第十一話 約束、そして今更ながらの――
俺たちが追いかけっこをしていたのはおよそ四半刻程度だが、それでも森の中で道を見失うには十分な時間だ。それも互いに相手の事を意識しているばかりで、道中に目印をつけてもいない。
少なくとも自分はそうだし、【疾風】と呼ばれる少女も戻る道すがら時折目をジッと閉じて立てた人差し指に集中するばかりで、何かを確認している様子はなかった。
だというのに、俺たちは走っていた時間の半分もかけることなく元いた休憩所へと帰ってくることが出来たのだった。
新たな客がそこで待っているなんてこともなく、土をかけた中央の火がまだ完全に消えていないのか燻ぶっている。そしてその傍には、丸く膨らんだままの俺の荷物袋が鎮座していた。
「まさか本当に戻ってこられるとはな……」
「ふふん、どう? 凄いでしょ」
「ああ、凄い凄い。これがあれば色んな場所で活躍できるだろうな。それこそ貧民街でも迷わずに――」
と、ふと思いつく。
「まさかお前、貧民街でもこの力を使ってないだろうな?」
「ぎくっ」
そう尋ねると、図星どころかわざわざ答えが口から出る始末だ。顔が青くなるのも全く隠せていない。どれだけ甘やかされてきたんだか。
いくら大切だからって、この辺りの教育くらいは済ませておいた方が良いぜ、お母さま。
「声に出てるぞ。……やっぱりそうなんだな。口止めされてるだけとか言って使うだけならとか、どうせ風なんて誰にも見えないからなんて考えてるんだろ」
「ぎくぎくぅっ!」
「今度からは止めとけ。その何でもかんでも顔に出すのもな。言っとくがな、この力は見られるだけでも十分お前の身を危険に晒す代物なんだぞ。それこそ、母親ごと命を狙われてもおかしくないくらいにな」
母親のことが出ると、すぐに彼女の顔は真剣さを取り戻した。
「そんなになの?」
「ああ。なんでもかんでもすぐ表に出るお前に母親がその辺りの事情を教えなかったのは当然のことだがな。いいか、この世には知られたら殺してでも隠さなきゃならないことがいっぱいあるんだ。お前の抱えるそれも、その一つなんだ。覚えておけ。誰も見ていない、なんて思うなよ。必ずいつも誰かに見られているって思っておくんだ。……ちなみにその力、例の四人には見られていないんだろうな?」
「え、ええ。多分……」
「なら良い。てっきり優しいお姉さんには話してるかと思ったが、そういうことはないんだな」
「だって、お母さまの言いつけだもの。幾らあのお姉さんでも、言えないわよ」
そう言い切る彼女に、俺は思わず苦笑する。
「俺には出会って一時間もしないうちに教えたのにな」
「う、うるさいわね! アンタは特別なのよ! ト・ク・ベ・ツっ!」
ポカポカと殴り掛かる手を甘んじて受け入れつつ、話を続ける。
「痛い痛い、叩くな。だけどその判断は正解だったな。いいか、ついでにも一つ教えてやる。実はそのお姉さんも他の三人とグルだったってことも考えられるんだ。もし話してたら、他の奴らも知ったかもな」
「え、どういう事よ?」
「相手から情報を引き出すコツだ。一緒にいるのが嫌で嫌で仕方のない奴らと、優しいお姉さん。最初の奴らに嫌がらせされたらその分、甘えられる優しいお姉さんに頼りがちになるんだ。すると、やがて色んなことをそのお姉さんの事を少しずつ信頼していき、やがては何でも打ち明けるようになる……ってな具合にな。今のお前がまさにその途中だった――」
「そんな訳ないじゃない!」
思わず否定の声を上げる少女。それに俺は肩を竦めて答える。
「――かもしれない、ってだけだ。たとえ話だ、たとえ話。それが本当かは分からないさ、俺はお前からその四人について聞いただけなんだから。でもな、お前がそのお姉さんと出会ってそう長くはないはずだ。なのに今みたいな話を聞いて即座に否定してしまうなんて、不思議じゃないか?」
「それは……」
「ま、そういった手口も貧民街じゃよくあることだって覚えておけ。入ってきたばかりの新人が不安な時期にやられて、ある朝身ぐるみ引っぺがされていたなんてことも酒場の笑い話の一つさ。特にお前は他人と触れ合う経験が少ないみたいだからな。誰でも彼でも信用しようと思うなよ。俺のことだってな。もしかしたらこんな話をしてお姉さんとお前を仲たがいさせたかったりするかも、なんて考えても見なかったろ」
「そうなのっ?」
今度は捨てられた子犬のような目でこちらを見てくる。
ええい、冗談の分からん子供だな。……いや、箱入り娘だからその冗談の区別もつかないんだったな。分かっていたにも関わらず、言ってしまった俺が悪かったか。
「悪い、嘘だ嘘。それに、そんなことをして俺になんの得があるんだ。飯を取られたことに関しては、そうだな。お前にものっぴきならない理由があったようだし、さっきケツを引っ叩いたことで纏めて勘弁してやるよ。だからそんな顔をするな。少しは相手を疑うことを覚えろってだけだ」
「むーっ!」
怒り心頭の彼女は次は素手で叩いてくるどころか――ドスッ!
