第二十話 深層で、素材と情報の回収を
現在俺たちが探索している大自然には、正しい名称は存在しない。【未知の樹海】や【神秘の森】など、誰もが好き勝手に呼んでいる。
そして、その広大な面積が如何ほどなのかは、まだ誰一人として把握していない。
俺が以前登ったことのある馬鹿大きい城壁の上からも、遥か先に白雲を携える山々が聳え立っている事くらいしか分からなかった。最も巨大な建造物であるアルゲントゥム城からなら何か見えるかもしれないが、唯一足を運んだことのあるパーティーの開かれた大広間の窓からは夜中だったために何も見ることが出来なかった。
ともかく、それほどまでに広い森の中とはいえ、人の足を踏み入れられる範囲には限度がある。
行きはよいよい帰りは怖い。
次から次へと見つかる素晴らしい素材の山々に釣られて、気づけば来た道が分からなくなる。そうして帰って来られなかった冒険者だって珍しくはない。
そんなことにならないために、この森を繰り返し訪れる者は森のごく限られた、国から離れていない範囲にしか足を踏み入れない。
故に、この森の資源は実質的に限られていると言える。どうせ誰も取らないからと、好きなだけ回収してよいという事にはならない。だから俺たちが六人分もの食料を集めるためには、一か所で大量にとることなど許されず、広く浅く、上澄みを集めるように集めなければならない――そう思っていた。
「大丈夫よ、まだ見えるわー!」
そう言いながら木々のてっぺんから風を踏みつつ降りてきたカタリーナは、大変ご機嫌良さそうに満面の笑みを浮かべている。それもそうだ、俺たちの目標は既に六割がた達成しているのだから。
徐々に重くなりつつある鞄を楽しそうに担ぎ上げながら、彼女は「次は? ねぇ次は?」と言わんばかりにそわそわしている。
それも仕方のないことだ。
なにせ俺たちは今、他の誰も足を踏み入れては帰ってこないであろう【深層】に来ているのだから。
「あ、あれってさっき食べられるって言ってたヤガヤの実よね? 見て、たっくさん生ってるわ!」
「違う。カグヤだ、カグヤ。それに沢山なのは当たり前だろ、他に誰も取ってく奴がいないんだから」
数ある森の呼称の中で、【浅層】と【深層】と言う呼び分けがある。
前者は人が足を踏み入れる場所で、後者はそうでない場所。
その境目は主に、分かりやすい目印となる王都の壁が見えるか見えないかであり、この森の九割以上は【深層】である。
ちなみに、残る一割の更に一割の一割の……と何回か続けた辺りがようやく【浅層】と呼べる範囲だ。
そんな未知に溢れた深奥に余りにも潜りすぎると、やがて誰にでも分かる目印となり得る壁が見えなくなる。そうなれば方向感覚を失い、やがて更に奥へ進んで帰れなくなる危険性もあるんだ。
だが、カタリーナには風を使ってきた道を戻れる能力が存在する。
加えて万が一のことも考えて、定期的に空へと飛んで王城のある方向を確認もしてもらっている。そのため、一般的に誰も足を踏み入れない場所でも足を踏み入れることが出来たんだ。
そんな場所であるため、用心深い真面目な奴らが訪れることはない。限度はあるが、基本的には好きな素材が取り放題の楽園だ。
ただし、時折人に踏みならされたような道もある。これは恐らく鍛錬を目的とした騎士団の連中だろう。
「あ、あれって獣の巣穴じゃない? なんか動いたのが見えたわ」
「はいはいっと、……そうだな。あれだけ小さいなら、兎とかそんなもんだろ。いいか、持ってろよ」
ダガーを構え、用心深くその中を覗き込む――いた。三匹の森兎だ。
「俺の手数じゃ全部は仕留められない。カタリーナ、昨日よりもうちょい強く、風を出せるか? 殺さなくても良いが、気絶させるくらいの威力でだ」
「ええ、大丈夫よ。可哀そうだけど」
しかしそんなことを言う口からは涎を垂らしている。
可愛さよりも美味さの方が重要らしい。いや、彼女の骨ばった体のことを考えると笑えないが。
