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後は野となれご令嬢!〜悪役令嬢である妹が婚約破棄されたとばっちりを受けて我が家が没落したので、わたしは森でサバイバルすることにしました。〜  作者: さくたろう/「悪女矯正計画」1&2巻発売中
第1部 第2章 激情、戦闘、インモラル

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全ては夜の森のせいですわ!

 それはそれは見事な模様の蝶がいた。

 ずっと見つめていたかった。


 だがよく見れば飛び方がおかしい。


 片方の羽が折れていた。

 不器用に少し羽をばたつかせて、そしてすぐに地面に落ちる。

 それが哀れだった。

 だから。だから……

 

 蝶の死骸を手に持っているのを父に見付かった。


 ――ヴェロニカ、命というものは。


 あの時父はなんと言ったのだろうか。忘れてしまった。



 * * *



 ヴェロニカが微かな物音で目を覚ましたとき、まだ周囲は暗く、朝の気配すらなかった。

 確かに音がした気がする。それで懐かしい夢から覚めたのだ。


 側に置いていた銃をそっと手に取る。ロスは――いなかった。


(……動物かしら)


 あるいはロスが歩いた音とか。

 ゆっくりと、岩場を出る。ぱきり、と自分の足が枝を踏む音がした。

 瞬間、


「ばああ!」

「―――――ッ!」


 叫ぼうとした口を背後からものすごい力で塞がれる。正体不明の襲撃者を横目でなんとか確認すると、服装からして昨日の兵士だと分かった。


(生きていたの!)


 また懲りもせず殺しに来たのだ。任務を全うしようとする厚い忠誠心からか、それとも単純に復讐のためなのか。


 ヴェロニカを恐怖たらしめたのは、彼の顔面が不気味に崩れ、まるで人の形には見えなかったためだ。ムースに踏みつけられ、顔の皮が所々欠けている。肌からは白い骨が覗いていた。


 無我夢中で空に向けて銃を放つ。ロスがどこに姿を消したか分からないが、知らせようと思ったのだ。その音に驚いたのか、兵士の手が緩んだ。


(今を逃したら、次はない!)


 振り向きざまに、男の体に向けてヴェロニカは銃弾を放った。当たったのか不明であるが、男はおおよそ人間らしからぬ恐ろしい悲鳴を放った。


「ヒュグアアアアアア!

「きゃあああああああ!」


 間近で二人は叫び合う。


 そして気付く。人間の言葉未満の獣の咆哮のような奇妙な音は、彼の喉が損傷し穴が開いているためであると。それが地獄の底から自分を殺すために蘇ってきた亡霊のように、ヴェロニカには思えた。

 恐怖に引きつり何度も撃つが焦った手元では当たらない。男は何かをわめきながら血に濡れた手をヴェロニカの首にかけてきた。そのまま力が加えられる。呼吸が苦しくなり、抵抗しようと爪を立てるが効果はない。


(こんなところで、死んでられない!)


 ロスはいない。

 肝心なときに! ――だから、自分でなんとかするしかない。


 ヴェロニカは思い切り男の顔面に両手を添えると持てる力全てを持って自分の顔を近づけ、鼻頭に噛みついた。


(――噛みちぎってやるわ!)

 

 数度殴られたような気がするが、それでも口を離さなかった。

 ……ブツリ、と脳みそまで届くような鈍い音が響いた後、またしても恐ろしい悲鳴を上げて男は後ろにのけぞった。


「ぺっ!」


 ヴェロニカは口の中からゴムのような感触の男の鼻先を地面に捨て、落ちた銃を拾い上げ素早く向ける。


「死に損ないが! わたしを襲ったこと、地獄で後悔するがいいわ!」


 自分の命を守るためなら、人命を奪うことも厭わない。

 いつか聞いた哲学が、今確かな実感を持ってヴェロニカの中に宿る。

 

 迷うことなく引き金を引く。

 が。

 

(弾切れ!!)


 空発だった。数回引くが、弾は出ない。

 兵士はそれに気がついたようで、頬までも裂けたように見える口を歪めて笑ったようである。兵士が再び立ち上がった時である。


 ――パァン


 予期せぬ角度からの発砲。兵士は横から頭を打ち抜かれ、そして地面に倒れた。正確にこめかみを打ち抜かれた亡霊未満の死に損ないは、今度こそ本当に死んだようだ。足先で数回小さく蹴るが動く気配はなかった。

 それから兵士を殺した男を睨んだ。


「……どこ行ってたのよ!」

「小便だ。悪かったな、大丈夫か」


 ロスは悪びれるでもなく言う。手元の拳銃からは白い煙が立ち上る。


「大丈夫なわけないでしょう!?」

 

 ヴェロニカの怒りは収まらない。いつか渡された弾薬を弾倉に込めると、銃をロスに向けた。それは歴戦の兵士の条件反射なのか……ロスも即座に拳銃をヴェロニカに構えた。そして自分の行為に驚いたように拳銃を見ると、今度は両手を上に挙げ口の端を上げた。


「おいおい、冗談きついぜ。そんなに怒るなよ」

「怒るわよ。この兵士にわたしをわざと襲わせたの?」

「はあ? そんなわけないだろう」


 ヴェロニカを支配するのは猜疑心だ。ついに目前の男とケリをつける時がきた。


 銃を向けられているというのに、ロスは余裕だった。それがまた腹立たしい。

 ヴェロニカが本気で撃つわけないと思っているのか、あるいはそれでもなお自分が負けるわけないと確信しているのか。

 ロスが一歩こちらに踏み出してくる足下を狙って、一発お見舞いする。彼は立ち止まった。


「おいヴェロニカ、いい加減に」

「銃を捨てなさい」


 静かにそう告げると、彼は持っていた銃をゆっくりと地面に置いた。顔では相変わらず薄く笑みを作っているが、その目は厳しくヴェロニカを射貫く。反撃の機会を窺う、野生の獣のようだった。


