違っていた。どんなにかわいそうでも、最後まで命は全うされるべきだったのよ」
父が言っていた意味だって、今なら分かる。
アルベルトは、黙ってヴェロニカを見下ろしていた。その顔に貼り付いていた笑顔は消え去り、見たことも無い冷たい瞳がそこにあった。
「僕を作ったのは君だよ。あの時君が、なんて言ったのか覚えていないのかい?」
彼が何を言っているのかわからない。
「ねえ。どうしてわたしたちを嵌めたの?」
言うと、アルベルトは眉を顰める。
「何を言っているんだい。嵌めたのは父だ。僕はそれを止めようとしたんだよ、知ってるだろう」
まだ彼は言い逃れをする。ヴェロニカは、首を横に振る。想定の範囲内だ。逃がすものか。
「わたし、森で気がついたの。誰がわたしたちをこんな状況に追い込んだのかって。今回の騒動、チェチーリアが、自分を悪役令嬢だって、思い込んでいることが重要だった」
何度も繰り返し頭の中で検証した推論だ。間違いないはず。
国を滅ぼすには王家を盲信する権力者、クオーレツィオーネ家を排斥する必要がある。敵にとっては幸運なことに、家が没落すると信じ込んでいるチェリーリアがいた。だから彼女の妄想通り、シナリオを用意して行動を導いた。
「だからわたしたちを陥れた人はチェチーリアをよく知っている人物に限られるはずよ。学園の友達はあり得ない。今あの子はその話をほぼしないから、レオン殿下すら知らないはずよ。だから必然的にあの子がその話をよくしていた幼い頃、屋敷に出入りしていた人物になる」
妹は父に、その話をするなと固く禁じられていた。
「シドニア様? いいえ。彼は直接知らないはずよ。だってほとんどチェチーリアと話していないもの。二人が話しているのって、見たこと無いわ」
シドニアはほとんど父と会話し、息子の婚約者であるヴェロニカとも話したが、妹には興味を示さなかった。
「あの頃、あの子と話していたのは、あなたよ。廊下の隅で、二人でこっそりと……。チェチーリアは優しく話を聞いてくれるあなたに、いつも話していたじゃない」
「確かに、チェチーリアちゃんの話は面白いから、その頃父に伝えたかもしれないよ。だけどそれがどうして僕が嵌めたことになるの?」
アルベルトは余裕を取り戻しつつある。その声は安堵が含まれている。言い逃れの隙は、まだあるからだ。
「証拠なんてないわ」
ふふ、とアルベルトは笑みをこぼした。しかしその笑みが消えないうちに、ヴェロニカはまた言った。
「シドニア様のやったことはこうね……。
あなたからあの子の妄想を聞いて、きっと思い付いたのね。ミーアさんのお家はアルフォルト家とずぶずぶでしょうから、彼女を利用して、レオン殿下に言い寄らせたのでしょう。レオン殿下は……まあ、よく言えば純粋だもの、陥落するのはたやすいはずよ。
それでチェチーリアの妄想通り……本当に前世があったとしても、それは関係ないわ。少なくとも、チェチーリアの言うシナリオ通りに事が進むように、言いがかりをつけさせた。チェチーリアは必ず自分がミーアさんをに嫌がらせをしたと認めるわ。だってあの子の中では、シナリオこそが正しい世界だったから。
結果、クオーレツィオーネ家は散々な目に合った。当主は逮捕。もう政界への復帰も難しい。上手くことは運んだ。シドニア様が実質的にこの国を動かす下地は手に入った」
それが妹の言う、ゲームの世界の話だ。ゲームにおける黒幕は、おそらくシドニア。しかし、ゲームと現実は違うということは、嫌と言うほど知っている。
この世界における黒幕は――。
「だけどあなたはシドニア様を裏切った。なぜ? わたしのため? いいえ、それは違うわ。
それはあなただけが、権力を得るためよ。シドニア様とあなたは、意見がたびたび食い違っていたでしょう。邪魔に思っていたんだわ。あなたこそが、この国を手に入れようとしていたんだわ」
「全部君の思い込みさ」
「いいえ」
アルベルトの言葉を即座に否定する。
「それに、婚約式が終わるのを待つって話も変だわ。さっさと国王陛下に言って、中止させればいいじゃない。中止の言い訳なんて、後でいくらでも立つことでしょう?
あなたは上手くやったわ。証拠を残さずに、やったことは全部シドニア様になすりつけて、自分は哀れな善人を演じたんだわ。だけど誤算があったわね」
「誤算?」
アルベルトの眉が、ピクリと動く。誤算があるなら聞かせてみろ、と挑むような瞳だ。彼の本性を垣間見た気がした。
「物的証拠なんてひとつもない。でも、心理的証拠なら、たくさんあるわ。わたしはあなたのことを、本当によく知っているもの。清廉潔白、頭脳明晰な公爵家のアルベルト。
第一に、シドニア様が昔チェリーリアの妄想をあなたから聞いたとして、それがまだ続いてるとどうやって知るの? 成長したら幼い頃の空想話なんて消えてしまうと思うのが普通よ。でもあなたは別。わたしから度々あの子の愚痴を聞かされていたから。でも、大の大人が婚約者の妹の妄想なんて、わざわざ父親に言うのかしら? そんな身内のいる奴との結婚なんて止めてしまえと言われるのが関の山だわ。だけどシドニア様は知っていて、そうしなかった。あなたと二人、なにか目的があって、我が家の近くにいたんでしょう。
第二に、もし共犯でなかったとして。頭のいいあなたが、シドニア様の企みにぎりぎりまで気がつかないなんてことあり得ない。シドニア様はあなたにも事業のいくつかを任せていたわよね。ずっと側にいて、裏帳簿に気づかないなんてことある?
第三に、もしあなたが本当に誠実なアルベルトなら、こんな事態になる前に、わたしたちを助けてくれたはずだわ。もしシドニア様を疑い、察知していたなら、その時点で少なくともわたしには言ったはずよ」
「そんな訳ない。全て父がやったことだ」
だがアルベルトの表情は凍り付いていた。言葉を発する度に、彼の口元が引きつる。
そして遂に――ヴェロニカは最大の疑問とも言えることを口にした。
「父、ですって? 父じゃ、無いでしょう?」
アルベルトは驚いたような顔になる。
ヴェロニカは、予感を確信へと変える。
「あなたの家でお墓を見たわ。刻まれていたのは――」
冬だった。
あの寒い日、彼の屋敷の庭に、隠れるようにして佇む墓を見つけた。さほど古くは無い。丁寧に手入れされていた。享年を見ると幼くして無くなった子供のようだ。
刻まれた文字を不思議に思い、彼に尋ねた。その時は、思いもよらなかった。
あの墓が、本当は誰のものか。
「刻まれていたのは、“アルベルト・アルフォルト”」
――アルベルト、同じ名前の子ね。
そう尋ねたのだ。
――ずっと前に亡くなった子のさ。幼くして病に倒れたと、聞いたことがある。
彼は嘘を付かなかった。だけど、真実も言わなかった。言えるはずがない。自身の存在を揺るがしかねないのだから。
ヴェロニカは最大の問いを、彼に投げる。
「あなたは、誰なの?」




