第29話 桐島恭介と夢の終わり
電話を終えて、俺は屋台の並ぶ道から少し外れた歩道を歩いていた。
歩道からは屋台の後ろ姿が並んでいるのが見える。その隙間からは明るい光と人々の喧騒が聞こえてくる。
そのお陰か、いつもは街灯の明かりだけで薄暗いこの道も、今は明るく、それなりに人も歩いていた。
その中を俺は気だるげに歩き、目的地である祭りの入り口を目指していた。
「(祭りの会場から少し離れたとはいえ、この空気の中を一人で歩くのはなかなかキツいな……)」
俺はキョロキョロとしながら、すれ違うカップルやら仲良しグループなどから視線を逸らしていた。
向こうは特に気にしてないのだろうが、何故かこういう場に一人でいると、変な目で見られているような錯覚に陥る。不思議だ。
俺はこの場から早く抜けようと、早歩きでその場を進んでいく。
そして、目的の祭りの入り口近くの交差点に到着した。
この交差点は三つの道で構成されている。細い道から延びているのが二つ。そして残りの一つは広い道で、ここまで来ると少しだが車も通るようになってきた。
「(望月もう来てるかな……)」
俺はふとそんなことが気になり、祭りの入り口の方を見やる。
だが入り口の方は人が多く、それらしい人物は見当たらなかった。ただでさえ浴衣を着ていて、いつもと雰囲気が違っているため余計分からない。
俺は早々に探すのを諦めて、スマホを取り出した。
連絡は誰からも来ていない。
皆、各々の祭りを楽しむあまり、俺の着信に気づいてないんだろう。本当に困ったやつらだ。
そう思わず苦笑いしながらため息をついて、スマホを再びポケットへとしまった。
そこでちょうど信号前に着いた。
いつから赤信号なのか分からないが、それなりの人が信号が変わるのを待ちながらスマホを見たり楽しげに会話をしている。
俺はスマホをしまったばかりで手持ち無沙汰になり、意味もなく空を見上げた。
今にも雨が降り出しそうな雲が月を隠し、降り出すタイミングを今か今かと伺ってるような気がした。
せめて花火が終わるまでは待ってほしいものだが、そもそも肝心のメンバーがバラバラなので、とてもじゃないが全員で花火を見るという約束は守れそうにない。というか、みんな忘れている可能性すらある。
「(花火、皆で見たかったな……)」
何故か俺はむしょうにそんなことを思った。
でもきっと、皆じゃなくても良い。ただ、誰かと見たかった。
そこに意味がある。そんな気がする。
その気持ちが一体どこから来ているのかは分からない。
でも、それが俺にとっては重要なことなんだと思う。
そこでふと、既に俺以外の人間が交差点を横断していたことに気づく。
長い間呆然としていたらしい。
信号が点滅を始め、俺は慌てて他の人の後を追う。
そして少し進んだ頃だろうか、目の前を真っ白な光が覆った。
この光は花火ではない。こんな経験を、俺はずっと前にしている。
――その時、周りの音が消えた。
誰かが「危ない!」と叫んだ時にはもう、俺の体は後方へと吹っ飛んでいた。
僅かな浮遊感が俺を包み、それは数秒と経たずに痛みへと変わる。
気がつけば俺は先程立ち止まっていた歩道で寝転がっていた。
その前を大型のトラックが通りすぎ、周りの人々の喧騒の雰囲気が変わるのが分かった。
そこまで認識したところで、俺の上に誰かが乗っかていることに気が付いた。
俺は顔を下に向ける。
「望、月?」
そこには俺に覆い被さるようにして倒れる、望月の姿があった。
声を掛けると望月は顔だけを上げて、キュッと両手で俺の服を握った。
「よかった……よかったよぉ……」
そう言う望月の顔は涙で濡れ、俺の服へと滴が落ちている。
俺はいつかこんな表情を……。
そこで何かを思い出そうとして、ガツンッと頭を殴られたような衝撃が俺を襲った。
それは物理的に殴られたとか、そういうものじゃない。
――デジャヴ。
今年の春頃からたまにあるその感覚は、ここにきて俺の意識をぐらつかせるレベルで襲った。
そしてそれを切っ掛けに、いろんなものが鮮明に思い出されていく。
それは記憶。
だがその記憶には何故か、俺の存在が――川島恭介という人物が登場しない。
皆一様に俺のことを別の名前で呼んでいる。
そして一つ一つ思い出していき、その中で記憶を失う前の中で一番新しい記憶に唯一俺と接点のある名前が出てきた。
恭介という名前。
