赤身のお肉は美味しいですわ!
「火をつけよう」
すっかり回復したロスは寒そうに手をすり合わせてそう言ったのを、ヴェロニカは訝しんだ。マッチは荷とともに放り出してしまったため、火をつける道具はないのだ。
「あ! もしかして、木の棒をこすり合わせるあれ?」
「そんな馬鹿げたことするか」
ロスは服のポケットから石を二つ取り出すと、数回打つ。出た火花を木の皮の上に散らすと、手際よく火をつけた。
「そんなの持ってたの」
いつもマッチで点火していたため、初めて見る火打ち石に感心する。
「いざ、って時がくるからな」
今がいざって時らしい。荷はなく、あるのは銃とナイフと火打ち石だけだ。それでもロスは悲観するでもなく、淡々と作業を続けていく。
持ち帰った肉を彼は器用に調理した。傷を負ったのは昨日のことだが、超人的回復であることに、既に両手は動くらしい。一部を茹で器に盛り差しだした。ヴェロニカは困惑する。
「え!? 生じゃない。焼かないと!」
「焼くのは味をごまかすためだ。本当に新鮮な肉なら、焼かなくても食える」
「いやよ!」
「はるか極東の島国じゃ、なんでも生で食うらしい。教育の行き届いたお嬢様がその文化を否定するのか?」
「ぐぬぬ」
挑発だと分かっているが黙っていられるほどヴェロニカは穏やかでもおしとやかでもなかった。意を決して一口食してみる。
「お、美味しい!」
目を丸くする。
「噛むと歯ごたえがあって、でも柔らかい! 獣臭さもまったくないわ! 口の中からあっという間になくなっちゃう!」
ひろがる肉の味に思わず笑顔ではしゃぐ。自分で獲ったものだと思うと美味さもひとしおだった。
「ムースの刺身だな」
そう言い、ロスも数切れ口に放り込んだ。
火が強くなると、体が温まってくる。
「ねえ。聞きたいのだけれど」
肉を焼くロスにヴェロニカは話しかけた。
ずっと疑問に思っていたことだ。聞くなら今しかない。彼は話すに十分に回復していたし、機嫌も良さそうだ。銃はヴェロニカの近くにある。考えたくはないが、もし彼が襲ってくるような事があれば、撃てるだけの距離はあった。
「あなたは、脱走兵じゃないわね?」
ヴェロニカにとっては決死の言葉であったが、ロスは視線を上げただけだ。彼の顔には怒りも焦りもなく、まるでいつか聞かれることが分かっていて、それがついに来たとでもいうように落ち着き払った表情だった。
「なぜそう思う」
「思い返せば初めからおかしかったんだわ。馬車が襲われたとき、どうしてあれほどタイミング良く現れたのか――」
そこで一呼吸置いてから、一気に言った。
「初めから、兵士たちの中にいたんでしょう?」
根拠はあった。
馬車の外で、殺される寸前、兵士の一人が「なぜだ」と言っていた。見ず知らずの人間が通りかかったとして、なぜだ、なんて疑問に思うだろうか。あれはもっと、自分に近い人間の裏切りにあったような言葉ではなかったか。
「まさか。偶然だ」
ロスは否定するが、ヴェロニカは納得したわけではない。聞きたいことはもっとたくさんある。以前感じた疑問を口にする。
「あなたの軍服、少しも汚れていなかったわ。脱走兵としてずっと森の中にいたなら、もっと汚れていてもいいんじゃないの?」
実際、山に籠もってから、ロスの服は汚れ始めた。ヴェロニカにしても、ドレスはボロボロだ。
「脱走兵だが、ずっと山にいたわけじゃない。町にも出てたからな、汚れてなくてもおかしくはない」
またしても、否定。だがヴェロニカは逃がさない。
「わたしはチェチーリアのことを妹なんて一度も言っていないのに、あなたは知っていたわ」
「話の流れで普通はわかるだろう。それに、クオーレツィオーネ伯爵に娘が二人いるのは有名な話だ。想像は容易い」
「毛布、二人分あったわ。初めから、わたしと過ごすことを見越していたんじゃないの?」
「あれは冬用だ。冬の山を知らないだろう。一枚じゃ足りない」
「本当に、ああ言えばこう言う男だわ!」
怒ってそう言うと、ようやくロスは笑った。自分でも苦しい言い訳だと思ったのだろう。その様子を見て、ヴェロニカの心は曇る。
(やっぱり、嘘なんだわ)
たたみかけるように言った。
「自分でも分かっているんでしょう? おかしいじゃない。王家直属の兵士が、ただの脱走兵のはずのあなたの名を知っていたわ。お風呂で襲われたとき、『あのロスか』って言っていた。まったく、どのロスよ? それに、昨日だって、あなたを知っていた。隊長って呼んでた。……トモーロス。それは神話の神様の名前でしょう? 名前すら、嘘なの?
