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第十八話 聖術の匂いに導かれて


 時折振り返りながらジェーンの姿がないことを確認しつつ、俺は王都を覆う防壁周りの道を逸れていつも通りに森の中へ足を踏み入れた。いくらなんでもこの大自然の中に溶け込んでしまえば、もはや彼女が俺を追跡するなんてことは不可能に近い。


 ほっと一安心しつつ、鳴り響くお昼を知らせる鐘の音を背に、聳え立つ赤茶色の巨壁が見えなくなるほどに森の奥へ入っていく。


「さて、と。まずはあのお騒がせ娘を誘き寄せますかねっと」


 さすがにここまでくればジェーンには簡単に見つからないだろう。


 ほっと胸を撫でおろし、俺は近場の休憩所を探し出してそこに腰を下ろした。


 ここでイカを焼いていれば、昨日と同じようにカタリーナの方から俺を見つけてくれるかもしれない。しばらく待っても来ないのであれば、別の地点でもう一度繰り返してみよう。


 その中央にまずは土ごと掬い取ってきたヒウチフタバを据え、それを傘のように木の枝で覆っていく。そして十分な骨組みが出来た所で、その茎をダガーの先で切り離すと、瞬く間に切り口から火が燃え広がり始めた。ふー、ふー、とその炎が周りの枝に移るまで息を送ってから、俺は備え付けの獣避けを摘みに茂みへ潜ろうとそちらの方へ振り返った。


 と、ちょうどその時。


「あ、え、エフォード!?」


 背後を向いた俺の視線の先には、昨日と同じ青の瞳を輝かせたカタリーナが立っていた。


 と、同時に――ぽっ、とこちらの顔を見て顔を赤くする。なんなんだ一体。


「おっ、びっくりした。おはようカタリーナ。多分待たせたと思うが、遅れて悪かったな。変な女に引っ掛かってて時間を食われてな」


 実際には服屋や師匠の所にも行っていたし、そちらの時間の合計の方がよほど大きい。


 だが、体感的にはジェーンとの話が一番長かったんだ。この際、仕返しの意図を込めて彼女に全ての罪を被ってもらうとしよう。


「お、女ぁ!? アタシが居ながら、なんでそんな変な奴と楽しくお話してたのよ!?」


「別に楽しくはないし、むしろ俺だって迷惑してたんだ。待たせたのは悪かったが、なんでそこまで真っ赤にして怒るんだよ。せっかく可愛くなってるのに、そのの化粧が台無しだぞ」


 そそくさと茂みの中から出てきて火の前に座った今日の彼女の様子は、昨日とは少しばかり異なっている。


 ざっくばらんだった髪の毛は油と一緒に透かしてあり、丁寧に二房に分けられて先が短い三つ編みになっている。また、どことなくすっと花の香りがする――これは香水か? また体の汚れもしっかりと落としてあり、唇には薄く桃色が塗られている。


 体の方も、昨日の垢や泥塗れだった黒い色と違って元の白肌を取り戻している。


 肉付きが悪いのが玉に瑕だが、間違いなく貴族の父と娼婦である母親の血を引いているな。まるで見違えるほどに愛らしい姿だと言える。


「こ、これはお母さまが――って、う、うるさいわね! ――じゃなかった、あ、ありがとうっ、ございますっ……!」


「さっきからなんなんだお前。熱で頭でも悪くしたのか」


「ちちち、違うわよ! これは、そ、その……。ちょっと勘違いしたお母さまが、男を捕まえたのならってこう言えって――い、いえ、なんでもないわ! 熱も大丈夫よ!」


「なら良いんだが。……と、そうだ。一つ聞きたいことがあるんだが、なんでお前、ここにいるんだ?」


「はあっ!? アンタ何言ってんのよ、昨日の約束忘れたの!?」


 火の向こうで顔を赤くしたまま吠える彼女に、そうではないと首を振る。これは言い方が悪かったな。


「いや、そうじゃなくて。なんで俺がここに居るって分かったんだ? 待ち合わせる場所も決めてなかったし、昨日みたいに匂いの目印もまだなかっただろ。だからこれから焼こうとしてたんだが……それとも、これもあの風の聖術(セイクリア)の力なのか?」


