第九話 なぜ街に風は吹き荒れたのか
「……それで、なんでお前みたいな盗人がこんなところにいるんだよ」
近くから運んできた苔の生えた石にどっかりと腰掛けながら、眼前に存在する哀れなケツ出し少女にそう声をかける。あまりにひどい現状に、俺の中からはすっかり毒気が抜けてしまっていた。
詰所まで兵を呼びに行く気も起きず、なんとなく気になったことを問い掛ける。
「……教えたら鎧の奴らを呼んでこないって約束して。ついでにアタシをここから出しなさい」
「おーおー元気なことで。だけどな、そっちから条件を吊り上げられるような立場か? 別に兵を連れてこなくても、放っておけばお前は森の恐ろしい動物に喰われちまうんだ。そうでなくとも、出られなきゃ腹が減って死ぬ」
「うげっ……ふざけないで、出せ、出せ、ここから出せェ――!!」
その光景を想像したのか、慌てて大声を張り上げながら再び手足を暴れさせる。
「うるさい」
スパァンッ! とその目立つ尻をひっぱたく。
「叫んだらその声で奴らがやってくるだろ。そんなことも分からないのか」
「痛ぁっ!? ア、アンタ、見るだけじゃなくて触るなんて……ゴニョゴニョ」
悲鳴を一瞬上げるも、その後に続く言葉は忠告通りに口の中でもごもごとくぐもっていた。
「あ、なんだって?」
よく聞こえなかったため、聞きなおす。恐る恐るといった様子で彼女は答えた。
「も、もしかしてアンタ……アタシみたいなチビに興奮すんの?」
「なんでそうなる。というかさっき欲情しないって言ったよな」
「だって、「お前みたいな奴の尻なんて、特殊な趣味を持った奴らじゃないと興奮しねぇよ」って言われたから。わざわざ触ってくるなんて……そ、そうよ! それならアタシと一晩寝ても――」
「違うわ。俺は極めて一般的だっての」
ピシィッ! ともう一度ケツを叩く。
「ぎゃんっ! ま、また触ったなぁ!?」
「これはお仕置きだバカ娘。馬鹿な事を言ったことに対してのな。あとまた騒いだな」
こちらが更に手を振り上げる気配を察してか、さっとコイツは騒ぎかけたのを引っ込めた。
仕方なく手を引っ込めて、俺は再度問いかけた。
「で、なんでこんなところにいたんだ? まさか素人が一人だけで森の中で、どうにかなると思ってきたのか? 今日はともかく、ああやって火の前の差し出されたような飯にも容赦なく食らいついて。もしあれが罠だったらどうするんだ」
「罠ぁ?」
「良い匂いで誘って毒を塗っておいたものを食わせるんだ。後はそれを陰で見ていた誰かが好きにする、ってことだよ。それこそさっきお前が言ったような、無理やり一緒になって、しっぽり過ごすとかな」
「げっ……男だったらどうすんのよ?」
「寝首ひっかいて捨てるに決まってるだろ。お前が今いるような貧民街じゃ、そういった事は日常茶飯事とは言えなくてもままあるだろうに。知らないのか? 母親が娼婦なら、噂話とかでさ」
そう言うと、目の前の娘の体がピクリと反応した。
「……なんで知ってんの」
「その答えはそうだっていう事だな。普通男に対しての提案がアレに直結するなんて、それが日常の奴にしかあり得ないんだよ。お前には普通だったかもしれんが、世間一般はそうじゃなくてね」
「……アンタもアタシを馬鹿にするのね。尻軽の娘だからって」
「別に。俺も出身はそっちだからな。生きるためにはそういう事だってやらなきゃいけないのは分かってる。やったことはないけどな」
「……そっか」
少女は落ち着いたように一言、呟いた。
「……アタシがこっちに来たのは、お腹が空いてたのと、食事を持っていかなきゃならなかったからなの」
続けて彼女は静かに話し始める。
「アンタだってアタシがもう狙われてるって分かってる。散々盗んだおかげで、街の店じゃどこもかしこも警戒していて飯にありつけなくて。だから、もうここしかないと思って……。森の中なら、何か食べられるものがあるかもと思ってきたのよ」
「……なるほど。食事を持っていくってのは母親か。お前が現れたのはここ最近ってことも考えると、病気にでもかかったのか?」
「ううん。そうじゃないの。新しく家に来た四人が居て、そいつらに持って行かなきゃいけないんだ」
「なんだそりゃ」
突然現れた四人組の存在に、俺は思わず口を挟んでしまう。
「アタシも知らないわ。二月くらい前にいきなり押しかけてきた連中なんだけど、ただ、そいつらの中のひょろっとした一人が何かお母さまに耳打ちしたら、青い顔してあの方たちのいう事に従いなさいって言うから。それで、食事を持って来いって言われたんだ。最初は母様がお金をくれたんだけど、それもあいつらに取り上げられて……それで」
「あー、それで母親の真似をしても儲からないから盗みを始めたのか。増えた四人を合わせて合計六人分も盗めばそれはすぐに目立つよな」
「そう。あのもやし男に言われたの」
「ふぅん。で、ちなみにその四人組ってどんな見た目なんだ」
「……それも言うなって言われてるんだけど」
「安心しろ。俺が言わなきゃ誰もそんな事分からないから。それとも出してほしくないのか?」
「分かったわよ。ええっと……。っていうかこれだけ話したんだから、もう出してくれても良いじゃない……」