ねえ。あなたは、誰なの? 本当のことを言いなさい!」
なるべく、冷静に言ったつもりだった。しかし語気が強まるのを自分でも感じた。
ロスはどう出てくるだろうか。もしも彼に見捨てられたなら、ヴェロニカは山で生きていけないと思っていた。だから今まで、聞くのをためらっていた。
でも今日、自分一人の力で獲物を得た。もしかすると、たった一人でも生きていけるかもしれないというわずかな希望があった。彼とは離れがたい何かを感じるが、そうも言ってはいられない。
銃の場所を、そっと確かめる。すぐに手に取れる距離だ。何かあれば、撃つ。
ロスは参った、と言うように額に片手を当てるとため息をつく。
「……分かった。白状するよ。俺は、お前の父親に雇われたんだ。エリザの元まで、無事届けるようにと」
「お父様に!?」
ヴェロニカは素直に驚いた。あの父親が、わざわざ護衛を雇ったというのか。
「ああ、道中危険がつきまとうだろうから、付いてって欲しいと。
……俺の名は確かに本名じゃないが、元の名はA国人には発音できないほどあまりにも複雑だから、名乗っていないだけだ。山の知識が豊富で、付いたあだ名が山の神、通称、ロスだ」
「本当?」
ああ、と頷くロスの表情はなんでもないことだとでもいうように穏やかで、邪悪さのかけらもなさそうだ。
「だから、初めからお前を追う一団に潜入した。人間って動物も、獲物を襲う瞬間に最も隙ができるもんだぜ。助けるなら、お前を襲う時が一番いいと思ったんだ。どうだ? 疑問はなくなったか?」
「そうね……。兵士たちがあなたを知っていたのは、知り合いだったってこと?」
「顔見知りもいたかな。大抵は一方的に俺のことを知ってる。こう見えて、一隊を任されていたエリートだからな」
「え、あなたみたいな野蛮人がエリート!?」
思い切り鼻に皺を寄せるが、ロスは平然と「ああ」と答える。ヴェロニカはあることに思い至ってはっとした。
「じゃ、じゃああなたは、お父様からもお金を貰って、わたしからもお金を奪おうとしていたわけ?」
「奪うなんて人聞きが悪いな。金を払うと言い出したのはお前からだろう。あって困るもんでもないし、その申し出をありがたく受けただけだ」
「なんて奴!! 嫌いよ! 金の亡者! 嫌いよ!」
近くにあった落ち葉をひとしきり投げつけ怒ったあと、またしても生じた疑問を口にする。
「でも、それじゃ、A国を裏切ったことになるんでしょう? あなたは元の暮らしに戻れないじゃない」
「別に戻らなくてもいい。元から嫌気がさしてたからな。金を稼いで、アルテミスとどこか遠い場所で悠々自適な隠居生活でも送るつもりだった」
アルテミス。
その名が出たとき、ヴェロニカの胸は痛んだ。
「明日にでも、アルテミスが撃たれた場所に戻ろう」
ロスも同じであったのか、そんな事を言った。
ヴェロニカは素直に頷いた。
「ねえ、お父様は、あなたになんて言ったの?」
「ああ、一生遊んで暮らせるだけの金の約束と、娘を頼むと言っていたか」
「そうなの……」
父を思った。あの厳しく揺るぎのない父は、今頃寒い牢獄の中にいるのだろうか。
だが一方で胸には静かな失望と、どこか納得したような暗い思いが広がっていた。
矛盾。気がついてしまった。
(ロス、あなたはやっぱり)
悟られないように微笑んだヴェロニカに、ロスも微かに口の端を上げて応える。
(――とんでもない嘘つきだわ)