「あ、あー、そのことね! ふぅ……違うわよ。びっくりさせないで」


 先ほどから続いていた荒ぶる感情をようやく落ち着かせながら、彼女は自身の鼻先を指さした。


「なんかね。さっきまでは何もなかったのに、突然辛い物を食べた時みたいに鼻がぴりぴりし始めたの。で、一体なんなのかしらと思ってつい匂いの強い方に近づいてったら、アンタの背中が見えたのよ」


「へぇ。とりあえず今回ばかりはそれに助けられたな。でも、これなら今度からも特に待ち合わせ場所を決める必要はなさそうだ。時間は……さっきの教会の昼の鐘がなる今頃にしよう。それで良いか?」


「分かったわ。あの音なら私の家でも聞こえるから」


「じゃ、明日からはこの時間に集合だな。ところで、世界のどこかには甘い匂いを漂わせて近づいてきた獲物を食べる生き物がいるらしいぞ。この森だって、居ても不思議じゃない。興味本位で何かに近づかないようにな」


「はいはい、分かってるわよ。それに、辛い匂いが強くなるにつれて元々アンタから漂ってた甘ったるいのまで匂ってきたから、エフォードだって分かってたしね」


「昨日はそんなこと言ってなかったが……甘い匂い?」


「ええ。甘い甘ーい、お母さまの持ってる香水みたいなのがね。昨日はその、イカの方が重要だったというか……」


 恥ずかし気に食い物の方の匂いにばかり気を取られていたと告白するカタリーナ。


 しかし、匂い(・・)ねぇ。俺にはよく分からないが、彼女には分かると来たか。


 もしかしたらこれが師匠も言っていた聖術使い(セイクリスト)特有の匂いってやつなのかもしれない。


 俺は聖術使い(セイクリスト)ではないし、甘いのは恐らくティアのものだろう。辛いのは……新しく付いたようだし、昨日散々密着していた師匠のものに違いない。俺の間違いを指摘する傍らで、自身も色々とやっていたみたいだったからな。


「……最後は聞かなかったことにしとくよ、うん。それと、多分その辛いのとか甘いのは聖術(セイクリア)の匂いってやつだ」


 そう指摘すると、彼女は意外そうに首を傾げた。


「じゃ、エフォードも聖術使い(セイクリスト)だったの? そんなの昨日は教えてくれなかったじゃない」


「違う。最後まで話を聞け……聖術使い(セイクリスト)なのは俺じゃない、俺の師匠だ。その人が、聖術使い(セイクリスト)ってのは他の奴らのことを匂いで判別できるって言ってたんだ。多分その昨日からの甘い匂いはティアので、辛いやつの方のは昨日お前と別れた後に一緒にいた師匠のものなんじゃないかな」


「ティア? また新しい女の名前ね」


 妙な所を耳聡く聞きつけるな。


「そこは今どうでも良い。とりあえず、俺にはその匂いってのはさっぱり分からない。だからお前が力を実際に使うまで、そうだと気づかなかったからな。だけど、師匠の言う事だし間違ってはないんだろと思うぞ」


「……師匠? アンタに師匠なんていたの?」


「ああ。これからお前に教えることになる植物の見分け方や薬の作り方を教えてくれたのは師匠なんだ、お前と同じ|聖術使い《セイクリストのな。風を使えるのかは知らないけどな。――それに、悪かったな。顔が赤かったのもその師匠の匂いのせいなんじゃないか? 辛い物食ったら顔も赤くなるからな、似たような匂いで体が勘違いしたんだろ」


「そ、そそ、そうね! 顔が赤いのは決してアンタを見たからじゃ」


 と、そうだった。せっかく師匠の話題が出たんだ。例の誘い話も、ここらで済ませてしまうとしよう。


「なあ、カタリーナ。その師匠の件で一つ話があるんだが。それもかなりお勧めできる内容だ」


「な、なによ?」


 なぜか再び慌てふためきだしているが、話は聞こえているようだし続けても問題はなさそうだ。


「実はな。昨日お前に聖術(セイクリア)で作った風で攻撃されたろ。あの時にお前の匂いが染みついたから、そのまま師匠にお前のことが看破されてな。――ああ、通報されるとかは気にしなくていい。師匠はお前の背景まで聞いてから、こう言ってたからな。「聖術使い(セイクリスト)の新しい弟子としてお前を歓迎したい」って。お前なら出来ると思うんだが、どうだ? やってみる気はないか」


