第28話 御島七海と小林和也
◇
小林と回るのは、最初は少し不安だった。
今まであまり交流が無かったていうのもあるけど、もともとのタイプが違いすぎる。
小林のイメージはチャラ男で、とにかく明るく、あたしとは正反対。
だから話せるか不安だったのだが、実際にいろんな屋台を回りながら話してみるとこれがそうでもなく、話し易くすらあった。
「結構遊んだな。次はどうしようか?」
屋台を見回しながら、小林はそんなことを言った。
私は少し考えて。
「うーん……そろそろ花火も始まる時間だし、一回入り口の方に戻ってみない? 誰か戻ってるかもしれないし」
「もうそんな時間か……じゃあそろそろ戻ろうか」
「うん」
そうして身を翻したところで、唐突に腕を掴まれた。
「え?」
「……ごめん。けどその前に、あと一ヶ所だけ寄っても良いか? 行きたい場所があるんだ」
振り返ると、彼は真剣な顔でそんなことを言った。
どうしても大切なことなのだろうか?
私は彼の真剣さに押されて、コクリと頷いた。
「良かった。こっちだよ」
そうして小林は屋台の並ぶこの通りから外れた場所へと向かった。
道路を一つ渡り、祭りの会場とは一本違う道へと出た。
あたしはどこに行くのか少し気になり、聞いてみる。
「ねぇ小林君。どこに向かってるの?」
「見てのお楽しみ……と、着いた。ここだよ」
そう言われて前を向くと、開けた場所へと出た。
ここにも結構な人がいて、あたしは小林の方へ顔を向けた。
「ここは?」
聞くと、小林は何も言わず私の手を握って足を進めた。
「えっ、え?」
その行動に私は戸惑いながらどんどんと前へ進む。
そして、人の多い中でも、そのなかで一番人の少ない場所で足を止めた。
「小林君?」
表情は見えない。
でも、この場所に来たことは彼にとってとても重要なことなんだということだけは分かった。
私は彼が話し始めるのを黙って待つ。
それから少ししてからだった。
ヒュウと風を切る音がなり、バンッと乾いた音が周囲に響いた。
私は驚いて音のした方――空を見上げた。
そこには、よく晴れた夜空を覆い尽くすように、巨大な花火が広がっていた。
目前に一杯広がるこの光景に思わず「わぁ……」と声を洩らす。
そこでふと小林の反応が気になり、横に目をやると、彼は目を大きく開けて空を見つめていた。花火が赤や緑へと色彩を変えるたびに菊や滝が空一面に広がり、そのたびに彼の瞳は様々な色に変化していく。
視線に気づいたのか、小林もこちらを向いた。
「御島ちゃん……」
呟くように言った小林の顔がすごく近く見える。
それは巨大な花火を見た後だからそう見えるだけなのか、それとも本当に近いのか。
「俺と御島ちゃんが初めて会ったときのこと、覚えてるか?」
彼は世間話でもするような調子で話し始めると、再び視線を花が咲く夜空へと移した。
それに私はコクリと頷く。
「覚えてるけど……」
小林と初めて会ったときの事。あんなの、なかなか忘れられる経験じゃない。
そもそもあんなにしつこく話し掛けられたのは初めてだった。
「あの時は、沢山本で殴られたなぁ……恭介と一緒になってさ、珍しく俺が弄られた」
小林は笑い、私もそのときのことを思い出して僅かに口元が緩むのを自覚する。
「その日は正直、なんだこいつと思ってた……本で殴るし、無愛想だしで、仲良くなれるかすら心配だった」
「そんなこと思ってたんだ……」
確かにあの日の夜は、自分の行いに頭を抱えて布団の中で悶えていたものだ。
やってしまったなぁ、と。
「でもさ、今まであんまり接点はなかったけど、少しずつ御島ちゃんのことが分かってきて……」
接点はあまり無かった。でも全く無かったわけじゃない。
「人付き合いが苦手で、でも真面目だから無理にやろうとして、何度も空振って……」
そう言われて、私は急激に顔が熱くなるのを感じる。
実際にこの喫茶店に住むようになったとき、最初によく接してくれた川島に迷惑を掛けたように思う。
何を言って良いかわからず、言葉に詰まる度に川島はいつもあたしの話しやすいようにフォローしてくれたりした。
今ではこうして、他の人と二人きりで喋るくらいには私も成長することができた。
「でも……」
小林の言葉が続いた。
私達の周りの空気が変わった。
そして何よりも違うのは、小林の瞳には真剣な色を帯びているということだった。
これに続く言葉が一体何なのかは分からない。
けど、自然と私は聞く体勢に入っていた。
そして小林は口を開いた。いつもとは違う声音とともに。
「……俺は、そんな不器用で、真面目な君のことが……」
そこまで言って、小林は一拍おくと、一度息を吸って、吐き出すように最後の言葉を告げる。
「好きだ」
その言葉と共に、まるで彼を応援するようにタイミングよく花火が私たちを照らした。
「えっと……」
告白されるとは思ってなかった。そもそも、彼があたしを好きだということにも気が付いていなかった。
私はまだ、小林という人をよく知らない。
会ってからまだ日は浅い。それも今日まであまり交流の無かった相手だ。
だけど、何かしら答えは出さなければならない。適当に引き延ばしたりして、曖昧なままにするのは絶対にダメだ。
私はどうしたい?
