第二話 厄介な、採取依頼と色眼鏡
翌日。空が青く染まり始める頃に目が覚めた俺は、朝の陽ざしが差し込む窓を開けて涼しい風を目いっぱい吸い込んだ。冷気が体の中から暖かな微睡みを追い出していく心地よさを感じながら、俺は遠くに聞こえる教会の鐘に耳を澄ませる。
「ふぁぁ……。そう言えば元気にしてるのか、あそこの子供たちや神父様たちは」
冒険者ギルドには薄汚れた依頼もあれば、もちろん教会からの依頼だってやってくる。質素で清潔を標語とする神聖教会は荒くれ者の冒険者たちには最も縁遠い場所と言っていいのに。
――その疑問への答えは簡単だ。ここに依頼が回されるってことは、つまりは他のギルドでも敬遠されるほどに労力と対価が吊り合ってないからだ。古びた教会の修繕や親のいない子供への本の読み聞かせ……そんな知識があれば割のいい仕事は他にいくらでもある。だというのにわざわざ時間を無駄にする必要はない、というのが一般論だ。
それでも俺は昔、時折教会での依頼を受けていた。というのも、貧民街の薄汚い子供に文字や計算を教えてくれるところが他になかったからだ。神の教えとやらはついに理解できなかったが、それが書かれた本は何度も読み込まされたものだ。
なにより、一日の終わりに振る舞われるパンと暖かいスープは格別と言っていい。中身は寂しいが、一人よりも大勢で食べる方が本当にほっとさせられる。
どうせ今も、あそこからの依頼は埃を被っているのだろう。様子見がてら、そちらの依頼も一つや二つ回してもらおうか。
「さて、と」
しわにならないように壁にかけていた服を着て、俺は階下へと降り立った。そこに広がっているのは予想通りの、一晩中酒盛りをしていた連中の成れの果て。まあ、こんなものだ。
それらを無視して一度外の井戸水で顔を洗う。本来ならば続けて朝の鍛錬を行うのが日課だが、今のこの服装で汗を流しては後始末が大変だ。
「……まずは装備だな」
服はこの後古着屋で安く買い揃えるとして、武器は小さなものでも中々に値段が張る。今の手持ちでは少々心もとない、と言ったところだ。そこらの安物なら買えるだろうが、こればっかりは命運を委ねる代物であるため安易に妥協する訳には行かない。はてさて、どうしたものか……。
悩みながら中へ戻り、惨状の後片付けをしている従業員に朝飯の用意を頼んでいるとマスターがやってきた。
「おはようエフォード。昨日はよく眠れたか?」
「ああ、バッチリさ。おはようマスター。で、その手に持ってるのが俺への依頼書なのか?」
彼は薄い紙束を俺の座っていた席に置くと、同時にその対面にどっかりと座り込んだ。
「ああ。薬屋の婆さんからの採取が三つだ。どいつも外へ出てすぐの山に自生しているものばかりだが、面倒なものばかりであまり受ける奴がいないんだ。だが、お前なら余裕だろう? 他にもあるが、今日は手馴れてる奴で感覚を少しでも取り戻しておけ。真のお楽しみはまた明日以降だな」
「山の中か。……騎士団の連中が前に山狩りしたのはいつだ?」
「一月くらい前だ。今ならまだ獣どももそんなに増えてはいないだろう。とはいえ気を抜くなよ」
定期的にこの王都周辺では騎士団の訓練もかねて野獣の掃討が行われている。ただの人間には厳しい火を噴く魔獣なども、彼らの手によればお茶の子さいさいだ。
ちなみに、その後に颯爽と現れて残り屑を漁って楽をしようとする【野鼠】と揶揄される冒険者たちもいる。
「分かってるよ、ご心配どうも。武器もないし、鼠らしくちょこちょこと頑張らせてもらうさ」
皮肉げにそう呟きながら運ばれてきたパンと昨晩の残りの野菜くずたっぷりのスープを腹に詰め込もうとする。
と、「なんだ、そんなことを気にしていたのか」と言いながら目の前のマスターは更にシャツの上に来たベストのポケットから別の何かを取り出した。
