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第四話 理想という名の眼の曇り


 一見した印象は、真面目な好青年に見えた。


 爽やかに靡く金髪に、きりっと引き締められたまなじり。鎧の下に見える筋肉は間違いなく騎士として相応しいだけの形に整っており、精悍な顔立ちは自信に溢れている。確かな努力に裏打ちされた将来性を持つ、上昇志向の強い青年――ここまでならば、俺も彼のことを喜ばしく出迎えただろう。


 それらの好印象を無に帰してしまうほどの、こちらへの嫌悪を映した瞳さえ無かったなら。


「おお、なんだグレイル」


 僅かに張り詰めた場の空気を和ませようと、グラムが多少わざとらしい明るめの声を出して用件を聞いた。


 その返答として、グレイルと呼ばれた彼はよりいっそう厳しい視線を俺に向けてくる。


 それはもはや、単なる敵意で済まされるものには見えない。


「……」


 加えて休憩中にも関わらず、彼は腰に剣を下げた状態で近づいてきている。


 その姿に、俺は自然と短剣の柄に手を置かざるを得なかった。


 ついでにさりげなく身体を動かして、ティアから彼の姿を隠すように身構える。


 荒事からはほど遠い彼女の前で害意を隠そうともしないなんて、何を考えているんだ。


 たとえ彼が切りかかってきたとしても、間違っても彼女を巻き込むわけにはいかない――そんな意志と共に、気を抜いていた身体に力を込める。


 そんな俺に一瞬だけ唇を強く引き結んでから、グレイルは思いの丈を述べて見せた。


「――私の記憶が確かならば、そこの男は貧民街(スラム)の出であると団長は仰ったはずです。故に、次の出撃に備えて彼の動きをよく見ておけと」


「その通りであるな。それで?」


「何故薄汚い犯罪者に、ティーティア様の横で呑気に食事を取らせているのでしょうか」


 ――なるほど、いきなり犯罪者と来たか。


 これほどまでに堂々とした侮辱を投げつける彼に、ティアがさっそく反論を述べようとする。


「貴方――」


 だが、その前にグラムが己の部下を納得させようと口を挟んだ。


「失礼、お嬢様。……その理由は単純にして明快であるぞ、グレイルよ。他ならぬティーティア様がそれをお認めになられているからだ。それ以上の理由が必要であろうか」


「もちろんです、隊長殿。時には下僕を可愛がる優しさも認められるべきでしょうが、度を越したふるまいがあるならばお止めするべきです」


 暗に主の意思が間違っているとさえ言い切ったグレイルは、そのまま言葉を続ける。


「高貴なるお方には、相応の態度が求められるというもの。騎士でも従者でもない異性の畜生を傍に侍らせることが、どれほどの汚点になることか。聡明なティーティア様にはご理解いただけると思いますが」


「貴様、それは騎士としての度合いを越えた言い分であるぞ! 身を弁えんか!」


「どうでしょうか、ティーティア様。お判りいただけたのならば、今すぐ私めにそこの犬を切り捨てよとご命令ください。我が剣の切れ味、しかと御覧に入れましょう」


 聞き捨てならない言葉に、グラムが今度こそ強い口調で謝罪を促す。


 だが、それをどこ吹く風と言わんばかりに聞き流し、グレイルはティアに詰め寄ろうとする。


 半ば脅すような態度で近づく彼から守るように、俺は立ち塞がった。


退()け、下郎。私の邪魔をする気か」


 ちゃきっ、と腰の剣柄に手がかかる。


 抜剣も辞さないその態度をよくよく警戒しながら、


「邪魔? いやいや、そんなことはないさ。俺はただ、ティアを守ろうと思っただけさ」


 俺ははっきりと彼に挑戦的な言葉を投げつけた。


「守る、だと? 騎士でもない、お情けを受けているだけの荒くれ者風情が? 面白い冗談だ。蛮人にも口の回る者がいるとはな。だが、私はその類のものは好きではない」


 ぴくりと頬を引きつらせながら、グレイルは俺の言葉を受け流そうとする。


 そこに畳み掛けるように、俺は言葉を続けた。


「冗談に聞こえるようなら、その耳を一度医者に診てもらった方が良いぜ。誰かを守るのに、立場や資格なんて関係ないさ。ましてや、そんな責めるような態度で女子に詰め寄るのは、騎士の本懐とやらからはほど遠い下種の所業だと思わないのか?」


