彼に捧げる弔いですわ!
【人生】基本的にはクソである。
最終章です。
時間は少し戻り、ロスが眠っている間、ヴェロニカは建国祭に出席をしています。
体の疲れはあったが、眠気はまるでない。建国祭の式典の前には、招待された貴族たちが控え室――もとい、豪華絢爛なホールで挨拶を交わすのが慣例になっていた。
ヴェロニカが家族と共に姿を表すと、会場にいたエリザベスは驚いた顔をした。
それもそのはずで、エリザベスの認識では、ヴェロニカは今病室にいるはずだからだ。
倒れたロスの無事を確認してから、父に無理を言って、付き添いとして着いてきた。――全ての決着を着けるために。
エリザベスをまっすぐに見据えながら、側に寄ろうとしたときだ。場内がざわついた。
目を遣ると、レオンが従者を伴いながら階段を降りてくる。記憶の中よりも、顔つきは引き締まり、その目に甘さは見られない。
レオンは誰かを探すような仕草をした後、チェチーリアで目が留まるとやってきた。
「チェ、チェチーリア」
レオンの声が裏返り、咳払いをする。
会場中がこちらに注目しているが、気にした様子もないことを見るに、彼はきっと日常が人目に溢れていて、慣れているのだろう。
元婚約者ににこやかに応じるチェチーリアにしても妙に度胸があると、我が妹ながら、ヴェロニカは感心した。父はどこか居心地が悪そうにしているというのに。
「チェチーリア、手紙を見た。お前の言うとおり、今日の警備計画を見直すように指示を出したんだが……」
手紙は、昨日の夕刻、無事に届けられたらしい。
アーサーの背信に胸騒ぎがしたチェチーリアは、貴族が集まるおあつらえ向きの今日に襲撃があるのではないかと考え、警備に穴があるのではないかとレオンに手紙を出したという。
レオンは言う。
「思い過ごしではないか。計画に穴などなかったし、既に一度書き換えられていたいたようだ」
やはり、とヴェロニカは確信を強めた。レオンはヴェロニカに向き直る。
「警備の責任者はブルース少佐だったな。彼
は仕事か?」
「いずれ、知ることになりますわ」
偽りの結婚だったということも、彼が亡くなったということも、レオンは未だ知らされていないらしい。一瞬、不思議そうな表情を浮かべたが、そうか、と頷いた。
「ロスのことは残念だったが」――レオンの口からから彼の名が呼ばれてヴェロニカは驚いた――「ヴェロニカ、今日は憂いなく過ごしてくれたまえ」
ロスの健在も、レオンはいずれ知るのだろう。
レオンが去ったタイミングで、カルロとチェチーリアも、それぞれ知り合いに声をかけるため離れた。
ヴェロニカが一人になると、エリザベスが近づいて来た。
驚きながら彼女は言う。
「夫人! 体はよろしいのですか」
「なんのことです?」
肩の銃創は、モルヒネの投与により痛みを抑えられていた。包帯は巻かれていたし、腕は上がらないが、布地がたっぷり使われたドレスではそれも分からないだろう。
式典前に挨拶を交わす貴族たちに聞こえるように、ヴェロニカは言った。
「あいにく、夫は不在ですの。ですからわたしが代わりに参りましたわ。
エリザベス様も警備ですか? それとも貴族令嬢の御立場で?」
「私は職務です」
アーサーの企みは現時点で明るみになってはいない。エリザベスは詮索を止め、ヴェロニカに調子を合わせることにしたらしい。
他の貴族達は、不振を抱きすらしていない。ヴェロニカは辺りを見回した。
一緒にやって来た父と妹、グレイはもとより、知っている顔がちらほらあった。
様子がおかしい人間はいないだろうか。エリザベスの他に、動揺している者がいないかと周囲を見渡した。
ヒューとその兄の姿を見つける。
役者は揃っているはずだ。
今日この場に、勝利の美酒を交わす悪魔が潜んでいる。
だから今日、この場に来た。一切を、許さないために。
「エリザベス様。どうしてわたしを助けに来てくださったんです」
「彼の企みを知ったからです」
「それはおかしいですわ」
ヴェロニカが微笑みかけると、エリザベスの無表情がわずかに歪む。
「式典の警備責任者はアーサー・ブルースでしたもの。もし彼を怪しいと踏んだのならば、城に乗り込むよりも、王都の警備に注力すべきだと普通、思いませんこと?