だが、その名前が俺に向けられたものでないということには、すぐに気がついた。
何故なら記憶の中で呼んでいた俺の名前は桐島恭介だったからだ。
いつか夢で見た、あの少女が言っていた謎の名前。それは他でもない俺だった。
いや、正確にはもう一人と言った方が良いかもしれない。
これは、俺の記憶ではなかった。
あの日、俺と同じ日に事故に遭った桐島恭介という少年の人生そのものだった。
「……怪我は、ない? 大丈夫? あたし、間に合ったよね?」
顔を涙でぐちゃぐちゃにして、早口で捲し立てる。
そして、その言葉の意味も、今は理解できる。
「ああ、間に合ったよ……」
俺は自然と顔が綻んだ。
すると彼女も安心したのか、また目元から涙が溢れてきた。
「よかった……またダメなのかと思った……何度も何度もあの時の光景が浮かんで、また死んじゃうんじゃないかって……そしたら胸が張り裂けそうなくらい痛くなって……」
望月は再び俺の胸に顔を埋める。
「もうあんな思いするのは嫌……気持ちも伝えられないまま、居なくなっちゃうなんて……もう嫌だよ……」
くぐもった声で言う彼女の体は、小刻みに震えていた。
それを俺は安心させるように彼女の背中に両手を回す。
「明日香……」
俺は朦朧とする意識の中で、彼女の名前を呼んだ。
今は、あのときと違ってちゃんと呼べる。
名前もはっきりと分かる。
彼女の温もりを肌で感じとることができる。
あの日を、やり直すことができる。
あの日出来なかった告白の続きを。
「俺は、明日香のことが好きだ……」
「うん……あたしも……あたしも同じ気持ちだよ?」
震える声で言う彼女は、そう言うと俺の背中へと手を回す。
これはきっと、ほんの一時の夢だ。
花火が終わる頃、それは消えてしまう、そんな儚い夢。
でも今は……この一瞬だけは現実だ。
それは、この両手に感じる温もりが証明している。
「そっか……。それなら告白の返事、次の日に回さなくても、良かったな……」
「そうだよ……バカ。君のせいでどれだけ待たされたと思ってるの?」
「悪いな……」
俺は謝りながら上体を起こして、望月を引き剥がす。
すると、当然と言えば当然だが、俺達の周りにはかなりの人だかりが出来ていた。
「とりあえず、お祭り行こっか……」
望月も今更気づいたのか、顔を伏せて立ち上がると、俺の手を引っ張った。
俺もふらふらとした足取りで、手を引かれるまま付いていく。
そこでちょうど、乾いた音が鳴り響いた。
それは俺達の再会を祝福するように夜空に花を咲かせた。俺達は立ち止まり、顔を上げた。
あの日は見られなかった花火。
望月の泣き顔で終わった、あの冷たい夏祭りを塗り替えようとするかのように、俺達は呆然と夜空を眺めた。
俺達は互いの手を握る。この最後の瞬間を目に焼き付けるように。
それからは夢のような時間だった。
いろいろな屋台を回って、ベンチに座って花火を眺めて……気が付けば祭りは、終盤へと差し掛かっていた。
花火は止み、人々は次第に数を減らしていく。
俺達はベンチに腰かけて、呆然とその光景を眺めていた。
「終ったな……」
「終ったね……」
花火のように一瞬に感じたこの時間を、名残惜しむように呟いた。
祭りもいよいよ終わり。
祭り自体はまだ明日もある。だが、俺達の祭りは今日だけだ。
それを分かっているから、彼女の表情もどこか憂鬱だ。
だから俺の方から切り出すことにした。
「明日香、今日は付き合ってくれてありがとな」
「うん……うん、あたしも楽しかったよ。だからそんなことは言いっこなし」
そう言って人差し指を立てると、にこりと笑った。
その笑顔は無理した笑顔ではなく、本当の笑顔だった。
「…………」
そしてしばらくの間沈黙が流れると、望月は笑顔を崩して、寂しそうな顔をこちらに向けた。
「もう行っちゃうの?」
その問いに対して俺は「ああ」とだけ返す。
空気が自然と重くなる。
「そう、だよね……もうあたしの知ってる恭介君は、本当はいないはずだもんね……こうして話せてるだけでも奇跡、なんだよね」
望月は視線を落として、足元に転がる小石をつま先で弄ぶ。
その行為は何かを紛らわそうと、必死になっているように見えた。
「もう、会えないんだよね……」
「ああ……」
俺はそう返事するしかなかった。耐えきれなかった。
でもそれは俺の勝手な事情だ。
ならここは、無理をしてでも別れの一つや二つ言うべきだろう。
だけど、何を言えば良いんだ?
