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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

かくも慈悲深き婚約破棄

作者: 江葉


 7大陸から各国の来賓を招いた婚約披露のパーティ。その最終段階となる、国王による宣誓の直前にそれは起こった。


 婚約するのはコモディアー王国の王太子ヒュポクリテスと公爵キロクロティマ。金髪碧眼で朗らかな美青年と黒髪黒瞳のおっとりした美少女はお似合いだと評判だった。


 しかし今、ヒュポクリテスの背後に隠れるように一人の少女がキロクロティマを睨んでいる。つい先日発見された『聖女』エスサだ。


「公爵キロクロティマ、そなたと王太子ヒュポクリテスの婚約は破棄とする。そして新たに『聖女』エスサとヒュポクリテスの婚約をここに宣言する!」

「まあ」


 いかにも驚いた、というようにキロクロティマが口元を扇で覆った。


 真っ白なプリンセスラインのドレスは小柄なキロクロティマの体をふんわりと包み、何の非も無いことを証明しているかのようだ。だがこの場にいる全員が、彼女が何者であるかを知っていた。


「国王陛下、どうかお考え直しください。わたくしとの婚約を破棄など、良いことは何ひとつありませんわ。むしろこの国を災いが襲うでしょう」

「黙りなさい! 悪魔め、人間を惑わそうとしてもそうはいかないわ!」


 エスサがキッとキロクロティマを睨みつけて叫んだ。彼女の体から黄金のオーラが立ち昇り周囲を圧倒する。


 魔力は本人の資質によって色が異なる。黄金色のオーラはエスサがたしかに聖女であることを示していた。国王だけではなく来賓もどよめきの声をあげている。


「悪魔が公爵などと偽り王太子様を惑わし結婚するなど、神がお許しになりません。わたくしエスサはこの国を悪魔の誘惑から改悟させ、いずれ世界を救ってみせます!」

「聖女……では、神の試練を受けるというの? 神は試練を与えても慈悲はくれないわ。わたくしたち悪魔の加護を得て人はここまで発展したのです。今さらそれを捨ててどうやって生きていくつもり?」

「人には互いに慈しみあい助け合う心があります。悪魔のもたらす力などなくとも必ずや乗り越えてみせましょう」


 キロクロティマはゆるやかに頭を振ると、国王に向き直った。


「陛下、それはこの国の総意と受け取ってよろしいのでしょうか? 神の意に従うというのであれば我ら悪魔は加護を消滅させますわ」


 国王は重々しくうなずいた。自信たっぷりに言う。


「わが国には聖女がいる。悪魔の加護などもはや不要なり。列席の方々も国に帰ってお伝え願おう。我がコモディアー王国に従うのであれば聖女を派遣し神の力を分け与えるが、拒むようであれば神の力をもってして制裁を下す。どちらが賢い選択か、良い返事をお待ちすると」


 国王の返事にキロクロティマは悲しそうな顔をした。そっとうつむく様は憐れみを誘い、来賓たちは口々に彼女を慰めた。


「キロクロティマ様、どうかお気になさらず」

「そうですぞ、我が国はあなた様魔族の加護を忘れてはおりませぬ」

「悪魔だなどと、今までの恩恵を忘れるとはなんという恥知らずでしょう」

「キロクロティマ様、コモディアー王国があなた様を捨てるというのなら我が国が歓迎しますぞ」

「魔族と人間はこれまでどおり、仲良くやっていきましょう」


 やさしい言葉に彼女は涙に濡れた射干玉の瞳を上げる。潤んだその瞳、かすかに震えるさくらんぼの唇。キロクロティマは人の心をくすぐらずにはいられない容姿の持ち主だ。


「皆様、ありがとうございます」


 すっと淑女の礼をとった彼女は聖女に向き直ると微笑みをくれた。


「聖女エスサ、神の試練を認めましょう。我々悪魔、あなた方が魔族と呼ぶものはコモディアー王国から加護を廃します」

「そう――ならば即刻立ち去りなさい! 今この時よりコモディアー王国は神の国となる!!」


 エスサが魔力をキロクロティマに向けて放つと、少女の体が消滅した。そのことに驚愕する来賓に対し、国王や王太子、コモディアー王国の貴族は歓声をあげて聖女を讃えた。


 来賓たちは着飾った衣裳のまま荷物も放り出して逃げ出した。彼らの移動手段である飛竜に乗って飛び立っていく。国王が勝ち誇ったように笑った。聖女エスサは王太子に寄り添い、貴族たちはそんなふたりを頼もしげに見ている。ふいにシャンデリアの灯りが消えた。それは悪魔の加護は消滅した証だった。