おかしな野望を抱いてはいても、彼の頭ははっきりしていましたわ。無謀を働く男では、決してありませんでした」
「何がおっしゃりたいのか分かりませんが、私はただ、ブルース少佐があなた方を幽閉していると踏んで助けに行ったまでです」
「そうかしら? チェチーリアの話では、あなたは偵察だけのつもりだったんでしょう?」
あの時のエリザベス・ベスの態度には、奇妙さがあった。
「わたしが言いたいことはこういうことですわ。
アーサーは一人で王都に乗り込むほど馬鹿ではなかった。勝算の無い賭けをしない人でしたもの。協力者がいたのよ。彼が王都に外側から攻め込むと同時に、内側から挙兵するとでも約束していたのかしら。
そう考えるのが妥当でしょう? だって彼の城の兵力は、それほど多くはありませんでしたもの。わたしもそう思ったし、チェチーリアだってそう思ったわ。だからレオン殿下に手紙を書いたのよ。
当然、あなただってそう思ってしかるべきだわ。だけどあなたは城へ来た。どうして王都を守らなかったんです? まるで王都で何も起こらないことを知っていたみたいですわね?」
「警備計画に不備はなかったと、先ほど殿下がおっしゃったではありませんか」
「あら、こうおっしゃったのよ。“計画は書き換えられていた”って。一体誰が書き換えたのか、調べればすぐにわかるでしょう。
その誰かは、計画を書き換えても、アーサーに気付かれることはないと知っていた。彼が昨日死ぬと、分かっていたからです」
「まさか!」
エリザベスが声を荒げたため、近くにいた者たちが好奇に駆られ、こちらに目を向けるのが分かった。
「まさかとおっしゃいます?」
敵を見るようになエリザベスの視線がヴェロニカに注がれる。核心を突いたのだ。
「兵は、実際三手に別れていたのでしょう」
一つは陽動を行う、エリザベスを含む兵。もう一つは、彼女を助けるために待機していた兵。そして残りの一つは、城を破壊するため、爆薬を抱えた兵だったはずだ。
「……あの城には、アーサーの全てが詰まっていたわ。即ち、王都にいる協力者の情報も、残っていたんでしょう。わたしたちを助けに来たんじゃない。証拠を消滅させに来たのよ。自身すら、あなたは陽動に使ったんだわ。エーテルに引火したですって? 上手い言い訳を考えたものね」
エリザベスは黙った。その目は静かに、ヴェロニカを見る。
「アーサーはひどい人間ではあったけど、決してそれだけじゃなかった。本気でこの国を憂いて、変えなくてはと理想を抱いていたのよ」
彼の憂鬱を知っている。
彼の悲しみを知っている。
情熱を、葛藤を、愛情を知っている。
人と人とを知らないうちに結びつける、厄介な情が、彼とヴェロニカの間にも芽生えてしまった。だからもう既に、彼は他人ではない。
いかに残虐非道であれど、彼には芯の通ったところがあった。もし凶行に走らなければ、真っ当な手段で国を変えたのではないか。
彼の思いを、誰かに利用されていたのならば、その誰かを、やはり許すことはできない。
「だけど、あなたが黒幕とは思わない。だってあなたは紳士的だし、アーサーの非道を許せないという強い思いも抱いていた。わたし、あなたは善人だと思う。
あなたを縛ったのはベス家ね? ベス家は歴史的に、ある家の家臣として仕えてきた。あなたはきっと、アーサーの企みを知って、その裏にいる人間にも気づいたのでしょう。だから単独で、動くしかなかった。だってベス家はあなたに言ったはずよ。その黒幕の命令には服従せよと。あなたは迷い、そうして結局、正義ではなく、家に従った」
「……他に選択肢などなかった」
慈悲深く、ヴェロニカは微笑んでみせた。
「ねえエリザベス。とても迷ったのでしょう? 我慢もしたのね。けれどもう、我慢しなくていいのよ。わたしがあなたを救ってあげる。今ならまだ、間に合うわ。あなたは光の方へと戻れる。さあ、あなたの裏にいる悪魔、その名を今この場で教えなさい!」
ヴェロニカのよく通る声は、会場中に響き渡った。優雅に音楽を奏でていた楽団でさえ、その手を止める。大勢の人間の息づかいだけが生々しくヴェロニカの耳に届いた。
アーサーをそそのかした人間がいる。あのアーサーが納得し言うことを聞く人間だ。おそらくは有力者だ。
気にするはずもないヴェロニカは更に叫んだ。
「彼の情熱を知り、操った人間がいる! 彼に計画を持ちかけ、裏切った人間が、ここにいるのよ! ならばわたしがその名を告げるわ。エリザベス・ベス、あなたが言わないと言うなら、このわたしが名を告げるわ!」
今日は国中の有力者が集まる日だ。だからその何者かも、必ずこの場にいるはずだ。そしてヴェロニカはその誰かについて、見当がついていた。
エリザベスの顔は蒼白だった。うわ言のように、囁いた。
「……アーサー・ブルースに、強烈に憧れていた。彼の野心と理想が好きだった。背を、追ってばかりいた。だけど、本当は彼と、友人だったんだ。切磋琢磨し、共に高みを目指していた。
彼が共謀者に良いように利用されていると知り、私の手で捕まえなくてはならなかった。だが、彼を葬れと、そう命令があった……命令をしたのは――」
エリザベスは、ある人物に目を向ける。ヴェロニカもそちらを見た。彼もまた、こちらを見ていた。
エリザベスは、その人物の名を告げなかった。だがヴェロニカには十分だ。躊躇うことなく、叫んだ。
「さあもう逃げられないわ、グランビュー!」




