第十五話 意図せず見えた仮面の裏は
彼女に誘われるがままにギルドの隅の方で正対するように座った俺たちは、ひとまず飲み物と食べ物を注文する。俺は食べ物をガッツリと頼み、飲み物は果実を漬け込んだ弱めの酒を選んだ。
一方ニコニコとこちらへ向けた表情を崩さないジェーンは一番安い、酒を水で薄めたものを頼んでいた。
何も注文せずに居座れるほど神経が図太くなかったのか、待っていた間はずっと同じものを頼んでいたのだろう。それで結構な量を呑んで、お腹がたぷたぷなのかもな。
「まずは今日一日、お疲れさまでしたぁ」
「お疲れ様です、ジェーンさん」
まずは届いた木製の杯を軽くぶつけて互いの無事を祝い、そのまま一口分だけ呷る。
疲労の溜まった体に僅かに苦くも爽やかな甘い風味が通り抜けていく感覚が、空きっ腹には抜群に効く。こうなれば尚更お腹が早く食べ物とよこせと叫ぶのも道理である。
だが、本日の主菜を楽しむ前にはまず、目の前の前菜を片付けないとな。
「それで、一体何の用ですか。俺たちは同じ依頼を取り合ってる仲、いわば敵ですよ。それなのに同じテーブルを囲む必要はないと思いますが」
「あらあら、つれないですねぇ。私は敵だなんて、これっぽっちも思ってないのにぃ」
「世界一金に薄汚いと噂の冒険者相手に何を言ってるんですか。それとも、なんですか? ジェーンさんはお金が欲しくないんですか?」
先手を取ってお金以外の何かが目的なのかと聞くと、彼女はそうではないと首を振る。
「もちろん、欲しいですよぉ? でも、あの泥棒って相当に足が速いって噂じゃないですかぁ? だったら別々に頑張るよりはぁ、一緒にやって、手に入る賞金を山分けした方がお得でしょお? ……それにしても暑いですねぇ」
胸を上下から挟んでいた二つのベルトを緩め、ぴっちりとした装備の隙間に籠った熱気を追い出すようにパタパタと煽るジェーン。その大きさは人並みだが、開かれた隙間からは密着する革鎧によって締め上げられた肌色の谷間が煽情的に覗いている。
「わざわざ見せつけられても、こっちから協力する気はないぞ?」
マスターにだって話してない関係なんだ。ロクに知らない相手になんて何も話す気はない。
吐き捨てるように告げるも、彼女はそれを軽く受け流す。
「あらぁ、別にそんな意図はありませんよぉ?」
わざとらしく流し目を向けて胸元を煽ぎ続ける彼女よりも、俺の意識は彼女の後ろから運ばれてきた小鳥の丸焼きの方に引っ張られる。
「そうだったんですか、なら良いんですが」
ごとりと置かれた三羽の焦げ付いた皮の上では、溶けた脂がパチパチと踊っている。その甘い香りと上に乗せられた香草との協奏に俺はさっそくガブリと行儀悪く齧り付き、一緒に運ばれてきた黒パンもスープに浸して同時に頬張る。
バリバリと音を立てながらそれを食べ終わると同時に、酒をぐいっと飲み干す。いやー、美味いな。
骨ごと食べることは敬遠する奴も多いが、俺は昔から食べられるならばとそのまま食べていた。ティアの家だって、酒樽につけた小鳥を同じように食べていたからこれが正しい食べ方なんだろう。鳥の種類までは知らないが、まあ噛み砕けるなら同じことだろ。
ほのかな苦みでさっぱりとした口の中が再び脂と肉の旨味を求め、俺は迷わず次の一羽に手を伸ばす。
「……」
ちらりと彼女の方を見ると、何故か胸元をパタパタとさせる手が止まっていた。――いや、あれは思わぬ光景に固まっているといった方が正しそうだ。
いや、あからさまな色仕掛けを狙われたところでその誘いに乗るほどこっちだって馬鹿じゃないんだが。子供だと思って、ちらりと胸を見せれば慌てふためくと思ったのか?
