誘拐
誘拐されてしまった。
カレーのチャンピオン、略してカレチャンで食事をした直後、誘拐された。
29歳、来年三十路の俺を誘拐して一体何になるというのか。実家は特に金持ちという訳ではない。完全に人選ミスだ。それにしても鮮やかな手口だった。
漫画家として夢を追い続けて早9年。そろそろ己に才能が無いことも理解してきた。それでも必死に喰らい付き、しがみ付き、やっとのことで読みきりを掲載してもらえそうな所まで来た。借金は増え続け、もうこの作品がラストチャンスだ。その作品に全ての魂を込め、ネームを書き上げ、編集部に持って行こうとした道中にこの仕打ちだ。この世に神様なんていないぜ。
誘拐犯の顔はよく分からなかった。一瞬のうちに腹にパンチを喰らい、すぐに目隠しと猿轡をされてしまったからだ。どこへ行くのか知るため、左折と右折の回数を記憶していたが既によく分からなくなってしまった。まずいな。殺されたらどうしよう。
誘拐犯というやつは、何故誘拐行為に走るのだろうか。最終的に絶対逮捕されてしまうのは目に見えているではないか。やはりテレビ、漫画、小説などの影響を受けすぎているのか。だんだんとメディアに腹が立つ。何故俺は漫画を書いているのか。世間に対して言いたいことが胸の中で山のように蓄積されているからか。言いたいことがあるならば、街頭で叫べば良いだけではないか。
やばい、ブルーになってきた。表現のことを考えるといつも嫌な気分になる。「別にお前がやらなくてもいいよ」とか「漫画である必要性が無い」とか「当たり前のことを言われてもみんなわかっているよ」とか散々編集者に言われてきたのだから。その都度俺は答えに詰まり沈黙する。沈黙を持って敗北と成すのだ。
この目隠しが悪いのだ。暗闇が私の思考の嫌な部分を照らし出すのだ。昔から考え事をしだすのは決まって夜だったのだから。俺の暗闇ブルーはパブロフの犬みたいなものだ。もっと光を!
そんなことを考えながら、俺の思考は融解していった。誘拐だけにね。