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川島恭介の受難  作者: ゆきち
第四章:二つの祭りと二人

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第30話 川島恭介と雨中の彼女




「はあ……くっ、はあ」


 殴り付けるような雨の中で、俺は喫茶店へと向かっていた。

 最初は頬にたまに当たるくらいだったのが、喫茶店に近づくにつれて激しさを増し、近くまで来た頃にはもう全身がずぶ濡れとなっていた。

 服は雨を吸って鉛のように重くなり、視界は激しい雨で五メートル先のものがろくに見えなくなっていた。

 それでも俺は走った。すっかり人の気配が消え失せた街の中を。

 椎名と連絡が取れない。

 小林達とは連絡が取れた。望月とは俺と別れた後合流したらしい。

 だが、椎名だけがそこにいなかった。

 俺は何か嫌な予感がし、こうして探している。

 そして喫茶店に到着した。俺は全身がびしょびしょなのも構わず、店の中へと入る。


「……いない?」


 だがそこに、椎名の姿はなかった。

 店内は静まり返り、明かりも点いていない。

 そして何より、玄関に置かれているのは雨で濡れた俺の靴だけだ。

 そこまで確認したときだった。俺のポケットのスマホが震えた。

 取り出したスマホの画面には小林和也の名前があった。

 俺は無言で電話に出た。


「……あ、やっと出た。恭介、お前今どこにいるんだよ?」


 俺が走っている間、何度も掛けたらしい小林が呆れ混じりにそう言った。


「小林か……今は喫茶店に戻ってる」


「いつの間に帰ったんだよ。……ったく、帰るなら一言くらい言ってくれよな」


「悪いな……」


「ん? 何かあったのか? 何か妙に声のトーンが低いように思えるんだが?」


 さすがに気づいたのか、小林は心配する声を上げた。

 すると電話の向こうからも「何かあったの?」と心配する声が何人かあった。

 俺はその空気が妙に居心地が悪く、答えを返さず質問した。


「先輩を……見なかったか?」


「まだ一緒じゃなかったのか? もうてっきり合流してるんだと思ってたんだが」


 小林達の空気がざわつくのを、電話越しでも伝わってきた。

 どうやら、誰も椎名の行方を知らないらしい。

 俺は真っ暗な天井を見あげる。


「居ないんだ……どこにも。店にいると思って戻ってきたけど、居ないんだよ……」


 そう言ってだらりと手を下げた。

 そこで妙な胸騒ぎが俺を襲った。

 スマホからは小林の声が微かに聞こえるが、何を言ってるかまでは分からない。

 濡れた髪から流れる滴が頬を伝い、そして服の中へと流れていく。

 それが無数に重なり、まるで全身を虫が這い廻ってるような不快感があった。

 俺はいつまでもこうしていても仕方がないと思い、通話終了のボタンへと手を伸ばす。


「…………」


 再び静まり返る店内。

 数秒後、またスマホが震えたが俺は無視して店の外へ出た。

 雨は弱まることを知らず、今だに大粒の雨が地面を叩き、アスファルトに無数の円を作り出していた。円は開いては消えて、開いては消えてを繰り返す。

 そして俺の足は、自然と学校方面へ向いた。

 いや、正確にはその裏にある公園――桜際公園へと。

 何か根拠がある訳じゃない。

 ただ、思い当たる場所が他に無かったってだけだ。

 そこにいなかったら、あとはもうどこかの店で雨宿りしていることを祈るしかない。


「先輩……」


 俺はモヤモヤと渦巻く思いを胸に、再び走り出す。

 いつもは何気なく歩いていた道が、今は険しく思えた。




 桜際公園の周辺は住宅街に囲まれている。

 そのため、街灯の明かりと月明かりだけが頼りなのだが、今日は月明かりがなく、いつもより薄暗い。

 公園の中にも一定の間隔で街灯は立っているものの、それだけではやはり心許ない。

 俺は公園の入り口に立ち、そこから延びる上り坂を眺める。

 前に見たときはきれいな場所だと思っていたが、今は坂の上から滝のように水が流れ、俺の行く手を阻んでいた。

 この先に、椎名がいるかもしれない。

 ここがダメなら、喫茶店で待つしかない。

 俺は一歩ずつ踏みしめ、ゆっくりと坂を登る。

 今頃、傘を忘れて困っているであろう椎名の姿を想像すると、少し微笑ましくはある。

 そう思うと、自然と歩くスピードが早くなる。

 早く会いたい。

 いつもは振り回されて、大抵の場合俺が大変な目に遭う。

 今だってそうだ。何処にいるかわからない椎名を探して、ずぶ濡れになりながらここまで来ている。

 俺もなかなか物好きなようだ。

 平凡が好きだと思いながらも、何だかんだで椎名と過ごした時間は楽しかった。

 それは記憶が戻った今でも、そう思える。


「…………」


 そして、一番上まで来たところで開けた場所に出た。