「皆、心配するな。こうなることを予想してすでに魔力石を用意してある」

「そうです。それに聖女の魔力ですぐにこの国を包みます。悪魔を信仰することを止めぬ国など蹴散らしてくれましょう」


 魔力石は宝石の中に魔力を込め、魔法を発動させる道具である。そこに込められているのは聖女の聖なる魔力だ。一瞬で悪魔を消滅させた力なら、他国の魔法など塵にも等しい。ヒュポクリテスが持っていた魔力石を発動させた。灯りはつかなかった。


***


「って、結局魔力に頼ってるし~!」

「こいつらマジでわかってないよ!」

「コモディアー王国終わった!」


 げらげら笑う声の響く広間にキロクロティマが姿を現した。


「あ、おかえりーキロクロティマ」

「お疲れっしたー」


 キロクロティマは疲れを感じさせない笑みで彼らに応じた。


「戻ったわ。結局結婚できなくなってしまってごめんなさいね」


 キロクロティマの友人、悪魔たちは先程と変わらぬ笑いを上げた。


「いいってことよ。それになんだかこっちのほうが楽しそう!」

「そうそう! 聖女っていっても馬鹿なんだね」

「でも人間は憐れだわ。神に縋ってもどうにもならないのに……」

「そうだけどさー、ちょーしこいてる聖女を担ぎ上げたのはあっちだもん。しょーがなくない?」

「だよね。聖女の魔力って、なんで『魔』力なのか、わかってなかったっぽいし」


 神は人間に試練を与えるが慈悲は与えない。神は祈りを享受するだけで救いの手を差し伸べることはない。それを憐れに思った悪魔たちが人間に加護を与えたのだ。無垢なままで食物連鎖の最下層にいた人間に知恵を与え、魔力を与え、魔法を教えた。人間たちは悪魔の加護の元に繁栄を謳歌した。


 だがそれは神にとっては裏切りである。ゆえに人間は彼らを悪魔ではなく『魔族』と呼び、魔法を与えたもうた存在として信仰した。教会ですら魔法を使って人を癒している。聖女の魔力の源も、元を正せば魔族から成る力であった。


 暗闇を燈す灯りはもとより、水を飲料にする浄化、川から水を引き田畑に風を呼び込むのも、パンを焼くための炎も魔法を使う。魔法はすでに生活に欠かせないものとなっており、国防においても魔法兵が存在するのだ。いまさら魔法無しで生活せよというのはコモディアー王国の民にしてみれば横暴でしかない。


 キロクロティマはため息を吐いた。


「だから憐れだと言っているのよ。王と王太子、聖女。それと貴族たちは自業自得だけれど、国民がどうなるのか」

「それなら大丈夫。黒鴉と黒猫に伝言を頼んだから、賢い者なら国を出るよ」

「加護がなくなったら結界も消えてモンスターが徘徊するし、いやでも自覚するでしょ」

「悲惨なのはあの国の冒険者だよねー。賢者と魔法使いが役立たずになったから、崩壊するパーティが続出っしょ」


 ほらほら、と示された先には鏡をプロジェクターにした立体映像が浮かんでいた。どこかのダンジョンを探索していた冒険者のパーティが、突如魔法を失い狼狽して脱出を試みている。ダンジョンや森から抜けるための転移魔法は冒険に欠かせないものだが、魔法が消えているので自力での脱出になっていた。熊のモンスターに追われて泣きながら走っている。


「国籍移せば加護も戻るし、そんなに心配いらないよ」

「キロクロティマ、それよかいっぱい結婚の申し込み来てるよー」

「悪魔と結婚してれば加護が増すし、生まれた子供も強い魔力を持ってるってのに何考えて聖女なんかに頼るんだろ?」


 結婚を打診する手紙を読み、キロクロティマは微笑む。聖女に唆され神の試練を受ける人間がいる一方で、こうして自分たちに縋ってくる子がいるのが嬉しかった。



 悪魔の基本は人間を誘惑し、堕落させることにある。神が無垢なままで止めおこうとするのに対して成長を促すのだ。神と違い悪魔はたびたび人の前に現れて誘惑する。人間は彼らにとって憐れでちっぽけな存在であり、自分たちの慈悲がなければ楽しみさえも見いだせない矮小な生き物であった。


