78.ばくやく令嬢 人質になる
窓の下を見下ろした敵は、キャサリンがクッションのようなものに飛び降りたと判断した。
彼は、続けてその白いものの上に飛び降りたが、ギャッと悲鳴を上げて、その場にうずくまる。
キャサリンは、地上に自動車の衝突対策用エアバッグのようなものを展開して、その上に飛び降りたのだ。
しかし、それはクッションではなく、エアバッグの構造を踏襲した衝撃吸収用の何かだった。
爆風で破裂しないように開けた空気穴により、数秒も持たずにクッション性は失われる。
続けて飛び降りた敵は、体幹を骨折したのか動けない。
キャサリンは、着地した位置から走って逃げようとした。
だが、彼女の目の前の地面に次々と弓矢が刺さる。
「止まれーっ!」
言われてキャサリンは振り返る。
キャサリンが飛び降りた窓の横、隣の部屋の窓から一人の男が体を乗り出して叫んでいる。
バブンスキー少佐だ。
「そのまま走るなら、矢で射殺す。
大人しくするなら、人質として殺しはしない。
ただ、我々は既に皇子を人質として確保している。
お嬢ちゃんが逃げるなら、殺すことをためらわない」
人質に取ってやってもいいという言い草だ。
しかし、確かにここは逃げ切れそうに無い。
100メートル走れば、騎兵隊の兵舎がある。
ほとんどの騎兵は最前線に駆り出されているが、数十名は寝泊まりしているはずだ。
そこにたどり着けば、いくら百戦錬磨の特殊部隊とはいえ数の力で押し切られるだろう。
キャサリンの運動能力では、100メートル先に逃げ込むのは不可能だが、大声で叫ぶだけでも、駆け付けてくるはずだ。
特殊部隊が人質を取っても、包囲されて、この屋敷から出られないだろう。
しかしそれだけに、不審な音を出すと思われるだけでも、十分に命を奪われそうだ。
大声を出した後、逃げられないように脚を射抜かれるだけでも、想像するだけで背筋が寒くなる。
兵舎は静かで真っ暗なままで、騒ぎに気付いた様子は無い。
キャサリンは両手を上げて、降伏の意を示した。
猿ぐつわに目隠しをされて、手足を拘束された。
報告する兵士の声が聞こえる。
「屋敷内を完全に制圧しました。
生きている者は、ほぼ全員ロープと魔法で拘束しました。
こちらの被害は、令嬢を追って飛び降りた一名が重傷。
それ以外は全員無事です」
少佐は、彼を一瞥すると命令する。
「よし、では出発する。
NTを離脱するのは、怪我をした1名を除いて、『黄色い熊』11名だ。
人質は、皇子と公爵令嬢の2名。
シジクレイ。二人の人質を担げ」
指示された大柄な兵士が、両肩に二人の人質を担いで出発する。
※NTは、ナードハート帝国の頭文字N、帝都をローマ字で書いた時にTで始まるから、合わせてNTという暗号みたいだ。
担がれたキャサリンはジタバタしてみたが、このシジクレイという男、相当腕力があるようで、ビクともしない。
諦めて、進む方向や周りの音に意識を集中した。
お屋敷の前の石畳の道を外に出て、別邸の前の道を素早く進んでいるようだ。
どこかの建物に入っていくのが分かったが、戦争中のノルド公国関係であることは予想できた。
実際、賊たちはノルド公国公邸に着いたのだ。
ノルド公国公邸の地下への秘密の入り口から、地下トンネルに入る。
部隊は人質を連れて、トロッコに乗った。
キャサリンたちにも、レールと車輪がこすれる音や風、匂いから、地下を走っていることが何となく分かった。
トロッコを降りて地上に出る。
ある程度進んだ所で、二人の人質は足枷以外の全ての拘束を解かれた。
野外というか、森の中だ。
ノルド公国公邸の地下トンネルは、帝都の外につながっていたようだ。
火を起こしてキャンプをする。
バブンスキー少佐があいさつしてくる。
「ごきげんよう、エドワード皇子とキャサリン姫。
我々は、ノルド公国軍特殊部隊『黄色い熊』だ。
私は、その隊長シュケル・バブンスキー少佐だ」
「少佐、俺達をどうする気だ?」
エドワードが、強い口調で質問する。
「人質として、ノルド公国まで来てもらう。
これからの旅で、お二人が大人しく協力してくれることを望む」
「ここは、どこだ?
逃がさない自信があるから、手かせや目隠しを取ったのか?」
少佐は、エドワードのさらなる質問にもキビキビと答える。
「二人のうち少なくとも一人は、人質として生きていてもらわないといけない。
協力的でないなら、足手まといを一人殺す選択肢もある」
そう言われて、エドワードは顔を引きつらせる。
「殺すのなら、俺の方にしてくれ!」
こんな局面で、それが言えることにキャサリンは感動していた。
(私もカッコよく言いたいけど、そんな勇気はないわ)
少佐は、それを聞いて笑う。
「ハハハ。聞いていた通り、熱血漢だな。
俺達も、子供を殺したいわけじゃ無い。
任務を全う出来れば、無駄な殺しは行わない」
「そうか、良かった」
少し安心した様子のエドワードを見て、少佐は話を続ける。
「さて、ここは帝都から数キロ離れただけだが、山間の森の中で、密輸に使われる裏街道だ。
帝都の中は戒厳令が敷かれているだろうが、こんな人里離れた所まで移動しているとは思いもよらないだろう」
「裏街道ってことは、ある程度人の行き来はあるんだろう?
その人たちに助けを求めることは出来るんじゃないのか?」
「残念だが、人通りはほとんど無いよ。
あったとしても、戦時中に裏街道を通るような奴だ」
「戦時中だからって、密輸する奴らはいるだろう?」
「戦争で、需給がひっ迫しているんだぜ。
密輸商ですら、表通りを堂々と移動して咎められないんだ。
それなのに、こんな危ない裏街道を通るなんて、まともじゃない。
もちろん俺達は、まともじゃない。
危ない奴らも、それが分かるから近付いてこない。
つまり、助けは来ないんだ」
何か手は無いかと考え込むエドワードに、少佐は話を続ける。
「逃げても、森を徘徊する野獣や野盗に殺されるだけだ。
もちろん、逃がす気は無いが。
協力してくれるなら、今のままで移動してもらう。
貴族の口に合うかは別として、食事にも不自由させるつもりは無い」
「国境まで行くなら、何日もかかると思うのだけれど。
湯あみする場所も無く、レディを何日も拘束する気なのですか?」
キャサリンが、ちょっと我慢できないという表情で聞く。
兵士の一人が、荷馬車を指さして説明する。
「森の中とは言え、この荷車なら10日で国境まで行ける。
浄化の魔法を使えるものがいるから、臭くはならない。
途中に湖があるから、どうしても湯あみしたいなら、そこで出来るだろう」
「そうですか。
大人しく従うしかないという事なのですね」
キャサリンは、諦めたようにつぶやいた。
子供の体とは言え、女子は一人だけだ。
(湯あみは諦めるしかないな)
などと、随分落ち着いていた。