「後、通りの向こうにある鍛冶屋にはこれを持っていくと良い。儂の知り合いだ。見せればツケにしてくれるはずだ」
それは一つの金属製のプレートと、一枚の獣皮紙だった。隅っこの穴に紐が通されたプレートの方は、名前とランク、そして冒険者ギルドの所属を示す印の刻まれたもの。俺が昔ティアに引き取られる前に色々と理由をつけて返したものだが、大切に保存されていたのか綺麗に磨かれて油も塗ってある。
紙の方は、字面から読み取るにどうやらマスターの名で書かれた俺の推薦書のようだ。「将来が有望であるため、融通を頼まれたし。アインヘルム」と書かれている。
思わず顔を上げると、マスターは顎髭をなぞりながらニヤリとした笑みを浮かべていた。
「これから昇格を望むなら、装備を整えて安全に気を払うことも重要だぞ。金をあまり持ってきていないとはいえ、頑張る前に死んでは元も子もないぞ」
「……ありがとう。貰っておくよ。マスターの名前に傷をつけることがないように頑張る」
「うむ。気張れよエフォード。あと、どうせ見るだろうと思って図鑑は昨日のカウンターの所においてある。どうせ今の時間はあそこを誰も使わないだろうからな、好きなだけ見ておけ」
「……何から何まで用意周到だなぁ」
「誰も受けない依頼が積もると、こっちの威信にも関わるからな。昔と同じく、お前には期待しているぞ、ん?」
「はいはい、っと。今度はいきなり辞めたりしないさ」
顔の事はともかく、昔の俺の習慣をマスターはしっかりと覚えてくれていたらしい。――ここまで大切にされていたなんて、昔は気づかなかったな。
久々に食べる味の濃い料理と固いパンで空腹を満たした俺はなんだか恥ずかしくなり、慌ただしく席を離れて図鑑の内容を確認しに向かうのだった。
―――――――――
「おう、次も買いに来いよ!」
昔と変わらず頑固一徹で評判の爺さんの声を背に受けて、外へ出た俺は改めて自身の装備を確認していた。
年季の入った無地の麻服に、胸部を覆う鉄のプレートと両の太ももに装着したダガー。これだけ見れば、手切れ金だけ渡された駆け出し冒険者の貴族の三男坊に見えなくもない。スラムで襲ってきた相手から奪ったもので身を包んでいた頃に比べれば格段にマトモな見た目である。
それに加えてある程度大きめの紐で口を縛る形状の袋を背負い、俺は王都を覆う壁の外へと出るのだった。
西征を繰り返して発展してきた歴史のあるこの国は、文面だけ見れば誰もが首を傾げるように王都が最前線に位置しているという奇妙なところがある。未知の樹海を切り拓いて土地を開拓し、その地に住む野獣をものともせずに突き進んできた我らが先祖は、やがて辿り着くことになった巨峰の麓で足を止めることを決めたらしい。
その山の向こうに何が広がるかは知る由もない。
だがその麓にどのような宝の山が広がっているかは知る人ぞ知る。
東側にはこの国が支配領域を拡大してきた軌跡に根を下ろして発展した街々があるために、もっぱらこの国の人々はそちらの方との交流を深めようとする。その代わりに、西部の樹海には手つかずの自然が豊かに残されている。
「おっと、アオカブラダケだな」
さく、さくと生い茂る草木の中をかき分けていくと、早速俺は崖の下の日があまり刺さない場所に群生する青色のキノコ群を発見した。今回の依頼の目標、その一つである。
熱湯で茹でて毒抜きをすれば薬となるが、そのまま素手で触れば一月はかぶれが治らない毒茸だ。
何も調べようとしない連中であればそのまま触るだろうが、俺は以前に依頼者の薬屋の婆さんに土下座してまで半ば無理やり教わった知識がある。
背負っていた袋の中から馬の皮で作られた手袋と小さな袋を取り出し、慎重にその中から二株摘み取って収納する。
「よし、次に行くか」