 広さのわりに少ない遊具が所々にあり、公園の外周の所々には屋根付きのベンチがある。

 だが、そのどれにも椎名の姿はない。

 ただ、公園の真ん中には一人の少女が立ち尽くしているのが確認できた。

 その人物が椎名だと気付くのには、数秒を要した。

 それは、雰囲気があまりに違っていたからだ。

 いつも元気そうに外に跳ねていた茶髪は雨に濡れてその元気をなくし、花と蝶の柄の浴衣は着崩れていた。

 今椎名がどんな表情をしているのか、それは後ろ姿からは読み取ることができない。

 俺はあまりの光景に声をかけようか僅かに躊躇うも、何とか声をかける。


「先輩?」


 そう呼び掛けると、椎名はピクリと体を震わせた。

 それからゆっくりと首だけを回してこちらに顔を向ける。


「……先、輩?」


 そして、椎名の表情を見て俺は思わず目を見開いた。

 目には光がなく、ただ虚ろに俺を見ている。

 いつもの椎名とは、あまりにもかけ離れていた。


「どうしたんですか先輩!?」


 俺は思わず椎名に駆け寄った。

 こんなの普通じゃない。


「川島君……何でここにいるの?」


 そう言う椎名の声にはいつもの元気はない。

 虚ろな目は俺を見ようとはせず、俺の来た方向だけを呆然と眺めている。


「明日香ちゃんは?」


「えっ、望月ですか? 今は小林と合流してると思いますけど……」


 何で望月の名前が出てくるのだろうか。

 俺が不思議に思ってると、椎名はようやく俺の方へ顔を向けた。


「何で、一緒に居てあげないの? 川島君が今居るべきところは、ここじゃないよ」


 椎名は一体何を言っているのだろうか。

 さっきから会話になっているのだろうか。


「帰りなよ、川島君……。あたしは大丈夫だから」


「…………」


 全然大丈夫そうには見えない。

 表情こそ笑顔だが、それは明らかに作り笑いだった。

 一体何があったかは分からない。それを教えるつもりも彼女にはない。

 だけど俺は咄嗟に、椎名の体を抱き締めた。


「え……?」


 驚く声は酷く弱々しい。

 椎名の体はすぐに壊れてしまいそうなほど細く、柔らかい。

 それでも俺は、手に力を込めた。


「先輩に何があったかは分かりません……。でも、こうさせてください。いつかの、先輩がしてくれたように」


「……ッ!?」


 椎名は何かを思い出したように、僅かに声を漏らした。

 そして、震える声が耳元で聞こえた。


「なん、で……?」


 その声は雨の音で欠き消されてしまいそうだったが、俺にはちゃんと聞こえた。


「どうして、こういうことするのかな……。もうこれで、忘れられると思ったのに……どうして」


 そこまで言って、腕の中の椎名が急に俺の胸を思いきり押した。

 俺は僅かによろけながら、椎名の顔を見る。

 目元を赤くした椎名は、雨の中でも泣いていたことがすぐに分かった。

 そして、泣かせた原因が俺であることも。


「もうやめてよ! そうやってあたしに優しくして……何をやっても許してくれて……」


 ようやく聞いた、椎名の葛藤。

 一体いつから悩んでいたのだろうか。それはきっと、考えても答えは出ない。

 でもそれを我慢してきた結果、何かを切っ掛けに、こうして吐き出した。

 俺はそれをただ、聞くことしかできない。


「皆は離れていくのに……何で川島君はそんな平気な顔でいられるの? 無茶苦茶なことをしても、川島君はいつも嫌な顔をしなかった……」


 椎名はうつむくと、拳を握る。


「いつも一人だったあたしにとっては、川島君だけが唯一の居場所だった」


 椎名が一人なのは初耳だった。だけど確かに、あの破天荒っぷりには俺も驚かされたし困らされた。

 でもそれは、後から思えば良い思い出だと思えるようなものだった。

 別におかしなことじゃない。ただ、その人にとって合うか合わないかの違いだけだ。


「でもその居場所も、これで最後……もう終わりにするから」


 そう言ってまた作り笑いをした。

 無理して笑う彼女の姿は酷く痛々しい。


「先輩、俺は――」


 ここで何かを弁解しないと取り返しがつかないと思い、声をあげるが、椎名の声がそれを遮る。


「川島君……今まで、ごめんね」


 それだけ言うと、俺の目の前から走り去っていった。

 俺はすぐに追いかけようとするが、何故か足が動かなかった。

 ここで追いかけなかったら、本当に椎名との関係が終わってしまう。そんな気がする。

 けど、それが分かっていても俺の足は動かない。

 気が付けば、椎名の背中は坂の下へと消えていった。

 俺は一気に力が抜けて、椎名が最初にそうしていたように空を見上げた。

 真っ暗な夜空から降る雨はまるで、俺の心を表してるかのように冷たかった。

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