第14話 夢で見た景色
◇
桜際公園はわりと近い場所にあった。
学校の真後ろの道を一本挟んだ場所だ。
気が付かなかったのは学校の裏側になんて普段行かないからだろうと推測する。
俺は遠目から桜際公園の看板を確認すると「おっ」と声を漏らした。
喫茶店から十五分程度の距離とはいえ、一人で歩くと退屈で、かなり長い時間歩かされたような錯覚さえある。
学校に行くにも、いつも誰かと一緒で一人で出掛けることがあまりないからこういう時間はなかなかに貴重だ。
俺は公園の中に入る。正確には公園へと続く通りだ。
両側に木が短い間隔で乱立している。その木々には既に緑が生い茂り、桜はもう見る影もない。
道は坂になっており、その先に出口とおぼしき場所と、その右斜め前には遊具らしきものが微かに見える。こうして見ると、意外と大きい公園だということがわかった。
俺は分かれ道まで来ると、遊具の方へは行かずにベンチに腰かけて一息吐く。
「ふぅ……」
腰を落ち着けると、そのまま天を仰ぎ見る。
俺が座っているところは丁度開けた場所のようで、円上に青空が見える。
なかなか悪くない眺めだ。
そうして目を瞑り、葉を揺らす木々のざわめきに耳を傾ける。そしてふと、夢とこの場所を照らし合わせる。
(似てるよな……この場所。でも肝心な記憶の方は戻る気配はないし、やっぱり桜がないと駄目か)
などと考えていると、ジャリッと地面を踏む音が風の音に混じる。
「恭介君?」
聞き覚えのある声に目を開けると、反対側からこちらを覗き込む望月の顔があった。
「も、望月!?」
俺は慌てて姿勢を戻して後ろを振り返る。
白のカットソーに、腿より上丈のショートパンツ。そして、肩辺りまで伸ばした黒髪が風に揺れる。
「こんなところで何してるの?」
「いやちょっとな……。椎名先輩が先にここで待ってろって言うからさ」
「椎名先輩?」
望月は椎名の名前を口にすると、首を傾げた。
そこで望月が椎名と面識がないことを思い出す。
「そういえば会ったこと無かったんだっけ? 俺と同じ下宿先の住人で東高の先輩だよ」
「そうなんだ。……仲良いんだね」
望月は納得すると、隣に座った。
「仲が良いかと言われたら……少し悩むところがあるな」
「え? どうして?」
「色々と無茶苦茶なんだよあの人。この前なんて……いや、いいや」
俺はトラウマシリーズの一つを思い出そうとして、途中で止めた。
正直、あまり思い出したくないからだ。
「そこまで言われたら気になるんだけど?」
「勘弁してくれ。そんな、ほいほいトラウマを思い出せてたまるか」
そう言うと望月は少しふくれる。
望月には悪いが、人には触れてはいけない過去の一つや二つや三つくらいあるものだ。それにトラウマとは思い出したくない事を不意に思い出すからトラウマというのだ。例題を挙げるためにトラウマを思い出すのは……いや思い出せるのは、それは自分が思っているほどトラウマと思っていないということだ。
「まあ、とにかくだ。今日はもう帰る事をおすすめする」
「どうして?」
「話聞いてたのかよ? だから……いや、良いか」
別に止めることもないかと思い直し、口を噤んだ。
俺は話題を変えようと、ふと気になったことを聞いてみることにした。
「なあ、そっちは何でここに来たんだ?」
質問に「うん?」と首を傾げると、少し遠い目をした。
「特に理由はないけど……何か良いことがあるような気がしたから、かな」
「何だよそれ。随分とアバウトだな」
俺は言いながら軽く体を伸ばす。
「それで、何か良いことはあったか?」
聞くと望月は「そうだなぁ……」と前置きをして、少し考えると。
「あったよ……良いこと」
そう言って望月は表情を綻ばせた。
そんな表情をさせる『良いこと』とやらに興味が湧き、俺は聞く体勢をとった。
「へぇ……それは聞いても?」
すると望月は立ち上がり、数歩前に進むと、振り返りながらこう言った。
「内緒……」
そうして人差し指を口に当てる。その仕草にドキリとすると同時に妙な既視感を覚えた。
この表情とこの仕草には、見覚えがある。そんな気がした。
だからだろうか。聞かなくても分かりきった質問をしてしまったのは。
「望月……俺は、お前とどこかで会ってないか?」
その質問に望月はキョトンとすると、すぐに口元を押さえて笑った。
「ないよ。きっと誰かと見間違えてるんじゃない? この世には同じ顔の人が三人はいるって言うし」
「そうなのか……って、嘘!? マジで!?」
「マジマジ」
「そうか……。まあ、お前との切っ掛けも『似てるから』だったな」
「そう、だね……」
急に沈んだ声になった望月の様子に、自分があまりに無神経だったことに気づく。
「悪い……」
俺は慌てて謝罪し、視線を逸らした。
本人はもう吹っ切れたと言っていたが、急に話題になったらそりゃあ思い出すこともあるだろう。
良いことから、悪いことまで全部。
俺が気まずそうにしていると、不意に望月は小さな声で、だがはっきりと言った。
「……許さない」
「え?」
許してもらうつもりはなかったが、こうして直球で言われるとは思わなかったので動揺する。
「ほんと、ゴメンて……」
「だから……」
俺が本気で謝っていると、少し口元に笑みを浮かべた。
「これからやることに混ぜて欲しいな」
「え、ええっと……」
思わぬ要求に言葉に詰まっていると「駄目かな?」と上目遣いで聞いてきた。
「別にそれは良いけど……寧ろ喜ばれそうな気がするし、断る理由はないが?」
「やった!」
そう言ってガッツポーズをすると、隣にまた座り直す。
「じゃあそうと決まれば、先輩に連絡しとかないとな。何するかは知らんけど、一応な」
「そうだね。よろしく」
ポケットからスマホを取り出して、椎名にメッセージを送る。
すると、数秒も経たずに返信が帰ってきた。
『うん。知ってる』
「何で!?」
俺は大声を出して立ち上がった。
望月はそんな俺に驚いたようにして、上体を仰け反らせている。
「ど、どうしたの?」
「いや、事情を説明したら『うん。知ってる』って返ってきた」
「え? じゃあ、もしかして……」
「ああ……」
俺達は同時に振り返る。
するとそこには、スマホをひらひらとさせている椎名と呆れ顔の御島と九頭の姿があった。
「居るなら言ってくださいよ」
「いや、何か良い雰囲気だったから声掛け辛くって」
「先輩が空気を読まないでください。だいたい、そんな大した話はしてないですよ」
駆け寄ってくる椎名に弁解するも、話を聞いてくれない。うん、いつも通りだ。
「それじゃあ、始めよっか!」
椎名は俺のいる場所を通りすぎると、声高にそう宣言した。
俺はそれに、訝しげに眉を潜める。
「始めるって……俺、何やるか聞かされてないんだけど……」
俺が不安たっぷりに聞いてみると、代わりに九頭が答えてくれた。
「お葉見だって」
「お葉、見……? お花見の間違いじゃないのか」
「あたしもそう思ったんだけどねぇ……。椎名先輩曰く、花がないから葉っぱを見て食事する。名付けてお葉見、らしいよ?」
「それ面白いのか?」
「さぁ……?」
九頭は特に興味がなさそうに手を広げると、すたすたと椎名の方へと歩いていった。
俺は釈然としないまま後を追った。
その先にはこちらに向かって手を振る、皆の姿があった。
お葉見。訳が分からないが、それはそれで面白いかもしれない。
そう思いながら、俺も返すように手を挙げた。
 