そう自分に問いかけて、心の奥底にある気持ちがなんなのかを掴み取る。
それは、今まで向き合ってこずに自分の中でずっと燻っていたもの。それが何か、今まで経験してこなかった私でも分かってしまう一つの感情。
「私、は……」
私は俯いて、ギュッと胸の前で両手を握る。
小林和也。彼は見た目とは違って、相手の気持ちを真剣に考えることのできる人間だ。
それは、今日の祭りを一緒に過ごして感じたことだ。思い返してみれば、祭りを回っている最中も節々に気遣いがあって、人と接するのが苦手な私でも楽しく過ごすことができた。
彼は本当は真面目な人なのだ。いつもチャラチャラしているのは、それを知られるのが恥ずかしいからなのかもしれない。そう思うと、少し可愛いげがあるように思えた。
けれど、私の心の底に居るのは、また別の人だ。
その人は喫茶店に来てから、やっていけるか不安だった私を支えてくれた人。
いつも文句を言いながらも、周りの我が儘を聞くお人好しの彼、川島恭介のことが――
「……あ」
私は、初めての感情を自覚して、短く声が漏れる。
自覚すると、胸につっかえてたものが取れたような気がしたが、代わりに胸を締め付けるような痛みがあった。
小林の告白を断らなければならない罪悪感と川島恭介への想いが私の中で渦巻いて、僅かに息苦しさを感じる。それらを吐き出すように、私は「ふぅ」と息を吐くと、決心を固めたように顔をあげた。
その時、いつの間にか周りの音がなくなっていた。
今だに花火は上がっている。だが、花火の音も人の喧騒も、何も聞こえない。
まるでこの場には、私と小林の二人だけでいるような奇妙な感覚。
私は一度深呼吸をして、告白に対する答え――その一文字目を口にしようとしたところで小林が「ふっ」と、気が抜けたように表情を和らげた。
「え? な、なに?」
それに私が困惑して、言葉に詰まっていると小林は無理矢理作ったような笑みをこちらに向けた。
「答えは、やっぱりまだ良い」
「どういう、こと?」
小林の意図が読めずに聞き返すと、小林は一度深く息を吐き出した。
「駄目なのは分かってたんだ。御島ちゃんに好きな人がいることも」
「ッ!?」
小林の言葉に、私の心臓が跳ね上がった。
私自身、たった今自覚したばかりの感情を何故彼が知ってるのだろうか。
それほどまでに、普段の私は分かりやすく川島恭介に行動に出ていたのだろうか?
もしそうなら、川島にも自分の気持ちがバレてるかもしれない。そう考えると、私は急に恥ずかしくなり、顔が熱くなっていくのを感じる。
顔を赤くして固まる私に、小林は再び笑った。
その反応に少しムッと来て、頬を膨らませる。
「笑うなんて酷い」
「悪い悪い」
全然悪びれた様子もなく、すっかり調子を取り戻した小林が手刀を切ると「でも」と続けた。
「大丈夫だと思うぞ。あいつかなり鈍そうだし、きっと御島ちゃんの気持ちにも気付いてないって」
その誰が好きなのかまで分かってるような口ぶりに、私は更に顔を熱くさせた。
そんな私を一瞥して、小林は視線を夜空へと放り投げると、付け加えるように口を開いた。
「まあでも、俺はまだ諦めないから」
「え?」
思わぬ言葉に思わず小林を見ると、彼もこちらに顔を向けて。
「来年は絶対、彼女になった君と花火を見てみせるからな」
そう力強く宣言した。