「まずはお前がやれ。失敗して逃げそうになった奴を、俺が狩る」
「ええ。それじゃあ行くわよ――いち、にっ、さん」
静かに息を合わせ、彼女が腕を振り下ろす。かすかに渦を巻いて見える聖術が巣のど真ん中に着弾し、二匹は衝撃で気絶したらしいが一匹が慌てて逃げ出した。それを目掛けて、ダガーを投擲する。
――どすっ。
「……あ」
「うわぁー……アンタ、もしかしてアレを狙ったの?」
「違う。断じてそんな事はない」
頭を狙ったはずが、えげつないことに尻に突き刺さっている。そのままよたよたと少し歩くが――すぐに動かなくなった。一撃で仕留めて痛みを感じないようにしてやろうと思っていたのに、これでは真逆だ。
すぐさま改めて首を切り、黙して謝罪する。血を捨て、出きったら残ったものを近場の葉っぱで拭ってから袋に入れる。
ズシリと新たに加わった重みに、彼女は嬉しそうだ。
「良かったわ、お肉なんていつぶりかしら」
「そう言えば、昨日はどうだったんだ? 筋肉達磨の奴なんて、草だけじゃ満足そうじゃなかったろ」
そう聞くと彼女はうぇっ、と舌を出して吐きそうな顔をする。
「嫌なことを思い出させないで。アイツ、ひょろ男と一緒になってずっと文句ばっか言ってたもの。そのくせアタシとお母さんの分まで取ってさ」
へえ、と相槌を打ちながら次なる獲物を探す。
「それじゃ、帰る前に一匹くらい焼いて食べてくか。俺としてもその体は見てられないからな。お母さまには悪いが、荷物もそこそこ運んで疲れたろ。それくらいは甘んじても良いはずだ」
「ええ! そうね、是非そうしましょう!」
「ええい、足を弾ませるな。余計に体力を使うぞ……。と、そう言えば、なんだかんだ言ってお前が楽しそうにしてるものだから聞いてなかったな」
「何を?」
「そいつらについての情報さ。ちょうど良い。ここらで一度一休みして、昼飯を食べながら話を聞こうか」
俺たちは一度その場で腰を下ろし、火を熾して兎を捌く。
俺が渡した肉を手際よく削った枝に刺して焼いていきながら、カタリーナは「お肉っ、お肉っ」とはしゃいでいる。
「さて、まずは話に出てきたそいつから聞いてみるか。筋肉野郎ってのは、どんな奴なんだ? 」
「どんな奴、って言ってもねぇ……私からは、禿げた筋肉としか言えないわよ。他にどんなこと言えばいいの?」
「使う武器とか、利き腕とか、背の高さとかだよ。後、何を着ているのかとかかね。戦う相手がどんな服を着ているのか、どんな装備を身に着けているのかってのは重要な情報なんだよ」
「なるほどね、えっと……」
彼女は両のこめかみに指――先は汚れているので、折り曲げた関節部分をを当ててぐりぐりと回しながら、記憶を呼びだす。
「アイツは確か、背中に大きな剣を背負ってたわ。でも、鉄の鎧とかは持ってなかったと思う。上なんか殆んど裸だったし。身長は……アンタより頭二つ分くらい大きいわ。家に入るときに、随分窮屈そうにしていたから。で、腕がアタシのを四本くらい纏めたくらいぶっといのよ」
「見るからに力自慢の戦士ってところだな。しかしそれなら、今の食生活を三日も続ければ厳しくて仕方がないだろうな。マトモに力も出せやしないだろ。出来れば家の中に入れたまま相手にしたいな、で、次は?」
思ったことを口にしながら次を促すと、彼女は突然怒り出す。
「ちょっと、アタシたちの家を壊す気じゃないでしょうね?」
「そんなつもりはないが、死ぬよりはましだろう?」
「すむところがなくなっても困るのよ!」
「あの辺りくらい、新しい家はすぐ見つかるさ。と言うのは冗談で、分かってるよ。そんなことになったらお前のお母さんも巻き添えになるからな。どうにかするよ」
とはいえ、なるべく相手に不利なところで戦いたいのは紛れもない本音だが。
その男を引っ張り出すより、カタリーナのお母さんに出てもらう方向で考えよう。