「なにぃ……。冒険者風情が、騎士のなんたるかを語るか!」


「平然と他人を犯罪者と罵るような人間よりかは、いくぶん相応しいだろうよ」


 心外だと言わんばかりに、彼はふんと鼻息を鳴らした。


「何を馬鹿なことを――貴様らはみな、罪人であろう。そんな分かり切った事実を述べることに、罵るもなにもない」


「そうかい。それじゃ、具体的に教えちゃくれないか。俺がいったい、どんな罪を犯したって言うんだ」


 ――自分自身、後ろ暗いこととは切っても切れない縁があることは自覚している。


 貧民街(スラム)にいた頃は、盗みだろうと人殺しだろうとやってみせた。ただ、そこは誰かから奪うだけのことをしなければ生きられない世界だ。


 ――法による支配のない裏社会の中で生きなければならなかった人間に、まったくの罪がないとは言えない。


 だが、その光を届かせようともしない者たちに責められるいわれはない。


 そもそも俺の過去なんて一介の騎士には指摘しようがないはずだ。


 さて、彼がこの場でどんな理屈を並べ立てるつもりなのかと耳を傾けると――。


「知れたこと! その顔でもって、ティーティア様を誑かしたことだっ! その罪、万死に値する!」


「……グレイル、お前という奴は」


 びしりと指先を突きつけた彼に、グラムが嘆息する。


「まさか、例の噂を信じておったのか? エフォードがティーティア様を都合のいいように弄んでいるという……」


「そうでもなければ、説明が成り立たないでしょう! このような貧民がお嬢様に取り立てられるなど、物語の中でもなければ有り得ない。恐らくはその取り繕った外面で純粋なお嬢様の心に取り込み、あの手この手で篭絡したに違いないのです!」


「……ただの嫉妬ではないか」


 高らかに宣言して見せる彼に、グラムは呆れていた。


 それは俺も同様だった。


 どんな証拠が飛び出してくるのかと思えば、まさか己の思い込みをただ述べるだけだったとは。


 事実もなにもないグレイルの演説に、俺はぽろりと言葉をこぼしてしまった。


「……下らないな」


「貴様ぁ!」


 激昂するグレイルの手に力が籠り、かたかたと鞘が揺れる。


 ――だけどな、それはこっちも同じなんだ。


 さっきから一方的にティアを責め立てようとして――お前如きが、彼女の何を知っている?


「あんたは、ティアをどう思う? ティアがどういう女の子なのか、本当に分かってるのか?」


「なにを馬鹿なことを。タレント公爵家は建国当初から代々歴史を紡いできた、栄光ある王国貴族の一角を成す家だ。そしてティーティア様は、その貴き血を引く唯一の子女。四大公爵家の一員として、優れた聖術(セイクリア)の素養を次代へ引き継ぐべく――」


「聞こえなかったのか。俺が聞いているのは、お前の信じるティーティア・タレントじゃない。今ここにいて、同じ空気を吸っているティア本人のことだ」


 彼女は確かに、栄えある貴族の血を引く令嬢だよ。


 それも、そんじょそこらの貴族とはわけが違う。


 一般的な水の聖術使い(セイクリスト)は、単純に形を変えて操作する程度しか出来ない。それらと異なり、彼女の血族の操る聖術(セイクリア)は他人の傷を癒すこともできるという希少なものなんだ。


 ――それでも。彼女自身の価値は、そんな歴史ある家系だとか、崇高なる者の義務だとかにあるんじゃない。


 誰に対しても優しく、真摯にその内面と向き合おうとする純粋な善意。


 それこそがティアの本質なんだ。


「配下なら時には忠言も必要だろうさ。けどな、自分の理想だけを押し付けて、彼女の内面に目を向けない。そんな奴をティアの前に立たせるなんて、俺には出来ないね」


「貴様、私の目が曇っているとでも言いたいのかっ」


「そうさ。黒々と、暗雲が立ち込めてる。自分の意思だけで世界を押し流したい、嵐のような目だ。――そして、その内に眠る怒りの雷光は、邪魔な俺を焼き尽くしたくてたまらない。違うか?」