「え?」


 突然の提案に、彼女は目を丸くする。


「でも、アンタは使えないんでしょ? なのに弟子なの?」


「まあ、一応な。俺は聖術使い(セイクリスト)じゃないから、中途半端にしか師匠の知識を学べない。けど、そもそも俺は薬師として弟子入りしたんじゃなかったからな。いわば、正式に師匠の全てを継ぐ者じゃないってところかな。それでも師匠は一生懸命教えてくれたけど」


「そ、そうだったの……。悪かったわね、アンタも気にしてることを聞いて」


 気まずそうに彼女は目を背ける。


「別に気にしてなんかないさ。聖術(セイクリア)が使えなくても、十分大切にされてるって分かったからな。だからこっちを向け。あと、お前の家の問題のことなんだが――」


「そこまで話したの? でも、そうよ。話は有難いんだけど、アタシにはお母さんをほったらかしにすることは出来ないわ」


「分かってる。だからその辺りのことは、師匠曰く「後輩の問題は先輩の俺に任せる」だとさ」


「どういうことよ?」


 なぜ師匠がそこまで彼女に肩入れさせようとするのかが分からないのだろう。


 そう言えば、聖術使い(セイクリスト)の希少性については説明していなかったな。


聖術使い(セイクリスト)ってのはさ、めったに見つからないんだよ。だから師匠としては何が何でもお前が欲しいんだろうな。だから弟子として先輩の俺に、その障害になりそうなお前の問題を片付けろってさ」


「そういう、ことだったのね」


「まあな。……それに、お前だって分かってるんじゃないのか。このまま邪魔な四人の飯の調達をしなきゃならない生活なんて、いずれ壊れる日がやってくるってな」


「……」


 彼女は何も言わない。だが、心の中ではもう悟っているはずだ。


 だからお母さまとやらも客の取れないような状況の中、貴重な商売道具を使ってまで娘に化粧をさせてきたんじゃないのか――娘の置かれた状況に同情した俺に、少しでも取り入る可能性を高めるために。


「森の資源だって、俺たちだけでいつまでも独占できるわけじゃないんだ。それに、体も食べ物が足りない状態で森を動けば更にやせ細る。動いた分食べられないと人は死ぬんだ。そうなりゃ、母親にといっても悪いことになるぜ」


「……同じようなことを聞いて悪いんだけど。アンタは不満はないの? そこまでアタシを手助けしてくれるなんて、弟子としての範囲を超えてるんじゃないの?」


「別に。不出来な弟子としてはむしろ、大歓迎さ。俺は最近、師匠を悲しませてしまったばっかりでね、少しでも恩返ししたいんだ。師匠が知識を完全に受け継がせたいって言うんなら、その望みを出来る限り叶えたい。……それに、ティアが悲しむからな」


 師匠を助けることはもちろんのこと、もしここで彼女を救い出さなければティアに胸を張って帰ることもできない。


 貧民街をうろつく薄汚い小僧を、偶然の出会いだけで拾い上げてくれたような優しい性格の持ち主なんだ。その彼女を慕う者としては、こんな小さな女の子に突然降ってわいた災難を放っておくわけにはいかないだろう?


「後はお前の気持ち一つだけだ。さあ、どうする? このままダラダラと連中に付き合わされた挙句、冷たい地面に伏せるか。それともその風の聖術で新たな道に羽ばたくか」


 さて、彼女はどちらの答えを返してくるか。


 彼女はせっかくの綺麗に整えられた細い眉を中央に寄せて、しばらくの間考えこむ様子を見せる。


 この後には依頼の薬草や、食べられるものも集めなければならないんだ。六人分ともなれば広く探索しなきゃならない。そんなに思考に割ける時間の余裕はないぞ。


 しばし、ぱち、ぱちと新たにくべた生木が静かに爆ぜる音が静寂を満たし――。


 一際太い枝がばちりと火花を散らした時、彼女はようやく頭を上げた。


「――アンタの言いたいことは分かったわ」


「それで?」



「……でも、今すぐには答えられないわ」



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