こっちはさっきまで師匠の意図しない手つきにハラハラドキドキしてきたばっかりなんだ。もちろん正しい知識を授けることが目的で、目の前のジェーンのような裏の狙いなんてないだろう。
そんな、師匠のような背徳的な偶然でもないのなら……むしろ警戒するだろ、普通。
「そ、そう。月より皿の上、ってことかしらぁ?」
人を食欲ばかりに気が取られるような奴とおっしゃるか。
誰だって手を伸ばしたい星くらいは自分で選ぶ権利があるんだ。
平然と色を見せる、誰が相手でも構わず近づける誘蛾灯には、俺は近づきたくはないね。
「月より明星じゃないですか、貴女の場合は。【おお、我が麗しの明星よ。何故余がそなたを堕とさねばならぬのか? 否。余がそなたを殺すのではない。他ならぬそなたの普く輝きこそが、余の腕を動かしたのよ】――ってね」
以前ティアに観賞させられた悲劇の言葉を引用し、俺はそのまま続けて三羽目に取り掛かる。
話の流れはなんてことはない。権力闘争に負けて追放された元貴族が聖女と呼ばれる優しい乙女に救われてそれを運命と感じ、彼女に心酔するようになる。が、やがて彼女の愛が誰にも振る舞われることに男は嫉妬の炎を蓄積させ、それを独り占めするために聖女を殺してしまう。
「誰にも彼にも良いように振る舞うと、ろくな終わりにならない」ってことを伝えたかったらしいが、俺からしたら悲劇なんて現実に溢れてるんだ。夢の中でくらい、幸せな終わり方に浸りたかったよ。
嫌な気分まで思い出して思わず頭からガリッと噛み砕いてしまいながら彼女の様子を窺っていると、
「あらあら、心配してくれてますぅ? 別に私は聖女でも何でもないですしぃ、そこらの男には興味ないんですけどねぇ……」
どうやら勘違いされて受け止められたようだ。それどころか暗に「お前は選ばれたんだ」、と男の自尊心をくすぐるような言葉を返された。
俺は誰かれ構わず色気を振りまくような尻軽に興味を持つ元貴族のような盲目的ではないと言いたかったのだが。うーむ。こういった言葉の引用は中々難しいものだな。
それでも良い印象として受け取ってくれたのなら、そのままに勘違いしたままでいてもらうか。
それに、引用失敗で恥を晒したおかげか、思わず彼女に関して一つ情報を得られたぞ。
「――まあ、そうですね。心配はしてますよ。せっかく知り合った美人ですから、興味はなくとも無事でいて欲しいくらいには。ところでジェーンさん」
「なぁに?」
「よく今の話が分かりましたね。それ、民間に聖女がいるって語ったせいで早々に教会から脚本家が異端の判子を押された奴なんですけど。興行は自粛って体で禁止されてるし、平民に公開もされてないはずです。どこで知ったんです?」
その言葉に、今度こそは彼女の浮かべていた笑顔が消えた。
もっとも仮面が剥がれたのは一瞬だけで、すぐさま元の笑顔に戻ったが。
しかし、なんだ今のは? 俺の目に映ったのは、まるで感情と言うものを全て削ぎ落としたかのような完璧な無表情だった。喜怒哀楽を知らない道具のような――そう、ただ動くだけの人形のような、なんでも望みの仮面を被ることが出来るのっぺらぼう。
さっきまでの阿保みたいな色仕掛けよりは、こっちの方がよほど心臓に悪い。
「……ちょっと友人が、ねぇ。その劇を見てた貴族の知り合いなのよぉ。そのご縁で、そんなお話があったって教えられてねぇ。それよりも貴方はどこからそのお話を仕入れたのかしらぁ?」
「さて、その話は貴方には関係ないでしょう」
最後に手についた脂をハンカチなる綺麗な布でふき取り、俺は席を立つ。
「もう良いでしょうか。俺は貴女と組むつもりはありませんし、これ以上話すこともありませんから」
思わぬ収穫だったが、まさかここから更に情報を得られるほど彼女も愚かではないだろう。再び薮の中の蛇を突っついて得体のしれない顔が飛び出す前に、さっさと退散するに限る。
「そんなぁ……貴方だけ都合の良いように私のヒミツを知って、帰っちゃうんですかぁ? なんて酷い男の子なのかしらねぇ。お姉さん、悲しいわぁ……」
よよよ、と泣くふりをされても今更相手をするつもりはない。
一方的に都合が良くて結構だ。この界隈じゃ、そういったことはままあることだからな。
基本的に脳みそまで筋肉だのと言われるここの連中だって、この言葉くらいは知っている。俺もよく、近くの奴らが娼館に行って失敗した新人に酒を使った忘れ方と一緒に教え込むのを横で聞かされたものさ。
そう言えば彼女は最近冒険者に登録したばかりなんだったか。だったら、総合的には俺の方が先輩にあたるのだろう。――まさか俺がこれを言う日が来るとは思っていなかったが、せっかくだし先輩風の一つくらい吹かさせてもらおうか。
「なんだ、知らないんですか。だったら教えときますよ、新人さん。――騙される方が悪い、ってな。それでは、ジェーンさん。良い夜を過ごさせていただきました」