 彼は自分の望むティーティア・タレントという偶像を、ティアに押し付けようとしているだけだ。


 俺に対しても、自分の知る貧民街の噂話を押し付けて排除しようとしている。


 グレイルがやろうとしているのは、彼女の持つ心の輝きを封じ込めようとすることだ。


 そんな奴の言葉を素直に受け入れて、すごすごと引き下がることなんて――出来るものか。

 

「分かったような口を()いてくれるな、塵芥風情が」


 ここまでくれば、もはや俺とグレイルの戦いは言葉では終わらない。


「あんたみたいな奴の考えなんて、そこらの子どもでも分かることさ。なぁ、騎士グレイル」


「よかろう。ならば、騎士を愚弄した罪――痛みをもって思い知らせてやろう!」


 ぎちり、と柄を握る手に力が籠る。


 もはやどちらが先に抜くかの駆け引きに移行しつつある、一触即発の状況の中。


「――止めんか!」


 グラムの一喝が、俺たちの間に漂っていた空気を割った。


「貴様ら、少しは落ち着かんか。二人きりで熱を上げて、肝心のお嬢様を置き去りにするでない」


「そうですわ、二人とも」


 すっと立ち上がったティアが、先ほどまで火花の散っていた俺とグレイルの間に割って入ってくる。


 彼女はグレイルに正対して、毅然とした態度で告げた。


「騎士グレイル。わたくしは、エフとやましいことをした覚えなど断じてありません」


「そんな馬鹿な――」


「そして、それを示す証拠はこの世界の何処を探しても見当たりませんわ。ですから、ここは貴方に信じていただくしかないのです。……分かっていただけませんか?」


「っ……貴方は騙されているのです、ティーティア様。その男に都合の良い事実を仕込まれ、彼の都合の良いように答えるように洗脳されて――」


「それが王国騎士団の新星とも呼ばれるものの言葉か、グレイルよ」


 彼女の清廉な視線を向けられてもなお、ごちゃごちゃと自身の理屈を述べ立てようとするグレイル。


 そんな彼に、グラムが厳しい言葉を放った。


「そもそも貴様はタレント家に仕える者ではなく、ティーティア様の専属騎士ですらない。現場の経験を積むために一時的に派遣されてきただけの、臨時の騎士に過ぎんのだ。それが上官の言葉を無視し、あまつさえ主にすら盾突く。それが、アルゲントゥム王国騎士団の在り方とでも言うのであるか!」


「なっ、なっ……」


 言い淀む彼を放っておいて、グラムがこちらへと振り向く。


「エフォード。こやつと一戦交えよ」


「はい?」


 唐突なその言葉に、俺は少しばかり困惑した。


 先ほどは止めようとしていたのに、今度は戦わせようというのか。


「あのままだと、お前たちのやり取りは殺し合いにまで発展したであろう。そうではなく、儂らの監督の下で試合として戦うのだ。こやつが真の騎士ならば、剣を交えれば自ずと悟るはずなのである。かつてお主が、ティーティア様の御父上に認めさせたようにな」


「それは……」


 ティアと初めて会った頃のことを思い出す。


 ――貧民の俺を頑なに認めようとしなかった現タレント家当主は、屋敷の私兵との勝負を持ち出した。それに勝てば俺がティアの傍にいることを認めるという、どう考えても乗り越えさせる気のない条件だ。


 それに対して俺は、毒や罠と言ったそれまでの自分が培った技術を躊躇なしにぶつけることで辛くも勝利を掴んだ。それを見ていたティアの父上は最後まで苦々しい表情をしていたものの、宣言通りに俺のことを屋敷においてくれるようになったんだ。


「剣とは己の心を写す鏡――磨き抜かれた刃には、それまでに積み重ねた想いが映る。それで伝わらなければ、それまでよ」


「……はい」


「お前もそれでよいな、グレイル。エフォードを追放したいのならば、この勝負にて叩き潰して見せるが良い」


「――はっ。見ていてくださいませ、ティーティア様。私が必ずや、貴女様にかけられた呪いを解いてみせましょう!」


 不満をありありと浮かべながらも、それを気合に変えて意気揚々と去っていくグレイル。


 その姿を見送って、俺は再び手元のサンドイッチにかじりついた。


 その中に挟まれたティアの優しさの味が、ゆったりと舌の上を甘く転がる。


 この心を落ち着かせてくれる味を知ろうともしない不埒者を、絶対に止めてみせる――。



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