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地図も頼りすぎてはいけないのですわ!

 翌日、川の流れに従うように、二人は坂道を下に降った。当然ながら山道は起伏があり、しばらく降るとまたしても登りになるらしい。とは言え、登り続けなくていいのは楽だった。


「坂を下るのは、家への帰り道みたいに気分がいい」


 ロスがそう言うのも、どこか納得した。爽やかに吹き抜けるそよ風を感じ、木漏れ日をゆっくりと見ながら落ち葉を踏みしめ歩くのは、置かれた状況を忘れてしまいそうになるほど気分がよかった。


 ロスの見立てでは、既におばの屋敷のあるハイガルドに近い山の中にいるとのことだ。


「喜べヴェロニカ。このまま行けばあと二日程度で着きそうだ。もっとかかると思ってたが、想定以上に進んでる」


 休憩がてら広げた地図を見てロスが言う。隣に座るアルテミスの頭を撫でながら。

 ちらりとそれを覗く。


「よくそれから情報を読み取れるわね」


 ヴェロニカにしたら、それはただの紙に書かれた模様にすぎない。


「羅針盤で方角を見てるの? それって北を指してるのよね?」

 

 尋ねる。が、否定された。


「実際、真北を指してるわけじゃない。わずかに偏差が生じてる」

「え? じゃあ、迷っちゃうじゃない」

「何事も、頼りすぎるなということだ。信じられるのは、自分の頭だけだ」


 そう言うロスの頬を、アルテミスが不満げに舐める。


「おっと、もちろんお前のことは信じてるさ」


 実際ロスは、見える風景や目印から、現在地を割り出しているらしい。歩きながら地図を確認している姿を度々見た。ヴェロニカにはとてもできない芸当だ。


「地図上の地形と実際の景色を見比べるんだ。ほら、あの山は地図で言うとここだ。あれがああ見えるって事は、大体この辺りになる」


 地図と景色を交互に指しながらロスが言う。


「それに、今いるなだらかな場所、さっきまでの急峻な山道、辿ってけば現在地は簡単に分かる」

「この線は?」

「ああ、等高線だな。間隔が狭いところが急斜面を、広がるほど平地を表していて、この地図だと五十メートル間隔で引かれてる」

「ふうん。でもこんな紙切れじゃ、実際どのくらいの距離か分からないわね」

「ところが分かるんだ。この地図の縮尺は二万五千分の一になってる。さあ、ヴェロニカ、数学の問題だ。地図上の一センチは、実際の何メートルになる?」

「ええ!? えーと、ちょっと待って……。にまんごせん分のいちだから……? あ、二百五十メートルね? 計算合ってるかしら?」

「はは、正解だ。それだけ知ってりゃ十分だろ」


 ロスは笑い、ヴェロニカの頭にぽんと手を置いた。

 ヴェロニカはその行為に驚いた。彼が触れてきたのはこれが初めてだったからだ。彼にしても自分の行為に驚いたのか、慌てたように手を引っ込めると、


「すまん。他意はない」


 即座に謝ってきた。


「きゅ、急に触らないで!」

 

 大声を挙げる。


「すまんと言っただろう」

「本来だったら、あなたのような男が触ることすら許されないのよ!」

「だから、謝っただろう、二度と触らん」


 謝るロスは、本当に下心はなさそうだった。彼にしたらアルテミスを褒めるのと同じような感覚であったのかもしれない。


「もう一度触ったら、許さないわよ!」


 本音を言えば、ほんの一瞬だけ心臓が飛び跳ねた。そのことに衝撃を受けていた。

 婚約者のアルベルトとも違う、無骨な男の手だった。奇妙な沈黙が、二人の間に流れた。



 *



(どの道、あと二日でお別れなのよね)


 地図を見つめるロスの横顔を見つめた。何事かを考えている様子の彼だが、それが何なのかは分からない。

 たまらず、ヴェロニカは立ち上がった。ロスが顔を上げる。


「どこへ?」

「少し散歩よ」

「ああ、うんこか」


 言うロスの顔を思い切りぎろりと睨み付けてから、歩き始めた。


「遠くには行くなよ! アルテミス、付いてってやれ」


 その声を背中で浴びる。 

 もよおしたわけではない。気分を変えるため、少し一人になりかっただけだ。この雰囲気の中でこれ以上ロスといたら、なんだかいけない気がしたのだ。主人の命令を忠実にこなさんと、アルテミスが傍らを歩く。


(アルベルトは元気かしら)


 優しい婚約者のことを思った。あの柔らかな金色の髪、優しい笑顔、白い手。病弱で、でもとても穏やかな人だ。今、無性に彼に触れたかった。会いたかった。自分のいるべき場所を教えて欲しかった。

 本当はこんな山の中で無愛想な男と猟犬の隣でなく、綺麗な屋敷で彼の隣にいるのがヴェロニカのあるべき姿のはずだ。


(でもこうなってしまったら、きっとわたしも婚約解消ね)


 アルベルトは王家の分家である、アルフォルト公爵家の長男だ。不祥事を起こした家の娘など、もう彼に相応しくないだろう。婚約も破談だ。もう既にそうなっているかもしれない。


 ――そう思うと、ちくりと胸が痛んだ。

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