せ、聖術で攻撃を始めたぞ。
開いた手のひらをこちらに向けて、連続して見えない打撃を襲い掛からせてくる。しかもその威力は大の男の一発に相当するくらい重い。
「馬鹿っ。流石にそれは危ないだろ!」
とはいえ、狙いもまだまだ甘い。手の平を向けた先にしか放つことが出来ないようで、それくらいなら簡単に照準から外れられる。
背後で風が木にぶつかる鈍い音を聞きながらひょいひょいと避けていると、彼女はそれが悔しくて仕方ないのか地団太を踏む。
「なんで当たらないのよ!」
「最初に一発当たったろうが! それで満足しろよ!」
「アンタが変にアタシをいじめるのが悪いのよ!」
「それについては、まあ、悪かったな! このまま放っておいたら流石に心配だったんだよ! こっちが悪かったのは認めるし、謝るって。だから止めてくれよ……」
怒りでより狙いが雑になった風の矢を回避しつつ謝罪する。
と、彼女が聖術を放ちながら何かを思いついたように目を見開いた。
「――じゃ、止めてあげる代わりに一つお願いがあるんだけど」
「なんだ?」
「さっきアンタ、アタシが盗んだ分はもう許したって言ったわよね?」
何を言い出すのかと思えば、それを確認してどうするんだか。
「そうだな。確かにそう言ったが」
「じゃ、その後アタシはアンタをここまで案内してあげたでしょ」
「……ああ、そうだな」
なにやら嫌な予感がするが、そのまま肯定すると――
「なら、その分アンタはアタシに借りがあるってことよね?」
「はァんっ?」
大分突飛なことを言い出す始末。あまりの言い分に思わず変な声が出た。
「いや、あそこまで走らされたのはお前が盗んだからで……」
「そっちも盗んだうちに含めてまるっと許してくれたのよね?」
「んな無茶な理屈があるか、と言いたいところだが、そう読み取れないこともないのか? で、お前は何を俺に要求したいんだ」
この場における彼女の要求など、大体予想がつく。だからこそ、無茶苦茶な高望みはしてこないだろうと踏んで俺は敢えてそのまま彼女に言葉を続けさせることにした。
「この森で取れる食べ物を教えてちょうだい。さっきも言ったけど、アタシが食糧をもっていかないとお母さまがひどい目にあうってこと、分かってるでしょ。だから教えてほしいの。それを約束してくれたら、攻撃を止めてあげる」
まあ、大体そんな所だと思ったが……。
そもそも俺が森の中で迷うことになったのは間違いなく目の前の少女のせいだし、彼女の主張はこじつけに過ぎない。それに、一日たてば俺はここまで自分で戻ってくることが出来たんだ。そこを無理やり恩に着せた挙句、結局当たりもしない聖術を止めて俺がありがたがると思っているのか。
それにこれはティアの受け売りだが、聖術ってのは無限に使える代物じゃないんだ。
長い間使い続けると、激しく運動したときと同じで眩暈や頭痛、倦怠感のといった息切れのような状態をもたらす。いくらなんでも目の前の栄養の足りない少女が後何時間もぶっ続けで扱えるわけがない。
俺の見立てでは、道案内した分も含めて後少しで使えなくなるに違いない。それまで避け続ければ良いだけの話なんだ。
「っつぅ……!」
ほら、もう既に限界の兆候が見えてきている。頭の中が揺れるような痛みが響き始めているんだろう? 僅かに顔を顰めているのが手に取るように分かる。
――だが。
「ほら、ほら。いつまでそうやって踊り続けるつもり? 言っとくけどね、アタシはまだまだ余裕なんだから……っ!」
それを隠すように、彼女は力強く笑う。
「それ以上術を使うのは止めといた方が良いぜ。足が酔いどれ親父みたいにふらついて帰れなくなるぞ」
「その程度問題ないわよっ。それで、どうなの!」
善意から忠告するが、反感を買うだけでまるで意味を成していない。その瞳から伝わるのは、絶対に俺をここで逃がすまいという強い意志――またその裏に隠された、何かに頼らずにはいられない、助けを求める願い。
しかし、なぜそうまでして彼女は俺を頼ろうとするのか。単に母親を助けようとするだけでなく、それ以外にも何か強い想いがあるように見える。