何も思い付かない。
何かないか?
何でも良い……何か言え。言っちまえ。
「……ッ!?」
俺が無言で立ち尽くしていると、望月は目に涙を浮かべて、いきなり俺の胸に飛び付いた。
僅かによろけながらも、しっかり受け止める。
「明日香……?」
「……あたし、ずっと待ってた……。帰ってこないのは分かってたけど、忘れられなかった……」
胸の中でそう語る望月の声は震えている。
俺は少しでもそれを紛らわそうと、頭を撫でる。
「やっと会えたと思ったのに……またすぐに別れないといけないの?」
望月の言葉が徐々に熱を持ち始める。
そして顔をあげる。
「そんなのあんまりだよ……辛いよ……苦しいよ、恭介君……こんなにも思ってるのに……」
望月は俺の服を両手で握り、上目遣いで見上げる目は泣きすぎて赤い。
「明日香……俺はお前のことが好きだよ」
「……うん」
囁くように言った。
俺は震える唇を必死に動かして最後の言葉を紡ぐ。
「だけど、お前とは付き合えない……」
「…………」
望月はその言葉の意味を理解したかのように、そっと目を伏せた。
「我が儘なのは分かってるよ……自分の気持ちだけ伝えて消えるなんて、虫が良いのも分かってる……でも、それだけは伝えたかった」
本気だからこそ、彼女にはもう俺のことを引きずってほしくない。
だから俺が現世に留まる原因である未練と一緒に断ち切る。それが俺にできる唯一の罪滅ぼし。人生最後の仕事だ。
「俺が、お前のことをどれだけ思っていたのかを、知って欲しかった」
そう言うと彼女は一度弱々しく頷くと、すぐに首を振って顔を上げた。
「うん!」
彼女は頬に涙を伝わせながら、返事をした。
それが余計に俺の胸を締め付ける。
絶対に泣かせたくなかった。
それなのに、何度も泣かせてしまった。
俺は本当に最低な男だ。
でもこれでいい。
これが俺の精一杯。
だから未練はないつもりでいた。
「……ッ!?」
気がつけば俺は、彼女の濡れた唇に俺の唇を重ねていた。
最初は目を見開いていた彼女もすぐに受け入れるように目を閉じた。
どれくらいそうしていただろうか。
周りにはもう人がいない。
だから茶化す者もいない。
俺達は心行くまでその時間を堪能し、ゆっくりと唇を離した。
そこからは別れの言葉も何もなく、俺はその場を離れた。
その時には既に、桐島恭介としての記憶は薄れていた。
他人の記憶が他人の身体の中に入る。そんな不可思議な現象を体験したというのに、俺の中に不思議と疑問は湧かなかった。
何となく分かってしまったから。
人に説明しても、きっと笑われてしまう。そんな馬鹿げていて、非現実的な理由。だが、俺は分かる。分かってしまう。
さっきまで俺の中に居たのは間違いなく死んだはずの桐島恭介だった。
気持ち。
願い。
思い出。
その全ての感情が、あの僅かな時間だけ彼のものだった。
だからだろうか。さっきまで明確だった筈の彼の記憶は完全に消滅し、記憶を失う前の川島恭介の記憶で上書きされていた。
母も父も友達も学校の先生も、全てを思い出した。
きっと桐島恭介という存在が俺の中で蓋をしていたのだろう。
だが不思議と不快感はなかった。
今はそれよりも、やることがあったからだ。
俺は祭りの入り口へと戻ってくると、おもむろにスマホを取り出した。
電話帳を開いて、椎名真琴の名前を選択する。
「…………」
だが、一向に電話が繋がらない。
もう帰ってしまったのだろうか?
いや、彼女の性格から考えて、まだどこかで人様に迷惑を掛けている可能性が高い。
俺はまたスマホを操作して、別の名前を選択しながら祭りの会場から背を向けた。
その時、俺の行く手を阻むようにポツリポツリと空から滴が落ちてきた。
だが俺は、構わず来た道を戻る。




