10/177

蛇は骨が多いのが難点ですわ！

　ヴェロニカに起こった変化と言えば、クロクマ襲撃事件以降、生き物を食べるようになったことだ。

　その変化をどう受け取っているか知らないが、ロスは聞きもせずに獲った獲物の肉をヴェロニカの器に盛るようになった。

　一方、ロスに起こった変化と言えば、故郷の話をして以降、やや雰囲気が柔らかくなったように感じることだ。

（ちょっとは慣れたのかしら？）

　前を行く背中にヴェロニカは思った。

（慣れるのに時間がかかるなんて、アルテミスよりも獣的だわ）

　そうも思って、気づかれないように少しだけ笑う。ヴェロニカにしても、雇われた分の仕事を忠実にこなすロスを信頼するようになっていた。

　それに、数日過ごして、彼の性格がなんとなく分かってきた。多く話すわけではないが、決して暗い性格ではない。大声で笑うこともあるし、饒舌に話すときもあった。

　ヴェロニカは美人を自覚しているが、ロスは絶妙な距離を保っていて、手を出すことはもちろんないし、体に触れることすらない。

　それが粗野な風貌に反し紳士的であり、好感も抱いていた。

　時折ロスはヴェロニカを一人置いて、アルテミスと共にどこかへ姿を消すことがあった。木々の中に置き去りにされると、途端にどうしようもなく不安になった。

　彼はもう二度と戻ってこないのではないか、永遠に自分の元を去ってしまったのではないか。

　しかし彼はいつも帰ってきた。たいてい食料を手に持って。そんな彼を見て、悟られないようにほっとした。

　ヴェロニカはロスを頼りにしていた。

　突然、前を行くロスが立ち止まった。前方を見ている。ヴェロニカにもその理由がすぐに分かった。

「鹿ね」

「ああ」

　少し先の木の陰に、のんびりと草を食む立派な角を生やした雄の鹿がいた。辺りを警戒しながらもこちらに気づく気配はない。

　ロスは静かに銃を構える。

　しかし、思い直したかのようにヴェロニカに向き直った。

「やってみるか」

　それは彼の気まぐれであったかもしれない。いつも大切に抱えた銃を貸すなど、普段であれば絶対に言わないことだ。

　ヴェロニカは頷いた。

「ええ、やってみるわ」

　ロスは驚きもせずに銃を手渡す。やり方は分かっていた。側で引き金を引くのを幾度も見てきたからだ。

　弾薬を受け取り装填する。

　銃口を静かに鹿に向ける。

　鹿は何かに気がついたように顔を上げた。

（気づかれる前に……！）

　焦り、慌てて引き金を引いた。

　ターン、と轟音が響く。

　衝撃に「きゃ」と思わず声を上げる。震動が手に伝わり痛いほどだった。耳には高鳴りが聞こえる。銃口からは白い煙が立ち上る。

　結局、弾はとんでもない方向に飛んでいき、上方の木の枝に当たったらしく、枝がばさりと落ちてきた。

　鹿は驚いて逃げていった。

　もう姿も見えない。だた逃げる際に立てる音が、がさがさと遠ざかっていくだけである。

「ははは、下手くそだな」

　腹を抱えて笑うロスにむっとした。

「初めてなんだから仕方ないでしょう！？　もうやらないわ。淑女は自分で獲物を獲らないの。男がやるべきよ！」

「たまには練習しとけ。好きなときに貸してやるから」

　まだ笑うロスは銃弾をいくつか手渡してきた。受け取りながらも、二度とするものですか、とヴェロニカは思った。

　＊

　昼過ぎになって、前を歩くロスが振り返る。

「そろそろ休憩にするか」

　何度も繰り返されたことなので、ヴェロニカは座った。そうするとロスは昼食を作ってくれる。

　ヴェロニカはもう地面にハンカチを敷かない。服のまま土の上に座る。

　ロスはふいに地面を見た。つられて見る。そこには、

「ぎゃああああ！！」

「いちいち叫ぶな」

　蛇がいた。

　それはもう見事な蛇だった。くねくねと動き、気味が悪い。

　ヴェロニカは蛇が嫌いだった。

　表面がてらてら光っているし、足がないのにどうやって地面を移動しているのかも理解できない。生物の枠からはみ出しているはぐれ者だ。何を考えているか分からない目もぺろぺろ出す舌もひどく不気味だった。