「……別に俺じゃなくたって、他に教えてくれる奴くらい見つかるだろ。報酬なんて、それこそさっきお前が俺に提案したように一晩過ごせばどうとでもなるさ。ちょっとやせ過ぎだが、見た目は悪くないんだから」
「嫌よっ! 大体、そんな風に見てくるのは、揃いも揃って気持ち悪い奴らばかりだものっ!」
「好き嫌いするな。おふくろさんを救いたいんならえり好みせずに――」
「――それに、アンタなら間違いなく私を助けてくれるって思ったんだもの!」
その一切交じりっ気のない叫びに、俺の足がふと止まる。同時に、彼女が叫んだせいで逸れた風の聖術が足元の土くれを弾き飛ばす。
「他の人間を疑えって言ったのはアンタでしょ! なら、こう考えられるでしょ! 助けが欲しいのは私! だから、それを逆手にとって先に味見だけして、何にも教えないような奴らが現れるってことも考えられるじゃない! そういうことはよくある事だって、お母さまも言ってた! でも、怒ったところで殴り返されるだけだから、泣き寝入りするしかないって! ――でも、アンタは違うわ!」
「……」
「アンタは何の見返りもないのに、アタシに色々教えてくれたでしょ。聖術を見せちゃだめって忠告してくれたり、他人を疑えって言ってくれたり。結局あのアタシがはまっていた木の中からも助けてくれたし」
「いや、それはお前の置かれている状況に同情しただけで……」
「同情しただけなら、わざわざ開放したりしないでしょ? そのまま放っておいたって、動けない体を好きにしたって良かったじゃない」
「……まあ、それもそうだが。そんなことをしたら、ほら。夢にお前が祟って出てきそうなもんでな」
「夢に出てくるって考えること自体、アタシをそうしたら後悔するって分かってたんでしょ? 平然と裏切るような連中なら、そもそもそんなこと考えもしないはずよ。違う?」
言い訳を繰り返すこちらに、彼女は必死になって食い下がる。
「だからこそ、よ。アンタはなんかよく分からないけれど心配をしてくれるし、少なくとも、こっちが悪意を向けなかったら悪意を向けないことは分かったの。それで十分じゃない? それにこの先、アンタみたいな人間なんてそうそう見つからないことくらいは分かるわ。だから、アンタを何とかして逃がすわけにはいかないの――だから、約束をして。お願いよ……」
そういって、打って変わって彼女は頭を下げた。
この光景は、どこかで見たことがある。
――そうだ。俺が師匠……薬の婆さんと呼んでいた頃に薬草について教えてくれと必死に頼み込んだ時だ。それと、マスターに冒険者のいろはを叩き込んでくれるようゲロの匂いの染みついたギルドの床に頭を擦りつけた時と同じなんだ。
確かに、彼ら以外にも親切な人間がいないわけじゃないのかもしれない。
だけど、あの時の俺には、彼らを逃せば次いつまともな機会が巡ってくるのかが分からなかった。だから必死になって、何度もお願いを繰り返したのだ。雨の日も風の日も、飲まず食わずの土下座を続けて、ようやく俺は彼女らに教えを乞う事を許されたんだ。
今の目の前の彼女も同じ。俺を逃がさないためなら、どんな手だって辞さない覚悟があるんだ。
――仕方ない。
「……約束する前に、特別にもう一つ教えてやる。良いか。そう言った時は、こういった言葉も付け加えるんだよ。『その代わり、自分に出来る事ならなんだって手伝う』ってな。自分の全部を投げうってまで教えを請いたい、そう頼み込むんだ。そうすりゃお前の求めるような親切な相手なら、大概受け入れてくれるはずさ」
何とかこちらを捕まえようと、これまでロクに回さなかった頭でもすぐにあれほどスラスラと言葉を吐き出せたんだ。地の頭は決して悪くないだろう。
母親がやっていた娼婦だって、決して見た目だけでやっていけるわけじゃない。男をあの手この手で転がすために、頭が良くないと続かないんだ。その血を引いているのなら――、この言葉の意味くらい、分かるよな?