その後、ヒウチフタバ――土から引っこ抜けば瞬く間に燃え尽きてしまう特性を持つ旅の火種役や、高い木々の頂点にのみ見つかり太陽の恵みをたっぷり吸収するハイヤドリギなど、面倒くさい代物を次々と回収した俺は、まだ日の高いうちに門の中へと戻ってきたのだった。
実は冒険者としての空白期間があったため、ある程度手古摺るかもしれないと思っていたのだが――思っていた以上に体はあの自然の中の歩き方を覚えていたらしい。木の根っこなどに引っ掛かることもなく、するすると進むことが出来ていた。
依頼の品どころか、個人的に欲しかった素材まで余分に回収できたことから俺は大層気分が良かった。
出発前と違いパンパンに膨らんだ袋の重みがあろうとも、今の俺の足は羽根のように軽やかに感じられる。
門の前に直立しつつ、その側にこれ見よがしに槍を立てかけていた門番に首元から紐で吊るしておいた冒険者の登録証を手渡すと、何故か「ん?」と甲冑の中から不思議がる声が響く。
顔を覆い隠した兜の隙間から、門番はじろじろとこちらの顔を覗いてくる。
「お前……本当に冒険者なのか?」
「ええ、そうですけど。何かマズいことでもありましたか」
こちらが首を傾げると、甲冑の主はガチャガチャと慌てて手を振った。
「いやいや、別に疑っている訳ではない。ただ、やけに戻ってくるのが早いなと思ってな。朝早くから依頼を受けるような冒険者なんて珍しいから覚えていたんだが、まさかこんな早い内に帰ってくるなんて思ってもみなかったのだ。時間がかかる依頼かと思ったのだが……もしや、失敗したのか?」
どうやら彼は俺が出発したときからずっとここに立っていたようだ。
余りに調子よく依頼を終わらせてしまったために門番の交代前に帰ってきてしまっていたのか。
「いえ、大丈夫ですよ。ちゃんと依頼主が欲しかったものは揃えてきましたから」
「そうなのか? いや、その背を見る限りそうなのだろうな。見ない顔だが、新人にしては良い仕事ぶりのようだ。そこまで真面目なら、マトモな職に就けただろうに……。ああ、悪かったな。くれぐれもその調子で、他の冒険者のマネをして自堕落な生活にならないよう精進するのだぞ」
「これはご親切にどうも有難うございます、騎士様。……もうよろしいでしょうか」
「ああ、行っていいぞ。引き留めて悪かったな。お疲れさまだ、少年」
森とは違う固い石畳の上を歩きながら、俺は先ほどの門番の言葉を思い返していた。
なんとも情けないことに、あの認識こそが一般の人々の冒険者に対するそれである。役立たず、ごく潰し、薄汚い。実際そうなのだから、反論など出来るはずもない。
かつて何度も向けられた、冒険者はあくまでも冒険者と決めつける懐かしい色眼鏡。かつての俺ならば、それに対してギシリと歯を軋ませていただろう――だが、そんなどうでも良い連中への評価など今の俺には関わりのないことだ。
貧民の生まれだからと見下されているから堕落するのか?
堕落している所を見られたから落伍者の烙印を押されるのか?
いずれにせよ、そのどちらにせよ抜け出せない状況から脱する方法はただ一つ。自らの努力を以て功績を示せば良い。
「――だって、見てくれる人はちゃんと見てくれているって分かったからな」
一見衰えたと思っていても、知識は数年たったところで簡単には忘れない。
かつて死なないために、そして自らを磨き上げるために必死で積み重ねた努力は俺の中に確固たる土壌を築き上げているんだ。
そして、それを見出してくれたティーティア……彼女に加えてマスターたちにも報いるために。
まだまだ、頑張らないとな。
……それにしても、久々に会う薬屋の婆さんは土下座程度で許してくれるだろうか。
門番の騎士に見下される怒りなんかより、そちらの恐怖の方がよほど俺の心をガタガタと震え上がらせていた。