　だから立ち上がり叫んだ。

「ぎゃああ！　きゃー！　いやあああ！　退治して！　あっちへやって！！」

　ロスは近くにあった木の棒を二本拾うと蛇の頭と胴体をそれぞれ押さえつけた。

　蛇は体をくねらすが、がちりと体を押さえる棒からは逃れられない。

「美味そうだ」

「……へ？」

（嘘でしょう？）とヴェロニカは思った。

　この男は今、“美味そうだ”と言ったのか？

　ロスへ抱きかけていた信頼と友情が崩れる音がした。断言するが、蛇を食べる男とは仲良くなれない。

「悪食だわ！」

　しかしロスはヴェロニカを無視し、身動きの取れない蛇の頭を掴むとナイフで頭を落とした。

「ぎゃあ！」

　またしても叫ぶ。

　頭を落とされたというのに、蛇の体は未だくねくねと動きのたうち回り、頭の方はというと見えない何かに噛みつこうとぱくぱくと口を開けては閉じを繰り返していた。

「うわぁ。気持ち悪～い……」

　動く頭を見ていると、ロスはそれを掘った穴の中に埋めた。

「それも神様に捧げる行為？」

「いや、単に好奇心旺盛なお嬢様が噛まれないようにするためだ」

　まあ生意気な。言おうとしたが、機嫌を損ねられてもつまらないので心の中にとどめておく。

「蛇はな、調理が楽しいぞ。ほら、皮はこうやって切り込みを入れるとするっと剥ける。内臓はけつの穴まで詰まってるんで、腹を裂いて取り除く……」

　蛇はするすると解体されていく。

「気持ち悪いわ！　そうやって女の子が嫌がるモノを見せつけてくるのは変態のすることよ！　自覚なさい、あなたは変態よ！」

　楽しそうなロスに叫ぶ。蛇の体はまだ動いている。

「うげえ。本当に無理だわ……。蛇はサタンの化身よ。人間を唆し、楽園から追い出すんだわ」

「ただの肉だ」

　ロスは手頃な大きさの石で蛇の体を潰し始める。そしてみじん切りにした謎の山菜を一緒に混ぜた。

　その山菜は茎はネギのように青く、下に白い球根がついている。

「……なにそれ？」

「春のものだが、秋にもこうして芽を出す」

「……人間が食べていいやつ？」

「お嬢様は食べない方がいいかもな」

　会話を続けながらもロスは作業を止めない。蛇肉と謎の山菜を混ぜた物体を団子状に丸めていく。

　そして熱したフライパンで焼き始めた。

　焼きあがったそれをロスは当然だというようにヴェロニカの器に盛り付けた。

「どうだ、美味そうだろ。蛇のハンバーグだ。肉が少ないから、小さめだな」

　ヴェロニカの腹がぐうとなる。さっきあれだけ拒否の態度を示したが、いざこうして目の前に出されると確かに美味しそうだった。料理されると元の気味の悪い姿も想像できない。

　幸いロスは黙って器を差し出すので、黙って受け取った。

　蛇の形状を考えないようにしながら、一口食べる。

「うう、美味しいわ……」

　鶏肉のように淡泊であるが、ややくせのある味の山菜がよいアクセントになっていた。塩で焼いただけのそれだが、口に肉の味が広がると体が温まる。

「あ？　泣いてんのか？」

「泣いてないわよ……ぐす」

　淑女たる自分が、こんな得体の知れない料理を美味しいと思うなんて！　だが、食べないと動けないと言い聞かせ、口を動かす。

　結局、美味いと気持ち悪いの間を行ったり来たりし、涙目になりながら、ヴェロニカはそれを全て平らげたのだった。　