彼女は一瞬だけ目をしばたたかせて、すぐさま俺の言葉に被せるように口を開いた。
「アンタに協力してもらう代わりに、アタシに出来る事ならなんだってする! だから――約束して、アタシを助けるって!」
……おいおい、さらっとそこに要求を上乗せするんじゃない――期待通りの言葉に笑顔を浮かべようとして、続いたその一言に頬の上りが中途半端になってしまった。これでは苦笑いだ。だけど、結果としてその表情は俺の感情をそっくりそのまま映し出していたと言える。
そうさ、これくらい図々しいくらいでちょうど良いんだ。そんな事を言われれば、どうしても断り切れなくなるからな。悩んでいる相手だって、気持ちに落としどころをつけられる。
「よし。良いだろう、約束してやるよ。んじゃ、今日の所はコイツを持っていくと良い」
俺は傍に置いてあった満腹の袋を彼女の目の前にドスッと置く。
え、と彼女がその音に思わず顔を上げる。
それを放っておいて、俺は袋の口を開けて中身をガサゴソと漁り幾つかの品を取り出した。
「……今取り出したの以外は、全部煮込めば食べられる。味は保証しないけどな。んで、俺は基本的に毎日採取依頼を受けてこの森に来るんだ。その時には人手があれば更に色々と集められるから、お前も手伝え。その代わりに食べられる奴も一緒に集めてやる。それでどうだ?」
その協力の提案に、彼女は信じられないような目をこちらに向けた。
「え……ホントに良いの?」
「構わないさ。そこまでされたら、放っておくわけにはいかないだろ。それにこの協力って関係の形をとれば、ただ親切にされるだけじゃないから変に裏を勘ぐらなくて済むだろう? 俺にだって利益が出るんだからな……互いにいい関係を築けると思わないか? それともなんだ、嫌なのか?」
そうわざとらしく問いかけると、彼女はブンブンと首を振った。
「よし。それじゃ、決まりだな。これからよろしくな、【疾風】」
と、手を差し出したところで気づく。
「……と。お前に俺の名前はまだ教えてなかったか。今更だが、俺はエフォードって言うんだ。家名はない、貧民街出身の冒険者だ。これからしばらくの間、よろしく頼む」
「え、あ、ええ! アタシはカタリーナ……って、どうせもう風が使えることも言っちゃったものね。じゃ、こっちも言っちゃって良いでしょ。どうせ今更秘密の一つや二つ変わらないわ」
何かこちらがまたもや不安になる言葉を紡ぎながら、彼女はその手を取ってしっかりと握りしめた。
「じゃ、改めまして。アタシの名前はカタリーナ。カタリーナ・マクダウェルよ! これからよろしくね! エフォード!」
さらっと家名という、限られた一族しか持たない特大の一撃が放り込まれる。
父親のものか? マクダウェルとはどのような貴族だったか? 爵位はどれほど高い?
――だが、そんな一瞬のうちに俺の頭に浮かんだ多くの疑問の嵐を吹き飛ばして余りあるほど……
――彼女の笑顔は、薄暗い森の中で眩しく光輝いていた。