「本当ね? で、次はひょろ男だけど、見た目だけは立派よ。見るからに黒い高そうな服に、紫のネクタイを締めてるわ。武器とかは持っていないし、身長はアンタとどっこいどっこい。でも体を拭いていた時に見た体は、ハゲと違って細かったわ」
「ふーん、じゃあ戦うってよりは守ってもらうって立場だな。お前の母親と交渉したのもそいつみたいだし、四人の中でもそいつが頭だな」
あまり戦力にはならなそうだ、ひとまず障害にはならないだろう。
「で、蛇っぽい女だけど。なんか……よく覚えてない」
「覚えてない?」
「髪はえっと、赤くて、なんかこううねうねってしてて、それだけ。いつも昼間は家の外に出てるから、よく分かんない」
「……他の二人はそこそこ分かってたのに、途端にこれか。まあ、仕方ない」
夜に顔を見せるというのなら、幼いカタリーナは既に眠気で頭が回らない時間帯なのかもな。それなら、あまり記憶に残っていなくても仕方がないだろう。
――もしくは、相手の記憶に残らないような技術を持っている可能性もあるが。誰でも反感を買うだろう、ってくらいのことを押し付けてるんだ。いつかカタリーナが敵に回ることも考えて、そうしていたんだろう。
昼間に出歩いているという点は「姿が見られたくないのでは」という予想とは違うが、そんな相手の記憶に残らないような歩き方が出来るのなら外に出ても構わないんだろうな。
「で、残るお姉さんは?」
「やっぱり聞くのね」
「当たり前だろ」
「と言っても、普段はなんか分厚い布で体を隠してるし。でも、その中は薄い布一枚よ。で……身長は貴方より少し大きいくらい、かな。おっぱいが、こんなにおっきいの」
彼女はそう言って、自身の平野の上に大きな山脈の姿を両手で抱え込むようにして表現する。
「……大げさじゃないか?」
「ホントよ! お母さんよりも若いのに、おっきいんだから!」
「そ、そうか。で……他にはないのか? 奴らの話していたこと……なんでここに来たのかとか、誰に追われてるのかとか、どんな些細な情報でも良いんだ」
「えっと……」
彼女は暫くうんうんと唸った後、あ、と思い出したように言った。
「お母さんがね、お姉さんに何処から来たのって聞いたことがあったの」
「……? どういうことだ? 話の前後が分からない」
「少しでも仲良くしようとしてね。で、栗色の肌ってさ、ここらでは見かけない珍しいものだから、どこか遠くから来たんじゃないかって。で、なんか東の方から攫われて、気づけば海を渡ってきたんだって」
「……奴隷船か」
俺は関わったことがないが、奴隷販売もどこかでやっているって話は聞いたことがある。
ただ、相当綺麗ならよほど値が張るに違いない。
そんなものを買い込める所有者は、恐らくひょろ男。見た目といい、元は相当なお金持ちだったのかもな。だが、逃げてきた先では財産なんぞ持ってないだろう。新手を雇えるほどじゃないはずだ。あの辺りの人間は、相手に金がないと分かると途端にぼったくり始めるからな。
ま、これで分かったのは戦う必要があるのは二人だけ、ってところか。
「あとね、お母さんがあのひょろ男を呼ぶときはいつも、ジョナサン様って呼んでたの。様付けで呼ぶのって気に入らないけど、なんか元々仕事していた所の偉い人なんだって」
「……娼館の主で、金持ちか。大分大きな規模だったんだな。それに、ってことはそのお姉さんは商品か? いや、逃げる時に連れてくるくらいだから愛人か? ……ダメだ、分からないな。にし7ても、そんなに魅力的だったんだな」
そして彼女も、これ以上思いつくことはないみたいだ。
うんうんと唸っているところ悪いが、程よく焼けた兎肉を差し出す。
「あとは、そうだな。お前のお母さんに、気になったことを聞いておいてくれないか。元娼婦なら、客のことを細かく観察しているはずだ」
「分かったわ。じゃ、いただきまーす!」
そして俺たちはしばらくの間、新鮮な兎の肉を楽しむのだった。