第二十二話 上も下も、選ぶ手段は変わりなく
カタリーナと別れて表通りへと出た俺は、王都の中心へと続く通りをいつも通り師匠の所へ向かおうと歩いていたのだが、なにやら通りがかった冒険者ギルドの中から喧騒の声が漏れ出ている。
騒がしいこと自体はいつもの事なのだが、今日の空はまだまだ星の光が瞬く様子を見せず、うっすらと月が見え始めているものの冒険者たちの酔いが全盛となる時間帯にはまだ早い。それに、扉の向こうから響いてくるその中身も罵声ばかりと荒々しく、今まさに敵意をむき出しにしていると言わんばかりの肉食獣のようなものばかりだ。
あまりに気になったもので野次馬根性で軽く開いた扉から中を覗いてみると、十人近くの男の冒険者たちが受付へと詰め寄ってなにかを訴えているようだ。
そしてその矛先は、人ごみの隙間から見える限りではギルドの男性職員へと向けられているようだ。
「おい、一体なんでケルアの奴が捕まっちまうんだよ!?」
「なんで報酬がねーんだよ! せっかく一日走り回ってようやく持ってきたってのによぅ!」
「あのゼラの野郎、また俺たちを襲ってきやがった! さっさと罰則を出せよ!」
「……え、ええとですね……。そちらの件は――ああ、こちらはですね――」
顔までは見えないが、彼も一人ずつ相対するならともかく、筋肉の鎧を纏った連中にあれだけ詰め寄られればそりゃあ答えに困るだろうな。誰だってただでさえ乱暴な連中が威圧しながら目の前に群がっているとくれば、混乱せざるを得ないだろう。
そして少し離れた所では、同じような光景が女性の方でも繰り広げられている。
「――!?」
「――っ、……ぁっ!」
「――だって!? ――、――よ!」
「……ぴ、ぴう……」
こちらはもはや、声が高過ぎて入り口からでは何を言っているのかすら聞き取れない。
そして、こちらも不思議と同じく、女性冒険者たちの訴えを受けているのは女性の職員だ。ギルドは冒険者に少しでも言うことに従ってもらうために、容姿の整った職員を配置している。故に普段は異性の担当を訪れている彼らがこうしているのは不自然な話だ。
――いや。あれはもはや、訴えを聞き届けてもらいたいというよりは単に文句の捌け口を探しているだけのように見える。見た目の良さは、異性には好意を持たれても同性からは反感を買うからな。
ともかく、そんな首を掻ききられる寸前の鳥のように口をパクパクさせている女性職員の方は偶然にも顔が見えた。
よく見れば、顔見知りと言っていいかどうか定かではないが、あのマスターと一緒にいた俺の話を聞いて逃げた職員じゃないか。彼女も扉から顔だけ出して様子を窺っている俺を見つけたようで、助けを求める視線を寄こしてくる。
「……仕方がないか」
決して彼女の可愛い顔に釣られたわけではない。
だが、朝から汚い話を聞かせて怯えさせてしまった謝罪としてこの場の助け舟を出すくらいはしよう。
「ちょいと失礼しますよ、お姉さんがた。依頼の完了報告をしたいんですが」
「はぁ!? 今はこっちの話で忙しいのよ、向こう行きなさいよ向こう!」
彼女らの前に割り込むと、当然のように厳しい目線がグサグサと突き刺さってくる。
若い受付嬢に少しでも良い所を見せようとする若き男の子にでも見えたのだろうか。だが、こちとら熟練の冒険者の先輩方を相手に、そんな言葉だけでどうとでも出来ると思っているほど世間知らずじゃないんだ。
「まあまあ。それよりもほら」
俺がここに来るまでの間に出しておいた銀貨をちらつかせると、彼女らの声が一時的に止む。
「何か悪いことでもあったのなら、やることは決まってるでしょうお姉さん方。 とりあえず今はこれで好きなだけ呑んで、今日の所は胸糞悪い話なんて忘れてしまいましょう。いつも世話になってる後輩からのお礼ってことで、どうか受け取っちゃくれませんか。たまには昼間っから騒いでも、罰は当たりゃしないと思いますよ」
ニコニコと笑いながらそう言うと、瞬く間に俺の指の間に挟んでいた銀貨がかすめ取られる。
「ちっ、美少年にそう言われたら引くしかないわねえー」
「ま、今日の所はこれで勘弁してやんよお嬢ちゃん」
ここの酒は水がわりに飲むような連中のために非常に安いので、これだけでも十分満足できるだろう。というか実質酒精が強いだけの粗悪品を水で薄めて出しているだけなのだが、それはさておき。
タダ、奢りという言葉に弱い冒険者たちは、何とかそれで腹の虫がおさまってくれたようだ。