そう言いながらも、彼女はそのままその謎の四人組の風貌について語り出した。
「もやしみたいにひょろっとした男と、つるっぱけの筋肉男。あと蛇みたいな目をしたにょろにょろ女と、栗色の肌のすっごく綺麗な女の人」
「なんか最後の一人以外悪意塗れに聞こえるんだが」
「だってあいつら鬱陶しいんだもの。顔を合わせる度に売女の娘だとか、一々厭味ったらしく呟いてきて、何度股を蹴り飛ばしてやろうって思ったか」
なんとその外見に似つかわしくない言動だろうか。
「……それも母親に教わったのか?」
「うん。しつこい男が居たらそうしてやるんだって。よく分かんないんだけど、効くのよね?」
「痛いどころじゃないな。小指を角にぶつけた時より痛いのが、しばらくの間続くというか……」
「そ、そうなの?」
暫く無言が続いた後、気まずそうに「で、そ、それだけ聞けば十分でしょ?」と彼女が言う。
「……いや。その最後の綺麗な女の人ってのは、そういう嫌なことを言わないのか?」
「そうよ。あの人だけはちゃんとごめんね、って何回も良いながら私を抱きしめてくれるもの。お母さまにだってそんなにはされたことないのに」
「へえ、そうなのか」
それはきっと、子供にそうしてもらっていることへの、その人自身が出来る最大の感謝……もしくは贖罪なのかもな。
そうでもなければ、いくら他人の子どもでも抱きしめるなんてことはないだろう。
「ねえ、もう良いでしょ? そろそろここから出してくれたって……」
「……ああ、そうだな。とりあえず必要な事は分かったし。もう突き出す気もなくなったからな」
母親が脅されている状況ともあっては従わざるを得なかったんだろう。家族の繋がり、とでも言おうか。
両親の記憶なんて残っていない俺には家族なんてよく分からない。だが俺だってティアが脅されていれば、いつか救い出すと考えながらもそれまでは相手の条件に従ってしまうに違いない。
「っと、あらかじめ言っておくが、これ以上変な声を出すなよ?」
俺は彼女に近づくと、その身体に手を這わせるように奥のはまった方へと手を伸ばす。
「ひゃっ「静かにしろ」……むーっ」
「ええい、もぞもぞと体を動かすな。よく分からなくなるだろ。……なるほどな。肩の部分がはまってるのか。ちょっと怖いかもしれないが、黙ってろよ。下手に動く方が危険だからな」
俺は懐から出した短剣で、ゆっくりとその周囲を削り出した。
元々木のうろは何らかの要因で腐って出来るものなので、その周囲も腐りかけで柔らかい。ただ、栄養不足の子どもの体じゃ力ずくで抜けるには筋肉が足りなかったのかもな。
ぞりぞりと音を立てて引っ掛かっていた部分の周囲の木に手を入れていく。
「……なんかゾクゾクしてきちゃったんだけど」
「知るか。ってかお前、さっきからなんか馴れ馴れしくなってきてないか? 最初の猫みたいな反抗心はどこへ行ったんだ」
「う、うるさいわね。ちゃんと話してくれる男なんてアンタが初めてだから、どう話せばいいのか分かんないのよ」
「……そ、そうか。悪かった」
少女の疑問を振り払うように、俺は無言で仕事に集中し始める。
……だが、これは非常に危険だ。
刃物を使う以上その先を目視しなければならないのだが、俺はどうしても腕を伸ばした先を見るためにこの【疾風】の体にこちらも体を密着させなければならない。体格差から、俺の顔が当たるのはちょうどコイツの腰の辺り。
つまり、彼女の臭いがほとんど直接俺の鼻腔をくすぐるんだ。貧民街には風呂もなく、数日に一度水で濡らした布で体を拭くだけ。ひどい奴らは一月も吹かないことがあるが、母親が娼婦ならばある程度綺麗にはさせられているだろう。
それでも繰り返し来ているであろう服と、そこそこ積もり積もった体臭が先ほど走り回った時の汗と混じって濃密な女独特の臭いを醸し出している。
ティアは鍛錬を終えた時に布を差し出してくれた時に汗で汚いからそこらにかけておいてくれと言うと、「わ、私はそのエフも好きですよ? なんというか、男っぽくて」とか言っていたし、異性の体臭は本人は嫌でも好きになってしまう。こんな小さい体でも、女なんだという事が感じさせられる。
このまま密着体制を続けるのは危ない、どちらにとっても。
そんな事を考えていると、心なしか剣を動かす腕が少しだけ早くなった。
「……よし。もう良いだろ。俺が離れてから出てくるようにな。出ないと剣先が危ないからな」
最後にずるりと剣を引っこ抜き、続けて俺も体を離す。
すると、更に続けて少女が木の中から改めて姿を現した。
「あー、ひどい目にあったわ」
そう言って彼女はパンパンと体についた汚れを払う。
「自業自得だろ。俺のイカを盗んだんだからな。さっきの理由がなかったらそのまま放っておくところだ」
「……せっかく良さそうな男の人だと思ったのに、今ので台無しよ」
「やかましい。そもそもお前が盗まなきゃ、こんなことにはならなかったんだ。覚えとけよ、同じことをお前の住んでるところでやったら今度こそ言葉には出せないようなひどい目にあわされるぞ」
「うぐっ……お、覚えておくわ」
そして彼女は静かにそっぽを向きながら、気まずそうな声で「ありがと」と呟いた。