 神は容赦がない。神はただ見守るだけで人間に手を差し伸べることさえせず、救うのですら死んだ後だ。試練を与えはするが、乗り越えてもなにもしない。祝福もしない。神はただそこにいるだけである。


 死後に救われてなんになるだろう。悪魔たちは神の傲慢さに憤った。あの憐れなる小さき者を助け、加護を与えるのは自分たちの役目だと思った。喜びも悲しみも生きてこそではないのか。天の国を通る者は限られているが、幸福は生きとし生けるものの権利である。悪魔は人間にそう説いた。人間を誘惑するのは悪魔のもっとも得意とするところだ。人間は誘惑に乗り、魔法を手に入れた。


 人間からの感謝として受け取ったのが王族との婚姻である。人間より遥かに長く生きる悪魔たちの、いわば暇つぶしとしてはじまった。7つの大陸にある各国を順番に回り悪魔が嫁いでいく。ほんの瞬きの間の娯楽。愛しい子らと生活を共にし自分たちの慈悲に感謝されるのは楽しかった。


「おっと、トラゴーディア王国が戦争の支度はじめたよー」

「あー、やっぱり?」

「魔法がない国なんか格好の餌食だよ。そりゃそうなるわ」


 夜明けと共に国民が列をなして国境を目指している。国王は総意と言ったが国民に通達していなかったのだろう。あるいは貴族たちの承認だけしておけば良い、国民は王に従うとでも思っていたか。王都の守備兵が飛竜に食われて死んでいった。竜兵は飛竜を操るのに魔法を使っている。野生返りした竜はモンスターと同じだ、人間を餌とみなして襲ってくる。


 キロクロティマが眉をひそめて言った。


「各国には余計な戦争は避けるように言って。何も知らずに巻き込まれた国民が虐殺されるのは看過できないわ」

「了解。やっぱ気分悪いもんね」

「要はコモディアー王国がこの世からなくなればいいわけだし、王族と貴族だけ始末するように忠告するわ」


 悪魔が人間を襲うことはない。無意味だからだ。悪魔たちは人間を愛している。憐れな愛しい子らを救うのは自分たちだと思っている。


 キロクロティマは婚約破棄を悲しいとは思っても、激怒することはなかった。彼女にとって聖女は神に惑わされむやみに国を混乱に導いてしまった被害者である。だがその被害者がこのような事態を引き起こしたのだ。人の恨みは人がなんとかするべきである。キロクロティマが出ていき許せというのは簡単だが、それでは死んでいった者たちが報われない。やはり聖女の裁きは人間がするべきだろう。


***


 コモディアー王国は大混乱に陥った。人々の群れは他国が攻めてきたことを知ると王宮に詰めかけ聖女を罵倒した。聖女に味方していた国王や王太子も、魔法がまったく使えなくなってしまった事態に終いには聖女を国民に差し出すことで逃げようとしていた。


 悪魔を撤退させ、神の試練に挑む。それは魔法を捨てて人間だけの力で文明を築くことを意味する。もっとも人間に知恵を与えたのが悪魔なのだから、人間は最初の出だしから失敗しているのだ。悪魔は強制はしない。必ず選択肢を与え、選び取らせるようにしている。堕落に流されるのはいつも人間が選択した結果だった。


 聖女エスサは捕らえられ、火炙りにされた。神の試練に挑んだ彼女は天の国に行くのだろう。その前に生き地獄を味わった。はたしてそれで幸福なのか、焼かれながら泣き叫び慈悲を乞い神を呪う姿からは判断ができなかった。


 国王と王太子ヒュポクリテスも処刑された。他の王族や貴族たちも連座して処刑され、コモディアー王国は潰えた。王国の跡地は各国に分譲された。生き残った国民もそれぞれに国籍を変えて元の生活に戻っている。


 キロクロティマは別の国の王と結婚した。世界には悪魔の加護が満ち、人々は感謝しながら暮らしている。





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[一言] 真・女神転生の世界観を思い出させます 法と混沌、法に傾けばどうなったか
2020/04/02 11:18 退会済み
管理
[良い点] 創作上にある一般的なイメージの邪悪な悪魔崇拝じゃなく、調べると出てくる(少なくとも建前上はそうなってる)我々の世界の実際の悪魔崇拝者の考え方ですね 偽善は許さない、現世利益は求めろ、しかし…
[良い点] 面白いです。 ファウストが好きなので、悪魔が人全体をお気に入りみたいに扱う点が刺さりました。 [気になる点] 悪魔視点では神は実在する世界だったのか、悪魔的にも存在が不確定なのか、気になり…
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