「わたしが何も知らないお嬢様だとでも思ったの? これでも学年首席だったから頭はいいのよ」

「何を疑っている」


 怒っている、ではなく疑っていると問うロスに、彼もヴェロニカが何かを察知したことに気がついたらしい。だから、淡々と事実を告げた。


「あなたはやっぱり嘘つきだと言う話よ。お父様があなたを雇えるはずないのだわ。だってわたしの馬車が出発してすぐ、お父様は逮捕されたんだもの。

 知らなかったでしょう? 逮捕の時あなたはわたしと山にいたものね。わたしはエリザおばさまから聞いたのよ、あなたがいないときに」


 そう、エリザおばの話によると、父はすぐに逮捕された。だがずっと山にいたロスは、それを知らない。だからこそ、父に雇われたのだと見えすいた嘘を吐いたのだ。

 用心深いこの男が見せた隙。ヴェロニカはその違和感を見逃さなかった。


 ではなぜ“父が自分を雇った”という嘘を吐いたのか?

 ――ロスはヴェロニカが彼の嘘に気がついていることに気がついていた。嘘、というのは脱走兵の振りをして、偶然を装い、ヴェロニカを助けたことだ。誰かの命令によって。その誰かを気取られないために、父を利用した。 


「それがエリザの嘘だと思わないのか?」


 ロスが言う。目線はヴェロニカを捉えたままだ。


「そんな嘘、あの場で吐く意味ないもの。正直に話しなさい。あなたはわたしとなぜ行動を共にしているの? ……こう聞いた方がいいかしら? 誰に命令されているの?」

「なあ、冷静になれ」

「言い訳はもうたくさんよ!」


 また一歩近づこうとするその足下に一発放った。ヴェロニカはさらに高く銃を抱える。悲しみを悟られないように、強く握った。


「あなたは、わたしが疑っていることに気がついていたわね? エリザおばさまの屋敷を出たとき、だから味方だと言ったんでしょう! それ以上探らせないために。だってあなたを疑ったら、わたしは本当に一人ぼっちになっちゃう。その弱みにつけ込んだのね! 心細さを利用したんだわ。ひどい男ね? わたし、傷ついてるわ」


 ロスは黙っている。いまやその表情から一切のおどけた雰囲気は消え去っていた。夜の闇が二人を包み込む。


「わたしにキスしたのも、信じさせるためにそうしたんでしょう?」

「そうじゃない」


 夜の闇より黒い目が、真っ直ぐに見つめる。


「そうじゃないヴェロニカ。今襲った兵士だって、生きていると知らなかった。脅威は去ったと思っていた。俺のミスだ。怖がらせてすまなかった」

「近寄らないでと言ってるでしょう!!」


 ロスが動こうとしたため、ヴェロニカはまた地面を撃った。


「……弁明の余地すらないのか」


 そう言う彼の表情は切実だった。しかし、ヴェロニカにしてももう覚悟を決めていたのだ。


「なら、最後のチャンスをあげるわ」


 最初から尋ねようと思っていたこと、ヴェロニカにとってのジョーカーだ。


「……ねえ、ロス。わたしを愛している?」


 予想外の質問だったのか、ロスは緊迫した雰囲気にそぐわず間の抜けたような表情をした。だがヴェロニカは極めて冷静だった。


「わたしを愛しているというなら、全部、許してあげるわ。なにもかも水に流して、あなたを信じてあげる。真実を言うとね、わたしはあなたを愛してるの」


 ロスは微動だにしない。瞳がヴェロニカだけを映している。その真意を測るようにじっくりと見つめてくる。


(全部真実よ。馬鹿なロス)

 

 本気だった。

 いつか故郷の話をした彼に、もうヴェロニカは恋をしていた。――たとえ、それがなにもかも嘘だったとしても、彼を愛していると感じていた。


「わたしを、愛しているんでしょう?」


 なおも尋ねる。

 それはもう確信だった。ヴェロニカはロスが自分を愛していることを、微塵も疑ってはいない。


「わたしは、あなたを愛しているわ」


 胸の内を全てさらけ出し、心は今になって穏やかだ。目の前で呆けたような顔をしている男は、やがて苦痛に顔を歪ませる。


「俺はだめだ。お前を幸せにはできない」


 苦しそうにそう吐き出す彼をなお愛おしいと思った。彼の抱える痛みすら、全て欲しかった。


「かわいい人ね」


 ヴェロニカは微笑んだ。ロスの目が驚いたように見開かれる。その瞳の奥で悲しみが疼くのを見つめながら、一歩、歩み寄る。

 呼応するように銃を下ろした。


「わたしを愛しているんでしょう?」

「……いいや。俺は、お前を少しも愛してなんていない」


 顔と顔が触れるほんの寸前まで来たところで、ヴェロニカは勝ち誇ったかのように笑った。


「やっぱり、あなたは嘘つきだわ」


 交わした三度目の口づけは欺きと背徳に満ちる。



 *


 

 朦朧とする意識の中で、自分の体が運ばれているのを感じた。


「今一度、お前に触れるのを許せ」


 男の声が、遠くから聞こえた。

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