後ろで一人の生贄に任せて様子を見守っていた他の職員が「これ以上彼女らに不満を募らせはいけない」と慌てて彼女らに注文を取りに行く姿を見届けつつ、俺は改めて彼女に向き直った。
「で、一体何があったんだ?」
「あ、ありが……ひいっ!」
感謝の言葉を口にしようとこちらを向いたところで、彼女は途端に顔を青ざめさせる。
まさか俺だと気づいていなかったのか? 藁にもすがる思いで助けを求めた結果がよりロクでもない野郎を引き込むことになってしまったとはいえ、その反応は失礼だろ。
そう思いつつも、このまま彼女を怯えさせたままでは話もままならない。
「……別に、相手から仕掛けてこなきゃあんなことはしないさ。でも、怯えさせたのは本当だし、悪かった」
仕方なく頭を下げてそう改めて謝罪すると、
「い、いえ。だ、大丈夫です。わ……私もマスターに任せて逃げるなんて失礼なことをしてしまったので。こちらこそ、どうもすみませんでしたァイタッ!?」
彼女も慌てて頭を下げたようだ。見えはしなかったが、勢い余って机にゴツンと額をぶつけた音が響く。その様子に思わず、互いに笑ってしまった。これなら、もう話すことに抵抗はなさそうだな。
そして、早速酒盛りを始めた後ろの女連中の甲高い声を聴きながら、俺はもう一度問いかける。
「で、あの人たちの話ってのは一体何なんだったんだ? 冒険者が失敗するのはいつもの話だが、あれだけの連中が寄ってたかって文句を言うのは中々珍しい光景だったもんで、つい気になってな」
「あははっ……それはですね、と。その話よりも先に御依頼の報告の方は良いんですか? せっかく銀貨まで出されたのに、忘れてしまっては元も子もありませんよ」
「ああ、確認してくれるところ悪いが、依頼の話はあの場の出まかせだよ。八割がた終わったけど、まだ運んできたブツを依頼主に届けてないからな。それよりもこっちの方が気になって仕方がなかったからな」
「こ、こっちが気になるんですかっ!?」
「ああ、そうだ」
頷く俺に、彼女は何故か今度は顔を赤く染め始める。青くなったり赤くなったりと忙しい顔だな。
「向こうの男の方も同じような話なんだろ? 銀貨の方はまた今度割のいい依頼でも回して返してくれたらそれで良いさ。それよりも、一体何があったのか教えてもらいたいんだが」
「え、ああ、そっちですか……せっかく良さそうな子が私の下にも舞い降りたと思ったのに」
今度はなぜかしょんぼりとする彼女。本当に何なんだ。
だがすぐに表情を職員内で統一された笑顔に戻すと、彼女は俺の胸元に下がったギルド証をちらりと確認した後、受付の右側に鎮座する巨大な木製の板を指さした。
「えっとですね、そう言えばエフォードさんはいつもマスターから直接依頼を受けていらしたんですよね。だったらあそこの壁なんて見ませんか」
それは、依頼の概要が書かれた紙が大量に留められた【依頼掲示板】だ。
冒険者ギルドの壁を丸々一つ分占領しているその置物の前では、いつも万年金欠の冒険者たちが少しでも割の良いものがないかとうろつく姿が見られる。今も、女性たちが酒をかっ食らっている横でジロジロと新しい依頼が張り出されないかどうか受付の奥へ目を向ける冒険者が五人いる。
「あの真ん中を見てくださいよ、アレ」
その依頼板に貼り出された依頼書の中でも、一際大きな存在感を放つものが二つ。
板の中央には、他のものよりも一回りも二回りも大きな依頼書が並んで張りだされている。それも上の方には赤字でどデカく【緊急!】と書き足されている。
一体何なのかと目を凝らしてみれば、どうやらどちらも誰かの顔が書かれた手配書のようだ。俺がマスターから受け取った【疾風】のものよりも、よほど注目を浴びるような派手さだ。
「なんなんだ、あれは? 普通ならあんなことはしないはずだぞ。それこそ六年前の戦争の時くらいじゃないか?」
一応、同じような依頼板の使い方を目にしたことはあるのだがそれも一回だけだ。
六年前にこの国が他国と戦争をした際の、傭兵の募集だったはずだ。しかし、今はそんな国家の大事になるような噂はとんと聞かないぞ。
「覚えてらっしゃいましたか」
と、彼女は軽く驚きながら話し始める。
「実は、さるお貴族様がたからの依頼でして。あの顔の書かれた二人が貧民街の奥の方に逃げてしまったらしく、それらを草の根分けて探し出し、どうしても捕まえろとのことなのですよ」
「その話か。マスターにも聞いたな。貴族に睨まれた連中だったか? もっとも、あの様子じゃ、まだ見つかってはいないみたいだな」
「はい、そうなんです。ご承知かとは思いますが、あそこでの人探しなんて、いくら冒険者様たちでもそう簡単に出来るものではないですよね? でも、そんなことを知らないお貴族様からしてみればそういうものだと説明しても納得いただけなかったようでしてね……」
彼女曰く、痺れを切らしたお貴族様たちがどんどん報酬を吊り上げているらしい。それに釣られて、ひっかかる連中が増えているのだとか。
失敗しても違約金を取らず、些細な情報でも冒険者にとっては十分すぎるほどの金を払うと聞こえはいい。
しかし、持ってきた情報が偽物と判断されればやってきた貴族の私兵にぼこぼこにされる上に、先取りさせてなるものかと冒険者同士でも喧嘩に足の引っ張り合いを起こしてもう収拾がつかないのだとか。
「まったく、こっちとしても良い迷惑ですよ。こちとら国のお役所の下部組織なのに、関係ないお貴族様がお金でどうにかなると思って振り回してくるものですから……あ」
と、彼女はまた顔を青ざめる。
職員としての文句を言ったはいいものの、思わず個人の本音と共にぽろっと聞いちゃいけない情報まで出てきたな。
「それは知ってるから、別に今更騒ぎ立てたりはしないさ」
「そ、そうでしたか。良かったぁ……」
「次からは注意しといてくれよ、また面倒ごとで助けを呼ばれるのも勘弁だからな。マスターにも告げ口しないからさ、ついでに聞かせて欲しいことがあるんだ。どうして貴族をそこまで怒らせたんだ? マスターは教えてくれなかったんだが、知ってるんだろう?」
「あ、ありがとうございます、またもや庇っていただいて。理由ですか? ……ええ、良いでしょう。どうせそろそろ平民街にも広がり始める頃合いですし。ただ、まだここの皆様は知らないでしょうから、貴方もあまり広めないでくださいね。私が話したってバレたら首が飛んじゃいますので。実はですね……」
ここから先は本当にまだ広めては危ないものらしく、彼女は机越しにこちらへ顔を近づけて耳打ちでこしょこしょと教えてくれた。
どうやら、貴族街に最近まで存在した娼館で一部の貴族たちがこぞってとある病気に感染したらしい。それが軽く寝込むくらいだったらまだ良かったのだが、なんと驚くべきことに彼らの股間の聖剣が使えなくさせられたらしく、それが子供を作って家を残すことも大いなる義務の一つに含まれる貴族たちにとっては命を奪われるよりも重大な一大事だったとのこと。
故にそのお礼回りとして、娼館の城主だった男と彼らが揃って熱を上げていた一人の娼婦を何としても見つけ出したいのだとか。
「……どこかで聞いたことのある話だな」
俺が思い出したのは師匠が今集中しているという研究の話だったのだが、それを知らぬはずの彼女も姿勢を戻した後に「でしょうね」と肩を竦めて呆れたようにそう言った。
「最近の話だと、その話を掴んだ他の貴族様たちが噂をばらまき始めたみたいですし。種を残せないなんて不名誉な話、相手の家の存続に関わるものでもありますからね。つっつくには絶好の機会なんでしょう」
「あー、貴族同士の権力争いってやつか。確かにそうだな、娼館に通い詰めた挙句病気を貰ってくるような間抜けな相手の所に娘はやれない、なんて話も出てきそうだ。もし俺に娘がいたとしても、あまりそう言った浮ついた噂の相手の所には嫁に出したくないだろうし」
「そうですよね。私も、そんな男の人とは一緒になりたくはありませんから」
「にしても、そう考えると冒険者も貴族も変わらないな。高貴な人間でもそうでない下層の人間でも、足の引っ張り合いだけはやたらと好きみたいだからな」
「ふふっ、確かに。でも、それで迷惑するのはいつも回りなんですよね。……これでお話は満足ですか?」
「ああ、お貴族様同士のやってやられてなんてものは中々面白い話だったよ」
さて、それじゃあこの後師匠のところへ行って、話を聞いてみるか。
「それじゃ、俺は依頼主の所に行かなきゃならないから、これで。また後でもう一度来なきゃならないと思うから、その時にまた」
「はい、お待ちしております。それと、先ほどは本当に、ありがとうございました。行ってらっしゃい、エフォード君」
なぜかそう彼女に名前を呼ばれることに内心首を傾げながら、俺は冒険者ギルドを後にするのだった。